物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

小田実の死去

2007-07-31 12:24:44 | 国際・政治

作家の小田実が亡くなった。さすがに元気だった小田も病気には勝てなかったようだ。
残念である。小田の「何でも見てやろう」を読んだのは学生のときだから1961年か62年のことになる。多分妹が図書館で借りてきたのを又借りして読んだと思う。

フランスでRien ou un peu(なにもないのかちょっとはあるのか)とか言われたとかパレスチナの人々との交流とかもあったような気がするが、これはひょっとしたら他の紀行文にあったのかもしれない。

彼が岩波から頼まれて「毛沢東」の伝記を出したときにも購入して読み、彼が自分はマルキストではないがと書いているのにその頃はものたらないような気がしていたが、いまごろになるとそういうものの言い方が結構よかったのではないかと思うようになってきた。

世界を実際に歩いて体験をしてきた強みでしょうか、その体験から現実 を直視するというものの見方を教えられたような気がしている。市民とか市民とも呼べないかもしれない現地の人々の目線から現状を直視していた人という印象である。

小田はよ く「焼け跡体験」といっていた。小田ほどの強烈な体験ではなかったが、私も今治で空襲にあい、そういう「焼け跡体験」もした。

「九条をまもる会」は九人のうちの重要な発起人の一人を失って痛手だろうが、生きているものが彼の意志を受け継いで行かねばならない。


「悪あがきのすすめ」を読む

2007-07-29 12:13:11 | 国際・政治

数日前に辛淑玉さんの岩波新書「悪あがきのすすめ」を読んだ。

その日の午後、仕事をしようとしたのだが、暑いのと興がならず気晴らしをと思い、昼寝の後に目を覚ましてから読んだ。

するすると読めて数時間で読めてしまった。ちょっと「読みで」がないともいえるが、まあいい。

辛さんがその活動に感心した何人かの人たちやグループを紹介したりしているが、辛さんなりのいくつかの悪あがきの仕方の要領も述べている。悪あがきのコツには7つの項目が載っている。

(1)あせらずに、力を抜いて

(2)自分だけのこだわりを大事にする

(3)肝が据わっていれば、ハチャメチャもできる

(4)ああ言えば、こう言う

(5)ときには運も味方につける

(6)「私はここにいます」と発信する

(7)日和見だって悪あがきになる

この7つの項目には入っていないが、「闘わずに逃げる」とか「しぶとく生き延びる」という項目もある。

辛さんはこれらを反権力闘争のやり方として書いたのだが、これは他の場合にも使うことができよう。たとえばだが、子供をカルトにとられてしまった親御さんのカルトとの闘争の仕方としても読むこともできる。

「思想の科学研究会」編の大部な書籍「転向」の研究を牧師の村上密先生たちはカルトに図らずも入ってしまった人たちをカルトから脱会させる方法を探る書として研究したという。

これだけを見ても村上先生たちの優れた作戦的思考(strategical thinking) が伺える。またその後かなりの数のカウンセラーが村上先生たちの指導を受けて育成された。

こういう発想をできる人たちをすばらしいと思う。転向研究を主導した鶴見俊輔先生も自分たちの研究がこのような形で役立つだろうとはまさか思いもしなかったであろう。

研究というのはいつもこういう発想の転換ができる人には難しいものではない。いや、別に研究には限らない。人間が生きていくためにこのような発想の転換ができる思考の柔軟性をもちたいものだ。


デカルトと湯川秀樹

2007-07-28 15:01:31 | 物理学

私はデカルトが好きである。なぜかといえば学問の方法を考え出したということが好きだ。ユークリッドの初等幾何学に座標の考えを導入して、解析幾何学といわれている学問を創設したのでデカルトは特に有名である。

湯川秀樹もこのデカルトが好きであったと思う。一度何故好きなのですかと聞いたのだが、明確な返答はなかった。でもそんなことは答えがなくとも分かっているような気がする。

学者の中には方法とかいわなくとも自分で体の中にすでにもっている人もいる。私が湯川に直接具体的に名を挙げてデカルトと比較して聞いたのはパスカルだが、私にはパスカルは好きになれない。彼は方法とかいうようなことをいわなくとも数学でもなんでも創造的なことが出来る直観的なタイプだったろうと思っている。

湯川は方法とかを考えたりするタイプの学者には見えないが、自分では何らかの方法とか創造に対する意識をもっていたのだろうと思う。それが彼の書いたいくつかの本に現れている。

