(愛知県岡崎市岡町)
近くを東海道が通り、乙川が流れるこの地には、池野大学により城が築かれた。
近隣大平村の諸城や生田城など、この辺りの城はほとんど訪れたが、この城はまだ訪れていなかった。
城跡は、主に竹薮であり、乙川に面する北西側は平地となっているが、南東側には堀と土塁の一部が残っている。
岡城は、池野氏の後、今川氏臣板倉重定が居城したが、永禄四年(1561)松平元康らがこの城を攻略、その後元康臣河合宗在がこの城を守った。そして天正十三年(1585)家康の上洛の宿所として御殿が建てられたという。
近くを東海道が通り、乙川が流れるこの地には、池野大学により城が築かれた。
近隣大平村の諸城や生田城など、この辺りの城はほとんど訪れたが、この城はまだ訪れていなかった。
城跡は、主に竹薮であり、乙川に面する北西側は平地となっているが、南東側には堀と土塁の一部が残っている。
岡城は、池野氏の後、今川氏臣板倉重定が居城したが、永禄四年(1561)松平元康らがこの城を攻略、その後元康臣河合宗在がこの城を守った。そして天正十三年(1585)家康の上洛の宿所として御殿が建てられたという。