物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

breakdownとは

2014-02-27 13:32:50 | 外国語

昨夜だったか一昨夜だったかは忘れたが、breakdownという語が実は見積もりの「内訳」という意味だと知った。

これはNHKのEテレの「ジョブ基礎英会話」に出てきたので初めて知った。子どもが中学・高校で使っていた学習英和辞典をコタツの上にいつも置いてあるので、とって引いてみたが、これには内訳などという訳語は出ていなかった。

しかたなく、岩波の英和大辞典を引いてみたら、さすがに第4番目の訳語の最後の方に明細とか内訳とかの訳語があるのを見つけてほっとした。

breakdownは電源がブロークダウンしたときにも、体を壊すとかいう風にも使うだろう。そういう意味がはじめ方にあった。ちなみに見積もり書はestimateというらしい。

ついでに、理由をのべるときのsinceの用法では時間的な意味が陰に陽にあるのだという、ある英語を母語とする人の主張をいつか書いたが、これはなんの機会だったかインターネットかどこかで読んだ英文ではsinceが普通のbecauseのように使われていると思われる文章があった。

あまり注意して読んでいないので、上の注意が正しくあたっているのかもしれないが、私にはそれには従っていないように思われた。英語もなかなか一筋縄ではいかない。


交響曲Hiroshimaの評価は?

2014-02-27 13:14:31 | 音楽

現代時評かなにかで高橋さんが今朝の朝日新聞で書いていたことの中に表題の音楽に関係すると思われる、話が出ていた。

ピアニストの森下唯さんのブログ(http://www.morishitayui.jp/samuragochi-niigaki/)に「より正しい物語を得た音楽はより幸せである」というタイトルらしいが、つぎのように書いてあるとのことである。

(引用はじめ)私は、純粋に(どんな付帯事項もなく)音楽を聴くことは不可能だし、そんなことを目指す必要もないと考えている。「彼」の「作品」は薄ら寒い「物語」を背負っているにもかかわらず、丹精込めた「工芸品」のように聴こえ、初めは違和感を感じていた。事実が明らかになった後、感じたのは、ふだん報われることのない現代音楽作曲家がある拘束の中で、想像力を解き放ったという「より正しい物語」の中でこそ、よりよくその曲を理解できるということだった・・・。(引用終わり)

この意味するところがわからなかったので、妻に読んで聞かせたが、妻は真実がわかって曲がすなおに聴くことができ、評価できたという風にとっていた。

私にはこの文章の意味を正確に理解できていない。妻はすぐにスマホで検索して交響曲Hiroshimaの一部を聞かせてくれた。私にはその曲が悪いとは思わなかったが、妻は少し古くさいようだと言っていた。

最近STAP細胞の報道で驚かされたが、それを批判する報道も出て来ており、そういうインターネットのサイトもあるらしい。こういうことは素人には判断がつかないことなので、コメントはさけるが、他の実験者の追試がもうされていたのだと思っていた。

ところがそこら辺がまだはっきりしない。特に難しい実験かどうかは知らないが、短時間で成否が決まるはずなので、いずれ結果の成否はわかるであろう。

私はSTAP細胞が疑惑とかとは無縁な確かな成果であったとしても、それの目鼻がつくのは10年とか早くても5年くらいはかかるだろうと述べた。そういうものであろう。

私たちはマスコミとは違うので、別に熱くなることはない。冷静であることが必要である。


ドイツ語での失敗

2014-02-26 16:07:19 | 外国語

昨日、友人のR氏が先日手術をして病院にいるので、お見舞いかたがた出かけた。

R氏と二人きりでいるときはドイツ語で話をするというのが通例となっている。別に二人でこんなことを申し合わせたわけではないが。

このときに、あることを話していたときに大きな間違いをしてしまった。間接疑問文のときにobで始まるということをまったく思い出せなかった。おかしな話し方だと思ったのだろう。「すぐにobを使うのだよ」と指摘してくれた。

obを使うということを私が知らなかったわけではないが、これはあくまで机の上の知識でそれが使えるようにはなっていなかったということだ。

こういう恥ずかしい話をいくつか私は持っている。いつだったか日本語の女子学生を直訳して、女子Frauと訳し、学生は男性名詞のStudentを使ってFraustudentと言ったことがあった。

