物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ハーバード白熱講義

2010-05-31 12:00:25 | 学問
学問かどうかはわからないが、日曜日の午後6時からNHKでハーバード白熱講義というのが放送されている。これは教育放送だが、これがなかなか面白い。サンデル教授は政治哲学か何かの教授らしい。今週は大学入試の合格不合格の問題を取り上げていた。

途中から見たので、いきさつはよくわからなかったが、どういう理由で入学者をアメリカの大学が選んでいるかの様子がちょっとだけ窺えておもしろかった。優秀な成績の人をだけ選ぶというのが日本の大学の考え方だが、どうもそれよりもアメリカでは学生の多様性を求めているらしいとわかった。もっともある基準に満たない入学志願者を足切りしている可能性はある。

入学生の多様性は結局社会の多様性を保証するものであるとの考えらしい。そこらあたりが日本での入学者の選抜基準と違っているように思えた。

社会の過去の過ちを入学生について是正すべきだとかそのほかのいろいろな議論もあった。その意見を学生から求めて議論をするという形式はなかなか興味がある。これが有名なハーバードの講義だとすれば、全世界の学生が入学したがるのも無理はないと思えるものである。

もっとも放送になるということを前提で講義をするのは教授にとってはなかなか疲れることではあろう。


言語障害

2010-05-29 14:26:15 | 日記・エッセイ・コラム
狭い意味での言語障害を私がもっているとは思っていないが、どうもそういう風な傾向があることに気がついた。先日のドイツ語のクラスでどんな外国語の知識があるかについて聞かれたが、うまく答えられなかった。どうもある種の言語障害ではないかと思われるのだ。

これは私が歳を取ってくるから仕方がないこともあるが、それだけではないようでもある。というのは私はほとんど一日と言って言いすぎなら、ほぼ半日を誰とも話さないで過ごすからである。だから、話す能力がだんだん落ちてくる。これは多分外国語としてのドイツ語だけではなく、日本語もそうなのであろう。

書く方はこのブログも書いているから、それほど衰えはないと思うが、話す能力はぐっと衰えてきているとの自覚を先日もった。しかし、どうもこれは私の生活の仕方によるので、いかんともしがたい。

これは自分でわかっていることでもなかなか言葉にならないという経験をしているので、多分間違いがないだろう。家では妻がおしゃべりな方で、どうしても聞き手にまわり口数が少なくなるし、仕方がない。

誰かと話をするなどということは誰にでも普通にあることだし、普通の人には口数が少ないとか気にする必要がないのは当然であるが、歳を取ってきて、独居老人になった人などには私と同じような症状が出るだろう。まだ、私はいまのところひどくはないが、それもいつまでもつことか。こういうことは若いときにはまったく経験をしなかったことである。


誕生日

2010-05-28 13:19:58 | 日記・エッセイ・コラム
私事であるが、昨日5月27日に誕生日を迎えた。どうも歳をとってくると誕生日もそれほどうれしくはない。来年は72回目の誕生日となるので、十干十二支の十二支の6回目の原点に返ることになる。

昔、高校時代に友人のS君の父親が私たちの高校へ講演に来られたことがあった。この講演で古希という語をはじめて聞いた。S君の父親は多分この年に70歳になったのだと思う。彼はI市のある病院の院長であり、私たちの通っていた高校のPTAの会長をされていたと思う。I市では知らない人がないほど有名な方で、外科医であった。

このころS君から「もう父はガンか何かで寿命が長くない」と聞いた覚えがあるが、実際には手術が成功して、彼はかなり長生きをして私が大学院を終えて、E大学に勤務した頃、すなわち高校の頃から数えて10年以後にはまだ生存しておられたと思う。だから、医家の不養生という語はこの方には無縁だったのだと思う。

どうも誕生日から話がはずれてしまったが、私の妻の誕生日も忘れてしまっていた。その前日には覚えていたのだが、当日になったらころっと忘れていた。数日たって忘れていてごめんと謝ったのだが、昨日は妻も前日には誕生日だねとか私に言っていたのに忘れてしまったらしい。

私自身が忘れるくらいだから、妻が忘れても特にどうってことはないだろう。家族の4人の内で3人までが5月に誕生日がかたまっている。下の子はそれも私の亡くなった父と同じ日が誕生日である。別に誕生日が同じだから性質が似ているわけではないのだろうが、風貌も似ている気がする。

