(愛知県宝飯郡一宮町~豊川市)
本宮山の連峰から流れ出す小さな川、土々川(どどがわ)ドンドウ川とも呼ばれる。
ドドは「とどろく」「とどめく」と同意味であり、一般的には水が流れ落ちる音の意。
近隣の岡崎市の百々町(どうど)、新城市の道目記(どうめき・どどめき)も同じ由来により名付けられたと思われる。
古代条理制の時代、土々川は農業・用・排水路的な性格が強かったと考えられる。そのため、各所に堰(せき)が設けられていた。
昭和33年(1958)の圃場整備までは、今より川幅が狭くさらに曲がりくねっていたため、出水の際はかなりの水流があったことが推測される。堰を落ちる水音が小さな川に似合わず、凄まじかったので、どんどう・どど と呼ばれるようになったのだろう。
■ 前の川
旧西原村(一宮町西原)での呼び名。西原村からみて前方に流れる川であるため。
■ 木戸西川
旧大木村(一宮町大木)での呼び名。大木木戸地区の西側を流れる川であるため。
木戸は、川の東側に位置した篠田村屋敷跡の遺構地名。
【帯川データ…(1)三次河川 (2)合流先…帯川 (3)河川種別…普通河川 (4)水源所在地…一宮町大木字小牧 (5)河口所在地…豊川市樽井町(注・昭和24年までは、現豊川市佐土町で佐奈川に合流していた。「佐土」とは、佐奈川の「佐」と土々川の「土」を組み合わせてできた地名である)】
本宮山の連峰から流れ出す小さな川、土々川(どどがわ)ドンドウ川とも呼ばれる。
ドドは「とどろく」「とどめく」と同意味であり、一般的には水が流れ落ちる音の意。
近隣の岡崎市の百々町(どうど)、新城市の道目記(どうめき・どどめき)も同じ由来により名付けられたと思われる。
古代条理制の時代、土々川は農業・用・排水路的な性格が強かったと考えられる。そのため、各所に堰(せき)が設けられていた。
昭和33年(1958)の圃場整備までは、今より川幅が狭くさらに曲がりくねっていたため、出水の際はかなりの水流があったことが推測される。堰を落ちる水音が小さな川に似合わず、凄まじかったので、どんどう・どど と呼ばれるようになったのだろう。
■ 前の川
旧西原村(一宮町西原)での呼び名。西原村からみて前方に流れる川であるため。
■ 木戸西川
旧大木村(一宮町大木)での呼び名。大木木戸地区の西側を流れる川であるため。
木戸は、川の東側に位置した篠田村屋敷跡の遺構地名。
【帯川データ…(1)三次河川 (2)合流先…帯川 (3)河川種別…普通河川 (4)水源所在地…一宮町大木字小牧 (5)河口所在地…豊川市樽井町(注・昭和24年までは、現豊川市佐土町で佐奈川に合流していた。「佐土」とは、佐奈川の「佐」と土々川の「土」を組み合わせてできた地名である)】