物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

図の入力が終わったと思ったが、

2022-11-30 17:59:39 | 本と雑誌
図の入力が終わったと思ったが、終わっていなかった。それで昨日はその描画の続きの作業でブログを書く暇がなかった。

今日も作業の続きをやっている。すこしだけ補足の部分が入力できた。いまのところは図1の方は完成したつもりである。だが、図2の方はまだ完成をしていない。

文章も先日読み返したところ不十分であることがわかり、書き加えた。ああ、こういうことばかりやっている。

昨日のブログを書いてなかった

2022-11-29 11:32:50 | 本と雑誌
昨日のブログを書いてないことに気がついたのはいま先ほどである。こういうこともある。

なにか他の用事で忙しかったためであろうか。数週間前にまとめた数学エッセイの図の入力のための座標数値の計算をするための準備に忙しかったのだろう。

二つの図の入力をしようとしたのだが、一つの図はほとんどできた。まだ完成はしていないが。

もう一つの図は半分くらい描けたと思う。Tikzというソフトを使った描画であるが、きれいにできあがる。これは「数学・物理通信」の読者の方がきれいに文書ができているといつだったかほめてくださったことがあった。

そうではあるが、図が細部まで注意深く描かれているかは別の問題である。



雑談会が終わった

2022-11-26 17:18:22 | 本と雑誌
今日の雑談会はサンティアゴ・デ・コンポステーラに4回も行った人の話だった。

私には面白かったのだが、参加者がいつもよりはすくなかった。
スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラは巡礼地に一つである。

ローマとエルサレムとサンティアゴ・デ・コンポステーラは3大巡礼地だと言われているらしい。

ヨーロッパの各地から巡礼で多くの人が訪れるという。500キロとか800キの道のりを徒歩でまたは自転車で歩いて訪れるとはまた雄大である。

四国にも四国88か所のお遍路道があるが、この道のりは1100キロだとか。ここにも世界中の人が巡礼に訪れる。

私自身は四国のお遍路道を歩いたことはない。多分これからも歩かないだろう。だからましてやサンティアゴ・デ・コンポステーラは巡礼地にはまったく訪れないだろう。ただ話を聞くのは好きである。

球面三角法の公式

2022-11-25 12:35:18 | 数学
球面三角法の公式をどのようにして導くかに関心があるが、なかなかそれを学ぶことができない。

いつか詳しい説明をある三角関数の本、坂江正『ピタゴラスからオイラーまで』(海鳴社)で読んだことがあるのだが、なかなか頭に残らない。このときにはその推論を追うことはできたと思うのだが。この説明は平面三角法を援用した説明だったと思う。

さらに、ベクトル代数の公式をつかって導いたものも終わりまでだったかどうかはわからないが、かなり詳しくチェックしたことがある。

私のわるいのは完全にわかるまで徹底できないことである。これは私の気力とか根気のなさのための不徹底によると思う。それにしたいことがそのときどきで変わることもあるかもしれない。

『四元数の発見』をまとめたときに、自分への課題ともしたのだが、なかなか実情は進んでいない。多くのインターネット等でも資料があり、それらをちらちらと見ているとその議論をまとめるのはなかなか面倒そうでもあるし、わかりやすく書いているように見えるものもある。

『四元数の発見』(海鳴社)ではつぎのような導き方があるのではないかと述べた。

球面三角法の定理を
1.発見法的に導く
2.現代的に導く(ベクトル積とかスカラー積、座標変換等を用いて)
3.平面三角法から導く
4.四元数を用いて導く

1の「発見法的に導く」についての手がかりはどこにもまだない。

2.の「現代的に導く」は多くのインターネットのサイトにある。
 例えば、「FNの物理学」だとか「物理のかぎしっぽ」のサイトである。他
 にもかなりたくさんのサイトがあるであろう。

3.は多くのテクストの説明がそうであろう。
 『百万人の数学』(筑摩書房)とか『ピタゴラスからオイラーまで』(海鳴
 社)とかがあるが、日本で書かれた三角法の本の末尾には球面三角法が説明
 されている。
 
 その標準的なものとして3つだけ挙げておくと
  黒須康之助『三角法入門』(岩波書店)
  中村芳彦『三角法』(培風館)
  辻正次、平野智治『新三角法』(共立出版)
 がある。

4.の導出は当面では堀源一郎『ハミルトンと四元数』(海鳴社)が文献として手掛かりとなるだろう。

1.の発見法的な球面三角法の導出は私にはまだ未知だが、歴史的には平面三角法よりも先に球面三角法が発見されていると数学史の本に書かれているので、1.の導き方があるに違いないと思っている。