私が方法ということをしきりに意識したのは大学の受験勉強をしているときであった。劣等生だった私はそういうことを自然に考えるようになった。もっとも中学校のときに英語の教授法について書いた本を中学校の図書館で見ていたりしたからそれ以前からも何かをするときの方法に関心があったかもしれない。

頭のよくないものが頭のいいものになんとか追いつくことができないまでもそれほど遅れないためには方法論を意識する必要があるというのが私の考えである。

これと同じコンテキストからといっていいと思うが、私の先生の一人S先生は頭の悪いものは数学くらいは使わなくてはならないというのが、口癖であった。もっとも私の大学のときの先生にはS先生が3人もいるので、どのS先生かと気になるかもしれないが、3人の中で一番年寄りの先生のことである。もう存命ではない。


試験の答案から

2007-07-26 11:17:18 | 受験・学校

基礎物理学の答案から知ったことは意外と私の講義のやり方が支持されていたということである。

講義の前半部で前回の質問とか感想への返事をする。これが意外に時間がかかるが、それを気にしないできちんと行い、それがすめばその時間のテーマについて講義する。最後の10分間はアンケートで質問や感想を書いてもらう。

前回の質問や感想に答えるところが長くなり、講義の本体が少し短くなるが、どうせ難しいところは聞いてもわからないからさっと済ませる。講義で十分でなかったところはアンケートでの質問が寄せられればそこで詳しく答える。復習でもあるが、できれば前の講義での論点と違った観点についても触れる。こういうやり方だ。

「講義の印象に残った点について述べよ」という救済問題(正規の問題に答えられなかった学生が1問だけ選べる問題)の答えからは採点者としての私に対する迎合もあるのだろうが、肯定的な反応がほとんどだった。あくまでも彼らの期待した講義ではなかったところが意外に好評である。これは自画自賛的だからちょっと割引が必要だが、それでも学生の本音の部分もいくらかはあるだろう。

いつかの授業前に会ったある学生からは時間の使い方がうまくて授業に集中できるという感想をもらっていた。その学生は以前は他の大学の国文科の学生であったそうで、薬学部へと方向転換したために物理は高校でも学んだことはないと言っていた。

しかし、授業の途中では内容が難しいとの反応やH先生の授業より難しいとの厳しい批判もあった。それでこの授業は未修教育ではないといったが、最後まで一部の学生の理解は得られなかったと思う。

質問に答えないという不平もあったが、それならなぜ授業中に質問をしないのかと授業で言ったのだが、そのことについての反論はその後出てこなかった。アンケートは授業のほんの一部で授業とあわせて成り立っているという考えがないらしい。

言葉がわからないという批判もあった。それに対して「日本語で話しており、また講義ノートもあるのだから、わからない言葉を書き出して一つ一つ科学事典で調べたらどうですか」 といい、「それでもわからない言葉は質問してくれてもいい」といったが、それを実行した学生はいなかった。


教育での定着度

2007-07-25 13:49:26 | 受験・学校

教育での定着度が低いと書いたが、これは自分自身の経験でもある。

私はもう数十年にわたって NHK のラジオのドイツ語講座をほとんど毎日聞いているが、それでもドイツ語の私の頭への定着度はとても低いのだ。

専門がドイツ語とかドイツ文学ならそうではないのだろうが、基本的にはこの20分間しかドイツ語にはかかわらない。だからそれこそ何十回となく聞いているドイツ語の文法も単語もそれほど私の頭に定着しない。

それに加えて老齢である。昔しっかりと覚えたはずのことでも忘れてしまうような歳である。藤田五郎先生が私がラジオの講座を聞き始めた頃の講師である。根気、年期、暗記の3つの「き」が大切だと教わったが、年期だけは積んだが、暗記はだめだし、根気はどうなのだろう。

45,6年前にラジオを聞いたが、途中はテレビの講座だけを見てラジオの講座は聞かなかった。これは私が朝に弱いからである。しかし、ラジオを続けて午後のひとときに聞くようになってからでも30年は経った。もっともなかなか中級コースは聞けていない。


パソコンの故障

2007-07-24 14:30:33 | デジタル・インターネット

googleで本の検索閲覧ができるようになったことを新聞で見てそれを「お気に入り」に入れたところが、googleから他のソフトもインストールしたらとのお知らせが届いたのでそれを全部ではないが、かなりインストールしたところパソコンのwindowsが起動しなくなってしまった。

仕方がなくサービスの人に頼んで新しくすべてをインストールし直してもらった。ということで普通に使えていたtexとかが全部使えなくなってしまった。もう一度texを知人に頼んで入れてもらわなくてはならない。それに知人友人のメールアドレスもわからなくなってしまった。やれやれ。


