
広がった青空の一日、左京区岩倉の地にある顕本法華宗 総本山妙満寺を訪ねた。
広々とした境内に踏み入ると、真っ直ぐ続く参道の奥に大きな本堂が一段高く構えられているのがわかる。
屋根瓦が陽に映え、静かな落ちつきがあっていい感じだ、たたずまいも美しい…。


ただそれも、高さ約20メートルの仏舎利塔を除けば、だった…。
初めて目にしたこの景観は、異様だった。見たこともない。ただただ正直驚かされた。
仏舎利塔は、釈迦が悟りを開いた地にアショカ王が紀元前200年頃建てた供養塔・ブッダガヤ大塔を模したものだそうだ。
1973年に建てられ、外壁には釈迦像が500体近く安置されているという。
「仏教最高の聖跡」か…、インドへの旅行、これまた頓挫で若き日の夢物語になってしまっている。

実は今日ここへは、安珍・清姫伝説の鐘を拝見したくてやってきたのだった。次回の熊野行きまでにはぜひ見ておきたかった。
鐘は展示館に安置されていた。

戸をあけて入って閉めて、誰もいない。いくつものカメラが姿を監視しているのだろう。
安珍を鐘の中に閉じ込め三時(さんとき)ばかり炎を噴射し続けて止めると、両眼から地の涙をポタポタとこぼしながら境内を這い出ていった蛇体の清姫。…伝説の世界だ。
清姫ののろいか災厄が続き、400年の歳月が流れてようやく2代目の鐘が完成。盛大に供養を営むところに白拍子が現れ、呪力で鐘を引き摺り下ろすと、白拍子は蛇体の本性を現し、日高川に飛び込んで姿を消した、とか。
「鐘に恨みは数々ござる」・・・
依然と続く災厄に、清姫のたたりと恐れた寺は鐘を竹林に埋めてしまうのだが、後にその話を聞いた「秀吉根来攻め」時の大将が掘り起こし、妙満寺へ。供養し怨念を説いたら美しい音色を響かせた。
と、まあこんないきさつの伝説の鐘を京都で目にすることができたわけだが…。