物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

コンビニの営業時間

2019-02-28 13:48:23 | 日記

を制限すべきではないかと前々から思っている。フランス語では24時間営業のことを24 (vingtquatre) sur 24 (vingtquatre)(24の上に24)という言い方をするが、 こういうのはやはり人間の本性に反しているというのが私の意見である。

たとえば、12時から翌朝のせめて5時まではコンビニの営業をしてはいけないという法律をつくるべきであろう。

それができなければ、コンビニの近隣の何軒かで当番制で終日営業をするとか方法は考えることができよう。いわば、休日の救急病院の当番制のようにである。

最近、あるコンビニが店員を募集したが、集まらなかったので、ある時間の深夜の休業を考えたら、本社が怒ってそのコンビニに賠償請求をしたとかニュースになっているが、これなど本社の考え方がまったくよくない。人間的ではないと思う。

資本主義はなんでも利潤があがればいいのかもしれないが、そういうものではなかろう。軍事兵器をつくって売って、利潤が上がればいいという考えは古い考えだと思う。そういう考えから早く脱却しなければならない。

これは地球は有限の大きさしか持たず、その自然資源も有限であることを考えれば、当然のことである。人間同士の戦争などの争いで貴重な資源を浪費すべきではない。そういう時代ではもうないのである。


研究者の型

2019-02-27 13:33:28 | 日記

今週の日曜のNHKのEテレのサイエンス・ゼロを見ていたら、女性の研究者が出て来られて話をされていた。その方の夫も同じ分野ではないが、研究者ということであった。

夫の方はいつも研究対象について考えていないと新しいことを思いつかないと言われていた。ところが女性研究者は遊び心をもっていたり、だれかと話したり、なにか作業をしていたり、学生との会話とかでいろいろな新しいアイディアが湧くのだと言われていた。

要するに気分転換型の学者もあれば、熱中型の学者もいるということであろうと推察された。こんなに夫婦でも違う型の研究者がおられるということはおもしろく感じたところであったが、ここで類別したようにはこんな簡単な型だけではなく、いろいろの型が研究者にもあるのであろう。

私などはある種の熱中型かと自分では思っているが、そんなに単純でもなさそうである。

話は別だが、最近、私のところへ大学講師になるためのKnow-howを教えますといったメールが来るようになった。その勧誘文句がいい。週に2,3回どこかの大学で講義をしたら、年間600万円ほどの収入を得られようになりますという。

人によっては、そういう話も皆無ではなかろうが、私の知る限りそういう、うまい話はあり得ない。いかに詐欺まがいの勧誘行為が行われているかという証であろう。だって年間600万円の収入なら、生活に困るということは全くなくなるが、世の多くの人々は年収300万円くらいかそれ以下の収入で1年の生活をしているのである。

大学の非常勤講師の多くは2~300万円くらいで生活して、それも5年も同じ大学の非常勤講師をしたら、もう雇止めになって多くの若い有為の方々が、困っているのである。まちがってもこんなうまい話にうかうかとのってはいけない。


「数学・物理通信」9巻

2019-02-27 11:28:33 | 日記

「数学・物理通信」9巻の準備をそろそろ始めなくてはならない。3月が近くなってきた。

ところがなかなかその気になれない。これは私の現在していることを続けたいというある種の慣性を意味する。

慣性は感性のつもりで書いたのではなく、言うまでもなく慣性である。要するに、あることに関心があるとそれから移って別のテーマに行きたくないのである。

いましている仕事というか、関心事はベクトル解析の学習と量子力学の講義ノートの編纂である。ベクトル解析への関心は特にストークスの定理とガウスの定理であり、それの微分形式での表現が最近関心事である。

量子力学の講義ノートは仕事としては主ではないが、従であるともいえない。こちらのほうの作業は大幅に遅れているので、もう義理が悪いところまで来ている。

「数学・物理通信」9巻にもどると、投稿は2人の人からされているし、私自身の先号に掲載できなかった、いわゆる積み残しの原稿もある。だから少なくとも1号くらいは出せるのではないかと思っている。


Ca depend

2019-02-26 13:20:19 | 日記

Ca depend とは「場合による」とか訳せるフランス語である。この語を聞いたのはもう50年以上の前の大学の3年生だった。

当時、H大学のフランス語の講義に出席をしていたが、そのころ大学院のマスターコースをつくるために、大学のほうでも努力をしているから、文部省でもマスターコースを設置してほしいとの運動をくり広げており、その一環としてフランス人の先生方が土曜日の午後をフランス語の会話教室を開いていた。これはたいてい神戸とか京都とかから来られていた。

