(静岡県湖西市鷲津 1983年6月23日)
法華宗本興寺は、永徳 三年(1383)僧日乗が開山し、中世には今川氏や鵜殿氏によって保護された。永禄十一年(1568)徳川家康の遠江侵攻が始まり、本興寺も戦乱に翻弄される危機があったが、時の住職日梅が家康の側室であった西郡局の近親であったことから難を逃れたという。そして、後に本興寺は家康から十万石の格式を与えられ、葵の紋の使用を許された。寛永十九年(1642)には 徳川家光から六十三石の朱印を受け、以降、本興寺の住職は将軍の代替わりの際に江戸城内白書院においての将軍への謁見を許されている。
茅葺の本堂は国の重要文化財に指定されており、山門は延宝二年(1674)老中久世広之により吉田城大手門を移築したものである。
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