物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

プルサーマル

2005-05-29 17:33:33 | 日記・エッセイ・コラム
今日は妻につれられてプルサーマルの集会に出かけた。講師は有名な久米三四郎さん。

久米さん、開口一番プルサーマルを誰もやりたがっていないのですよ、という。四国電力は敵という風にはとらない方がいいのではないかと言われた。その辺の考えはなかなか参加者に理解されなかったようだ。

ずっと原発反対運動をやってきた人には運動の後退に聞こえたことだろう。しかし、真意はそんなところにはない。それどころか電力の生産者の四国電力をもプルサーマル反対運動に巻き込んでいこうという久米さんのしたたかな戦略がある。

そしてその闘いはいままでのように対決姿勢でなくてもできるという、とても大きなヒントをもらったにもかかわらず、それを生かせるような状況には会の雰囲気はなさそうだ。

もう一つ久米さんの指摘は安全性の軽視はいつに経済性を極度に求めるところから来ているという。

久米さんしても私にしても経済とか政治とかは自然科学者は一般に苦手のことであろう。だが、それを強調しなければならないところがつらいところである。でも経済性をあくまでも追求するのが資本主義であることはいうまでもない。

社会主義国家が崩壊したので、資本主義が勝ったという宣伝がなされたが、資本主義もそんなに勝った訳ではない。それがどういうところに現れたかというと銀行やデパートやスーパマーケットの倒産に現れていた。

それを本当は国が救済をしないでいれば、いいのだが何とか理由をつけて救済したということはもう純然たる資本主義では日本はないということが言えるのではないかと思う。

(2020.5.18付記) 初期のブログは段落が長かった。いまブログを始めた初期のブログのこのブログを見る機会があったので、段落を短く書き換えた。

この忠告をしてくれた子どもも先日48歳の誕生日を迎えた。

それにこの集会に講師として来られた久米三四郎さんが亡くなってもう久しい。


山本義隆氏の本

2005-05-28 14:15:29 | 日記・エッセイ・コラム
昨日久しぶりに市内の本屋を何軒か回った。こんなことはもう何十年かしたことがなかったと思う。回ってみて地方都市の書店の貧弱さを再認識した。ちょっと専門的な本はおいてない。

山本義隆著『古典力学の形成』(日本評論社)を探したのだが、なかった。注文をしなくてはならないだろう。山本義隆氏にはもう何十年も会っていないが、昔の知り合いである。いまゴルドスタインの『古典力学』第3版(吉岡書店)を友人と訳しているのだが、それのために必要かと思っている。

山本氏の本はどれも長々として詳しくいままで読む暇もなかった。これからは読む機会があるかと思う。私はある人に関心をもつとその人の著書を集めたくなるという癖がある。これからはちょっと山本義隆氏の本を集めるようになるかもしれない。

現在までのところは武谷三男の著作を集めている。彼が書いた、または、寄稿した本は180冊を超えるが、130数冊を集めた。もっとも妻とか子供とかに言わせると私の死後には始末に困ると苦情をいわれている。

(2024.1.30付記)そういう蔵書を基にして「武谷三男博士の著作目録」(「素粒子論研究」電子版)を編集した。




教えることから見えてきたもの

2005-05-27 09:21:01 | 日記・エッセイ・コラム
ここ数日ブログと遠ざかっていた。定年退職のための祝賀会をもと勤めて学科の人たちが行ってくれるので、その会での話の準備をしていた。予稿は書いて、今度は話をパワーポイントで用意している。7割くらい出来上がったが、まだいくらか準備しなければならない。30分という短い(または長い?)時間であるので、その時間内にうまく話せるかが問題である。それに対象はいろいろな雑多な人々である。「教えることから見えてきたもの」という題で話をする。

内容は現実の自然界を本当に理解しようと思ったら、一度現実の世界から離れて理想化された世界を考えなけらばならないという少し反語的な世界観である。これが私に「教えることから見えてきたもの」である。



ブログと数学

2005-05-18 15:06:16 | 数学

ブログをやり始めて何日かになる。どういう使われ方をしているのだろうか。もちろん自分がどう使っているかということもあるが、世の中の人がどう使っているかということもある。その実態はまだよく知らない。

普通のWEBのページとどう違うのか、それぞれの利害得失はどうか。そんなことが気になる。私の子供たちもブログを昨年末ぐらいから始めているようだ。

一方、従来からあるホームページにも数学教育とか物理教育の点でもかなりの蓄積があるようだ。ようだというのはまだそんなには詳しくないからである。

元同僚のある大学の先生は入試の問題をつくるのにWEBを参照したといっていた。もちろんこんなことが受験生に知れたら、大変なことになるのかもしれないが、WEBの数も多いからそんなことを入試対策に取り入れる学生もあまりいないだろう。

ごく最近読んだ数学教育のWEBでは指数と対数は同じものだという記事は面白かった。じっくりと後で勉強して見たいと思っている。私も電気電子工学科ミニマムを作ったとき、指数表示と対数表示という用語を使った。もちろん、指数関数と対数関数はお互いに逆関数になっているが、その一歩手前では指数表示と対数表示といった考えが有効な気がする。

指数関数はもちろん指数表示で表し、対数関数は対数表示で表しているという風に考えるといいと思う。もっともそんなことは普通の高等学校の教科書にも出ていないのだが。


東京旅行

2005-05-16 18:06:48 | 日記・エッセイ・コラム
いま東京から飛行機で帰ってきて、仕事場でブログをしています。久しぶりの東京で子供のところや義弟のところや知人のところへ行っていずれも歓待を受けました。楽しかったが、皆様有難う、特にJさんありがとう。うちの家族はいつもあんなように冗談を言い合う家族なんです。私以外はね。

杉並のお蕎麦屋さんに案内されて食べたお蕎麦はいままで食べたことがないようなもので、おいしかったです。Kさん、有難うございました。それに奥さんのおもてなしに感謝します。小さなお土産しかもっていかなかったのにすみません。今度行くときはしっかりお土産持って行きます。

七宝焼きの材料のお店に午前中つきあい、その後で神田の明倫館へ行き、1冊だけ本を買って羽田へ直行して帰りました。明日からまた仕事に精を出します。


『数学散歩』へのお便り

2005-05-12 21:51:19 | 日記・エッセイ・コラム

明日から東京へ数日行きます。二男の誕生日があるのです。

今までは誕生日でもなかなかお祝いに行くこと等できなかったのですが。やはり退職したら、自由になりました。逆に、それだけ収入が減るということでもあります。

今日までは『数学散歩』(国土社)という本についてのお便りを頂いたのをTEXで入力していました。なんとか入力できたので、もう少し見直した後で、E大学の電気電子工学科のホームページに載せてもらうつもりです。皆さんからいろいろな反応があったということは誰でも関心があることだったのですね。

また、世の中には奇特な人がいて、ご自分の調べたり、考えたりしたことをWEB上で公表しておられる方は沢山おられるのですね。少しづつそういうところを調べてみたいと思っています。


連休の終わり

2005-05-05 13:26:45 | 日記・エッセイ・コラム
連休も今日で終わりです。そろそろ花粉症も治まらなくてはいけない頃なんですが、まだ完全にはおさまっていない。

退職の後片付けの後遺症で仕事をする気が起きていない。ある本の翻訳を元同僚とやっているのですが、私がブレーキになっている。

なにせ30箱くらい職場から持ち帰ってこれをどのように整理したらよいか方針が立っていない。インテリアやエクステリアをいろいろ売っている店に行って、衣料の収納箱を買ってきて整理をしようとしているのだが、そのためには押入れを整理しなければならない。これが大変。だって押入れは何も入っていないわけではないのだから。

でもなんとか整理をしなくては仕事にはならない。30数年にわたってやってきたことの記録とか書類がある。本が大部分ですかといわれるのだが、本はそれほど多くはない。もちろん結構あるのだが、多いのは書類である。それを全部おいておくのはかなわないから、捨てなければならない。しかし、捨てるのはなかなか決断が要る。やれやれ。


憲法の改定を防ごう

2005-05-04 13:19:25 | 日記・エッセイ・コラム
連休中ですね。4月30日にブログをしてから、数日たちました。どうやって投稿するのかわからなかったので、続けて記事を載せられませんでした。でも大丈夫、投稿するをお気に入りに入れたので、どしどし書きます。昨日は憲法記念日で各地で憲法記念の集会が行われました。私も妻がそのような行事の実行委員なっているので、参加をしました。

憲法を改定することに危機感を持っているのは比較的歳の人で、若い人はそんな危機感をほとんどもっていない。不思議なことですが、空襲の経験をもっているような私たちの世代とそんな経験を少しも持たない世代とは感覚が違うのは仕方がないとも言えます。

でも、日の丸、君が代の教育現場での強制が現に起こってきている現在ではゆるがせにできない事態でしょう。私自体は日の丸君が代にそれほどアレルギーはもっていないですが、だからといって卒業式のときに君が代を大きな声で歌わなかったといって先生を罰したりするようなことがいいとは思えません。