物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

いつものように

2022-03-31 15:11:25 | 本と雑誌
いつものように「数学・物理通信」を発行した後は虚脱現象になる。

今回に限ったことではないので、いつものことではあるが、それでも虚脱現象はしかたがない。

午前中に2通だけプリントしたものを郵送した。これは全部自前で郵送料を払うことになる。

基本的にはメール配布なので、費用はかからない。しかし、今どきではあるが、メールのアドレスを持っていない人もごくまれにはある。


「数学・物理通信」12巻2号の発行

2022-03-30 16:07:27 | 数学
「数学・物理通信」12巻2号を本日発行した。昨年の9月に発行した、「数学・物理通信」11巻5号で100号を達成したが、昨年12月では8号と号外号まで発行したが、今年に入って2号の発行である。

ここまでで、通巻105号まで発行したことになる。号外号を入れると106号である。最近は年に8号の発行が定着してきたようである。

発行月は年に4回であるので、発行月に2号ずつ発行できているということになる。

別に誰からもほめられたことはないが、別にほめられるために発行しているわけでもないので、どうってことはない。

しかし、メールで発行するというのはなかなかいいアイディアであったと思う。これなら、費用はほとんどかからない。だけど強い意欲がないと、これは続かない。

世の中には優れた人もたくさんおられるのに、こういう考えをもった人はあまりいなかったのが不思議である。

ブログ開設から2764日だというが、

2022-03-30 12:53:49 | 本と雑誌
ブログ開設から2764日だというが、365で割って見ると8年とちょっとである。
だが、「そんなはずはないのだが」と思ったら、これはocnのブログの時代が参入されてないのだと思われた。

その時代が何年だったかわらないが、私がブログを始めたのは2005年だから、いまでは17年とか18年前のことだったことがわかる。

書くことなどすぐになくなると思ったが、そういうことはなく今に及んでいる。

幸いなことである。

記事一覧を見ると記事の総数が6167だという。一年は365日だが、日曜はブログは基本として書かないので、年に300件の記事を書くとして、6167/300=20.5であるからこちらの方が、私のブログ歴としては真実に近いであろうか。

つぎは「三角関数」か

2022-03-30 11:47:38 | 数学
今回の「数学・物理通信」12巻2号で「順列・組合せ・二項定理」をとりあつかったので、e-Learningのコンテンツとして、私のつくっていないところは「三角関数」だけとなった。

もちろん、「確率・統計」ついてはまったくコンテンツをつくることを計画には入れていない。これはもともと私の手に余ることだからである。

私たちの20年以上前につくった、e-Learningのコンテンツは大学に入学はしたが、理系の学部生として落ちこぼれそうな学生を想定していた。

もっともこの想定はあまりありそうにはないものだったかもしれない。大学の理工系の学部に入学している人はすでにそういうハードルを何らかの方法でクリアーしている人がほとんどだと思われる。

でも、だいたい私が文系の志望へと落ちこぼれそうになってから、理系志望へと復活した部類だから、そういう学生に対して関心があり、そういう学生を応援したいと思っている。

ところが高校数学のe-Learningのコンテンツとしては重要な三角関数の分野が欠落していた。そのためにある出版社の方が関心をもってくださったにもかかわわらず、その出版をお断りしたことがある。

(注)三角比と三角関数に特化した書籍として、『ピタゴラスからオイラーまで』(海鳴社, 2019)がある。これを出版社から送っていただいたので、文字通りはじめから終わりまで読んだことがある。感嘆はしたが、それがそのまま三角比と三角関数について書くという、私の模範とはなる気はしなかった。

この本にはいろいろ、やさしいことから、結構高等な内容まで書かれている。本来なら、こういう書き方は私の好みではある。しかし、もっと簡潔ではあるが、要点を絞った説明を望んでいたような気がしている。

三角比と三角関数について書く内容の、考えとか理想を自分でもうまく説明ができない。だから、そのコンテンツを書くことができないのかもしれない。

あわてて付け加えれば、「微分積分」もどこにも発表をしていないのだが、かなり書き溜めた原稿がある。それで自分では発表したものがないにもかかわらず、まだできていないという気があまりしていない。

現在は高校数学では行列を教えていないようだが、行列についてもその分野の入門のコンテンツは必要だと思われる。これもあまりきちんとしたものを原稿として持っているわけではないが、いくつかの予稿とか演習問題の集まりはもっている。

松山の桜も満開となった

2022-03-29 12:28:51 | 本と雑誌
松山の道後公園の桜も満開となった。

大阪の S さんのブログでも、大阪城の桜の写真が満開であった。昨日、松山の近郊である、東温市砥部のどこかの泉の畔に花見に行った妻は「寒かった、寒かった」と言いながら、帰って来た。