それで、まだ初級のフランス語文法を学んでいる途中なのに、教養部のフランス語のN教授に勧められて、その会話の教室に参加するようになっていた。そこで上級生の人がフランス人の先生に聞かれて答えたのが、このCa dependであった。発音をカナでまずくだが、記すとサ・デパンである。英語風に発音すれば、depend はディペンドであろうが、サ・デパンと発音する。

大体、英語でもフランス語でも質問があったときには、答えはまずはyesかnoかである。フランス語でいえば、ouiかnonか、さもなくば、siと答える(注)。

ところが、ものによってはこういうouiでもnonでもsiでもない答えがした場合も状況によっては生じる。そういうときにCa dependという。

英語でいえば、it dependsであろうか。場合によってはyesであるかもしれないし、またnoであるかもしれない。そういうときにいう、便利なことばである。残念ながら、実際の会話でこのCa dependを使ったことはまだない。

いわゆる、私にとっては耳学問の知識に留まっている。

(注) 疑問文には2種類ある。一つは「何を」とか「誰を」とかいう、4w1hの「疑問代名詞が文の先頭についた疑問文=補足疑問文」とyesかnoで答える「決定疑問文」である。Ca dependは「決定疑問文」の答えに使える。


言葉だけ

2019-02-26 10:27:01 | 日記

言葉だけ丁寧だが、なんの実もないのが現在の首相である。沖縄の辺野古の基地造成の反対の意見が70%を超えたのだが、それを「真摯に受け止める」というだけである。

これは言葉だけであり、本当に言葉通り受け止めているならばストレスになって総理大臣をやってられないくらい深刻な問題である。首相経験者のH氏が基地を沖縄から、他のところに移すと言明したにもかかわらず、移すことが叶わなかったが、それでもその実効性はともかくその気持ちは沖縄の人にも受け入れられたのではないか。

そういうところが今の首相にはない。なかなかこれは難しい問題ではあるが、それでも解決をはかる気持ちがなければならない。

先日、朝日新聞に2名のアメリカの外交、国防の担当者だった人のインタビューが出ていた。一人の人は沖縄に海兵隊が在沖縄することはまったく、役に立たないと書いてあった。それだのに沖縄の在留がやめられないのはカルフォルニアに海兵隊を引き上げたときよりも日本政府の費用負担で安く上がるからだとあった。

それが海兵隊が沖縄在留をする主たる理由であり、そのほかにはないということである。中国への軍事的な圧力ということなら、原爆搭載した航空機を飛ばすほうが圧力になると書いてあった。もっともこれはこれで物騒な話ではある。

それに海岸に基地があれば、それを軍事的にたたくのは比較的に容易であるともあった。

さすがにインタビューされた、もう一人の人はさすがにそうはいっていなかったが、すくなくともそういう考えが打ち明けたところまったくの事実であろう。

トランプ大統領などはもっと日本が米軍費用を負担しないと米軍を日本に在留させないとか言っているそうだが、これなど自分の国の利益を考えたら、日本に軍隊があるほうがアメリカの費用が少なくて済むという利益にかなうという事実を知らないからにちがいない。


50歩、100歩を笑う

2019-02-25 12:32:22 | 日記

日本文学者のドナルド・キーンさんが96歳で亡くなった。それで今朝の朝日新聞の天声人語で彼の代表作『百代の過客』にふりがながついていて、「はくたいのかかく」とあった。

私などは「ひゃくだいのかきゃく」だと思っていたのでびっくりした。ところがその話をしたら、妻がスマホでその文句がどこから来たのかを知らべて、その続きを読んでくれて、逆旅を「ぎゃくたび」と読んだのでそれは「げきりょ」ではないのと私からの注意が入った。

すぐに間違ったと思った妻は、逆旅とは旅館のことだと補足をしていた。

まあ、これは50歩100歩を笑うか、その逆であるので、べつに褒められた話ではない。

それにしても、日本人である私たちもこういう間違いをときどきする。長兄が生きていたころだから、もう25年くらい以前の話しになるが、「順風満帆」を私もそうだが、兄も「じゅんぷうまんぽ」と読むと思っていた。これは「じゅんぷうまんぱん」と読むのが正しいらしい。


温泉の違い

2019-02-23 22:01:06 | 日記

実際に経験したことではないが、ヨーロッパと日本では温泉のあり方がちがうようだ。

日本では温泉は裸で入るのが普通であるが、ヨーロッパでは水着を着て入る。それにだいたいリラックスとか気分転換のために温泉に行くのが日本では大部分だが、ヨーロッパでは病気の治療のためにいくのが普通であり、その温泉の水を医師に処方されて、治療のために飲んだりもする。

そういう処方も日本でもあるかもしれないが、たぶんまれであろう。

そういう事情はすでに日本でもコミックのテルマル・ロマエ(?)などで常識になっているのかもしれないが、そのコミックを読んだことがないので、わからない。
 
温泉場にカジノがあったりするのはどこも同じかもしれないが、日本ではまだカジノは解禁にはなっていない。
 
私が住んでいたドイツの都市マインツのライン河を挟んで向うの都市はWiesbadenであり、ここは温泉場でもあったが、その温泉の実情を知ることはそこへ行ったことがあるが、私たちにはできなかった。

50回忌

2019-02-23 17:48:05 | 日記

祖母の50回忌が来たと連絡があった。法事がある。私の子どもが生まれる直前だったかに亡くなった。子どもはまだ50歳ではないので、数えでいって50歳なのであろう。

そういえば、私の大学の上司だったA教授が定年で辞める前に彼のお父さんの50回忌を、お兄さんとしたという話を聞いたことがあった。

A教授は若い時に父親を亡くされた。それも父親の留学中のドイツでだった。

普通には、子どもが自分の父親なり母親の50回忌をするという例はまれであろう。それでも祖母とか祖父とかいうことになると、それほどまれなことではなく、普通に起こることである。

親戚の方から、孫は祖母や祖父の生まれ変わりとかいわれることがあるが、それはちがうだろう。しかし、亡くなることもある一方新しく生命を受けて生まれることがあるので、生まれ変わりだとか世の中でいわれたりするが、単に近親で年老いたものがなくなり、近親で子どもが生まれるが近くに起こるためだろうと言われた。

そういった親戚の者ももう亡くなった。祖母は厳しい人であったが、私にはそれほど厳しくはなかった。

ほんの幼児のころ、朝鮮(今の韓国)住んでいたが、そこで祖母が50歳になったと言っているのを聞いたことがあった。3,4歳の幼児である私にとっては祖母は老齢としか感じられなかったが、いまから考えるとまだまだ若かったわけである。その祖母は80代半ばで亡くなった。

だから、30数年を祖母と一緒に同時代を生きたわけである。明治21年の生まれだったと聞いている。


braベクトルとketベクトル

2019-02-23 13:10:09 | 物理学

braベクトルとketベクトルで量子力学を記述するのはDiracの量子力学の本である。

<A|はbraブラベクトルであり、|A>はketケットベクトルと呼ばれる。braベクトルもketベクトルも状態関数である。その間に挟まれているもの、たとえば1行下の式ではHは演算子である。

そして、<A|H|B>は、かっこ(bracket)が< にはじまり、>で終わって、完成するので、bracketと呼ばれる。

なんのことはない、かっこbracketを3つに分けて、bra|c|ketとし(縦線で3つの部分にわけた)、前の部分をbraと名づけ、後ろの部分をketと名づけ、それが完成するとbracketと名づける。

そしてこのbracketは積分で書くことができる。braベクトルはketベクトルの複素共役である。すなわち、(<A|)^{*}=|A>が成り立つ。

Diracの量子力学の本は難しいので、その一部を読むのに工学部の大学院生の講義としたことが数年あった。

もっとも数学者などにいわせると、この本はとてもわかりやすいのだというから、難しいとかなんとかいうのもやはり人によるだろう。

ところで、話がここから急に展開する。Diracが亡くなったあとにPhysics Todayに誰かがobituaryを書いていたのを読んだのだが、普通braはBrassiere(ブラジャー)の略語であるから、braベクトルとかいうのはそういうユーモアからきたのではないかと思う人もあろう(注1)。

実際はどうであるのかはわからないが、Diracにはそういうユーモアの感覚もあったのかもしれない。braべクトルとketベクトルといえば、なんの変哲もないが、braだけ聞くとそういうユーモアで連想されるのは別に私だけではない(注2)。

