flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

名古屋大仏

2005-12-04 21:02:39 | 大きな仏さま
 名古屋の高台、本山(もとやま)に安座する大仏。
9年の歳月をかけ、昭和62年に造立開眼した大仏は、総高15mの青銅製である。

大仏の眼は、今話題の名古屋東部丘陵を見つめている。
  
(関連記事:岐阜大仏
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第二の余生

2005-12-04 00:22:11 | ご近所漫ろ歩き
 日も落ちた豊橋市内線に乗っていると、何やら豊橋市電らしからぬ感覚。
よく見ると先年度まで岐阜市内線を走っていた車輌であった。
乗客も「新しい電車ー」の声がよく聞かれた。

姿の無くなった電車が、身近なこの地で生き続けている…。
(写真は、夜の延伸区間を走る780形)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉田城

2005-12-04 00:12:13 | 城郭・城下町

(今橋城 愛知県豊橋市)
 昭和29年の豊橋産業文化大博覧会に際し、復興された吉田城本丸隅櫓の「鉄(くろがね)櫓」
昭和46年を最後に、今まで何故公開しなかったのか?と思う、築城500年記念の期日限定公開がされていた。
この時期、週一回の二時間だけの特に限られたスケジュール。
当時の展示物があるわけではないが、開いているという珍しさだけが先に立った。
美術博物館の分館にすれば良いのでは?観光として更に力を注いでみては?等、係りの人に問いかけてはみたが。
…然し今のままが静かで良いのかもしれないが…。

 天守を持たなかった本丸を見下ろす秋の眺め、ほの山とほの川、そして「金色島」と呼ばれる中洲が見渡せた。

 吉田城は永正二年(1506)に築城された、今橋城に始まる。
翌年には城主、牧野古白が討死し、今川氏下の戸田氏、離散した牧野氏らが入城し、牧野信成の代の大永二年(1522)に吉田城と改められた。
享禄二年(1529)には松平清康が攻め、松平氏のものとなったが、天文四年(1535)には再び戸田氏のものとなった。
 永禄五年(1562)には松平清康によって攻められ、臣酒井忠次が城代となった。
天正十八年(1590)からは、十五万二千石で池田輝政が入り、城下町の改良を行ったが、慶長六年(1601)輝政が播磨姫路移封後は、松平氏による譜代大名となって廃藩を迎えた。
  
(関連記事:吉田城平成十九年 西方陣屋 上ノ郷城 陸軍歩兵第十八聯隊跡 吉田宿

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする