閉村して一ヶ月余りの奥三河津具村。
天竜川、矢作川、豊川水系の三つの水源を有するこの村は、人口1600人の過疎地域である。
先ず「役場前」の停留所で降りたが、役場の建物は、がらんどうとなっていた。
盆地の、どこからでも見える新しい建物が旧津具村役場新庁舎の、設楽町津具支所のようであった。そこへ向かって歩き始めた。
受付で案内資料等を頂き、その足で少し離れたところにある民俗資料館にも立ち寄った。
他の職員の人に携帯電話で聞きながら、資料館の鍵を開け、電源のコードを挿し込む。「私は初めて入りますねぇ…」と どうやら合併後、私が最初の来観者のようであった。
館内は、懐かしい展示方法、展示物が並ぶ。少しの時間ながらも、縄文時代から戦時中頃までの村の営みが垣間見えた。
津具の里を見下ろす、八十八ヶ所の弘法山に登り、その北方にある、縄文前期の竪穴住居が復元された鞍船遺跡にも訪れた。
最後に天竜川水系大入川の水に触れ、次の目的地、設楽町田口へ向かった。
(2005/11/22)
天竜川、矢作川、豊川水系の三つの水源を有するこの村は、人口1600人の過疎地域である。
先ず「役場前」の停留所で降りたが、役場の建物は、がらんどうとなっていた。
盆地の、どこからでも見える新しい建物が旧津具村役場新庁舎の、設楽町津具支所のようであった。そこへ向かって歩き始めた。
受付で案内資料等を頂き、その足で少し離れたところにある民俗資料館にも立ち寄った。
他の職員の人に携帯電話で聞きながら、資料館の鍵を開け、電源のコードを挿し込む。「私は初めて入りますねぇ…」と どうやら合併後、私が最初の来観者のようであった。
館内は、懐かしい展示方法、展示物が並ぶ。少しの時間ながらも、縄文時代から戦時中頃までの村の営みが垣間見えた。
津具の里を見下ろす、八十八ヶ所の弘法山に登り、その北方にある、縄文前期の竪穴住居が復元された鞍船遺跡にも訪れた。
最後に天竜川水系大入川の水に触れ、次の目的地、設楽町田口へ向かった。
(2005/11/22)