私の子どもたちが、ほんの子どもだったころよく見ていたテレビ・アニメの中に「死ね死ね団」という、悪者のグループがあって、そのあまりの命名の安易さにおかしくて、何時間も笑いが止まらなかったことがある。braとketの類もそういうものであろう。

(注1)Brassiereはフランス語から来たと辞書にはある。この綴りは今日初めて英語の辞書を引いて知った。

(注2)Diracは寡黙な人であまり自分から話すことがなかったという。それは自分自身の性質から来たところもあるではあろうが、お父さんがスイス出身のフランス語の先生であり、夕食などのときに、Diracにフランス語を話すことを強制したので、寡黙となったという事情もあるとかいわれている。

フランスからDiracに会いに来た学者が一生懸命拙い英語で話をした後で、Diracがフランス語を流ちょうに話すと知って驚いたという話をどこかで読んだことがある。彼はそういうことを会話のときにはまったくいいだしもしなかったとか。


Gaussの定理とStokesの定理、再論

2019-02-22 15:36:43 | 日記

前にもこのブログでGaussの定理とStokesの定理について書いた。そのときにこれらの定理が微分積分学の基本定理の一般化としてとらえられると書いたと思うが、その内容についてはあまり知っていなかった。

それは溝畑茂先生の微積分の本『数学解析』(朝倉書店)をどこかの図書館に見に行く必要があった。ところがこのことについて、私の持っている本では、北野正雄さんの『新版 マクスウエル方程式』(サイエンス社)の第5章「ベクトル解析と微分形式」に書かれているのを知った。

最近、ベクトル解析の本を数冊見たりしたのだが、どうもすっきりとしなかった。ところがこのことをすでに北野先生がきちんと書いてくださっていた。

まだよく読んではいないのだが、いっきょにすっきりとした感じがしている。この数週間は、「どの本も書き方がすっきりしないなあ」と嫌になっていた。

そういう観点からは世の多くのベクトル解析の本はほとんど落第であると思う。『新版 マクスウエル方程式』(サイエンス社)は北野先生から以前に送っていただいたのだが、ちょっと難しい本なので、読むのをさぼっていた。

何でこういう本を書ける人がすくないのだろうか。アマゾンコムでこの『新版 マクスウエル方程式』の評判を見てみようと思う。北野先生はこのほかに最近佐藤文隆さんと共著で『新SI単位系と電磁気学』(岩波書店)を昨年の6月に出版されており、こちらも評判が高い本である。

私のブログでちょっと推奨したくらいでは、これらの本が大幅に売れ出すことにはならないかもしれないが、きちんとした、いい本をかける著者もいるものである。

もっとも北野先生の本の有難味がとてもよくわかったのも、すこし自分ですこし苦労した試行錯誤があってのことであろう。

(2019.2.25付記)北野正雄さんの『新版 マクスウエル方程式』はアマゾンコムでも評判がよかった。しかし、テンソルの添字が全部下付きであることに一部の方から批判もあった。もっとも直交座標系で電磁気学を取り扱っている限りは上付き下付きの区別をする必要はあまりない。

それにこの上付き下付きはまちがいをおかしそうになるので、私などもなかなか上付き下付きの添字はなかなかとりぬくい。

それにテンソル解析に達者な人が書き直すのはなんでもないので、大きな問題ではなかろう。

私のように、ガウスの定理とかストークスの定理とかが微積分の基本定理の自然な一般化になっているという点を評価している書評は一つもなかったと思う。だからこの点はいくら強調してもしすぎることはない。

この観点は私の知る限り、京都大学理学部の数学教授だった溝畑茂先生の見解であったという風に聞いている。北野先生がどこからその視点をもたれるようになったかはわからないが、それはやはり溝畑先生から来ているのかもしれない。

もっとも、それだから北野先生の書が意味がないなどということはまったくないのであって、他のベクトル解析の解説にくらべて、格段に優れていると断言してよい。ただ、それが微分形式で述べられているので、普通の伝統的な形式での記述もあったらいいのにと感じている。

いまちょっと森毅『現代の古典解析』(日本評論社)を見たら、微積分の基本定理とガウスの定理とかストークスの定理とかの関係が述べてあった。だから、北野さんの見解は森さん経由であったのかもしれない。

 

 


Heitlerの ”The Quantum Theory of Radiation”