そのときには日本人のドイツ語の先生のMさんもいたのだが、Mさんが後でStudentinと言っていたので、ああそうだったとやっと思い出した。

また、あるときには女子高校のことをFrauenschuleと言ったら、ドイツ人の女性がその意味は分かったらしくて、M"adchensschuleと言い直してくれた。

また別のあるときは大学で男子学生が女子学生とつきあいたがっているというのにumgehenという語をつかったことがあった。

そのときも相手はドイツ女性であったが、umgehenは場合によってはセックスをするという意味もあるが、もちろんそういう意味で言ったのではないとわかっているので、後で女性と「知り合いになる」という意味で、kennen lernenという言い方をされていて、なるほどkennen lernenはそういう使い方をするのだとようやくわかった。

この場合だってkennen lernenという言い方を知らないわけではなかったのだが、そういうときに使うという風には頭が働かなかった。

ちなみにumgehenとの関連語としてUmgangspracheという言葉がある。日常語とか口語とかの訳が辞書に出ている。Umgangには交際という意味がある。

後の3つ間違いは決定的な間違いかどうかは知らないが、どうもこういうへまをいつもしている。

だが、こういうへまができるというのもある程度ドイツ語が話せないとできないなどといつもあまり自己反省をしないから、いつまでたってもドイツ語が上達しない。


絹をどう使うか

2014-02-25 14:13:03 | 科学・技術

昨夜のNHKのTEDカンファランスのスーパープレゼンはFiorenzo Omnettoという明らかにイタリア系のアメリカ人と思われる人の話であった。(Omlettoという名前かと思ったが、ちがった)

蚕の絹をいかに広く利用できるかの一端をFiorenzoが話してくれた。そちらの方は意外な利用法があるということだが、ここでとりあげる話からは省く。

そのプレゼンの後で伊藤穣一さんが現在の仕事や研究のありかたを示唆していた。

それは仕事はartist, scientist,designer, engineerの4者が共同して進めれれば、うまく仕事がいくことが考えられるが、artist, scientistは相性がいいが、artistとengineerとはあまり相性がよくないとか、designerとengineerとは相性がいいが、scientistとdesignerとは相性が悪いとかであった。

だが、そういう一般的な相性のよさ悪さがあるのだが、最近ではそういった枠を超えた人材も育っているという。もちろんそういう才能をもった人はまだ圧倒的に少数ではあろうが、それでもそういう枠にはまらない人材が育って来ているらしい。

このスーパープレゼンで一つだけ語学的に学んだことは「まゆ」をcocoonということだった。


iris大山の試み

2014-02-25 13:54:43 | 社会・経済

昨夜のNHKの「仕事の流儀」の放送でiris大山の大山社長の社訓とか業績とかでいくつかのメモをした。

(1)パソコン業務は続けては45分までしかしてはいけない。これはパソコン業務からはアイディアは生まれないと考えている。

(2)通常業務用の事務机が社員用にあるのだが、パソコン業務はパソコンがそろっている席でする。そこでする業務は45分以上続けてはならない。

(3)社員の机は整理整頓せよ。もし整理整頓できていなければ、その人の頭が整理整頓できていないことを示している。(これには私などは耳がいたい)

(3)社員は家族のように時には厳しく、また時には暖かく。

(4)起こってしまったことは変えようがない。それにいかに対処するしかない。

(5)できてから2年以内の新製品が売り上げの4割を占める。

社訓というか社長の座右の銘とか事実とかの混淆物だが、メモである。

確かに、いろいろと文章の入力をするという作業を私も延々とすることが多いが、そのときにあまりアイディアが生まれたという気はしない。アイディアの大部分は朝方の夢うつつのときのことが多いような気がする。


「ドイツ語圏とその文化」2号発行

2014-02-25 11:00:39 | デジタル・インターネット

「ドイツ語圏とその文化」2号発行しようとして昨夜最後の読み返しをしていたら、「参加、寄稿、購読」という語の内で参加が不要なのではないかと思い出した。

それで今朝そういう話を妻にしたら、やはり参加という語があった方がいいのではないかという意見であった。

気分としては参加という語でぼんやりとしたこのサーキュラーに対する関与を意味していたのだが、よく考えると寄稿するか購読するかぐらいしか意味はないのではないかと思った。

