日本人にすこし希望を持たせてくれた。
一番リーグのグル―プの中で一番ランクが下位であったが、今大会はドイツとか優勝候補に挙げられている国がなかなか厳しいスタートをきったので、日本にも1次リーグ突破の可能性が出てきて、日本中が沸き立った。
本田は自分のコーナーキックでのアシストであったにもかかわらず、自分がシュートしての得点ではなかったので、あまり喜んではいなかった様子だったが、それでも勝ち点3はよかったと思ったらしくて、そのことは喜んでいたと思う。
日本人にすこし希望を持たせてくれた。
一番リーグのグル―プの中で一番ランクが下位であったが、今大会はドイツとか優勝候補に挙げられている国がなかなか厳しいスタートをきったので、日本にも1次リーグ突破の可能性が出てきて、日本中が沸き立った。
本田は自分のコーナーキックでのアシストであったにもかかわらず、自分がシュートしての得点ではなかったので、あまり喜んではいなかった様子だったが、それでも勝ち点3はよかったと思ったらしくて、そのことは喜んでいたと思う。
昨夜、東温市のテニスコートでいつものテニスがあった。
私たちのひまわりテニスクラブはもう20年くらいの歴史がある。
火曜の夜と土曜の夜との2回だが、私は土曜の夜の方は行っていない。概して土曜の方が中級の上の方のクラスであり、火曜は中級の中くらいであろうか。
その火曜のクラスの方でも私が一人断然離れての下手なプレヤーである。このところ無残な敗北でどうも動きも悪く、ミスがとて多いので、落ち込んでいる。
それでそのことを唯一の女性プレヤーである、Sさんに嘆いて辞めたいといったら、慰留された。
ここ数週は体も動きが悪く、レシーブのミスがとても多く、ほとんだまともにレシーブできた方が稀であった。
これは5月に前立腺がんの疑いが出て来て憂鬱だったこともあるが、仕事もあって、なかなか体を動かす機会が少なく、ただ立っているのでさえ、危うく感じるくらいのときもあった。
それは意識して体を少しは動かし、膝も強化するようにしたので、すこしは改善された。
だが、先週はひどい結果であった。これではいくら負けることを気にしない私でもパートナーに悪いと感じた次第であった。
そういうことがもうメンバーであることに耐えられなくった理由である。
でも、よく考えるともし私が辞めると次に同じような立場になるプレヤーが必ず出てくる。そういうことの連続するとこのクラブは存続しないであろう。
上手なプレヤーとしては、UさんやMさん、Sさん等もおられる。この人たちはなかなか人のいい方々であって、相手が老人とか女性であるとフルには力を出さないで、セーブをしてプレーをされている。
それぞれの事情を勘案したプレーができるくらい上手な方々である。そういう上手なプレヤーと私のような下手なプレーヤとがコンビを組んで楽しく勝ったり、負けたりしてゲームを楽しんでいるのが、現状である。
ブラジルで行われていた、サッカーのワールドカップはドイツチームの優勝で終わったらしい。
今日の早朝4時からの中継があったのだろうが、そんなに早朝から見ることなどできないから、9時前に起きて妻に聞いたら、スマホで調べてくれて1-0でドイツが勝ったということを知らせてくれた。
ドイツ語のクラスでR氏からその予想を各自聞かれたが、私はドイツ―アルゼンチンは3-2でドイツが勝つとしていたが、その予想は見事に外れた。
ネイマールの個人技に頼っていたブラジルはネイマールの負傷とともに準決勝と3位決定戦で大敗を喫した。
これからもヨーロッパ流の多様な戦力をもったチームがやはり優位に立つのであろうか。
もっとも意見としてはネイマールの負傷は故意に起こったという見方が普通であろう。
それを引き起こした選手の故意ではないとの弁解にもかかわらず、サッカーは公正なスポーツではないという意見もあるであろう。
その点からいえば、テニスなどはそういう不正が入る余地がないと思う。
毎日、火曜日の夜はT市のコートで19時から21時までテニスをしている。
それだのに矛盾した感情だが、雨降りになることをいつも望んでいる。それで雨降りでコートの予約を解約できるときには勇んで事務所に電話を掛ける。
ところが幸いなことにいうか、不幸なことにというか雨が降ることはそんなに多くない。
