武藤 徹先生から新刊の「面積の発見」(岩波科学ライブラリー)を贈って頂いた。これはすでにそういう書物を先生が書かれていると以前に聞いていた。
また、先日には数学・物理通信2巻6号の送付の返事にこの本を送りましたとのメールを頂いた。早速、昨夜深夜の2時くらいまで起きて読めそうなところは読んだ。もっとも私が読んだところは第4章「面積概念の発展」が中心であり、他のところはまだ走り読みにしか過ぎない。
この第4章では積分に話が及ぶだろうと予想していたので、ひょっとすれば、リーマン積分からルベック積分まで話が及ぶのではないかと期待していた。
この期待ははずれたが、積分から微分の概念に進み、かつベクトルの外積(ベクトル積)から、面積にも向きや方向があるという話にまで触れている。
さらに、面積速度一定という法則まで述べている。もっとも面積速度一定というなら、これと同じ内容だが、角運動量保存法則に言及してほしかった。
ベクトルというのは日本語であるが、その英語であるベクター(vector)は運ぶ物という意味だとかで、「伝染病の病原体を運ぶ小動物」という意味だそうである。もっとも近頃のエイズとかインフルエンザとかに見るように人間も小動物ではないが、ベクターであると思う。もっともこの点への言及はない。
コラム「縦と横」では進行方向に対して、右、左が横であると書いてある。物理では横波とか縦波は波の進行方向に対して垂直方向の振動する波を横波(transversal wave)、進行方向に振動する波を縦波(longituidinal wave)というのはこの定義にあっている。
現在の普通の用語では横は水平方向を、縦は垂直方向というので、そういえば物理を学びはじめのころ、物理の横波と縦波の定義に違和感を感じたことを思いだした。
武藤先生によれば、もともと縦はものの長い方向を、横は短い方向を指すのだという。横断歩道とか日本縦断とかの語はこの定義にしたがったものだという。
なんでもきちんと考えて説明をしてくれる人がいてよかった。
武藤先生が目標とした吉田洋一「零の発見」(岩波新書)のようにこの「面積の発見」が長く読み継がれることを祈ってやまない。
(付記) この書の中心は第2章「面積の発見」であろう。
私はこの章をまだ詳しく読んではいないが、面積の認識が起こってきたのは畑の広さでどれくらいの時間が畑を耕すのにかかるかとか、またはその畑からどれくらいの収穫があるかから、面積という概念や単位ができてきたという。この箇所は別に難しい数学は不要で誰でも読める箇所だが、含蓄が深いと思う。
また、数学もその国を支配するのに必要な技術として開発されたが、後には支配される側も数学を学ぶようになって、支配を断ち切る武器にもなったという史観には著者の面目躍如という感じがする。