ところが、妻はいう。寄稿をするわけではないが、ちょっとした意見をいうのも参加にあたるのではないか。

それで結局「参加」という語を残すことにした。なんでもなかなか難しいことである。


線形補間から球面線形補間へ

2014-02-24 13:19:57 | 数学

「線形補間から球面線形補間へ」へと導く、いい導出法があれば、いいのだがと最近考えている。

線形補間はこれはもちろん昔から知られているが、球面線形補間は1985年にShoemakeが考え出したとインターネットで知った。

線形補間をベクトルに関して行うと、もちろん2つのベクトルの先端を結ぶ直線上にベクトルの先端が来るようなベクトルをはじめに与えられたベクトルから補間で求めることである(注)。

それはベクトルの先端を結ぶ直線の式をベクトルで表示したものと同じである。ということでk_{0}=1-tとk_{1}=tという関数でこの補間の式は特徴づけられる。

線形補間と球面線形補間とは球面線形補間ではベクトルの大きさが一定という条件がついているところがちがう。

直観的にいうと、球面線形補間とは同じ半径の球面上に原点からのベクトルの先端が動いているときに、2つのベクトルを与えてその中間のベクトルを補間して求める方法である。

それで、k_{0}=sin (1-t) theta/ sin theta, k_{1}=sin t theta/ sin thetaと変わる。もちろんtheta または t が小さいときには球面補間関数は線形補間の式に近づく。

私の問題としたいことはつぎのことである。線形補間の式からできるだけもっともらしい議論で球面線形補間式を導き出すことはできないか。

結果を知った後では、上に与えた球面線形補間の式は一義的であるように思えるが、知らないとすれば、それは一義的であったのだろうか。

実は球面線形補間の式の導出を書いたものはないかとこの半月ほどいろいろ調べたのだが、確かにいろいろの導出法があった。

それらはどれも間違いのない、導出法ではあるが、線形補間との関連を考慮されて導出されてはいないように思われる。

一番初めに私が参照したのは金谷一朗さんの『ベクトル・複素数・クォ―タニオン』であったが、この説明が十分に理解できなかった。私なら一つのベクトルに直交するベクトルを求めるのにGram-Schmidtの直交化法を用いる。

それを用いて求めた式が金谷さんの与えている式と同じ形となるとは到底そのとき思えなかった。ただ、金谷さんの直交ベクトルのつくり方はGram-Schmidtで求めたものとよく似ていることには気がついていた。

あとから考えれば、私がGram-Schmidtの直交化法で求めた新しいベクトルをはじめに与えられている2つのベクトルで表しさえすれば、金谷さんの与えた式と一致したはずであった。

球面線形補間の式を求めることはいくつかの方法で理解できたが、いまでもわからないのは線形補間から球面線形補間へともっともらしく求める方法を示すことである。

言い換えるとk_{0}=1-tとk_{1}=tという関数をベクトルの大きさ一定という条件があれば、一義的にk_{0}=sin (1-t) theta/ sin theta, k_{1}=sin t theta/ sin thetaとなるということを示せないか。もちろん t またはthetaが小さいときには両者が一致するという条件がある。

他に可能性はなさそうだが、しかし他には可能性がないと言い切れないと困るのではないかと思っている。

はじめて球面線形補間を考えたShoemakeはこの線形補間との関係をどう考えていたのだろうか。

(注)このときのベクトルは始点を自由に移動できるベクトルではなく、始点が原点に固定されたいわゆる位置ベクトルに対応した始点が固定されたベクトルである。

(2014.4.24付記) 4月21日付で発行した『数学・物理通信』4巻2号に「四元数と球面線形補間」のタイトルで現在私の知りうる限りの知識と理解について述べた。

だが、金谷さんの『ベクトル・複素数・クォ―タニオン』に出てくる球面線形補間の説明はまだ十分に理解ができていない。

いつかこの点については金谷さんご本人に計算の詳細等をお伺いをしたいと考えている。

(2016.5.17付記) 線形補間と球面線形補間の関係を詳しく述べたのは私の「四元数と球面線形補間」の記事であるが、これはすでに『四元数の発見』(海鳴社、2014)に収録してある。