いつだったかは天気予報で夜は雨だと予報されていたので、今晩はテニスがなくてよいなと思っていたら、そういうときに限って夜になっても雨が降らなくてテニスコートまで出かけなくてはならなかった。
これは私がクラブのメンバーの中で一番テニスが下手だということから来ている。
もっともときどき上手なパートナーと組ませてもらって勝つこともある。これは主にパートナーの力量によっている。
いつだったか、昔読んだ朝永博士のエッセイに博士の子どもさんが小学校のころ運動会が雨で中止になるようにと祈っているとか書いてあった。
その当時の東京教育大学の「体育学部の先生なんとかいい方法を考えてください」とそのエッセイでは結ばれてあった。
その気持ちがわかるのである。
もっとも朝永博士の子どもさんとはいっても私と同様にすでに結構老人の域に達しているはずであろう。
オリンピックファンの方には申し訳ないが、あまりオリンピックに関心がない。
もっともいままでのところ思ったほどにはメダルが取れていないらしいので、マスコミも思ったよりも静かである。
昨日三つほどメダルをとれたらしいけれどマスコミがあまり騒がしくするのは好きではない。そういう醒めた目で見ることがいいとは思わないけれど、それが自分の性質だからしかたがない。
ちょっとテレビでカーリングの中継を見たけれど、それぞれにテクニックとか作戦があるらしい。カーリングという名も知らなかったが、カーリングという遊びがあるとしたのは1977年1月に家族でミュンヘンに出かけたときに、市内の小さな川面で水面が凍っていて、そこでカーリングをしているのを車でその川の橋を渡りながら見たのがはじめである。
そのとき何をしているんだろうねと家族で話し合ったのだが、それがカーリングだった。
オリンピックの種目にはならないが、ペタンクという遊びをしているのを見たのは1976年8月にスイスに出かけたときであった。
ジュネーヴの郊外に宿を見つけようとしたときに街道には宿を見つけられなかったのだが、フランスに入って街道のホテルでフランス語で宿の部屋が空いていないか聞いたときに、自分のところは空いていないが、兄弟のホテルが空いていると電話で確かめて紹介してくれた。
それでその宿に行ったのだが、その宿の玄関先の庭で夕方数人が集まって楽しんでいたのがペタンクだった。テレビではペタンクを見たことがあったが、実際にペタンクをして遊んでいるのを見たのはこれはじめだった。
昨晩、日本シリーズの最終戦があって、私の予想に反して楽天が勝って優勝した。まずはおめでとうと言いたい。アンチ巨人の私にはうれしいことであった。
今日、新聞をみたら、嶋捕手の感想とその写真が載っていた。これは昨夜遅くに第4戦の楽天の勝利が決まったのだから、前もって書かれていた予定原稿だろうと思う。
そういうことを思ったのは中学生のころに聞いたことがある、旺文社の英語講座で講師のJ. B. ハリスさんが新聞社の記者時代の経験としてアメリカの大統領選挙のときにどちらの候補が当選してもいいようにそれぞれの候補の当選のための予定原稿を書いておくのだと言われていたのを思いだしたからだ。
中学校時代といえば、昭和30年よりも前のことだから、西暦で言うと1955年よりも以前となる。ということは約60年も前のことになる。
この講座の放送は午前5時ころからあったので、眠い目をこすって起きて、聞いた覚えがある。もっともそのために中学校では授業中に居眠りがでてしまった。
J. B. ハリスさんはお母さんが日本人であったためか、戦争中は日本兵として徴兵されて軍務にもついたとか、その後新聞の記事で知った。平井とかいう名前であった(注)。
このハリスさんの講義で覚えていることはほとんどないのだが、一つだけMotelという車で行って泊まれるホテルがアメリカでできているという話が興味深かった。もう一つ覚えている語はphotogenicで「写真写りがいい」という意味であった。
いまでこそモーテルというのは日本語にもあるが、その当時はまだモーテルという語はなかった。motelはモテルと短く発音するが、日本語のモーテルと長く延ばして発音する。
そういえば、このごろaubergeというフランス語が日本語でも入っているが、これもオーベルジュとオーと長くなるが、オベルジュと日本語のようにオーと長くなることはないと思う。
