京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

心の持ち方ひとつ

2018年07月30日 | 日々の暮らしの中で

東本願寺の阿弥陀堂の南縁に腰を下ろした。吹き渡る、ちょっと強めだが、「ああ、ごくらく~」と口にしたくなるような風を受け、ただぼんやり座っていた。極楽浄土はどこにあるのかと尋ねられた一休宗純が、「極楽は西にあらず東にも。北(来た)道さがせ、南(皆身)にぞある」と応えたという話がある。「極楽」は、我が身の内にある、と。
高野山行きの前にちょっとお参り。そして、フットボールの合宿に参加する孫のガンバリにも手を合わせた。


この真っ白な槿(ムクゲ)は五弁の花が八坂神社の神紋に似ているらしく、「祇園守」と呼ばれてきたという。「槿花一朝の夢」。朝開き夕べにしぼむを繰り返し、一つの花の寿命は3日ほどか。まじり気や濁りのない清浄な姿をひろげてみせる。 心の濁りや曇りを払いとるのが一番よ、って花の言葉が聞こえてきそう。
壺に生ける一輪。いかに涼感を誘うかに工夫を凝らし、暮らしていく。





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6 コメント

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いい風 (〈ゴマメのばーば〉)
2018-07-31 06:58:54
「手を合わせる」
そこは、ほとけの み手のうちなのでしょう。
キリスト教徒である私ですが、合掌する時、時空を超えた安らぎを覚えます。
東本願寺の阿弥陀堂の南縁に腰を下ろした時に吹いてきた風、いい風だったのでしょうね。
良寛さまの「風」を思い起こしました。
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み手のうち、ゴマメのば―ばさん (kei)
2018-07-31 17:09:13
気持ちが向かわせるようです。
何の願い事とてしません、「行かせていただきます」などと、ただご報告です。
大屋根の下、御影堂も阿弥陀堂も開け放たれて風は心地よく、
何かほっとして、いつまでも腰を下ろしていたい気分です。
心落ち着き、何か心に働きかけられる心もちがあります。
これはもう感覚的なものですね。感じるかどうかだけの違いでしょうか??

私のところにも、「天上大風」の書が奥座敷には掛けられております。
だいぶ古いものですが、奥ではなく、もっと身近に接しなくては…。
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心の持ち方ひとつ (light77g )
2018-07-31 22:03:43
こんばんは
今の私に最適な言葉を有り難うございます。

長男家族のガンバリにただ手を合わせます
遠くに行くものですから…
自分の良心が極楽に通じてるような気もします
明日は、御講ですが行けません
帰省中の娘と実家のお墓参りに行き手を合わせてきますね。
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浄土、light77gさん (kei)
2018-07-31 22:47:29
こんばんは。
「近くて見がたきは我が心なり」、とですね。

「自分の良心が極楽に通じてるような気もします」
とはまたすごい感覚ですね。
私は「世々を経て濁りにしみしわが心」でして、
垢離を落とさねばならないようです。
参拝し、洗われて帰るんですよ…。

娘さんとお墓参り、ゆっくりお話をなされますように。
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極楽 (ryo)
2018-08-01 07:56:54
おはようございます!
極楽は我が身の内に〜
そうなんですね..。ついそれをわすれて
しまいますね。極楽を求めるならばまず、自分の
置かれた場所を見定めることでしょうか。

フットボール合宿。あまり暑くないと
良いですが..
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つい忘れて、ryoさん (kei)
2018-08-01 18:16:04
こんにちは。

自分の浅ましさに気づいて、分相応にですよね。
見定めることができて、幸せにも気づかされるのでしょうね。
つい忘れては欲ばっかりかいて。心の濁りを洗い流さなくてはと時々思います。

昨年の様子を聞きますと、ハイキングや様々なレクレーションを盛り込んだ合宿のようでした。
高原でですが、暑さのほどはどうでしょうね。
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