計算機代数(数式処理)の傾向

2022-11-24 15:50:20 | 科学・技術
有理関数をコンピュータで積分するRischのアリゴリズムがどういうものであったか学んだことがないが、そういうアルゴリズムがあるということは知っている。

計算機代数は数の計算ではなくて、数式の計算をコンピュータに行わせるものであり、何十年か昔にはそういう数式処理のソフトを使って計算して、論文を2,3書いたことがある。

だが、それは何十年か昔のことであり、最近の動向を知らない。インターネットで検索したところ、昔は AI 的手法で計算をする数式処理だったが、最近はアルゴリズムに基づいたものにだんだんとなっているらしい。

それで思ったのだが、三角関数の計算などはアルゴリズム化できるものなんだろうか。AI 的にはできることはまちがいがないが、アルゴリズム化できるかどうか。どうなのであろうか。

AI 的な処理ということは人間が考えるようなやり方で計算をするということであり、それが研究としては最初はなされることであろう。

だが、数式の計算方法はやはりアルゴリズム化するのが必然の勢いなのであろう。

数学者の研究する数学はもちろんアルゴリズム化がはじめからされるものではないが、物理や工学の分野では計算は手段であるとすれば、手で計算することもないであろう。

私などが数学教育的見地から、例えば三角関数の計算法をいろいろ調べることをしているのは、つまりは AI 的手法の研究である。いや研究というのはあまりにおこがましくて、一種の昆虫採集とか植物採集のようなものである。

そういう試みも自分では必要だと思って行っているのだが、果たして本当にそうだろうか。疑問に感じないでもない。

そう考えてくると入試問題(例えば、大学入試問題)とかをどう考えるのかに問題がすぐに広がってしまうのは避けられない。それでもなかなか入試というシステムがすぐになくなるとは思えないが。






防衛費の増額を考える

2022-11-24 12:41:42 | 国際・政治
防衛費の増額を考える。

日本は憲法で戦争の放棄をうたっている。だから戦争の手段としての軍隊はもたないのが建前である。自衛の武力をもたないということはあり得ないということから、自衛隊ができて国を守るということでここまできている。

最近、中国や北朝鮮等の軍備増強が顕著だというのだろうか、日本の防衛予算がGDPの1%枠を外して2%にしたいという国会や政治の状況である。

ところが、これに反対する世論があまり見られない。これは憂慮すべき事態である。まず普段の経済生活が守れもしないのに防衛力の増強はまちがっている。それも国債を発行しての防衛力の増強だとか。これは絶対にありえない。では法人税や所得税を増税しての防衛力増強はあるのか。これもありえない。

守るに値する国でもないのに、防衛力だけ増強しても意味がない。

では、つぎに普段の経済生活が守れたら、自衛力の増強はOKなのかということである。これもOKではない。

確かに中国が大国として軍備力の増強をしていることはまちがいがないであろう。しかし、そういう世界がいいとはいえない。大国は自国民を富裕を保証するために資源とかエネルギーとかの権益を軍事力とか経済力とかで守ろうとする傾向がある。

まず大国主義がいけないのだということを政治家は説かなければならない。外交的にそれを説いたからと言ってすぐには中国の大国的振舞いがなくなるということはないだろう。

しかし、それでも外交的にはそういう正論を述べなければならない。地球全体の持続可能な発展ということが緊急の課題となっているときに、自国だけの利益を考えていてよいはずがない。

それに戦争は人類のする一番の資源とエネルギーの浪費である。これは人類の存続の危機が十分に意識されている、そういう時代が来ていることをあらためて世界各国で再認識するべき時代が来ている。

各国が自分の国のことだけ考えたらいい時代はもうすでに過ぎ去っていることを認識できない指導者は指導者の名に値しない。だから私たちは平和路線での外交に徹するし、防衛力の増強などしないと宣言しなければならない。

北朝鮮のミサイル開発とか原爆開発とかは頭の痛い問題だが、日本が北朝鮮の脅威でないのは多分確かであろう。もし北朝鮮が日本を攻撃でもすることがあるとしたなら、これはもう自暴自棄になっているということだ。北朝鮮が自分の国を亡ぼしてまで守らなければならないことなどあるはずがない。

北朝鮮はアメリカの脅威のためにミサイルとか核開発をしているのだ。これがつまらないことだということはだれでもわかっているが、それを理由に日本の防衛力を2倍に増強するなどは愚の骨頂である。

これは核の脅威で世界全滅の危機が叫ばれた半世紀以上昔にすでに言われたことだが、要するに一方が核軍備を増強すると、それはもう片方の脅威を増すことになり、この競争はとどめがないのである。不安定な軍備力のバランスは留まることを知らない。