本を購入する経済的余裕のない人はもちろんインターネットで見たらいいが、少し経済的に余裕がある人は上記の著書は自分でいうのははばかられるが、今まで世界中にどこにもなかったような本で、高校程度の数学の計算が達者な人ならば、だれでも読める本であるし、定価も2000円と高くはないのでお買い得な本である。ぜひ購入することをお勧めする。

だれもこの本のことをほめてはくれないのだけれども、それだけ四元数はマイナーな分野なのであろう。将来英訳をして世界で読んでもらえるようにしたいと思いながら、まったく手がついていない。

(2016.12.28付記) このブログ「線形補間から球面線形補間へ」は2年以上前に書いたブログであるが、ときどき参照されるらしい。

球面線形補間について学ぼうとする人が結構多いということでもあろうか。「数学・物理通信」の球面線形補間のエッセイを見るか、『四元数の発見』(海鳴社)を参照してほしい。これくらいわかりやすく書いた記事は他にはないはずである。というのは少なくとも私はそういうモノがあるか知らないからである。

(2022.6.3付記) 金谷一朗さんの示した方法の意味がようやくわかった。今すぐにはこのことを「数学・物理通信」に発表できないが、9月には発表できると思う。

要するにあるベクトルに垂直な大きさ一定のベクトルは金谷流で求めてもGram-Schmidtの直交化法で求めたベクトルと一致することをようやく示すことができた。

すでに金谷さんがこの説明をどこかでされているのかどうかは私は知らない。金谷流の方法でもあるベクトルに垂直な大きさ一定のベクトルは求められるが、手続きが面倒であるから、やはりお勧めはGram-Schmidtの直交化法を用いるのがよいと思う。

(2022.6.10付記) 上に書いた金谷一朗さんの示した方法の解説の原稿をだいぶん書いた。手がき原稿であと1ページを入力すれば、原稿の一応のできあがりである。これは金谷さんの文章から外れての私なりの彼の元の説明の解説であるが、もう少し金谷さんの書かれた文章に沿ったことを付録としてつけておいたほうがいいかもしれないと思っている。

これは私の意図としてはよくわかるようにという意味であって、金谷さんを貶めるとかいう意図はまったくない。だが、そういうことをあからさまに書くとやはり、わるくとられるであろうか。ちょっと考えなくてはならない。
書かれる人の立場にも立たなくてはいけないので。

(2022.11.11付記) 2022.9.9日発行の「数学・物理通信」12巻5号に金谷(かなや)さんの方法での球面線形補間の導出について書いた。

これは私の『四元数の発見』(海鳴社)の本の第10章の球面線形補間の章を補足する記事である。ここには世戸憲治さんからご教示いただいた、まったくわかりやすい球面線形補間の導出にも触れている。

インターネットで「数学・物理通信」を検索して読んでみてください。名古屋大学の谷村先生のサイトにバックナンバーがあります。

このブログの項目は少なくない人の注目をもたれているらしくときどきブログを読む方が来られるので、最新の情報をこの項目でときどき補足をしている。

(2023.4.21付記)
このブログのタイトル「線形補間から球面線形補間へ」とは関係がないが、「球面線形補間」の式の導出をEric Engel (狩野智英訳)『3Dグラフィックス数学』(ポーンデジタル)72-75で読んだ。

わかりやすく書かれているが、p.75の上から1行目に「図3.10(a)に示すように相似三角形をつくれば、・・・」と書かれているが、実は図3.10(a)と(b)とには相似三角形は描かれていない。その後の版で描かれているのかもしれないが、初版9刷までは描かれてはいない。

ここはちゃんと考えを補充して、それぞれの図に補助線を一本ずつ描いて相似三角形を描いて、理解するようにしたい。どういう補助線を引けばよいかはちょっと考えるとわかるであろう。老婆心ながら付け加えておく。

Want to help ? Shut up and listen !