2019-02-22 11:50:45 | 物理学

1963年だったか大学院のM1のときにこの”The Quantum Theory of Radiation”をセミナーで読んだ。その後、もう長い間この本を手に取ることはなかった。最近この本をとりだしてくるまでは。これは量子力学との関連から必要な内容がこの本に書いてあるかと思ったからである。

後輩の方々はSchweberの本とかGasiorowiczの本とかをセミナーで読んだが、そういう本は私には無縁である。もちろん、それらの本をもっており、部分的には読んだこともあるけれども。

最近では、場の量子論のテクストとしては、もっとモダンな本を読むのか普通であろう。いわゆる共変的な量子電気力学は私たちはK"allenの”Quatenelektrodynamik” を読まされた。ちょっとはドイツ語が読めると思われていたのであろうか。

そのセミナーがすめば、その後はあまりセミナーみたいなシステマティックな教育は受けなかったと思う。もちろん、折に触れてスピンとかアイソスピンとかの話をなんらかのセミナーで勉強したが、それでもそれはもうそれまでのきちんとした教育ではなかったような気がする。

これは最近になって、先輩の H さんがHeisenbergとPauliの「場の量子論」の論文を大学院のときに読んだことがあるからというので、それを取り出して読もうとしたら、もうドイツ語が読めなかったとある機会に漏らしておられた。

彼は秀才で、学生のころはドイツ語も苦にしなかったであろう。K"allenの”Quatenelektrodynamik” に帰るが、これは私より数年上の U さんがやはりセミナーの講師だった O さんと一緒にセミナーとして大学院1年生の後半に読んだものであったと聞いている。

この U さんはドイツ語もよくできたらしく、講師の O さんのドイツ語の読み方を直されていたとか聞いたことがある。O さんは旧制高校の出身者であるから、ドイツ語は U さんなんかよりも鍛えられた方だと思うのだが。もっともこの O さんは量子力学はPauliのWellenmechanikを2度だか3度だか読まれたと聞いている。

このPauliの本は、Diracの本とか朝永の量子力学と並んで、量子力学の3大名著と言われているものである。

名古屋大学の坂田先生がこのPauliの著書にしたがって量子力学の講義をされていたらしいので、名古屋大学の卒業生はこのPauliの書が親しみやすかったのかもしれない。

 

 


加計、森友、統計問題

2019-02-21 12:18:20 | 日記

どれも現在の首相と関係のある話題のテーマだが、どれもあまり総理大臣は関係ないという顔をしてやり過ごそうとしている。

どうもしかし深層でのつながりがありそうである。それがあからさまになるかどうかは現在のところわからないが、同根であるらしいことは想像されうる。

これは邪推かもしれないが、邪推だと言い切れないところにむしろ問題の根の深さがある。

最長の景気が続いていると言われているとかだが、これを実感していると言える人はほとんどいないのではなかろうか。これなど統計のマジックなのかどうか。

統計の数値をあげて自分の実績を誇ったのだが、どうもその数値も怪しげだとなれば、だれがときの政権に信頼をおくだろうか。単にほかの選択肢がなさそうだからというのが実情であろう。


Kreyszigの『高等数学』

2019-02-21 11:51:30 | 日記

Kreyszigの『高等数学』の第2巻『線形代数とベクトル解析』(培風館)をこのところ読んでいるのはしばしばこのブログでも述べている。

この本のベクトルの微分法のところにとりかかってる。この本はなかなか行き届いた書き方である。それで私が昔書いたベクトル代数の関係の導出などはちゃんと出ている。もっともなかなかすぐにどこかを参照するように書かれており、それは読むために他のページを開けて見なくてはならないのが、ちょっと玉にきずである。

この本は技術者のための数学を標ぼうしているだけに数学的な厳密さはあまり気にしていない。これは私のようなあまり数学の厳密性を気にしないものには心地がよい。

ベクトル積の成分表示のことについても付録にだが述べられている。このことはスミルノフの高等数学教程にの述べられているので、外国ではよく知られた事実なのであろう。だが、日本のベクトル解析のテクストではあまり見たことがない。

もっとも私が今関心があるのは、Gaussの定理とStokesの定理であり、こちらはあまりまだ私には納得させられるものをまだ見つけていない。 


ストレスとがん

2019-02-20 15:32:33 | 日記

最近は数学や物理の話が多くなって、このブログも一般の人からは嫌がられているであろう。だから気楽な話も必要であろう。

定年退職してからは好きなことしかしない生活を続けている。

それでいまのところ、今日のMRIでの検査でも前立腺のがんの兆候はなかった。がんになる原因にはいくつかの要因があるだろうが、ストレスががんの発症の原因になるという話は昔からある。