今年の正月だかに兄の家に家族や親戚が集まったときに姪が言うには下の子は小さい頃からイケメンだったせいか、みんなが「~ちゃん」「~ちゃん」と言って人気があったとか言っていた。そういうことは親の私たちはまったく気がつかなかったが、そんなことを知ったら、上の子が気を悪くするのではないかとそのときに思った。


濃霧

2010-05-27 15:05:45 | 日記・エッセイ・コラム
5月21日に松山から空路で上京しようとしたのだが、年に一度か二度またはもっと頻度が少ないと思われる濃霧で飛行機が欠航となった。仕方なくJRで上京した。

昼過ぎに東京に着くはずだったのが、19時30分頃の到着となった。こういうことがあるのだなと感慨深いものがあった。電車で四国の海岸ベリを行く途中で田圃から湯気が立ち上がっていて、風がまったく吹かない。この天候は東京でも四国ほどはひどくなかったが、見通しは悪かったから、全国的なものであったらしい。

25日に帰ってきてから、新聞をみたら、どうもそのことが出ていたのでかなり珍しいことではなかったかと思った。もう数年になるが、私の退職のパーティをやってもらったときに、同じようなことがあって、二人の人が空路で松山入りする予定だったが、来ることができなかったという断りの電話をもらった。

もっと昔になるが、広島に行こうとしたら、船は港からちょっと走ったが、どうも濃霧がひどくて出た港に帰ったという経験もある。
しかし、こういう経験はむしろ少ないので、もっとこういう濃霧が出るという状況が多くても仕方がないかと思うが、それほどではないように思う。

ドイツでの経験では濃霧がひどくて、アウトバーンをゆっくりしか進むことができなかったことがある。知人がセンターラインを頼りに車を走らせたというのを聞いたことがあったが、それは誇張だろうと思っていたら、誇張でもなんでもない実際に経験したときにはびっくりしたものだ。


相撲産業

2010-05-26 13:16:56 | 社会・経済

日本大相撲は相撲産業だと実感した。

5月22日に両国の国技館で5月場所を観戦した。前の日に白鵬の優勝が決まってはいたが、それでもはじめてみる大相撲は迫力があり、皆様にも機会があればお勧めしたい。

どうして相撲産業だと実感したのかというと、取り組みの2番か3番で呼び出しさんと行司さんが代わり、土俵をほうきで掃く人、控えの力士の座る座布団を運ぶ人、茶屋の桝席に観客を案内する茶子さんとか大相撲に関わる人の数の多さを実感したためである。

茶屋さんは25あるようだし、力士だけしか知らない私たちにとっては大相撲産業であって、これで生計を立てている人の数が想像を越えていたということである。

最近では大相撲は昔ほど盛んでないとは聞くが、どうしして、どうしてそんなに簡単に言い尽くせるものではなさそうである。ごく最近では会社も終身雇用でなくなっているので、産業としての空洞化がいわれているが、大相撲はなかなか大したものであろう。

もっともそれは日本大相撲協会がまったく問題を持たないということではないだろう。外国力士の増加に伴って大相撲の伝統もある意味では崩壊しているともいわれる。

その側面はまったくないというわけではないが、やはり土俵上での闘いのあとで、一礼をして別れるという習慣はちゃんと守られている。これは古めかしいとも言えようが、ある意味ではお互いの健闘を称えあっているとも考えられ、必ずしも悪い感じはしなかった。

外国力士の多さを憂う日本人も多いと聞くが、私個人にはあまり違和感はない。むしろ、テレビなどでの日本語の話上手さをみるときに、自分の外国語の修得がなかなかできないことを省みて、驚異を感じている。


半年振りの上京

2010-05-20 12:01:18 | 日記・エッセイ・コラム
明日から半年振りに上京する。土曜日には生まれて初めて大相撲を両国の国技館で観戦する。テレビでの相撲とか中学生のころのラジオで実況中継を聴くとかはあったが、直に相撲を見たことはなかった。

妻の親戚に大相撲の関係者がいるので、チケットを購入してもらったらしい。義弟夫婦と私ども夫婦が一緒に観戦するのである。
主には子どもたちに半年振りに会うことと上の子どもの勤め先の大学の研究室を見に行くこと等である。

