flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

淀城

2013-04-14 00:00:00 | 孝霊天皇流族関係記事

(京都市伏見区淀本町)
 宇治川、木津川、桂川が合流する要害の地に、元和九年(1623)松平定綱によって二条城、伏見城の材料を用いて築城されたという。寛永十年(1633)定綱は美濃大垣へ移封され、代わって下総古河より永井尚政が十万石で入城し、城下町の整備が行われた。寛文九年(1669)尚政の子尚征のとき丹後宮津へ移封、代わって伊勢亀山より石川憲之が入城した。宝永八年(1711)石川総慶のとき、備中松山に移封。代わって美濃加納よりは戸田(松平)光熈(みつひろ)が入る。享保二年(1717)光慈(みつちか)のとき志摩鳥羽に移封。代わって伊勢亀山より松平乗邑(のりさと)が六万石で入城した。その乗邑も享保八年(1723)下総佐倉に転じ、その後は同所から河野氏族である稲葉正知が十万二千石で城主となり、正任、正恒、正親、正益(よし)、正弘、正(のぶ)、正備(なり)、正発(はる)、正守、正誼(よし)、正邦で廃藩となった。また、宝暦六年(1756)の落雷により天守や建物の大半が焼失している。鳥羽伏見の戦いの際には、旧幕府軍が淀城に籠城しようとするが、新政府軍側に寝返った当藩に拒まれている。現在城跡は、京阪線及び市街地化によって著しく往時の風貌を変えているが、淀駅付近立体交差化事業に伴って、城跡及び公園の整備が計画されている。
 
 本丸跡に鎮座する、淀城稲葉氏初代稲葉佐渡守越智正成を祀る稲葉神社

 穴蔵式天守台跡
  
 本丸跡の明治天皇御駐蹕址(大坂行幸休憩所跡)

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