流れ的に言えば「若冲展」の感想を書きそうなものですが、その前に5月16日の日の日記を書きたいと思います。(告別式の事に触れていますが詳しく書いたものではありません。すみません。)
この日、私は日中ほとんど…いえ、まったくテレビを点けませんでした。
こう書くと、きっとこの人は悲しい映像を見る事を避けたのかと優しいお気持ちで思ってくださる方もいらっしゃるかもしれませんが、実はそうではありません。この昼間テレビを点けないのは、この数か月の私の習慣なのです。
この習慣ゆえに、タイムリーで流された蜷川さんの告別式の様子を見る事もなかったのです。
夕方、ツイッターにてその事を知りました。
「ああ、そうだったか。」とは思いましたが、知っていてもテレビを点けたかどうかわからない事だなと、私は思いました。
やはり一人で、それもテレビで告別式を見ると言う事を、私はしようとしたかなと言うような気持ちがしたからです。
その後夫が帰って来ると、夫=テレビなので、すぐにテレビが付きました。すると夕方のニュース番組で藤原竜也さんの弔事が流れてきました。私はその時、夕方からの仕事の為に急いで夕食の準備をしていた所でした。だから包丁を持ってネギを刻みながら、背中で彼の言葉を聞いていました。
だけど包丁を持ったまま、リビングにフラフラとやって来て、私は思わず言いました。
「泣ける~。」
すると夫は振り向きもせず
「だなあ。」と一言しみじみと言いました。
心は多角経営。
悲しいと思いつつ、私はなぜか夫の一言が嬉しくも感じたのでした。
夕食を作り終えると、私は急いで夜のお仕事に(注:お水の花道ではありません。)。
その日の9時半になる前に、茨城を震源地とした大きな地震がありました。
お仕事の場所で
「あっ、地震だね。」とある人が言い、言ったとたんにさらに大きく揺れ始めました。
既に揺れているのに、スマホの警報が鳴りました。
あの「ぎゅう―んぎゅーん」と言う警報の音は、恐怖心を増す嫌な音ですよね。
同じくバイトをしている大学生の女性が、すこぶる冷静に扉を開け落下物に気を付けるようにみんなに声をかけていて、その時は何も思いませんでしたが、後になって冷静になると、その人はなんて素晴らしい人なんだろうとしみじみと感心してしまいました。
それに比べて、私なんかは
「ちょっと怖いですね~。」などと言い、もしかしたら一番動揺していたのではないかと情けなく思いました。
地震はいつ来ても怖いものですが、やはり外にいる時に来ると、不安も大きく感じるものだなと思いました。
家に帰ってからも、その地震の話になりましたが、猫のもも吉は全く動じていなかった模様。ただあんずはとっても不安がっていたみたいで、抱いてあげたら、ようやくホッとしたみたいだと夫が言いました。
子はかすがいと申しますが、飼い猫なども十分にその役目を果たしていると思います。
5月15日、じっとカレンダーを見ていて、その日は藤原竜也さんの誕生日だなと気が付きましたが、ふともう一つの事にも気がついたのです。
「パパさん。知ってますかね。明日は結婚記念日なんですよ。」
すると夫はわざわざあんずを抱いて言いました。
「にゃんと結婚記念日なんですってよ~、あんずちゃん」と。
うちら夫婦は、この結婚記念日にはかなり鈍感です。
たぶん、二人とも「この人と結婚できて、チョー幸せ。」なんて思ってないからだと思います。別に違う人と結婚したかったと言うわけではなくて、これもたぶんですが「自分と結婚できて良かっただろー。」ぐらいにお互い思ってるんですよ。
別な言い方をすれば、似たもの夫婦なのかも知れません。
それで私も言いました。
「あんずちゃん、あのね。世の中には腐れ縁と言う縁があるんだよ。」ってね。
「しかし、その腐れ縁…何年になる・・・・えっ、35年か。えーっ、35年.なんか、『腐れ縁』の一言で終わっていいのかいな。」って言ったのは、もちろん私です。
そんな「腐れ縁35周年」は、朝一番で歯医者、その後引きこもり、夕方泣いて、夜は地震で震えると言う一日でした。
だけど、数字と言う物は不思議なもので、これが34でも36でも、たぶん何も拘らなかったと思うのですが、35と言う数字だとこのままではいけないような気がしてしまったのです。
それで一日遅れで買ってまいりました。
ささやかながらケーキです。
結構おいしい・・・・・。
そこで夫が一言。
「あんずや、ホラお前の誕生日ケーキだって。」
・・・・・だからさっ、違うって!!!!