(愛知県宝飯郡御津町広石字御津山 1982年再訪1994年加筆)
御津山北斜面に建つ大恩寺は、飛鳥時代に百済の僧恵灌によって北側の新宮山に開創したという。その後衰退し、室町時代に下総国の浄土宗弘経寺の僧了暁によって大運寺として再興された。了暁の弟子勢誉は、徳川氏の菩提寺である岡崎の大樹寺を開創したことから、大運寺は松平氏の保護を受け、松平親忠によって現在地の御津山へ移された。更に松平広忠によって大恩寺と改められたという。天文二十二年(1553)再興された際に建立された念仏堂(トップ写真:国指定重要文化財)は平成6年に焼失したが、寛文十二年(1672)大垣藩二代藩主戸田氏信によって建立された山門は現存している。
(県文 山門)
御津山北斜面に建つ大恩寺は、飛鳥時代に百済の僧恵灌によって北側の新宮山に開創したという。その後衰退し、室町時代に下総国の浄土宗弘経寺の僧了暁によって大運寺として再興された。了暁の弟子勢誉は、徳川氏の菩提寺である岡崎の大樹寺を開創したことから、大運寺は松平氏の保護を受け、松平親忠によって現在地の御津山へ移された。更に松平広忠によって大恩寺と改められたという。天文二十二年(1553)再興された際に建立された念仏堂(トップ写真:国指定重要文化財)は平成6年に焼失したが、寛文十二年(1672)大垣藩二代藩主戸田氏信によって建立された山門は現存している。
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