(横浜市中区山下町)
江戸時代末期の開港時に、海岸沿いの外国人街として始まったこの地。関東大震災以降、主に華僑が残ったため、次第に中国人街が形成され、南京町と呼ばれるようになった。戦後は閑散とした街となったが、昭和28年(1953)チャイナタウン復興計画が策定され、「中華街」牌楼門が建てられた。
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