(北海道函館市元町 伝統的建造物群保存地区)
道南の行政中心地として発展した函館元町は、ハリストス正教会や、旧函館区公会堂、旧北海道庁函館支庁庁舎等がある。ペリー来航以来の面影が漂っている。
(カトリック元町教会)
(チャチャ登りの坂)
(聖ヨハネ教会)
(京都市中京区蛸薬師通室町西入北側)
南蛮寺とは、天文十八年(1549)のキリスト教伝来から慶長十七年(1612)の禁教令までの期間、日本に建てられた教会堂のことである。
京都の南蛮寺は、永禄四年(1561)この地に礼拝堂が設けられ、永禄寺と呼ばれたのが始まりである。天正四年(1576)には礼拝堂を再建し、南蛮寺と呼ばれるようになった。然し、天正十五年(1587)豊臣秀吉は宣教師追放令を発し、キリスト教弾圧に転じ、南蛮寺も破却された。
(沖縄県石垣市米原 国指定天然記念物)
石垣島と西表島のみに自生するヤシの一種である。石垣島では、於茂登岳北東斜面に多く自生している。
(ヤエヤマオオタニワタリ)
(クワズイモ)
(ギランイヌビワ)
(ヤシの根)
(主の復活大聖堂 北海道函館市元町 国指定重要文化財)
万延二年(1861)日本最初のハリストス正教会として創立した。明治40年(1907)の函館大火によって聖堂を失うが、大正5年(1916)河村伊蔵によって石造及び煉瓦造で再建されている。
(関連記事:東京復活大聖堂 豊橋ハリストス正教昇天教会マトフェイ聖堂)
(京都市中京区小川通蛸薬師元本能寺町)
応永二十二年(1415)「本応寺」として開基したのが始まりである。 応永二十五年(1418)一旦廃寺され、永享五年(1433)足利直義の子、如意王丸から土地の寄進を受けて再建し、寺号を「本能寺」と改めた。
天正十年(1582)本能寺の変が起き、織田信長は最期をこの地で迎えた。その後、豊臣秀吉により寺は現在地(中京区寺町通御池下ル下本能寺前町)に移転されている。
(愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥 四国八十八ヶ所巡礼第四十五番札所)
久万から旧美川村に向かって進むと更に山深くなっていく。感情の涙が機能しにくい私ではあるが、何故か次第に目頭が熱くなり、何処か懐かしいような光景が広がり始めた。辺りは一見砕石の山のような山が広がって見えるが、近づくと自然の岩の露呈であることが分かる。その所々をくり抜き、修行の場としたようである。天気は大雨の予報であったが、訪れたときは時折晴れ間を見せていた。
岩が露出する山の斜面には真言宗の岩屋寺がある。弘仁六年(815)空海が開いたと伝わる。そして、一遍智真もこの岩屋寺に参籠し、仏の道を悟ろうとした。
明治31年(1898)境内の伽藍を焼失。現存する堂宇は大師堂も含めこのとき以後のものである。
(国重文 大師堂)
岩屋寺の背後には、岩の下を通る遍路道が続く。