物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

微分形式を10ページで

2019-03-30 15:13:56 | 数学

「微分形式を10ページで学べるか」

これに挑戦したようなのが、吉本武史『数理ベクトル解析』(学術図書)である。この本の付録Aに11ページで微分形式を説明しようとしている。フランダースの著書では最低100ページは読まなくてはならない。私も以前にフランダースの著書を数十ページは読んだと思うが、残念ながら100ページもは読んだことがない。

もっとも吉本さんはdxdyの交換に対する反対称性は公理的に要請しており、フランダースのようなヤコービアンによる説明ではない。フランダースでは、それほど天下りではない。そういうことにひっかからない人は公理的に要請したのでいいのかもしれない。

私にはベクトルのべクトル積とwedge積とが似ているが、違うものだということはつい先ごろまで知らなかった。これらがHodgeの星演算子でつながっていると知って、ようやくこれは違うものだとわかった。

志賀浩二先生の『ベクトル30講』(朝倉書店)によると、この二つのちがいは奥歯にはさまった感じだったが、横田一郎『ベクトル解析』(現代数学思想社)で星演算子の存在を知り、ようやく違うものだと知った。もっとも、これはフランダースの本で読んだはずだったが、まったく覚えていなかった。


日本の軍事化のおそれ

2019-03-30 11:30:52 | 日記

日本の軍事化が危惧される時代が来ているのかもしれない。

これは雑談会のテーマとしたいと思っているのだが、自衛隊自身が組織変化の最中だと聞くと、日本の軍事化を真剣に危惧しないといけない嫌な時代に突入しつつあるのではないかと感じている。

本来、国際紛争の解決手段としての戦争を放棄すると憲法に書いてあるのだが、それを総理大臣がないがしろにするのではないかという恐れが強くなってきている。

国策としての原発の推進は現在ではもう問題であるというよりは、これは破綻してしまったということが国民の大多数には明らかになった。もちろん、政治の世界ではまだ原発を推進する勢力も皆無ではないが、それでももう大多数の心ある市民とか国民は原発に将来をたくすことの不安とか不合理とかはわかってきている。

一番の心配事は原発の放射線廃棄物を2万年から10万年も地下のどこかに隔離してそれの人類への危険性が及ぼさないか監視つづけることが本当にできる保証はまったくない。そういうものをだれだって安全だと思うことはできない。これはまっとうな判断であろう。

それを「そんなことはない」などと強弁する人はこれはもうお話にならない。どんな偉い人でもそういうことを言う人はきついいい方するなら、もう人類の敵である。

 


石手川での花見

2019-03-29 13:05:32 | 日記

例年通り、石手川の岩堰近辺でのお花見に行ってきた。妻と二人でのお花見である。すくなくとも今年で3年目となる。 ここは愛媛の人がつくったという陽光という紅の濃い色の桜が多いところである。これはソメイヨシノよりも早くに咲く。

ここからは石手寺の後ろの山にある、コンクリートの弘法大師の像に遠くからではあるが、手を合わせて今年も無事を祈る。  

今日は金曜日でウィーク・デーなのとまだ花見には少し早いというので、人出はそれほど多くはない。

そういえば、3年か4年前にここで出会ったHさんも亡くなってしまった。京都の南座に何回かバスで1月に前進座の歌舞伎やその他のお芝居を見に数回行ったときに、ご一緒になったことのある女性であり、市民劇場の理事か幹事をなさっている方だった。

たいていは妻の知人であるが、こういう人は1,2ではない。「年々再々花相似たり、年々再々人同じからず」である。

いつも言う半ば冗談だが、半ば本気でいつも来年の花見はできるかどうかはわからないと言っている。都合がつかなくて花見ができないときはともかくとして、気持ちがのらない等の理由を述べる人には、妻は知人にこういって一緒に花見にいくことを勧めている。