私の理解ではaubergeは旅籠とか旅館といった語感ではないかと思うので、日本語でしゃれた言葉だとするのにはちょっと違和感がある。
(注) googleで検索したら、J. B. ハリス(1916-2004)さんの日本名は平柳秀夫だった。日本国籍をもっていたらしい。これは英国人だった、お父さんが早世したためにお母さんの国籍だった日本国籍を選んだためという。
このgoogleでは「百万人の英語」(文化放送)は1958-1992年となっているが、1958年は私が大学に入学した年なので、私はこの「百万人の英語」は聞いていない。その前身の放送であったと思う。
このごろはなんでも検索をすれば、情報を得ることができるので便利である。
川上哲治さんが93歳でなくなった。
私は川上のファンではなかったが、その人気は私たちの世代の小学生にはすごかった。
あまりにも川上は人気があったので、なんでもそういう一番人気のある人のファンとなることをよしとしない私は彼のファンとはならなかったが。
私が10歳くらいの頃である。川上は私よりも19歳も年上だが、そういうことで計算すれば川上はまだ30歳になってなかったことになる。
川上とか青バットの大下とかの人気があったし、私がファンだった藤村富美男とかが活躍をしていたころであった。
藤村にしろ、大下にしろまた阪神にいた別当だとかは川上よりははやく亡くなったが、川上は93歳まで長生きをした、幸せである。
「打撃の神様」という称号は私の小学生のころにはもう定まっていたと思う。凝り性の人で打撃のセンスも天才的であったろうが、それだけではなく努力の人でもあったらしい。
こういう人にはかなわない。人並み外れた打撃のセンスもあるのに、その上にさらに努力できるというのだから。
戦後の野球界で川上の赤バット、大下の青バットと言われたが、当時はテレビがあるわけではなく、ニュ―ス映画でみることができたくらいである。それもいまのようなカラーではなく、白黒ニュース映画である。
日本シリーズのV9はたぶんこれからも破られない記録であろう。だから破天荒の天才肌だし、努力の人、凝り性の人である。
プロ野球を引退後は少年野球の指導をされたことでも有名である。これは私たちのようないわゆる老後ではないが、現役の後の生活を有益な生き方をされたという点でも私たちのお手本にしたい人である。
ご冥福を祈る。
ヤクルト球団のバレンティン選手が長い間破られなかった日本プロ球界のホームラン記録を昨日あっさりと抜いた。
そのことは大記録なのだろうが、そのことよりも私に今日の新聞でおもしろかったことは打球の初速度と角度のデータが出ていたことだった。
バレンティンの打球の初速度は平均時速156キロで、打ち上げる角度の平均は31度だったという。過去のホームラン王であった、王選手も初速度が時速155キロで、打ち上げる角度が30度であったから、ほぼ同じような打ち方であるという。
プロ野球のボールは古典力学で取り扱う質点ではないし、空気の抵抗等があるので、質点の力学で議論はできないが、仮に質点であり、空気の抵抗がなければ、放物体の運動は水平と45度をなす角度で打ち上げると一番遠くまで飛ぶということが知られている。
もちろん遠くまでボールが飛ぶためには初速が大きいほどいいことは間違いがない。
松井選手の打球の初速度が時速159キロであったのに比べれば、時速3キロもおそい。それでバレンティン選手は技巧派だと新聞には出ていたが、それでもすごい話である。
王さんのコメントもいい。達人は達人を知るという感じがした。
ウィンブルドンのテニス大会が昨夜で終わった。男子は英国出身のアンディ・マレーの初優勝であった。
これはイギリス人にとっては77年ぶりの快挙だとかで、イギリス人の喜びようといったら、ひとしおであったようだ。
それぐらいイギリス出身のテニスプレヤーがウィンブルドンで優勝するということから遠ざかっていたということだろう。
昨年はアンディがフェデラーに決勝で敗れたのだった。昨年も決勝戦の放映を見たはずだが、一年も経つうちに忘れてしまっていた。
ナダルもフェデラーも番狂わせで敗れてしまったので、波乱に富んだ大会であったが、それでもシードNo. 1のジョコビッチとNo. 2のマレーが決勝で戦ったのは見ごたえがあった。