さらに妻の従兄が愛知県に住んでいるので、途中で岐阜によって、関が原を見に行くであろう。これは従兄が前から実地に関が原を見せたいと言っていたのだが、なかなか行く機会がなかった。

歴史にifはないが、それでも圧倒的に優勢であったという石田三成勢がなぜ徳川家康勢に破れたのかが疑問だというのが、この従兄の疑問らしい。その話をどのくらい関が原に行って実感できるか私には分からない。だが、従兄の薀蓄のほどをじっくり聴くつもりである。


ラジオ体操と体の柔軟性

2010-05-19 13:36:09 | 健康・病気

中学生のころ、体操で手のひらが地面にぴったりとくっつくくらいに前屈することができた。

ところが体を動かすことがなくなり、何十年も体の前屈などまったくできなくなっていた。腰が曲がらないだけではなく体が前に曲がらない。だから、地面に手のひらがつくどころか手の先が地面に接することもできない。

体が硬いのだ。まだ働いていたころ、同僚のNさんが私に向ってお前は体が硬いだろうという。確かにその頃は体がもう曲がらなくなっていたから、それに反論することもできなかった。

ところが、12時のラジオ体操を毎日するようになって1年半ほど経ったが、前へはかなり曲がるようになった。手のひらが中学生のころのように地面にぴったりとくっつくまでとはいかないが、それでもそれに近くなってきた。もっとも老化が進んでいるのは後ろに反り返るときで、こちらはほとんど反り返ることができない。

プロ野球のいまの横浜ベイスターズの前身の大洋ホエールズの選手として数年活躍した、S君などは中学生のころに体が柔軟で体育の時間にはくるくると後方反転を何の苦もなく繰り返していた。彼は運動能力が小さい頃から抜群だった。

ところが私ときたら、反り返って手を突こうとしたら、途中で崩れて倒れてしまうのが常だった。それでも中学生の頃はまだ体が固まってはいないから、少しは柔軟性があったが、いまはなかなか体の柔軟性は帰ってこない。

腰で思い出したが、N大学名誉教授のOさんは腰を悪くされていて、ちょっとした距離を歩くと腰が痛くなるらしかった。松山で物理学会があったときに彼は素粒子賞をもらったので、そのために松山に来られたが、帰りに大学の受賞会場から学内の駐車場まで歩き通すことが難しかった。それで私が車を出してくるまで、途中で待ってもらったことを思い出した。

もっともOさんは腰が悪いだけでその当時、他のところは特に悪くはないとのことだったが、あれからどうされただろうか。


続、広重徹の武谷三段階論批判

2010-05-18 12:00:52 | 科学・技術

そろそろ8月の徳島科学史研究会での発表の準備をしなければならない、時期になってきたので、昨年読んだ広重徹の武谷三段階論批判の続きを読み始めた。

彼の著書「科学と歴史」(みすず書房)の最初の論文「科学史の方法」の前半を昨年読んでそれに対する考えを昨年まとめたのだが、そのときにはむしろ私は途中経過では広重の評価について揺れ動いたが、最後には広重に対して批判的であった。

ところが、現在彼の論文の後半のはじめの節を読んで考え込んでしまった。これについては広重に批判的になることはできないのではないかと思っている。

広重があからさまに武谷批判を繰り広げているところでは、必ずしもそれには賛成できなかったが、あからさまに批判していないところにむしろ広重のいいところが出ているようだ。これはちょっとおかしいとも思えるが、意外とそういうものなのかもしれない。

「三段階論によらないと科学史の研究ができない」というのはおかしいと広重が武谷を批判したが、意外にそういうことを武谷は主張してはいなくて、科学史家は原典の忠実な翻訳などをしたらいいのではと書いていたのを私は読んだことがある。

そうすれば、広重の主張のおかしさが直ぐにこのことに関してはわかる。だが、かえって、武谷をあからさまに批判していないところでは、それだからこそ科学史家としての広重の特徴なり、経験なりがむしろ顕著に現れていていいと思う。それで、この節「科学の歴史性」のところをどう考えるのかというのが新しい問題として出てきている。

三段階論が「科学史の方法」だとは私は思わない。だが、科学の捉え方の一つとしてはいいと思っている。だが、これは誤解を受けないようにあわてていっておくと、これが科学に対する唯一の考え方ではないということである。