この覚悟はいつでも必要である。


「数学・物理通信」9巻2号の発行

2019-03-28 16:40:22 | 数学

いまさっき、とうとう9巻2号を発行した。4月初めに発行しようと思っていたのだが、もう待ちきれず発行してしまった。

たぶんミスはないだろうと思っている。「読者の声」だとか中西先生のエッセイの投稿もあったりして、追加、追加をした。

もう出来上がっていたので、6月までそれらをおいておくこともできたが、やはり気が短いので、どうしても今号に掲載したくなったからである。

なんというか、せっかちな性格なのでどうも待つということができない。というか仕事はたくさんあるので、次々とこなしていかないとたまる一方になる。

まあ、これでこの3月の働きはおしまいというわけである。もう数日で4月がくる。

そういえば、天皇陛下と皇后陛下が東京や京都で茶会やその他のいわばお別れの会をしている。よく考えるともう1月ほどで天皇さまも退位ということであり、忙しかった生活も一段落となるのであろう。

お疲れになって、退位後に体調を崩すとかいうことがなければいいがと念じている。

 


親知らずの歌

2019-03-28 12:17:21 | 日記

関取花さんの「親知らずの歌」をいつもラジオで聞いている。「歯の親知らず」と重ねて思春期の娘心を歌った歌なのであろう。

なかなか印象的な歌で気に入っている。別に自分自身にはそういう思い出はなかったが、容易に心情を察することができるような歌詞である。

歌手の名前も関取花さんというので、他のところでは耳にしたことがない歌手である。妻に聞いたところこれはNHKの歌としてよく演奏されているとのことである。

歌詞をここにコピーしようとインターネットを調べたが、それのコピーの仕方がわからずコピーができなかった。だからここで紹介できない。

 


図がきれいなのは

2019-03-27 12:10:49 | 数学

図がきれいなのは数学の本としては一つの特色として売りになるだろう。

昨日、E大学の付属図書館で借りて来た矢野健太郎、石原繁『ベクトル解析』(裳華房)は図が鮮明で、はっきりしている。本によっては説明はそれほど悪くはないのだが、あまり図が大きくなくてどういうことを示したいのかわからない場合もあったりする。が、この本の特色は図が大きくてしっかりしているのがいい。

中身が新味があるかどうかも、もちろんあるのだが、これはこの本の大きな特色と考えていいだろう。図が大きいのはインターネットのサイト「物理のかぎしっぽ」のベクトル解析でもそうではあるが、大きな利点といっていいだろう。


屋内で花見

2019-03-27 11:50:08 | 日記

妻の知人が桜の若枝を数日前に数本もってきてくれた。これがはじめのころは花はつぼみだったが、食卓においてあるので、暖かいのであろう。今では満開である(注)。

世間でも桜がすでに満開のところもあるようだが、一般にはこれからであろう。だが、我が家ではすでに桜は満開で食事のたびにこの桜を鑑賞している。

私はあまりアルコールをたしなむほうではないので、この桜を見ながら晩酌というわけでもない。しかし、今夜は買い置きのワインでも飲んでみようか。

妻はいろいろなグループ活動をやっているので、もうすでに2回か3回くらい花見を行っている。パソコンクラブとか書道クラブとかである。いずれも川のそばの桜の花見場所としては絶好の場所である。そこの近所にはスーパーもあって弁当を買うのにも苦労しない。だから、それぞれが好き好きに弁当を買って桜の花見をすでに楽しんだという。

だが、松山では桜の花見はこれからであろう。

(注)ことわざにある。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と。桜の若枝をもらったと上で書いたので、有名なことわざを知らないのかと思われそうだ。当然私たちもそのことわざを知っている。

ところで桜の若枝を切って私どものところへ届けてくださった方と妻がお会いする機会があり、そのときにお伺いしたところでは枝を切っても、そこから腐らない種類の桜があるのだという。

桜の若枝をくださった方がもちろんこのことわざを知っていて、そのことに言及されたという。


またもベクトル解析の本を

2019-03-26 17:05:37 | 数学

またもベクトル解析の本を借りてきた。今度は吉本武史『数理ベクトル解析』(学術図書)と矢野、石原『ベクトル解析』(裳華房)、それにSpiegel『ベクトル解析』(オーム社)である。、