例は説教よりも重要1

2007-07-23 17:17:09 | 受験・学校

「例は説教よりも重要である(Examples are more important than precepts.)」とは中学校のときに覚えたことわざである。

これはかの有名なニュートンが彼の書いた数学の本の中で述べた言葉だと聞いている。いま辞書を引いてみるとpreceptには説教といった訳はなく、規範、指針、格言といった訳がついている。

どうしてこんなもう50年以上も前に覚えた文が頭に浮かんだ来たのだろう。基礎物理学の試験が終わってその答案をもって電車の停留所の方へ向かっているときであった。こんな言葉が頭に浮かんだのは。

教育とは何の足しにもならないものだとつくづく思う。如何に一生懸命に教えてみても所詮その定着度はとても低い。何回も繰り返し教えたことがひとつも学生の頭には定着していない。

さすがに答案では採点者の頭に来るようなことを書く学生は誰もいないが、しかし私の授業のやり方を評価したといっている学生の答案は本当に彼らが何を理解したのだろうかと思わさせるようなことしか書かれていない。単に間に合わせの点を取るための方便としての迎合ではないかとも疑いたくなる。それくらい結果はひどい。

学生に単位を出すように試験問題で正規の設問以外に救済問題を出したのでそれをほとんどの学生が選んでいる。それでなければ合格点ぎりぎりかまたは不合格の学生が続出しただろう。


はだしのゲン

2007-07-22 17:46:59 | 芸能ネタ

今日の午後に神田香織さんの講談「はだしのゲン」を聞いた。なかなか迫力のある講談で真に迫っていた。ゲンが原爆の爆風による家の倒壊でその下敷きになったお父さんと弟を見捨てて逃げたというくだりには私の先生の一人Sさんの実体験と重なるものがあった。

またゲンが塀の影にいたために原爆の熱線からさえぎられて生き延びれたというのはもう一人のS先生の実体験と重なっている。もちろんそんなことを私はこれらの二人のS先生から直に聞いたわけではない。他の先生の話とか本人が新聞記者に話したのが新聞に載ったということで知ったのだ。

しかし、戦争の被災側の体験だけれども戦争中のいくらかの経験は私にも残っている。それは食べ物がなくておなかのすくという記憶のみではない。

「はだしのゲン」はもともと原作は漫画である。長男が小学校のときに読んでぜひ読めと勧められたのだが、怖いからといって読んだことがなかった。


岩波科学の事典

2007-07-19 15:39:40 | 物理学

昨日書いた初等的な物理の内容について岩波「科学の事典」が参考になる。しかし、ここではベクトルも微分も使われている。高校での微分積分を使わないという物理でも結局は微分積分の考えは使っている。だから早く微分積分を学んだ方がいいというのが私の意見だが、数学アレルギーがひどくて困る。

必要なものは自分で教えるという考えでやってきたが、それでもどうしようもないくらいの中学生なみの数学しか知らない学生が多い。ものは知らなくてもいい。意欲があってバイタリティに富んでいれば、すべてはマスターできるはずだが、その意欲もない。

単に試験に通って単位を取得できればよいと考えているようだ。すべての学生がそうだなどとは思わないが、そういう学生が全体の足を引っ張っていないか。それが心配である。


平凡なことを教えるか

2007-07-19 15:37:50 | 受験・学校

一般の人には速度は分かっても加速度は言葉としては知っていても分かってはいないとか家庭で電灯線や冷蔵庫や洗濯機で使っている電気は交流だということを知らない。

いくらなんでも中学校で理科を習えば、それくらいは知っているだろうと思っていたが、それも知っていないという現実を知ると大学の物理の先生はどうしたらいいんだろうと考え込んでしまう。

理系の学部でそうだということになれば、後は推して知るべし。理系の学部では学生はそれを知っている必要はないのだろうか。アメリカでは高校生のレベルが低いといわれるが、大学に入れば必死に勉強して大学を出るころには日本の平均の学生よりはとても実力がついているという。

演習をする時間があればいいのだが、その時間はあまりない。それに時間を取って演習をしてもそのときには真剣に考えている学生は少数である。何をすべきかも分かっていない学生が大半である。また質問をほとんど口頭では受けたことがない。

質問できることはそれだけ考えている証拠なのだ。感想を書いてもらうとわからないといろいろ不平不満が出るが、ではここがわからないといって授業中とか授業の後で質問したら良いではないかというのに質問攻めにはあったことがない。

それに何回も記号等で同じ質問がでる。1学期中に3回か4回同じ質問が出るというのはどういうことだろう。人がした質問については関心がないということなのだろうか。不可解である。