2014-02-22 13:14:06 | テレビ番組

もういつのETVの放送だったかわからないが、TEDカンファランスで上記のタイトルの講演があった。

要するに、もし人を助けたいと本当に思うなら、助けをほしがっている人がしたいことを黙って聞けという。

これはアフリカとか他の国の人々を助けることに業績をあげている、あるイタリア人の人の話であった。

若いときに7年ほどどこかアフリカの国に出かけてそこの人々に農業を教えようとした。まるまると大きい立派なトマトができたという。

ところがその収穫をする前にカバの大群がやって来て、そのトマトを食べてしまった。土地の人に「なぜ教えなかった?」と聞いたら、「聞かれなかったから」と返事があったという。だから、土地の人が農業をしないのには訳があるとわかった。

そういう失敗続きの7年後には、酒場でだれかと一緒に飲んでいるときにその人の悩みを聞き、どこかで個人的に出会ったときに、相手の言うことをよく聞き、相手のしたいことを助けるというやり方をとったという。

ほんとに何かをしたいと思っている人は集会に来て、こんなことをやりたいとは絶対に言わないという。だってそれが本当にいいことだったら、他の人にそれをやられてしまうから。

経済学者のシューマッハーの書で読んでそれから援助のヒントを得たのだという。それは文句は忘れたが、相手の欲していることでないと意味がないとか、役立たないというような文句であったと思う。

もっとも現状から抜け出したいと思っている人はどこにも必ずいるのだという。そしてその人の言うことに耳を傾け、その人のやりたいことの助けになるような人を紹介したり、仲介したりしていくうちに大きな仕事ができあがっていくのだという。

伊藤穣一さんはこの講演の後のsuperviewでこういうのが最近のdesignerだと言っていた。

私たちはデザイナーというとファッションモードの新モードをつくる人というイメージしかなかったが、そういうイメージは間違ってはいないまでも狭い意味だという。

伊藤穣一さんによれば、designは

1)  user-centric design (ユーザー中心型デザイン)

2)  paticipating design (参加型デザイン)

3)  co-deisgn (共用デザイン)

の3種類があるのだという。

これは援助のあり方としても新しいが、これをサービス産業とか企業でも使えるのではなかろうか。

商売とか技術の現場に行ってすぐに自分の会社の利益に直結しないことでも話を聞いているうちに相手の希望とか、やりたいことを援助できて、それがその相手の利潤につながり、かつ、それがまわり回って自分の会社の利潤にもつながるということがあれば、そういうつながりは長い、いい関係になる。

もっともそういう関係をよしとするような経営者がいまどきいるのかどうか。すぐに利益が上がらないとすぐにその部署をなくしてしまうことを考える経営者でないことを望む。

それがどうしようもない部門なのか現在は利益があがってはいないが、独特の取り組みをしている部門で将来性がおおいにあるのかを見抜く力が経営者には必要であろう。

要するに現在の数字としての会社の利益だけを見るのではない度量があるのかどうか。


Feynmanの積分法

2014-02-21 14:33:31 | 数学

ストロガッツ『ふたりの微積分』(岩波書店、2012)を購入した。

アマゾンの書評で「積分記号下での微分」について書いてあると読んだからである(注)。

n!の積分表示である、x^{n}e^{-ax}の0から無限大までの定積分について書いていた。他にもたくさん例があるのかと思ってこの書を購入したのだが、ちょっとこの1時間ほど探したところではこれ以外の例は載っていない。

これなら、私の小著『物理数学散歩』(国土社)に書いた「微分をして、積分を求める」のエッセイの方が「積分記号下での微分」についての例が多い。

もっとも『ふたりの微積分』はもっとちがったテーマを扱っているので、この「積分記号下での微分」での記述が少ないからといってこの本の価値が減じることはない。

Feynmanは「積分記号下での微分」をWoodsの”Advanced Calculus" (Ginn,1926)で学んだおかしな積分法という風に『御冗談でしょう、ファインマンさん』(岩波書店)で紹介している。私が「微分をして、積分を求める」というエッセイを書いたのもファインマンの本を読んで感銘を受けたからである。

そのWoodsの著書のタイトルとか出版社等の書誌情報が出ていたので、出所がわかった。

この『ふたりの・・・』によればこの書の141-163ページが「積分記号下での微分」の記述にあてられているとあるから、大学の図書館に頼んでこのコピーを取り寄せてみようか。