最近の若い研究者は武谷三段階論などといっても知らない人も多いのだろうが、広重の若いときにはそれ以外に他の考えなどないようにさえ感じられたのだろうか。そうだとすれば、私と広重等の年代の人との年の差による感じ方の違いとだといえよう。


武谷三男業績リスト(第3版)

2010-05-17 16:28:17 | 物理学

半年かそこいら前から「武谷三男業績リスト(第3版)」を用意していたが、翻訳の仕事が40日くらい続いたこともあって、仕事の予定が大幅に狂い、そのままになっていた。

昨日と一昨日は自宅で閑居していたので、少しその作業をした。その結果ほとんどこの仕事が完了したが、一箇所だけ昔のPhysical Reviewの論文の発行月がわからなかったので、E大学の知り合いに頼んで発行月を調べてくれませんかと依頼したら、数時間して返事をくれた。それで、その情報を補充して脱稿ということになった。

もっともいつもことで、私はあわてものだから、つまらないミスをしそうである。だから、ファイルキャビネットの中に少し寝かせておくことにする。あわてて発表するとどこかまずいことがあるのに後で気がつくことが多い。もっともいつも投稿している「素粒子論研究」ではなく、その電子版に投稿するつもりである。というのはまたいつ改訂をしなくてはならないということが起こるかもしれないから。

このごろだから、インターネットのサイトに出ているだけで用が済むことが多い。それにいつものように別刷を作るとその費用もかかる。そのページ数もはじめはすくなかったが、だんだん多くなって、12ページとなった。業績リストはまだそれでもページ数が少ない方なのでいいが、著作目録ではそれくらいではすまない。

断簡零墨という語があるが、まさに断簡零墨まで収集するといった意気込みでやっている。もっともそういうのは単に「いう」だけであって、完全であることはきわめて難しい。

著作目録の第2版の「素粒子論研究」への掲載後でもやはりいくつかの知らない著作を手に入れたり、または図書館で見つけたりしている。またどこかの図書館から遠隔借り出し(まさにFern Leihe)をして、実物を見たいものが出て来ている。それに昨年秋には武谷の著作ではないが、インタビュー記事が載った本が出ているらしい。それを先刻大学の生協書籍部を通じて注文をした。

「湯川秀樹著作目録」は知人の河辺六男さんが第3版を彼の亡くなる前に「素粒子論研究」に載せたので、もう完璧に近いものになったかと思っていたが、やはりそういうことはなく、私が気がついただけでも数冊(5~6冊くらいかもっと多い)はある。

いつだったか基礎物理学研究所の地下の図書室でそういうことに詳しい、Kさんにあったので、「完璧とは難しいことですね」といったら、Kさんも気にして「湯川秀樹著作目録」補充のリストをつくっているとのことだった。

(2012.2.11 付記) 先日この「素粒子論研究」電子版の「武谷三男業績リスト(第3版)」を見たら、第2版という字がリストの始まるところに残っていた。あほな話である。3版なのだから2版の字が残っているようでは信用性が大いになくなる。それで、訂正す必要があるのだが、なかなか取り掛かれない。


花が咲いた

2010-05-17 15:44:09 | 日記・エッセイ・コラム
この仕事場で仕事をするようになって5年だ。緑の濃い名前を知らない植物だが、いつも水をやっていたら、はじめて白い花が咲いた。もっとも花なのか。葉が白いだけなのかは分からない。だが、おしべがあるみたいなので、花なのであろう。水をやるだけで何もしない。室内にあるので、冬でも青々としている。

月下美人だったかは7年に一回しか咲かないと聞く。何十年も昔だが、大学宿舎に住んでいた頃、同じ棟に住む年上の生物の先生が月下美人をバルコニーで育てていて、その花が咲いたというので、夜に見せてもらったことがあった。月夜であったかどうかは覚えていないが、月夜であったような気がする。

セミは7年間地下にいて、地上に出てくればその寿命は1週間の短さと聞く。はかないようでもあるし、それだけ夏に盛んに鳴くのもむべなるかなとも考えられる。

サボテンの花が咲くのも、滅多にないことだとか。大学生の頃に同級生が近所に住んでいて、彼がサボテンの鉢植えをもっていた。1週間に一回くらい水をやればいいとかで、あまり水をやりすぎると却っていけないのだと聞いた。そしてそのサボテンに花が咲いたのを見せてもらったことがある。

