名前といえば、人の名前だろうが、今はそのことではない。東北関東大震災とNHKでいっているので、それが定着した言い方かと思っていたら、朝日新聞とかテレビ朝日では東日本大震災といっているようだ。これは自分たちの言い方を固執しているのかどうか。
神戸の大震災は阪神淡路大震災というのが普通のようだが、この地震は最終的にどう呼ばれるようになるのだろうか。
原発事故の方はこれは人災との見方が強まっている。これは私などもはじめから人災との観点をもっていたが、一般の見解になるようである。国策としての原発を推進してきたのは何十年も政権をもっていた自民党である。
そしてその反省が自民党の中にあるのかどうか。反省というか見直しはもう全世界的であり、原発ルネッサンスといわれた短い期間は終わった。もともと原発ルネサンスとは企業の論理での原発の売込み政策であって、それが地球温暖化との危機感から追い風に乗っていたに過ぎない。
ある集まりでチェルノブイリの原発のように石棺という蓋をしたら、どうかという意見が出たが、それは原子炉の冷却がうまくいった場合でその行く先が分からない段階で石棺のような蓋ができるわけではない。しかし、そういう発想が物事を知らないからという理由で出ることはしかたがない。
「止める、冷やす、閉じ込める」というのが原子炉事故の対策の3原則だそうである。止めるはまず機能したが、「冷やす、閉じ込める」はまったくできなかった。そのときに想定外の津波が来たというのを言い訳にするとすれば、これは技術の思想としては最低である。
世界のどこかで起こったことは、いつかは自分も経験することでもあるという事実に思いを致さなければならない。