flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

鬼押出し

2013-08-16 00:00:00 | 漂い紀行

(群馬県吾妻郡嬬恋村 上信越高原国立公園 1998年4月30日)
 標高2568mの活火山、浅間山の北東側には、天明三年(1783)の噴火の際に流れ出て凝固した溶岩が一帯に広がっている。その一角には、西武創業者堤康次郎が建立した浅間山観音堂が建つ。
    

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炭焼平4号墳

2013-08-15 00:00:00 | いにしえびとの睡

(愛知県宝飯郡一宮町東上字炭焼平 県指定史跡 1983年再踏査)
 本宮山から伸びる幾つもの舌状台地の一つ、炭焼平にある40基からなる古墳群である。4号墳は唯一の帆立貝式前方後円墳で、全長約35m,横穴式石室を持ち、6世紀末から7世紀初の後期古墳である。
 2002年2月4日
 奥壁

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浜松町界隈

2013-08-14 00:00:00 | 漂い紀行

(東京都港区)

  

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菊ヶ浜

2013-08-13 00:00:00 | 海道・みなと

(山口県萩市堀内 北長門海岸国定公園)
 萩城の東、堀内の北側に位置する海岸である。
 指月山

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釧路へ

2013-08-12 00:00:00 | 漂い紀行

(北海道釧路市)
 たんちょう釧路空港に到着。気温は7月でも17℃と、北海道の他の地域とは違う。北東側から吹く海風によって気温が冷やされるからであるが、その海風によって湿度が高くなるため、密室になると蒸す感じを覚える。市街地へ向かう途中、一羽のタンチョウを見かけたが、この時期はあまり姿を現さないようである。道東最大の都市は、商業地が郊外に向け大きく広がっているが、ここでも空洞化は否めないようであった。
    

(関連記事:くしろ湿原ノロッコ号 北大通と幣舞橋 浦見 弁天ヶ浜 米町 釧路川河口

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笑い仏と眠り仏

2013-08-11 00:00:00 | 石のまもり

(京都府木津川市加茂町岩船三大 当尾磨崖仏文化財環境保全地区 県指定有形文化財)
 岩船寺の下方には、笑みを浮かべたような表情の阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩が彫られた岩があり、永仁七年(1299)二月十五日 願主岩船寺住僧 大工行末の刻字がある。その笑い仏の前には、仏躰のほとんどが埋もれている「眠り仏」の地蔵菩薩がある。
    

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豊川稲荷 平成二十五年夏

2013-08-10 00:00:00 | ほとけのいおり

(曹洞宗円福山妙厳寺 豊川閣 愛知県豊川市豊川町)
 この日は豊川海軍工廠被爆者慰霊祭と、み魂まつりが行われた。
 外苑供養塔
 千本幟
 万堂(禅堂)文久三年
    宝雲殿(祠堂殿)昭和41年
 通天廊と庭園
 総欅造本殿 昭和5年竣工
  法堂 文化十年
   

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白樺湖

2013-08-09 00:00:00 | 水のほとり

(天竜川水系音無川蓼科大池 長野県茅野市・北佐久郡立科町 八ヶ岳中信高原国定公園 1998年4月30日)
 昭和22年(1947)に竣工した、周囲3.8kmの灌漑用溜池である。車山高原の南、標高1400mの白樺林に築造されたため観光開発が行われ、白樺湖と呼ばれるようになった。
  
