(岐阜県羽島郡岐南町三宅 式内社 旧郷社 2007年1月25日)
平安時代初期創建と伝わる石作(いしづくり)神社は、延喜式神名帳に名が見える。かつて付近は尾張国であり、この地に勢力を持っていた石作連(やざこむらじ)が祖先とする建真利根命(たけまりねのみこと)を祀った神社という。建真利根命は垂仁天皇の皇后日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の石棺を造った人物とされる。


(岐阜県羽島郡岐南町三宅 2007年1月22・25日)
三宅地区の西側には正治元年(1199)創建の三宅山浄福寺があり、天台宗から後浄土真宗に改宗した。近くには「親鸞聖人御旧跡」があり、門弟が道場を設け親鸞を招いた地といわれている。戦国時代、兵火に遭うまで存在した道場跡には、親鸞生誕八百年の昭和42年(1967)に銅像が建てられ、いわゆる河野門徒の歴史を伝えている。
(岐阜県羽島郡岐南町下印食 旧郷社 2007年1月22日)
古来、北を流れる境川が木曽川の流れであった頃、この辺りは尾張国葉栗郡であったという。天正時代の木曽川氾濫によって流路が変わり、美濃国に編入され羽栗郡となり、中島郡と併合し羽島郡となったといわれている。その下印食(しもいんじき)村の鎮守は八剣神社である。参道は東海道線によって分断されている。祭神は熱田神宮より分祀された日本武尊(やまとたけるのみこと)であるが、日本武尊が伊吹山に向かう際、休息した場所に神社が創建されたと伝わる。境内には「池田輝政鎧かけ松」の史跡があり、輝政勢はこの地で休息した後、岐阜城攻めをしたという。当時からの松は残っていない。
(愛知県新城市乗本字長筋 2007年1月11日)
二十五年振りに訪れる。神社の創始は不詳であるが、建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)を祀るため、江戸時代以前は諏訪大明神と称した。明治維新以後は、乗本村の村名由来になるほど盛んであった宇連川の水運になぞらえ、舟多神社と改称したという。



(静岡県駿東郡清水町徳倉 2007年1月10日)
三方を狩野川に挟まれた標高76mの本城山は、戸倉城の跡であり、その頂きには昭和58年(1983)公園開園時に設置されたRC造の展望台があって沼津市街や富士を望むことができる。