試みに日本の古書店でこの書を売っていないかと調べたら、どこかに1冊だけあったが、1万円の高値がついていたので、その購入はあきらめた。私が30歳代だったら、購入したかもしれないが、70歳半ばのいまではあまりに遅すぎる。379 pageの大著である。

(注)「積分記号下での微分」を「Feynmanの積分法」と名付けたのは私である。正式の名前があるのかもしれないが、私は知らない。

よく読んだら、e^{-ax}sin x/xの0から無限大の定積分も例として挙がっているようだ。もっともその計算法の言及は簡単なもので詳細な計算はない。

(2018.1.8付記)「数学・物理通信」7巻9号と10号に「積分記号下での微分」による積分について書いた。これは以前に書いたエッセイの修正版とか新しいエッセイである。この分野の手法に関心のある方々はインターネット検索でこれらの記事を読まれたらいい。もっとも「数学・物理通信」7巻10号はまだ谷村さんがアップして下さっていないかもしれない。少なくとも近日中にアップして下さるであろう。

(2018.9.27付記) その後、E大学の図書館の書庫にWoodsの”Advanced Calculus"があるのを知って借り出して、コピーをとった。もっともコピーを取ると安心してそれをもっと読もうという意欲が薄れて困る。

(2023.6.28付記) ここで「Feynmanの積分法」と表しているエッセイは、「数学・物理通信」7巻9号と10号では、そのタイトルはすべて「微分をして積分を求める」1,2,3である。たとえば、googleの検索で「数学・物理通信」と入力して検索すると、名古屋大学の谷村省吾先生のサイトにたどり着くからそこで目次を見て当該のエッセイをご覧ください。

いつも谷村先生ご尽力ありがとうございます。



「ドイツ語圏とその文化」2号余話

2014-02-21 11:08:40 | 日記・エッセイ・コラム

そろそろ「ドイツ語圏とその文化」2号を発行したいと思っているが、まだ発行をしていない。その編集段階で経験したことを書いてみよう。

創刊号を読んだ、ある読者の方から英語のタイトルと目次をつけることを提案された。

それで「ドイツ語圏とその文化」をGerman Speking Areas and thier Culture (ドイツ語タイトル: DACHL und ihre Kultur)と訳をつけてみた。それを読んで共同編集者のR氏がこのタイトルの前に定冠詞のTheをつけてくれた。

それで思ったのだが、私には定冠詞とか不定冠詞をつけるという感覚がまったくないということであった。

どうもそれだけならまだいいが、これはまったく「ドイツ語圏とその文化」とは関係がないが、日本語で書かれた文章とか短文を外国語で表現しようとするとき、過去だとか未来だとかの時制の感覚がなくていつでも現在形で表現しようとする。そういう欠陥を私の外国語の能力はもっている。

季節が季節なので2号にファスナハト(カーニバル)について書いたが、このときにファスナハトは北ドイツの方にはないという感覚もなかった。

この事実を知らないわけではなかったが、私の書いた文ではそのことが明瞭ではなかったので、R氏がそのことをコメントしてくれた。それでそのR氏のコメントのドイツ語と日本文をそのままとりいれた。

もっともR氏は彼のコメントを取り入れて日本語で文章を私がそのことを書くと期待したらしかったが、それは面倒だし、いろいろな人の個性が出た方がおもしろいので、彼のコメントをそのまま取り入れて、記事は共著となった。

人は他人の失敗とか秘密を知ることは本来の性質として好きだと思うので、わざと好奇心をそそるためにこぼればなしを書いた。

(注:「ドイツ語圏とその文化」の購読法) 

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「ドイツ語圏とその文化」2号

2014-02-20 12:01:03 | 外国語

1月末くらいから準備してきた「ドイツ語圏とその文化」2号がほぼできあがった。原稿の読み直しを何回も何回もしているのだが、そろそろ読み直すのに飽きてきた。

もっとも昨日まで読めばそのときに文章のあいまいなところにいつも気がついて直してきた。

よく、インスタントラーメンのCMに「ますますおいしくなりました」という文句があるが、あれに似ている。自嘲気味に妻に「またまた文章がよくなったよ」と言っている(注)。