 蓼科山

(関連記事:立科

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牛久保城

2013-08-08 00:00:00 | 城郭・城下町

(愛知県豊川市牛久保町 1983年撮影)
 享禄二年(1529)一色城主牧野成勝の築城。 永禄四年(1561)松平元康(徳川家康)は今川勢力下の守りが手薄になっている牛久保城を攻めた。このとき三代牧野成定は、今川義元により西尾城を守っており、持城の牛久保城は臣下の稲垣重宗、真木定安が守っていた。然し、稲垣重宗は豊川対岸の八名郡賀茂村(豊橋市賀茂町)におり、城は真木氏一族しかおらず、同氏により戦いを持ち堪え討死しながらも、知らせを聞いた稲垣重宗が参戦し、元康勢は退散していった。このとき以降、牛久保城は重要視されるようになり、今川勢と松平勢との攻防の拠点の一つとなるが、永禄九年(1566)度重なる攻勢により松平勢の傘下となった。天正十八年(1590)四代牧野康成は徳川家康の関東移封に伴って上野国勢多郡大胡に二万石で移封した。牛久保城は吉田城の支城となり、池田輝政臣の荒尾成久が城主となった。慶長五年(1600)の関ヶ原の戦い以後は天領となり、城は縮小し代官所としての機能となったが、元禄十三年(1700)に廃城となっている。付近は飯田線及び住宅地となり、遺構は一切残っていないが、河岸段丘縁端の眺望と城跡、大手、城下の小字が往時を想像する材料である。

(関連記事:牧野成定廟

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東京港

2013-08-07 00:00:00 | 海道・みなと

(東京都港区・中央区・江東区)

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萩城下町 堀内

2013-08-06 00:00:00 | 城郭・城下町

(山口県萩市堀内 国選定重要伝統的建築物群保存地区 )
 呉服町から外堀を渡ると、長州藩上級武士の一画堀内地区となる。
  北の総門と土塁
 益田家物見矢倉
   周布家長屋門 江戸中期
         
  国重文 厚狭毛利家萩屋敷長屋 安政三年
     旧毛利家別邸表門

(関連記事:萩城

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東国の朝、道東への玄関

2013-08-05 00:00:00 | 漂い紀行

 初めての東国行夜行バスで渋谷へ。新東名を通り、掛川と足柄で休憩となった。下車したマークシティバス停から、今度は羽田空港連絡バスに乗り換え、通勤時間前の渋谷と湾岸を眺めながら二年振りの羽田空港に到着。初めての羽田離陸、ADO機利用であり、搭乗の際に現地の霧の状況で十勝、新千歳への変更の可能性がある報告があった。道東の太平洋側はこの時期、霧の都となるのである。B737の小型機で羽田を離陸。頭上のモニターユニットが、ずれてはみ出している状態や、他社同型機では聞かれないような航行中の機械音等、若干の不安要素はありながらも、窓の外に見える、雲の上に顔を出した富士山を眺めながら北へ向かった。
 
    
 

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唐臼の壺二尊 阿弥陀・地蔵磨崖像

2013-08-04 00:00:00 | 石のまもり

(京都府木津川市加茂町東小下井手口 当尾磨崖仏文化財環境保全地区)
 唐臼(からうす・からす)の壺と呼ばれる15cm程の丸穴の開いた石(礎石状のもの)の傍には、阿弥陀如来と地蔵菩薩が彫られた岩がある。それぞれに康永二年(1343)の刻字があり、阿弥陀如来の右側には線刻燈籠があって、火袋に燈明が入れられるようになっている。
 「唐臼の壷」
        

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豊橋祇園祭 平成二十五年

2013-08-03 00:00:00 | 民俗・伝承

(愛知県豊橋市)
 三年振りに、吉田の打ち上げ花火で涼を感じた。
  
 吉田城本丸から
                         

(関連記事:豊橋祇園祭平成二十二年

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小坂製錬 大館駅跡

2013-08-02 00:00:00 | RODEN-哀愁のRailway-

(同和鉱業 小坂鉄道 秋田県大館市)
 奥羽線大館駅前には、線路だけとなった小坂製錬の駅の跡がある。明治41年(1908)小坂鉱山から産出される銅、亜鉛、鉛を搬出するために、軽便鉄道として築造されたのが始まりである。昭和37年(1962)軌間が1067㎜化され、平成2年に鉱山が閉山した後は、主に小坂製錬所で製造される濃硫酸を、秋田市にある秋田製錬飯島製錬所まで輸送する路線となった。平成6年には旅客営業が廃止され、平成20年にはトラック輸送に転換されたため全面廃止となった。
       

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