彼は後年Y大学の理学部長を数年勤めた男だったが、あまりの激職だったかで心臓に故障を起こしたという。もっとも彼の奥さんが医師でその予兆に早く気がついて彼は入院し、命を取り留めたとは数年後に本人から聞いたものである。

いずれにしても、人間の病気であれ、植物の花が咲くのであれ、数年に一回とかだったら何とかやり過ごせるのかもしれない。


肩痛

2010-05-14 12:25:53 | 健康・病気
前にも右肩がいたくなったことがあり、このブログでも書いたことがあると思うが、また右肩が痛くなって数週間がすぎた。はじめは痛くて右を下にして寝ることもできなかった。だが、そういうことはなくなったが、いまでも12時からのラジオ体操をするときに右腕が上がり難いし、首を右に曲げたりまわしたりするときに痛む。だから、右に首をあまり曲げることができない。

火曜日の夜のテニスのときも、すこし差支えがあったが、やっているうちにそれほど違和感がなくなったので、よくなったかと思ったが、やはりラジオ体操では状態が改善されてはいない。

腕をぐるぐる回したりしているが、どうもよくはなっていないようである。どうしてこの肩痛になったかのきっかけがわからないので前の古傷の再発かもしれない。風呂で肩を温めるとかもしているのだが、どうもはかばかしくはない。もっとも日常生活にはあまり支障がないのでまあまあである。


Atom

2010-05-13 16:40:35 | 物理学
Atomという題の翻訳本を最近読んだ。BBCの“Atom”という放送の副読本みたいなものらしい。これは原子とか原子核の研究を進めた科学者についての本であるが、こういった本はロベルト・ユンクの「千の太陽よりも明るく」以来たくさん出版されている。この本もそういった本の一つと言っていいのだろう。

すでに知っているような話も多かったのだが、Heisenbergが双子の兄弟がいたとか、聞いたことのなかったような話もあった。量子力学をつくった学者にもいろいろのスキャンダルやなんかがあったようである。Schr”odingerの女性問題とかも書いてある。、Diracが寡黙でものをいわなかった理由も父親に自宅の夕食ではフランス語しか話してはいけないと強制されたためではないかとか説明がある。

もっともDiracの母はフランス人のはずだから、フランス語を話すのは当然かもしれないが、それでも誰かフランス語を母語にしている人が一生懸命に英語で話をした後で、彼はフランス語ができるとか聞いてびっくりしたとかはこの本には書いてなかったが、どこかで読んだ気がする。

ところどころで、正しくないのではないかというところもあった。それはDysonが彼の論文を発表したときにはSchwingerはまだ量子電気力学の論文を書いていなかったとかあったが、これは多分Schwingerは全部ではないにしてもすでにいくつかの量子電気力学の論文を発表しているはずである。FeynmanについてはDysonの論文の方が発表が早かったというのは私も知っている。

Heisenbergは花粉症にかかって、1925年5月に療養のためにヘルゴランド島に出かけたのだが、これはこの島は岩山が多くて草花が少ないからであるとは書いていなかった。風がさわやかでとかあったが。ここで量子力学の端緒をつかんだと書いてあったかな。

「お前もか」と思ったのはBornを軽視しているところである。どうもそこらあたりが気に食わない。Bornの名前はところどころに出ては来るが、まったく触れられていない。著者は科学ジャーナリストで、宇宙史の研究者とあった。だから、天文学とか天文学者のことは普通の本よりは詳しかった。それがこの本の特色だろうか。







テレビでドイツ語

2010-05-12 11:31:10 | テレビ番組
テレビのドイツ語放送の時間帯が水曜の0時30分(火曜深夜というべきか)からである。その直前にハングル語の放送がある。ハングル語は字が合理的にできているとはいうが、どうもこれを私はクリアできない。それでいつもハングルの放送は敬遠してきた。その反省として、0時からはハングルの放送があるのでその放送を見ているというほどではないが、眺めている。このごろはカタカナの振り仮名がついている。ハングルに接ししやすくする工夫なのであろう。

中国語については大学院生の頃ラジオの放送を2年ほど聞いた経験があり、そのときに中国語のローマ字の読み方を習ったが、あまり覚えていない。でも少しは脳のどこかに残っていて、ローマ字はいくらか読める。ところがハングルはまったく読めない。外国語の達者な従弟がいて彼はハングルも読めるらしい。どうも私はダメである。だが、時間帯が私のドイツ語の放送の直前なので昨夜は見た。ドラマを教材に使ったりして大いに努力をしている。