ということは誰かがそういう不安定なバランスからお互いに抜け出ましょうと勇気をもって言わなけれならない。

不安定なバランスから抜ける方法は、お互いにそれが無益なことだしっかり認識することでしかない。そういうわかりきったことを述べる政治家がいないこととは嘆かわしい。

アインシュタインとかラッセルや湯川秀樹のようなスケールの大きな賢人が少なくなっていることが理由だろうか。

いつものことだが、

2022-11-23 14:05:22 | 数学
いつものことだが、この年になると祝日は関係がない。それで仕事場に出てきた。

休むのは日曜日にだけ決めている。この年になると極端に言えば、毎日日曜日である。

だから、何もしないで毎日を過ごしたいと思えばそうすることもできないわけではない。しかし、そうはしないで自分の好きなことをしている。

「小人閑居して不善をなす」とかいわれる。そうかもしれないが、いつか誰かの役に立つときが来ると信じて好きなことに精を出している。これは客観的にどうであるかはわからないが、好きなことに精を出せて私自身は幸せである。

昨日、小著『四元数の発見』の第2刷の1冊が私の手元に出版元から届いた。いくつかのミスプリを修正した最小限の修正版である。

修正した原稿に加えて追加稿も送ったのだが、今回はその追加はしないという出版社の方針だったのでしかたがない。これは出版社もいくらかの利益を得なくてはならないので。

ここ2,3年私の著者の売れ行きが急によくなって、出版社から増刷したいと要望があった。亡くなった辻信行社長が知ったら、喜んでくれただろうに。

昨日もちょっとインターネットサーフィンをしたら、講談社ブルーバックスの松岡学さんの『数の世界』とか今野紀雄さんの『四元数』とともに参考文献に挙げてあるサイトがあった。

『数の世界』は講談社ブルーバックスだけあって読者が多いと思うが、四元数の箇所の種本は私の本だと思う(もちろん一部は松岡さんのオリジナルもあるが)。逆に、この本によって私の本も知られるようになったのかもしれない。ここらへんはなかなかその功罪は一言ではいえない。



つきあう価値のある人は

2022-11-22 12:49:46 | 本と雑誌
妻がつぶやいている。つきあう価値のある人はその人の後ろに他の何人かが見える人だという。

要するに人間的な魅力のある人はやはり知人や友人が豊富なのだという。ところが一方でそうでない人もいるらしい。

というか、その人が深味にかける人だとこの人とは、あまりつきあいたくないと思ってしまうらしい。

妻は多くの知人や友人を持っている方である。その辺が私なんかとはちがう。私は気心のしれた、ある少数の人としか付き合わない。またあまりあちことにでかけてつきあいを広げたりすることは苦手である。

いつも図の入力するには気力がいる

2022-11-21 15:31:22 | 本と雑誌
新しいエッセイの原稿を書いたが、ここ数日そのエッセイへの図の入力をする気が起きない。もっとも新しいエッセイがまったく新しいテーマではないことが多い。

図の入力をする気が起きないので、以前書いたエッセイの改訂をしている。このエッセイはもう何度となく手直しをしたものだが、今回5度目の改訂をしている。

改訂版も含めてすでに発表は3度したが、改訂は今回が5度目である。私はかなりしつこい性格らしいが、やはり気になると直さずにはおれない。

自分のもっている文献の中をいろいろ探してそこに当面のテーマがどう書かれているか調べて、自分の気が付かなかった点があれば、付け加えるようにしている。

というかむしろ重複をあまり厭わない性格である。人から見たら嫌な性格かもしれないなどと思うが、どうしようもない。




新型コロナワクチン5回目を接種した

2022-11-18 12:59:13 | 健康・病気
新型コロナワクチン5回目を接種した。

4回目を8月18日に接種していたから、ちょうど3月目になる。それも同じ18日であった。いつもはインターネットで予約をしていたのだが、今回はどうしてもインターネットではうまく予約しようと思っても予約できなかったので、予約センターに電話をした。

どうして予約ができないのか聞いてみたところ接種する希望のワクチンを選んで接種してくれる病院に空きがあるか探すので、そのワクチンの種類ではもう空きがないのだとわかった。

他の種類のワクチンなら、希望した病院にまだ空きがあったのだった。そういう仕組みがわからないからどうなっているのだろうと思った。

それにしても今どきは予約センターもそれほど混んではいないらしくて私の疑問にも答えてくれた。何でもインターネット万能でもないとわかった。

昨日のことだが、妻は近くの公民館でワクチン接種の予約をしたと話をしていた。そのときに余禄の話もあったようだ。人と人とがやはり直につきあう機会を無下に排除するのもいけないのだとわかった。

いやいや、そういうことを私自身も思ったことはなかったのだが。

Wie hoch ist die Miete ?