未修教育としての物理学は大学では単位としては認定されないのが本来の姿である。しかし、そうすると未修教育は学生には評判が悪くて学生はその授業をとりたがらない。それに代わるべきe-Learningのシステムがあればいいのだが、それもつくられていない。


かぜからの復帰

2007-07-19 15:35:22 | 健康・病気

やっと通常の状態に近くなってきた。一時はうつになったかと思った。私はむしろ分裂症気質なのでうつにはならないのだがと思っていたが、体がひどく脱力して力が入らなくて気力も湧いて来なかったので、もしやと思ってしまった。

しかし、そのためにはドイツ語のコ-スも休んだし、オフィスアワーも休んで気力体力の回復に努めた。仕事場のパソコンもちょうどダウンしたのでそれを直すのをためらっている。

今日模擬テストをしたが、これは本試験の結果が思わしくない人にのみ参考にするつもりなので今は採点はしないつもりである。


かぜかうつ病か

2007-07-12 12:09:00 | 健康・病気

この4、5日何をする元気も出ない。元気というか意欲がでない。全身が脱力したみたいで体に力が入らない。頭も痛くときどきずきずきする。

このパソコンへの入力もつらいくらいだ。指の関節が固くなってきて曲がり難くなっている。それに加えてこの脱力感である。まるでうつである。

そういえば、甲状腺障害がひどくなればうつに似た症状が現れるとかかりつけの医師から聞いている。というのは以前から甲状腺障害がその内に出るのではないかと人間ドックでの検診で懸念されているからである。

多分かぜだと思うが、ひさしぶり病気になったので、健康の有難みを痛感している.


老齢と記憶

2007-07-08 19:59:23 | 健康・病気

50歳半ば頃だったかもっと早かったのかはもう分からないが、若いときにきちんと覚えていたはずの英単語の綴りが曖昧になってきて辞書を引いて確かめなければならなくなった。それと高校程度の数学の公式でもあまり使わないものはちょっと確かめないと自信がもてなくなった。 

三角関数の公式だと簡単なもの以外はもともと覚えていないので、いつでも自分で導いてから計算に使うからいいのだが、特に代数の乗法公式や因数分解の公式等の記憶が怪しくなった。

人間は簡単な因数分解の公式等だと死ぬまで忘れないといわれている。もちろん簡単なものは忘れていないが、あまり使わないものは怪しくなっている。ときどき復習をすればいいのだが、そういうことをする機会もほとんどなくなっている。

比較的良く勉強しているドイツ語も簡単な言葉が出て来なくて困ったのはこの間のホームステイのときであった。スイスとドイツの国境にあるBodenseeという湖の名をど忘れしていて、なんという湖だったかなどととんまなことを聞いてしまった。

それで思うのは哲学者の鶴見俊輔さんの記憶力のすごさである。ほとんど一度覚えたことは忘れないのではないかとまで思う。これは私のほんのわずかなおつきあいでの印象だから本当は鶴見さんだって老齢による記憶のあいまいさは忍び寄ってきているのだろう。でもそういうことは話していて少しも感じられなかった。


模擬テスト

2007-07-04 17:25:15 | 受験・学校

7月23日の期末試験問題を印刷に回したが、どうも心配になって模擬テストをつくった。最終回の講義7月16日に時間をとってこの模擬テストをするつもりである。

こうやって試験に慣れてもらうしかない。そしてその模擬試験のときに教えたことなら少しは覚えてくれるだろうか。もっとも交流とか直流とかについて話をしていないのでこれについて話を次回にしておく必要がある。また熱機関についても話をしておこう。


場とは?

2007-07-02 08:07:48 | 物理学

電磁気学で遠隔作用から近接作用へと考え方が変わったことを先週から講義で話している。しかし、これはなかなか理解されにくい。たとえば、クーロン力だがこれを遠隔作用のときと同じ大きさだが、場が電荷のまわりにできて、その空間にまた別の電荷をもってくれば力を受けるというのはまったく持って回った感じを受けるようだ。なぜ遠隔作用のままでいけないかと。

私にしても数十年の昔アインシュタインとインフェルトの『物理学はいかに創られたか』を読んでその考えの大きな転換にショックを受けた記憶がある。普通の物理の本では場の考えをあまり強調していないような気がする。場の考えを理解するにはやはり『物理学はいかに創られたか』がいいと思う。そういうショックをいくつか乗り越えて行かないといけないのではないだろうか。

携帯電話でもって人と無線で話せるというご利益を得ているのにそれがどこに依拠したものかはご存知がないという状況であろう。