今から5年前、何度目かになるが訪れた奈良市高畑(たかばたけ)の地にある志賀直哉の旧居。旧宅は「高畑サロンン」と呼ばれる文学仲間との交遊の場になり、小説『暗夜行路』はここで完結したという。食堂にこうして彼岸花が飾られ(写真上)、サンルームでは花の下に少しだけ茎をつけた状態で浅い花器に数輪が挿してあったのを少しの驚きとともに印象深く記憶している。そういうことはしないと思っていたからだ。見ても別に嫌な思いはしなかった。
長いこと嫌いな花だった。花の形状がだったろうか。嫁いで、死人花の異名を知ったせいだったか。だが今は、天上の花のひとつとされる曼殊沙華の妖しげな花の形の美しさ、背筋を伸ばした意志的な立ち姿が好ましい。
賀茂川の土手に曼殊沙華が咲いていた。見るべきものは見ておかないとと探し歩いてもいたのだ。
曼殊沙華抱くほどとれど母恋し 中村汀女
一緒に大原を歩いていたとき友が口ずさんだ句。以来、この句が毎年思い浮かぶ。体が弱かったという彼女。それゆえ大事にされて、両親への感謝の言葉をよく口にする。コロナ禍にあってなかなか会うことがかなわない。腰が、背中が痛いと言っては整体通い。そろそろ一度会いたいなあと思いを強くしている。曼殊沙華の花がそう仕向けてくれているのかも…。
「この指とまれ」と題して小文を書いているところ。どんな反応があるか、少しの期待をもって…。
一輪の個性もいいし、黄金に実るお米のあぜ道を縁取るようにまとまって咲くのもまたいいですよね。
そしていつしか、遠い母の姿に思いが重なっていくようです。
いろいろな呼び方があるのをみても、なにかしらの物語を秘めた、色、形、立ち姿、ですね。
「この指とまれ」どんなに仕上げられ、どんな反応があるのでしょうか。
墓地周辺に咲いていることから
そのように言われたとどこかで読みました。
路傍に咲いているのをみますと
他の花と違う思いで眺めます。
何故でしょう?
新美南吉も歩いたと言われる
半田の川の土手は何万本かの曼珠沙華が
今は満開とか、何度行きましたが
今年はいけそうになく残念です。
群生も見事ですが2,3本咲いているのも
いいものですね。
美しいとみる前にどうにも受け付けられない何かがあったようです。
呼び方それぞれに謂れも物語もあるのでしょうね。
車での通りすがりに群生するのを見かけました。
実りの秋に田の畔に咲く彼岸花、やっぱり見ておかないとです。
花はみな他界への通路、とか言われた方があったのを今思い出しました。
ちょっと誘い水をかけてみることにしました。のる方、いるでしょうか…。
邪念?をはずし、なかなか美しい花ですよね。
花が人を偲ばせるということはありますね。
Reiさんがご紹介してくださいましたのをよく覚えています。
南吉の童話の世界を思い描きながら、歩いてみたい所です。半田市はちょっと遠いなあ…と。
公園周囲の道路の際に数本ずつ咲いていて、いつの間にと驚きました。