桜が咲くころはまだそれほど暖かくはない。たぶん桜は日照時間の方で咲く時期が決まるのであろう。だが、松山でも例年よりは数日早い満開宣言である。

松山よりは数日前には高知城での桜満開宣言がされていた。そうはいっても松山の一般の花見のシーズンはまだ数日後であろう。

毎年、私がどこにも行かないので、心配して妻が花見に行こうと誘ってくれるのだが、それはまだ数日後であろうか。

もっとも活動的な妻は毎日花見と称してどこかに行く。明日には私の妹とか兄嫁を誘って今治市大島の下田水(しただみ)の海産物の七輪焼きを食べようと行く予定になっているらしい。

大島は文字通り、瀬戸内海の島であるが、今治から大島に今では、今治と尾道間の、しまなみ海道の来島大橋がかかっていて車で簡単に行くことができる。

ここには私ももう海産物の七輪焼きを何度も食べに行ったことがあるのだが。



「数学・物理通信」12巻2号の点検が終わった

2022-03-28 12:38:39 | 数学
「数学・物理通信」12巻2号の原稿の点検がほぼ終わった。最終点検に出してそれでOKが出れば、今月中に発行をしたいと考えている。

とはいっても3月も今日も含めて4日しかない。今日の午後は最終点検のお願いのメールを出そうと思っている。

1号出すだけでも何回も何回も読み直す。書く作業も大変だが、校正の仕事もかなり大変である。

特に、自分の原稿にはかなりの労力を使う。これは私が本来性格的に雑で、うっかりものであるからである。普通には、理系の人は緻密な人が多いのだが、私は雑であり、あまり緻密ではない。

それでも理系の人間として生きて来たのだから、おかしな話ではある。

いや、理系、文系には関係がないのかもしれない。昔から、中学校の時代に連立方程式を解くときなどにも、とても大きなポカをしたりしたことが多かった。

演習問題などを解くときなどに別解を考えたりするようになったのには、この自分自身の粗雑な性質を少しでも補いたいという気持の現れである。

だから、研究論文を書くときにもできれば、他の方法で結果を確かめるという癖がついた。もっとも研究論文はもう20年以上書いてはいないが。



zu spaet, zu spaet

2022-03-26 17:07:32 | 本と雑誌
もう10年を越えた昔になるだろうか。ドイツ人夫妻を自宅にホームステイさせていたことがある。

もちろん、松山でであるが、そのときにその夫人が話していたのが、このzu spaet, zu spaet である。カナで発音を模して書くと

ツー シュペート、ツー シュペートである。これは何を模した音だと思われますか。

そう、救急車のピーポ、ピーポというサイレンを模した音なのである。そして、このツー シュペート、ツー シュペートはどういう意味かというと、「もう遅すぎる、もう遅すぎる」という意味である。もちろん、救急車の乗っている急患の患者さんにとって病院につくのが遅すぎるのは困る。

もちろん、これはユーモアであり、あまり深刻に取ってもらっては困る。

私たち日本人にとってはピーポ、ピーポというサイレンが、彼らにとってはそういう風にも聞こえたということで、もちろん笑い話である。

あまり真面目にとってもらって、「不謹慎な」と言われても困る話である。

数学オリンピックの問題

2022-03-26 12:20:55 | 数学
数学オリンピックの問題に出た問題について聞かれた人が、ドイツ語のクラスでその問題を提示された。

だいたいそういう問題については逃げ回っているほうだが、今回は仕方なく考えている。これに関係した日本大学の入試問題もある。

日本大学の入試問題の方を先にとりかかったのだが、思ったようには推論が進まない。妻も考えてくれているのだが、なかなか解決しない。

ところが、数学オリンピックの問題の方が解けたような気がしている。こちらは誕生日の問題である。

そして、日大の入試問題の方もひょっとしたら、解けているのかもしれないが、まだ十分に理屈が通っていない。これは妻が私の説明を勘違いして解けたと思った解なのだが、これが解なのだろうと推測している。

ただ、十分に理屈がまだ通ってはいないのだが。

Academic year, fiscal year, calendar year

2022-03-24 17:27:19 | 本と雑誌
Academic year, fiscal year, calendar yearがある。日本語の訳はよく知らないが、大学年度、会計年度、暦年度とでも訳しておこうか。

日本では大学年度と会計年度とは一致している。世界的には大学年度は9月から翌年の8月末までが多いような気がする。日本は学年度は4月はじまりであり、3月末で終わる。桜の咲くころに入学式があり、梅が咲くころに学年が終わる。

学年度だけではなく、会計年度も4月はじまりの3月終わりである。
暦年度は世界中さすがにどこも、いまでは1月はじまりであり、12月終わりである。

もっとも日本では旧正月が私の子どものころには風習として残っていたが、旧正月を祝う習慣はなくなった。中国やヴェトナムではまだ旧正月を祝うという風習が残っているようだ。