本当にそうかどうかはわからないが、ストレスにさらされたであろう人が若くして亡くなるのを見たり、聞いたりするとそれもやはりがんの発症の一因であろうかと推察する。

孫が元気でほがらかでいつもにこにこしている写真をみれば、私自身だってニコニコ顔になってくるではないか。ありがたいことである。

気難し屋さんの友だちも若いときにはいたが、だんだんそういう人とはつきあいがなくなって気のいい人とだけつき合うようになってくる。

私の子どもの一人は子どもときに自分の好きなことしかしなかったが、もちろんそういう傾向は私にもある。だから人は永遠には生きられないが、これからも自分の好きなことをできるだけやって死にたい。そう思う今日この頃である。


角運動量

2019-02-20 10:01:20 | 物理学

角運動量とは、量子力学ではスピンの概念も含むが、重要な事項である。もっともそれはなかなかわかりにくい。量子力学を本当に学んだかどうかは、角運動量のことがよくわかっているかどうかで決まると言っても過言ではない。

ヒッポファミリークラブの『量子力学の冒険』は多くの人が書いた量子力学のやさしい書で、読むに値する書であるが、残念ながらこの角運動量については触れられていない。

これは朝永の『量子力学』I, II(みすず書房)がこの角運動量について触れていないためであろう。朝永さんの著書としては別に遺著として『角運動量とスピン』(みすず書房)があり、朝永の量子力学を読破したと胸を張れるのは、この最後の書の角運動量とスピンの章を読んでからであろう(注1)。

もっとも私にしても何十年もの間、量子力学の講義をしてきたが、軌道角運動量を除いて、スピンのことまで含めた本格的な角運動量についてはあまり触れなかった。

ある年には、簡単なスピンの合成の問題を試験に出したこともあったが、これは私がようやく大学院のD1くらいになってわかったことであるから、とうぜん学生のできはわるくほとんど全滅であった。それにこりて、その後は角運動量については軌道角運動量については教えるが、スピンまでは教えないことにした。

もっともこれが理学部の物理学科での講義ならば、スピンとか角運動量について、教えないわけにはいかないだろう。これは学生がわかろうとわかるまいとである。というのはいつかはスピンとか角運動量についてわかることが物理の学生にとって絶対に必要だからである(注2)。

こんなこと書いたのは、実はいま角運動量について、いまこのことを小川修三「量子力学講義ノート」で編集しているから。なかなか書いてあることが理解できず、昨日いろいろな本を引っ張り出しては理解に努めたところであった。

(注1)朝永の『量子力学』I, IIの英訳版(North Holland)には角運動量の章が入っている。英語で朝永の量子力学を読まれた方はだから胸を張って、朝永の量子力学を読破したと言ってもよい。もっとも日本人ならば、英語で読むよりは日本語の原著で読むほうがいいだろう。

原著などといったら、だいたいはドイツ語かフランス語とか最近ならば英語の書であろう。だが、日本語が原著のものはこの朝永の量子力学以外にも久保亮五編纂の『熱力学・統計力学』(裳華房)の演習書がある。こちらもNorth Hollandから英語版が出ていた。

べつに威張るわけではないが、そのことは誇りに思ってもいい。岩波の『数学辞典』も英訳がでており、日本語が原著である。

(注2)角運動量について学ぼうと思ったら、大学演習『量子力学』(裳華房)の第5章を読めばいい。これがわかれば、角運動量は難しいことは別として、基本の理解は卒業であろう。特に角運動量の合成のベクトル模型の項を読まれたらいい。Clebsh-Gordan係数が必要になる場合もあるが、それはまずはあとにしてもよい。

ほかには難しい本なら、ローズの本がある。この本はその後に訳本(『角運動量の基礎理論』(みすず書房))も出ている。この本は大学で力学演習でこの演習の担当された、Y 先生から山内恭彦『回転群とその表現』(岩波書店)とともに約50年前に推奨された。

『回転群とその表現』はちょっと数学的だが、ローズの角運動量の本は物理的でいいと言われた。そんなことを言われた Y さんはまだこのことを覚えておられるだろうか。

もっとも両方とも読み通したことはないのだから、読まなくてもなんとかやっていけるのかもしれない。