妻も心得たもので、「あ、そう」とか相槌を打ってくれるが、多分いつものこととあきれているのだろう。

けっきょく、1回の読みではなかなか自分の書いた文章の不備に気がつかないので、何回も何回も読まなくてはならないということなのだろう。

いつももう今回の読みで完璧だと自信満々なのだが、それでももう一度読んでみようかと読んでみるといつもどこか文章の悪いところが見つかるというだらしなさである。

高林武彦さんという科学史の分野でも著名な素粒子物理学者がおられたが、彼の書く文章は名文でほれぼれするようなものであった。これは私が主観的に言っているだけではなく一般に定評がある。

ただ、これは書いた文章についてであって、いつだったか高林さんを大学の集中講義に呼ばれたらどうですかと大学院生のときにO教授に言ったら、即座に「高林さんの話は聞いても何を言っているのかわからないのですよ」と即座に否定された。

「高林さんの文章は名文ですばらしいが、多分文章は推敲を何回もされているのでしょうね」とのことであった。高林さんの書いたものはすばらしいが、講義はあまり上手ではないということらしい。

別に高林さんに倣ったわけではないが、私の講義がわかり難いというのも定評があった。学生から「なにがなんだかわからなかった」とよく言われたものである。

自分ではよく考え抜いて講義をしていたつもりだったが、相手の数学の知識のレベルとかを考慮していなかったのかもしれない。もっとも私は初等的なことから話をはじめたつもりであったが。

これはE大学を定年になった後にM大学で非常勤講師を務めたときに、女子学生が自分の友人のE大学生に聞いたところでは「あの先生は熱い」人だと聞いたと感想に書いてあった。

ただ、「熱い」ことが学生に必ずしも有効に作用したという感じでもなかった。ただ、そういう感じだけは感じとられたのであろうか。

(注) 昔、読んだ「日本の技術者」(勁草書房)に「いくらインスタントラーメンがうまくなっても生のラーメンの味には及ばない」というインスタントラーメンの製造に関与している食品技術者の述懐があった。


昨日のブログは

2014-02-19 12:03:18 | インポート

昨日のブログは単に書くのを忘れたのである。他に他意はない。

昨日は「球面線形補間」のことをインターネットで調べており、そちらの方に夢中になっていてブログを書くのを忘れた。

「球面線形補間」についてはインターネットだけでなく、すでにいくつかの書籍も見ているのだが、それは少なくとも日本語で書かれたものは少ない。私のもっている本では2冊だけである。

だが、インターネットではいくつかこれについて書いてあるものを見つけた。その説明もいろいろである。これのレビューをしたいと思っている。

「球面線形補間」というのだから、補間と関係しているとは思うが、私が今まで知っていた補間とはインターネットの補間の記事を見る限り、あまり関連付けて書いてあるものは見つけられなかった。

補間の元々の起源はコンピュータがまだ発達していない時代の関数値の補間であろう。関数の数表に出ている数値はもちろん「とびとび」であるから、その間の数値を求めたいときに補間法が使われた。

現在の高校数学で教えられているかどうかは知らないが、私などが55年以上昔には高校数学で対数関数の値を線形補間で求める方法を学んだ。三角関数でも補間は必要であったろうか。

だが、現在では関数電卓が発達していて、実際に関数の数表から補間法を用いて求めることなどなくなったと思う。

もっとも実験で得られた実験値の間の値を推定するということはいまでも必要かもしれない。このときにはスプライン補間が有効である。

スプライン関数については私の旧著『数学散歩』(国土社、2005)でそのやさしい説明を試みたが、この書は現在は品切れである。重版の予定などはまったくないので、関心のある方は図書館でこの書を探すか、google booksで読んでみてほしい。

『物理数学散歩』(国土社、2011)を編纂したときには、『数学散歩』のこの部分は入れなかった。あまりにディテールになると思ったので。


MIT白熱教室2

2014-02-17 13:59:49 | 物理学

先週の金曜の夜11時からのルーウィン先生の2回目の講義があった。力学の2回目の講義でこれで力学は終りらしい。

物体の自然落下が取り扱われていた。なかなかデモ実験が含まれており、興味深々であった。

もちろん、これで力学が直ぐにわかるわけではないだろうが、少なくとも初めから食わず嫌いになることはなくなるかもしれない。

ストロボ写真をとってボールの落下を観測させたり、おもしろい。3.2mほどの高さから落としたボールが何回ストロボで見えるか。これは時間にして0.8秒とかだからなかなか肉眼では見えにくい。