ところで、昔はドイツ語やフランス語の全盛であった。いい時間帯にこれらの放送があった。その次には中国語とロシアであったと思う。テレビでの中国語は時々見たが、ロシア語は見なかった。学校ではロシア語も中国語も習わなかったが、ロシア語は日ソ協会かどこかの講習会に出た。だが、名詞の変化が面倒で格が7つとか6つあってものにはまったくならなかった。

ところで「テレビでドイツ語」の放送時間帯であるが、一時ほどNHKに冷遇されているわけではなかろうが、ちょっと他の外国語の放送にその地位を譲っているという印象がある。これはなにもNHKを批判しているわけではない。現在の状況からするとバランス感覚として仕方がないのだろうと思う。

故玉木英彦(東京大学名誉教授)はもう何十年も前に「ドイツ語第二漢文論」ということを言われた。どういうことかというと日本人一般にとっては漢文を学ぶ人は専門家を別とすれば、学ぶ人はほとんどいない。ドイツ語もそうなるというのであった。玉木さんは物理学者であって、ドイツ語を知らないと物理の勉強ができない時代に育った学者であったが、それでもその先見の明には恐れ入った。

いまドイツ語が必要な者はドイツ音楽を専攻した人かドイツ語ドイツ文学、ドイツ哲学を専攻する人くらいであろうか。マルクス経済学を学ぶ人などいないだろうし、マルクスの原典を読む必要など普通の人には必要がなかろう。しかし、一部サッカーを学びにいく若いスポーツ選手にはドイツ語は必修かもしれない。


ジュンク堂

2010-05-11 15:01:27 | アート・文化
松山にもジュンク堂が進出した。だが、私はジュンク堂に行く機会がなかった。普通週日は仕事場にいて、外出することがほとんどない。また、日曜日は自宅でぼんやりしている。そういうのが好きだからだ。ところで、このジュンク堂は紀伊国屋書店がこの建物から撤退したあとを受けて開いたものである。

知人からなかなか品揃えはいいとは聞いてはいたが、それでも行く機会がなかった。ところが、妻が折り紙の本を買いたいというので、一緒に出かけた。

行って見ると確かに本がぎっしりと詰まっているという感じである。それで紀伊国屋のときと違っていたのは各階ごとにカウンターがないということだった。ということは各階ごとに購入したいと思った本があったときに、一度一階まで購入する本をもって降りていってそこで支払いをしなければならない。

店を出てから、本の万引きが増えるのではないかと妻が要らぬ心配をしている。たぶん、至るところに監視カメラがついているのだろうというのが、私の考えである。それにカウンターが一箇所だと人減らしもできる。そうだとすれば、人件費を減らすことができるから、ときどき本の万引きがあったとしても、その損失と人件費のどちらが大きいかということになろう。私は多分人件費の方が圧倒的に大きいと判断する。それが一階にだけカウンターをつくった理由であろう。なかなか合理的な考えである。


続 二項定理

2010-05-10 11:05:41 | 数学

二項定理の導出法のいろいろという題でエッセイを書いている途中だが、これが書きあがらないうちにどうも一編のエッセイでは意を尽くせそうにないとわかって、その2を書くことにした。

前にも述べたことであるが、(x+h), (x+h)^{2}, (x+h)^{3}, (x+h)^{4}, ・・・等から(x+h)^{n}の展開を導くという方法での導出で、いまのところソーヤーの本に3通りの方法が書かれている。

しかし、ソーヤーの本の方法でもx^{3}の係数までで終わっているので、x^{4}の係数まで計算したいということで昨夜寝る前に計算したら、なんとか計算ができた。

それで、もう一つの方法でやはりx^{4}の係数まで計算できるとその2が書けるのだが、まだこれには成功していない。

どこが悪いかというとどうも多項式のnの順番というか次数というかがあっていないのである。これは多分項数の数え方があっていないので、項数さえあえば、正しい答えが得られると思う。

もう一つこれはまだ証明できていないことで、エッセイにおいては一応わかっていることとするつもりだが、数列の階差数列を調べてみて、第n階差数列が同じ数になれば、その一般項はn次の多項式で表されるという事実である。これはソーヤーにも証明は載っていない。この事実は使っているのだが。