もう少しジョコビッチがマレーを追い詰めることができるかと期待したが、昨日のゲームに関してはマレーの素晴らしさが目立ったゲームであった。
女子の方はバルトリが優勝したがこちらも、危なげがないものであった。
ウィンブルドンの決勝戦ともなるとセンターコートのべースラインあたりの芝も剥げて来ていて、しばしばジョコビッチが足を滑らせるのを見かけた。
センターコートは来年のこのシーズンまで眠りにつくのだろう。
日本のプロ野球選手の名誉の一つに打者なら2000本安打、投手なら200勝を達成するというのがある。
すぐれた打者や投手でもこの記録を達成できなかった選手もあるので、これが唯一の優れた名誉ではないでもあろうが、それでもこれらの記録は単に優れた打者、投手であるだけではなく、負傷や怪我や病気にも打ち勝った体の頑健さも必要である。
昭和生まれの野球人で、このいずれかの記録を達成した人は、昭和名球会に加入が許されるが、この記録がとても普通の人には大変なことであると思うようになった。
それはこれらの記録を達成した人には全く及ぶべくもないが、先日ブログ2000回を達成したときに思ったことであった。これくらいの回数のブログを書いている人も日本でもたくさんおられるであろう。
だが、ブログを書く主題がなければならないし、それだけではなく健康でなくてはならない。ほぼ毎日なんらかの新しい視点を指摘した、自分の驚きを提供することはそんなに簡単なことではない。
新聞やテレビはもちろん書籍とか日常に出会う人のつぶやき等から、自分にとっての新しい視点とかなるほどと思ったこととかを拾うことはそういう自分の感性をいつも磨いておかなくてはならない。
感受性が鈍磨してしまうと、本当は興味深い視点でもとらえ損ねてしまうかもしれない。
今西のOBとしては、別に喜んでこんなブログを書いているわけではない。その点を誤解をして頂かないことを願っている。
それにしても相手の投手がすごすぎた。それもまだ2年生というからすごい。三振22個は甲子園の高校野球としては最高記録なのだそうである。
いままでは一試合の三振奪取の最高記録は19だったそうであるが、それを3つも越してしまった。NHKのニュースでやっていたくらいだからすごいことなのであろう。
一試合で最短だと27人でアウトになるが、そのうちの22人を三振にとったというのだからすごい。たった5人だけが三振を免れたことになる。
見逃しの三振もあったが、空振りが多かったように思う。バッターとしては攻めのバッティングであるから、仕方がない。外角に落ちるボールにひっかかっていた。
このような落ちるボールに対処する方法がないのか、あるいはあるのかは知らない。バッターとしてはボールが来たと思ってバットを振ったら、そのボールが消えたという感じであろうか。
12回かの甲子園への出場回数を誇る今治西高校野球部にしてはかなりのダメージである。もっとも選手も監督やコーチも卑下することはない。堂々と負けを認めて再出発をすればいいのである。
スポーツはスポーツであって、命をとられる訳ではない。敗者としての振る舞いを潔くすることだ。
いまロンドンでオリンピックである。
昨夜、テレビの女子体操の中継を見ていたら、Vaultという字に目が行った。ところがこのVaultなどという語は知らなかったので、座っていた机の上にある英和辞典を引いてみたら、跳躍とあった。
すなわち、体操競技の跳馬のことであった。そして続いてみていたら、pommel horseというのがあった。pommeなら知っているが、pommel というのは知らない。それでまた辞書を引いてみたら、馬の鞍の前の方の飛び出した部分のことをいうらしい。
それで、これが体操の鞍馬を意味することがわかった。放送の中で解説者が馬の鞍の飛び出したふちのところをpommelというのだと解説をされていた。そういえば、体操競技の鞍馬には二つの金具というのか取っ手というのかがある。これは本当の馬の鞍のpommelを模したものであろう。
ということで、テビを見ていて少し賢くなったのだが、徒手体操だとか吊り輪だとか鉄棒だとかは英語ではなんというのだろうか。
ちなみにpommeはフランス語でりんごのことであり、pomme de terreとは「地のりんご」すなわちジャガイモのことである。