先ほど辞書引いてみたら、academic yearはschool yearともいうらしい。

「数学・物理通信」12巻2号の発行が見えて来た

2022-03-24 17:15:28 | 数学
「数学・物理通信」12巻2号の発行が見えて来た。

12巻1号を発行してから、「順列・組合せ・二項定理」のレポートを書くので忙しかったが、ようやくこれが仕上がる目途が見えてきた。

およそ30ページのレポートなので、なかなか全体をよく読むことができない。それでもう脱稿かと思いながら、目途が立たなかった。編集は再校まではすんだが、まだ何度読みなおしをしなくてはならないのだろう。

今日は3月24日なので、3月末か4月初めの発行は見えて来たと言ってもいいだろう。

彼はしばしば計算間違いをします

2022-03-24 12:25:06 | 本と雑誌
「彼はしばしば計算間違いをします」

これは単なる例文だなどと思われないくらい、私はよく計算間違いをする。

この例文はフランス語では

 Il fait des erreurs de calcul.

というらしい。

 イル フェ デズルール ドュ カルキュル

と、つたなく発音カナでつけておく。



Sur pont d’Avignon

2022-03-23 12:16:24 | 本と雑誌
    Sur pont d’Avignon
              L'on y danse, l'on y danse
              Sur pont d’Avignon
              L'on y danse toute en ronds

だったかな。昔覚えたフランス語の童謡である。2節以下も覚えていたのだが、いまは失念してしまった。

    アビニオンの橋の上で
    踊るよ、踊るよ
    アビニオンの橋の上で
    踊るよ、輪になって踊る

別に脈絡もなしにこんな歌を思い出した。

Ende gut, alles gut

2022-03-23 11:24:06 | 本と雑誌
英語なら、All is well, that ends well.というところだろうか。

「終わりよければ、すべてよし」と日本語では訳されているようだ。

3月末は日本ではある種の終わりの感覚がある。それは、卒業式だったり、長年勤めた会社や役所からの退職であったりする。4月はそれで新しい門出であることが多い。

ヨーロッパでは新学期の始まりは9月であるので、ちょっとちがう。

All is well, that ends well.というのは多分旺文社の発行した学習参考書で原仙作『英文問題精講』に載っていた文章だと思うが、だいたいこの書を読んだことがない。英語のいわゆる学習参考書は1冊も読んで勉強したことがない。

だのに、なぜそんなことを知っているのかといえば、2歳年上だった次兄がこの本を読んで英語の受験勉強をしていたからである。

昨年の2月に、この次兄も亡くなってしまったのだが。

entartete Kunst(退廃芸術)

2022-03-22 12:47:43 | 本と雑誌
今、ロシアのウクライナ侵攻が世間の話題としてもちきりだ。

ところが、日本では1930年代に中国に進出して、謀略の限りを尽くしたし、
また、ドイツではナチ―スが政権をとって世の中を悪くしていた。

その中の一つがナーチスの退廃芸術との決めつけである。この退廃芸術の定義はかなり恣意的なものであったらしく、ナチ―スの幹部の中にも退廃芸術として指定されてムンクの絵が好きな人もいたというから、いい加減なものである。

この退廃芸術をドイツ語でentartete Kunst(エントアルテテ クンスト)というらしい。これは数日前にEntartung(エント・アルトング)であって、エンタルトングではないということとつながっている。



複素数は実在しないか

2022-03-22 12:12:26 | 本と雑誌
3月21日は春分の日で昨年2月に亡くなった次兄の一年目のお彼岸であった。

たまたま東京から帰省していた姪(50歳半ば)とも食事の時に話す機会があったのだが、姪には複素数は実在しないと思っているようだった。

2乗してー1となる虚数単位 i のことは知っていたが、複素数は実在しないと思っていた。

2次方程式では、もし放物線で表される2次式が x 軸と交点をもたないならば、実数の範囲内では二つの解をもてないことになると説明したのだが、その説明がわかったかどうかわからない。

2次方程式が二つの解をいつでももつためには、数は複素数の範囲でなくてはならない。i^{2}=-1であることも複素平面で考えて説明がつくのだが、これもちょっと説明したがたぶんわからなかっただろう。

ある正の数に負の数をかけると負の数になったり、負の数に負の数を掛けると正の数になったりするのも同様に単なる規約とでも思っているのだろう。いや、世の中の多くの中学校の数学の先生だって、単なる規約だと思っているかもしれない。

現に、ある予備校で数学を教えている先生の書かれた、大部の数学の本にそのようなことが書かれてあった。それもはしがきに。単なる(ー1)・(ー1)=1と規約としてどこか悪いかと書かれてあって、それで予備校の講義で大いに受けたとかあった。こういうことでは、大いに嘆かわしいことだ。

いや、自分で分かっているということと一般の人が分かっているということの間には大きなギャップがあることに気がついた。あまり自分自身ではしたいとは思わないのだが、一般への啓蒙活動が必要である。これは好きでなくても、しなくてはならないことだ。