2022-11-17 12:45:51 | 外国語
昨晩のNHKのドイツ語の「旅するためのドイツ語」で「家賃はどのくらいですか?」という問いをうまく鎮西さんがうまくエッセン市在住の方に尋ねることができずインタビューの後で先生に尋ねていた。

そしたら、講師の草本先生にWie hoch ist die Miete ?だと言われていた。私もそれを覚えて繰り返していたのだが、

 Wie hoch ist der MIete ?

といつの間にか勝手に定冠詞を変えて口頭で繰り返していたらしい。あれMieteの性はどうだったかなと思い、

 Wie hoch ist das MIete ?

と口頭練習を変えたが、どうもdas Mieteが口調わるいので、どうもdas Mieteではなさそうだ。

それで今日になって、さきほど辞書を引いてみたら、die Miete であった。

長年ドイツ語をやっている割にはこういう簡単な定番の文句でもきちんとは言えないということが分かった。日ごろの口頭練習がまだまだ必要であることがわかった。

(注)慌ててつけ加えるが、まちがった冠詞を用いてもドイツ語を母語とする人には間違いなく理解してもらえる。

だからドイツ語を間違えて話してもはずかしいことはないというのが、私の考えである。

これは私たちはあくまで母語以外の言語を話しているのだし、そこでドイツ語が普通に話されている社会で生活をしているわけではないからである。

BS Premiumでの放送

2022-11-16 13:12:18 | 数学
ヒュマニエンスというNHKのBS Premiumでの放送を昨夜見た。インターネットで知り合いになったUさんが出演されていた。

Uさんは三重大学の名誉教授の方であり、数学史がご専門である。
昨夜の放映で知ったことは、数字の0の発見がインドでなされたのは世界の他のところでは数の計算をそろばんでしていたのに、インドでは筆算で数の計算をしていたためだと昨夜はじめて知った。

実はUさんとは、私が「数学・物理通信」の号外号に出した「遠山啓著作リスト」をご自分の著書を書くのに参照されたということでできたご縁である。なかなか普通にあるような縁ではない。その後、「遠山啓著作リスト」の改訂に大きくご尽力をいただいている。このUさんは「日本数学教育史』上、下(風間書房)の大著を書かれた方である。

まだなかなかリストの書いて作業は終結しないが、そのうちに発表はしたいと思っている。

ドイツ語でのabnehmender Mondと

2022-11-15 10:58:41 | 外国語
ドイツ語でのabnehmender Mondとzunehmender Mondをどう訳するのか知らなかった。

下弦の月、上弦の月とそれぞれいうのであろう。abnehmender Mondは欠けていく月、すなわち下弦の月であり、zunehmender Mondはだんだん満月に近づいていく月である。これは上弦の月である。

普通にドイツ語を学んでいる人でもドイツで生活している人は別として日本でドイツ語を学んでいる人なら、こういう語まで知っている人ならば、やはりドイツ語の学習である一定の水準を超えた人であろう。

独和辞典を見てもなかなか的確な訳がついていないこともある。もちろん見出し語としては出ていない。abnehmenとかzunehmenとかのところか、ひょっとしたら、Mondのところの出ているかもしれない。

11月の子規の俳句

2022-11-14 16:26:35 | 本と雑誌
11月14日で月の半ばとなった。11月の子規の俳句を紹介しておこう。

  日のあたる石にさわれば、つめたさよ (子規)
    
  the stone in the sun
       is cold when touched  (1894)

E大学の校友会発行のカレンダーにはアンモナイトの写真が載っている。
これは愛媛大学ミュージアムの所蔵の石らしい。とはいっても化石であろうが。



上弦の月、下弦の月

2022-11-12 13:17:00 | 物理学
以下は、ある方のブログのコメントに書いたことです。

「上弦の月」と「下弦の月」の説明はまちがいではないのですが、ちょっと違和感があったので調べてみました。

月の右半分が見えるのが上弦の月であることは確かですが、弦とは円弧の部分ではなく直線部分のことなので、弦が下に見えるのです。

広辞苑によれば、月の入りのときに弦の部分を上にして月の入りをするのだと書かれています。

頭上に月がある時は弦が下に見えるのに上弦の月とはおかしいなと思っていました。このことはいつだったか昔のテニス仲間の方に教えられたことです。

同様に下弦の月も頭上で見たときは直線部分(これを円の弦という)は月の見える左の部分の上の方にあります。

だから、下弦の月は月の入りのときに弦の部分を下にしているのですね。