いろいろベクトル解析の本を借りてきて読んでいるのはもう一つ書き方が気に入らないからである。しかし、それぞれの本はなかなかよく書けているのはまちがいない。

だが、私の欲求とはまだ一致しない。これは本のほうがわるいのではなく私の方がわるいのかとまで思うくらいである(注)。

日本ではベクトル解析の本を今までに集めたら100冊はいかないかもしれないが、それでも30冊とか40冊とかはあるのではなかろうか。

私自身もその数を数えたことはない。それに解析学の中で多変数の微分とか積分をあつかったところにもベクトル解析の話題である、ストークスの定理とかガウスの定理とかが出ている。

有名な高木貞治の『解析概論』(岩波書店)にもこれらの話題は出ている。

(注)上に挙げた3つの本ともアマゾンの書評ではかなりいい評価をもらっている書である。


-eanと-ian

2019-03-26 10:49:49 | 日記

-eanと-ianとについて、「数学・物理通信」に投稿をいただいた。それによると固有名詞等に-eanがついているのはEuclideanくらいしか知らないということだった。

それで早速、英和辞書を引いてみたら、人名ではないが、Europeanがあることがわかった。これはもちろんヨーロッパ人を意味する。それでも-ianのほうが多いのかもしれない。

-eanも-ianも「・・・の、・・・の属する、に由来する」の意の固有形容詞・固有名詞の語尾だとあった。

他にも-ianにはいろいろな意味がある。-ianのついた語の例として辞書にあったのは、Bostonian, Shakesperian, Christian, Johnsonian, Parisianなどであった。

(付記)上に書いたのは岩波の英和辞典を引いて書いたのだが、大修館の英和辞典では-ianは-anの異形だと書かれている。それで-anのところを引いてみたら、「・・・の土地の(人)」「・・・に所属する(人)」等とあった。例としてはItalian, republican, Hegelian, mammalian等がある。

ちなみにこの辞書には-eanの方は説明がなかった。


関数を表す基底

2019-03-26 10:31:16 | 数学

関数を表す基底として三角関数を採用すれば、フーリエ級数になり、x^{n}, n=0,1,2,・・・であれば、これはマクローリン展開だとか、こういう感じでLegendre関数とかHermite関数とかはたまたLaguerre関数などの直交関数系をつかう。

これは三次元ベクトルの直交基底 i, j, kとかe_{x}, e_{y}, e_{z}とかとこれらの関数系を同じように考えられるようになったのはいつだったか。これは歴史的な意味ではなく、もちろん私個人の履歴のなかでの話である。

電磁気学の講義でそういう話を大学時代に聞いた気もするがあまり定かではない。それは多分に無限次のベクトル空間である、Hilbert空間の直観的な説明だったのであろう。

だが、そういうことはやはり人から講義とかで聞いても自分の体には定着しない感じがする。自分でなにか感じることがないとダメなような気がする。


ブログのスタイルが変わった

2019-03-25 15:39:16 | 日記

ブログのスタイルが変わったので、ちょっととまどっている。

午前中は保守管理のためサービスがされなかったので、ブログの投稿はできなかった。それで、「数学・物理通信」9巻2号の編集作業に主に従事してきた。

それが一応終わったので、ようやく新しい様式のブログに入力している。どこになにがあるのかわかるようになるのに数日かかりそうである。

「数学・物理通信」9巻2号は投稿者の点検が終わっても4月初めまで手元においておくつもりである。これは私はいつもよくミスをするので、その防止のためという時間である。


数学・物理通信

2019-03-23 13:45:21 | 数学

「数学・物理通信」の2号発行の可能性が出てきた。やはり投稿者さまさまである。ブログでつぶやいた影響でその可能性がでてきた。それも2号だけでなく、3号も発行できるかもしれない。

