浄土真宗の宗祖親鸞聖人の御祥月命日にお勤めされる法要、報恩講が今日から(~28)東本願寺で始まった。
初逮夜に参拝したが、少ないお参りだった。ライブ配信の視聴が多いのだろうか。御影堂内は隣との間隔をあけて椅子が配置され、きわめて風通しよし。
親しさの膝を寄せ合う親鸞忌 加藤利尾
畳敷きに座って場所を詰め合い、窮屈な思いをすることもあるが、この、人との近さで、寄り合う縁にぬくみを感じてきたのだった。
聴く力のなさを棚に上げてだが、やはり閉め切った堂内の方が法話のせっかくの言葉に聞く者の気持ちも向かうし、たったひと言でも心に残せそうだ。擬講の大学生の話は、気も散漫だったが専門家ではないので話が難しく、筒抜けだった。
わかったつもりにならなくていい。わからない、ということを抱えながら歩むことの大切さ。繰り返し、繰り返し聞くのが、聞法。…ふと腑に落ちる時がくる。出会える時がある。
私の所でも報恩講前の仏具の磨きものは女性陣の協力ですでに終了している。一年の中で最も大切なお勤めだが、末寺なりにも規模を縮小して準備は進む。
しわしわと老婆罷りぬ報恩講 村山 故郷
こんにゃくの煮しめの艶や報恩講 井上 雪
腰を伸ばしながら「おおきに」、「おおきに」と口々に、満足顔でお帰りになるのだ。そうそう、こんにゃくの艶もよくよくわかる。ガンバルかね。
感じられないかもしれませんね。
報恩講は言葉だけは知っていますが
実際にはどのようなことが行われるのか
わかりません。
仏具磨きはその一つでしょうか?
心も一緒に磨かれて満足なさるのでしょうね。
私は半ば義務で教会礼拝に行くのですが
帰りはとてもさわやかな気持ちで帰宅します。
朝刊によれば300人ほどのお参りだったそうです。
仏具を磨き上げていただきぴかぴかに。
お花を立て、お飾りし終え、堂内は美しく荘厳されて気持ち新たになります。
「仏さんがみてはる」のでしょうか。
こうして報恩講を迎えます。動かせてもらいます。
本山では、28日の結願日中(御満座)に坂東曲の声明が勤められますが、
一昨年、堂内隙間のないほど埋まりました。