ストロボ写真によると7回ボールが見えており、それからボールの落下速度がわかる。それによるとその速さは v=gt である。

もしこれが時間によってボールの速さが変わるのではくて、速さが一定であるとすれば、 t 秒後には進む距離は vt である。これは縦 v で横の長さが t の長方形の面積である。

ところが物体の自然落下の場合には時刻 0 では速さは 0 であるが、時刻 t では速さはgt となっている。これは原点を通る傾きが g の直線で表される。

そして、このときの落下距離は(1/2)gt^{2}となる。これはグラフ gt の下で時刻が 0 から t のときまでのグラフの下の面積であることからわかる(注)。

もっともこういう説明でどれくらい一般の人がわかるのであろうか。積分の概念を教えて、それからこういう話をするというのが私がM大学に非常勤講師として教えに行っていたときにとった方法であるが、それを見事にスキップして話を進めていた。

なかなか積分も微分も教えないで一般の人に物理を教える一つの例として参考になった。

慣性の法則を実験して見せたところとか、モンキーハンティングの実験とかも面白くて、これは私たちにはこのようなデモ実験は見せられないので、うらやましく思った。

(注) このことを妻がわかったかどうか知りたいと思って、コタツに入ってこの放送を見ていた妻の方を振り返ったら、コタツの暖かさのせいかこっくりこっくり居眠りをしていた。

はじめの落下物体の速さが 0 で、時刻 t のときには速さが gt であるから、平均では一定の速さ (1/2)gt でそれに時間の t を掛ければ、(1/2)gt^{2}となると説明をしてみたが、妻はまったく聞いてはいなかった。


インターネット復活

2014-02-16 18:41:46 | デジタル・インターネット

ウインドウズ8.1にupgradeしたら、途端にインターネットが使えなくなってしまった。

マイクロソフトは罪なことをする。しかたがないから、ここ数日ブログもお休みになった。それが先刻Edionのサポートの人に来てもらって復旧をしてもらった。これが結構費用がかかった。

もしウインドウズ8.1にupgradeしようと思っている方はupgradeをできるだけ避けた方がいいと思う。

サポートの人が言うにはうまくいかなくてもカスタマーの自己責任なのだそうである。私たちのような個人のユーザーは訴えることもできないが、企業だったら、訴えるのではなどとサポートの人に話したら、そういうことがはじめのどこかに書かれているとのことである。

それはそうかも知らないが、責任を少しは感じてほしいものである。


オリンピック

2014-02-13 11:32:10 | スポーツ

オリンピックファンの方には申し訳ないが、あまりオリンピックに関心がない。

もっともいままでのところ思ったほどにはメダルが取れていないらしいので、マスコミも思ったよりも静かである。

昨日三つほどメダルをとれたらしいけれどマスコミがあまり騒がしくするのは好きではない。そういう醒めた目で見ることがいいとは思わないけれど、それが自分の性質だからしかたがない。

ちょっとテレビでカーリングの中継を見たけれど、それぞれにテクニックとか作戦があるらしい。カーリングという名も知らなかったが、カーリングという遊びがあるとしたのは1977年1月に家族でミュンヘンに出かけたときに、市内の小さな川面で水面が凍っていて、そこでカーリングをしているのを車でその川の橋を渡りながら見たのがはじめである。

そのとき何をしているんだろうねと家族で話し合ったのだが、それがカーリングだった。

オリンピックの種目にはならないが、ペタンクという遊びをしているのを見たのは1976年8月にスイスに出かけたときであった。

ジュネーヴの郊外に宿を見つけようとしたときに街道には宿を見つけられなかったのだが、フランスに入って街道のホテルでフランス語で宿の部屋が空いていないか聞いたときに、自分のところは空いていないが、兄弟のホテルが空いていると電話で確かめて紹介してくれた。

それでその宿に行ったのだが、その宿の玄関先の庭で夕方数人が集まって楽しんでいたのがペタンクだった。テレビではペタンクを見たことがあったが、実際にペタンクをして遊んでいるのを見たのはこれはじめだった。