flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

喚問の圧力

2005-12-14 21:16:29 | 天祐語録
“圧力”によって成り立っていると言っても過言ではない世の中。
その圧力によって社会が進化したとも言えるが、陰の世界を生み出す根元になったとも言える。
その圧力もまた、今旬の話題にもキーポイントとして登場している。
太古から権力という圧力によって形成されてきた人間社会。
そして半善半悪でしか世を渡り歩けない実情。
私も幾つかの組織の真ん中を通り抜けてきたが、その圧力によって押し出された一人でもある。
「本人を鍛えるため」という口実。
「オトナ社会の現実を知りなさい」「良いことばかりでは会社は生き残れない」
…等という私に対し聞かされてきた吐言集。
組織がある限り、このような圧力の使われ方が消えることはない。
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みたらいの石仏

2005-12-14 12:47:50 | 石のまもり

 甲州から信州入りをする。
3年振りの下諏訪駅を降りた。
原始の石器材料黒耀石の産地、和田峠へと向かおうと考えていたが、バスが廃止されてしまっていた。 
そこで先ず諏訪秋宮に参詣することとした。そしてその後ろに連なる諸神仏にも訪れた。
明治時代に祀られた大岩不動や町内最古の双体道祖神、霊神等があり、鎌倉街道ロマンと言われている。
また春宮近くにある、みたらいの石仏は、春宮の石鳥居を造る際、切り出そうとした石から血が流れ始めたため、その石で仏を造って供養し、改めて石鳥居を造ったところ無事完成し、奉納できたという伝説が残っている。
石仏の表情を見ていると、時代や国を超越したものを感じ、この辺りの独特な神秘さを漂わせているようだった。

これら魅力的な信仰物が多かったため時間が押し、付近に訪れた際に必ず寄る温泉にも入浴できなかったが、同様のリラックスを得られたと感じている。
      

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甲府城

2005-12-14 00:01:00 | 城郭・城下町

(舞鶴城 山梨県甲府市 県指定史跡 2005年9月9日訪)
 石和から、中央東線を下る。
甲府駅で乗り換えの合間、駅前の舞鶴城公園に向かった。
 甲府城は元々、武田氏が居城した躑躅ヶ館跡を天正十年(1583)徳川氏臣平岩親吉が引き継ぎ、そこで政務が行われたが、翌年から徳川家康が南方に新たな城、甲府城を築かせ、初代城代として平岩親吉を置いた。
慶長八年(1603)の徳川義直を始めとして、忠長、綱重、綱豊が入ったが、各氏の合間には城代が置かれた。
宝永元年(1704)武蔵川越から柳沢吉保が入り、享保九年(1724)その子吉里のとき、大和郡山へ転封、天領となった。
 現在は稲荷櫓が再現されているが、城下町の印象は薄く感じた。
それは、開城当時の絵図や古文書が殆ど残っていない状態にあり、印象付ける手段が乏しいのも要因であろうか。

 この後は、下諏訪へ向かった。

(関連記事:
積翠寺 要害山城 睦沢学校 武田氏館跡発掘調査 旧睦沢学校 平成二十六年

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