高校野球愛媛県代表に今治西高がなった。
ノーシードだったからまさかと思っていたが、あれよあれよという間に勝ってしまった。まあ、OBとしては喜ばしいことではあるけれど。
優勝戦は少しラッキーなこともあったが、それも実力の内だといってしまえばそうかもしれない。
試合の後の監督インタビューでアナウンサーが聞いていた。
「試合後に選手全員を集めて話をしていたが、何を話したのですか」と聞いたら、大野監督が昨年は川之江高校はシードされてされていながら、コールドで大敗した。
それにもかかわらず今年は川之江もノーシードで決勝戦に進出してきた。それで相手のチームに敬意を払うべきだとのことを話したと答えていた。
川之江の監督が大野監督のよく知っていた人であったということもあるかもしれないが、やはり苦労をして優勝を勝ち取るような人は他人の苦労もよくわかっているのだと感じた。これは互いにそうなのであろう。
ただ、単に野球が上手であればよいかといえば、そういうことではない。確かに現役の野球の選手である時代は人生の中では短い。後の人生の大部分は元高校野球選手という肩書きだけである。
だから、長い人生をどう生きるかは別にスポーツで学ばなくてもいいが、どこかで学んでおく必要がある。
そんなことを考えた。
我田引水的にいうと、数学とか理科を学校で学ぶ時間は短いが、その後の長い人生で数学とか理科を毛嫌いしないで生きることがいかに必要かということを実感している。
先週の土曜日に「ドイツ語の特徴」という題で内輪で話をしたが、ドイツ語などわかる人はあまりいないと見えて出席者がいつもよりも少なかった。
これだって大学の第2外国語としてドイツ語を学習した人はかなりの数になるのであろうが、それをその後の人生でまだ覚えている人はごく少数であるということを示している。
大体、大学で難しくて、つまずく科目として昔から、数学とか物理と外国語ではドイツ語と相場が決まっている。だからかどうかは知らないが、このごろは大学では第2外国語の取得必要単位数が4単位と極めて少なくなっている。
「そんなあほな」などとと思う私はもう前世紀の遺物なのであろう。
昨日はたまたま気がついて小松高校と今治西高校の野球の試合があって、それを愛媛テレビ朝日で中継していたので、途中まで見た。それは9回の表の小松高校の攻撃途中で、時間切れとなったので仕事場に出かけることにしたが、その前にたまたまイチローがヤンキースに移籍するというニュースを見た。
衝撃のスポーツニュースであるが、淡々としたイチローの会見であり、夕方のニュースによるとその会見後にイチローはすぐにヤンキースに合流して、マリナーズとのゲームに出たという。
なかなか日本人には考えづらいことであるが、アメリカではこういうことが平然と行われるのであろう。それはやはりプロだから当然であるともいえる。妻なんかもこれはプロだから当然という意見であった。
イチローはオールスターゲームの休みの期間に熟考して、ヤンキースへの移籍を承諾したと語っていた。10年以上にわたって、マリナーズの主力として活躍してきたが、昨シーズンには年間の200本安打記録も途切れたが、それでもまだまだこれからもイチローは活躍をするであろう。
もっとも38歳の年齢は天才イチローの肉体にも衰えを見せているらしい。どんなに名声を博した選手でも結果を出せなくなれば、簡単に首になってしまうのがアメリカである。
給料も大幅ダウンらしいが、それでも新しい刺激を求めて挑戦するところがイチローらしくていい。いましばらくはイチローのプレーをテレビで見ることができるだろうか。
竹内洋岳さんが8、000メートルを越えた山の全14座の登頂を日本人ではじめて果たした。日本人に優れた登山家がいままでにいなかった訳ではないが、いろいろな不運によって10座を越えて登頂を果たした人が他にはいなかった。
そのジンクスを撥ね退けての快挙だという。まことにおめでたいと思う。竹内さんは世界的にはすでに27,8人の登山家がこの14座の登頂を果たしているので、「いまさらなんですけれども」と取材に答えて言われていたが、それでも日本人のもっていたジンクスにもあたるものを退けた意義は大きい。
竹内さんは41歳とかで私の子どもくらいの若さである。これからも活躍を祈りたい。