もしそうなら、ほとんど毎年のことであるが、そういうことなになるのかどうか。


数学ができないので

2019-03-22 13:45:56 | 数学

「数学ができないので」というと人がほっとするという。

これは私が人とつき合うときに、取っている社交術ではないが、妻がよく人とつきあうときに自分のことを過度に、褒めてくれたりした人にいつもいう社交術である。

彼女はべつに数学ができないからといってインフェリオリティ・コンプレックスなどまったくもっていないが、ときどきそういう言葉を口にする。つまり、つきあってくれそうな人の気持ちを楽にする一つの方法と心得ているらしい。

世の中の人の大部分は学校での数学にいいイメージをもっていないのだから、この戦略はたいてい成功する(注)。

妻ではないが、私の知人に小学校の算数の本を何冊も書いた人がいるが、この人は高校の同窓会であった友人に自分のは「文系の数学」だというと相手もほっとしたような顔をするとか書いていた。

ちなみに言うと、彼はノーベル賞受賞者の中村修二さんの高校の同期生である。そして、このことを知ったのも実は中村氏のノーベル賞受賞が契機となって高校の同期会が盛んにおこなわれるようになったという文脈から出たエッセイであった。

(注)別に数学ぎらいが多くて喜んでいるわけではない。学校が数学ぎらい一人でもつくらないようにと願っている。というか、数学だって必要になれば、いつでも学びなおすくらいの気概をもっているのなら、学校で数学をあまり勉強しなくてもかまわないと思っている。

 


ゲノム編集と遺伝子組み換え

2019-03-22 10:33:35 | 日記

ゲノム編集と遺伝子組み換えとはどう違うのか。妻が今朝スマホで検索をして調べていたが、もう一つよくわからなかったらしい。

この二つが違うものだということは確かであるのだが。妻に自分で調べて雑談会で話したらと言ったが、自分で話すつもりはないらしい。

これは妻がいつもお茶やお菓子を出したりして、サービス係をしているから、自分で調べて話すのはちょっと気が引けるらしい。

もし誰もそれをしないのなら、いつか私自身がその話をしなくてはいけないのかもしれない。話としてはエピジェネティックスの話題もあるので、結構盛りだくさんの話になる可能性がある。

突然に別の話になるが、妻は昨日、椿の木を育てている人から「椿の木を見においで」と誘われて見に双海町まで行った。そして、山に植えてある椿の木を見せてもらったのだが、その種類は数百種にも及ぶということを知った。

それで突然のゲノム編集とか遺伝子組み換えとかに関心が生じたらしい。出雲大社の裏山に黒い椿の花が咲く木があるそうだが、それはもしかその木が枯れるともう他にはそういう椿はこの世にまったく存在しなくなるのだという話を聞いて帰った。

そして、その子孫の木はまったく黒い花をつけない赤い普通の椿なのだという。それで島根までその椿の木を見に行こうかなどと私に言っている。

「黒いチューリップ」とかいう映画か演劇かオペラか何かがあったと記憶するが、黒いチューリップならぬ、黒い椿とはなにかドラマのタイトルにでもなりそうでもある。

この黒い椿は樹齢がなんでも500歳くらいらしくて、いつ枯れてもおかしくはないのだとか。


「数学・物理通信」9巻1号

2019-03-21 11:23:35 | 数学

「数学・物理通信」9巻1号の発行の準備が整った。数日前に投稿者に最後の点検をしてもらったので、いつでも発行できる。明日にも発行しようか。

「9巻2号を今回は発行しないのですか」との質問もメールで受けている。そのときには「発行の予定はありません」と返事したのだが、昨日から2号の発行の準備をし始めた。

これは旧稿を改訂して、2号に収録して発行しようかと思い始めたからである。それに一昨日から書き始めた「ベクトル三重積の記憶法」をつけ加えて、なんとか2号としたらどうかという考えである。

別に一度に2号以上を発行する義務はないのだが、やはり1号しか発行しないのはなんだかさみしいという気がするから、不思議である。

それに少し前からこれもまた旧稿を書き直して、「数学・物理通信」に収録しようとし始めていた。これを今回の2号に収録することができるかどうかは疑問である。

まあ、いろいろの可能性を探る必要がある。