(愛知県岡崎市材木町)
現在は市街地である岡崎城浄瑠璃郭跡北側で、今年2月から試掘調査が行われている、集合住宅築造に伴う岡崎城外堀跡発掘調査地を訪れた。
飲食店駐車場施設撤去後、9月に入り石垣が検出され、本調査に切り替えられている。今後築造される建物の基礎底部に達する範囲まで掘り下げられた結果、外堀の北側にあたる部分、長さ約30mにわたって石垣が出土し、11月に入って「犬走」部を挟む二段式の石垣構造を成す遺構が確認された。
この石垣及び堀の位置、規模から、慶長六年(1601)本多康重入城から、五代後の水野忠重の代までにかけて行われた、城郭整備の際に築かれたものであることが、「大林寺慶安年間書上控え」文書によって分かっている。
その後西側の建物基礎にあたる部分(上部)の石垣は実測調査後取り外され、中央付近の建物基礎の杭が打たれる部分にあたる石垣は撤去された。(写真は杭予定部分より東側部分)
この日、所有者、工事関係者と、市側の検討の結果、建物基礎にあたる部分の撤去以外は埋め戻され、埋没保存されることになった。この場所での再現保存整備が成されないことは残念だが、取り外された石垣は、岡崎公園内の城跡再現整備の際、その材料に役立てられることになるという。
上段部分の下から三分の二地点に、予定建物の基礎限界を表すマーキングが施されていた。
「野面積み」に、「間詰め」が施されている。
(下段部)
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