6月24日 ピヤン・トンガ
朝、ツァンダの町を出て、ピヤン・トンガへ向かう。土の山が続く中、かなりの悪路を2時間半かけて行く。
ようやく到着したトンガ村、より正確にはドゥンカル村というそうだ。
グゲ以上に楽しみにしていた遺跡なので、喜び勇んで石窟がボコボコ穿たれた岩山に登り始める。
と、下の方から大声で呼び止める声。何事かと思ったら、なんと鍵番がアリの町に出かけてしまっていないと言う。他に鍵を預かっているものはなく、責任を取れないので山に登ることもまかりならん、と言うのだ。
大ショック
ここの壁画が見たくてこんな遠くまで来たのに、と泣きそうになる。
私の壁画好きを知っているチベット人ガイドも気の毒そうな顔をしてくれるが、彼にもどうしようもない。それにしても、なんという不運。カイラス巡礼までしたのに、まだ徳が足りなかったか。
恨みのトンガ遺跡を目前に眺めながら、他にすることもないのでピクニック・ランチ。でもショックでご飯がのどを通らない。
「若いんだから、また来ればいいじゃない」と同行者に言われたが、ここまではそう簡単に来られない。ネパールとの国境でも開かないかぎりはねえ。
とにかくここ何年かで最大のがっかり。
↑こんな景色の中、来た道をがたがたと戻り、午後時間ができたのでもう一度ひとりでトリン寺を見に行く。
と、ここの守番がまたいやそーな態度。懐中電灯を持ってついて来るが、さっさとしろ、という態度がありあり。こちらは拝観料を払っているんだから、と懐中電灯をひったくって思う存分見て差し上げた。
6月25日 ツァンダからアリ
3泊したツァンダを離れ、来た道とは別の北側の道を通って219号線に戻る。
3週間もチベットにいるとなんだか目が良くなって、遠くの羊飼いもやけによく見える。
北側の道も南側に劣らぬ難路で、峠をいくつも越える。
ナムルという町のちょっと先でようやく219号線に再合流。ほっとしたとたん、道がいきなりアスファルト舗装の直線道路になった。
ドライバー達がうれしそうにとばす、とばす。
そして見えてきたアリの町。
タクシーもスーパーもある大都会だ。
シガツェ以来10日ぶりのバスルームのついた部屋。もちろんお湯も出る。
しかし標高4300メートルでエレベーターのない5階の部屋はきつかった。
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朝、ツァンダの町を出て、ピヤン・トンガへ向かう。土の山が続く中、かなりの悪路を2時間半かけて行く。
ようやく到着したトンガ村、より正確にはドゥンカル村というそうだ。
グゲ以上に楽しみにしていた遺跡なので、喜び勇んで石窟がボコボコ穿たれた岩山に登り始める。
と、下の方から大声で呼び止める声。何事かと思ったら、なんと鍵番がアリの町に出かけてしまっていないと言う。他に鍵を預かっているものはなく、責任を取れないので山に登ることもまかりならん、と言うのだ。
大ショック
ここの壁画が見たくてこんな遠くまで来たのに、と泣きそうになる。
私の壁画好きを知っているチベット人ガイドも気の毒そうな顔をしてくれるが、彼にもどうしようもない。それにしても、なんという不運。カイラス巡礼までしたのに、まだ徳が足りなかったか。
恨みのトンガ遺跡を目前に眺めながら、他にすることもないのでピクニック・ランチ。でもショックでご飯がのどを通らない。
「若いんだから、また来ればいいじゃない」と同行者に言われたが、ここまではそう簡単に来られない。ネパールとの国境でも開かないかぎりはねえ。
とにかくここ何年かで最大のがっかり。
↑こんな景色の中、来た道をがたがたと戻り、午後時間ができたのでもう一度ひとりでトリン寺を見に行く。
と、ここの守番がまたいやそーな態度。懐中電灯を持ってついて来るが、さっさとしろ、という態度がありあり。こちらは拝観料を払っているんだから、と懐中電灯をひったくって思う存分見て差し上げた。
6月25日 ツァンダからアリ
3泊したツァンダを離れ、来た道とは別の北側の道を通って219号線に戻る。
3週間もチベットにいるとなんだか目が良くなって、遠くの羊飼いもやけによく見える。
北側の道も南側に劣らぬ難路で、峠をいくつも越える。
ナムルという町のちょっと先でようやく219号線に再合流。ほっとしたとたん、道がいきなりアスファルト舗装の直線道路になった。
ドライバー達がうれしそうにとばす、とばす。
そして見えてきたアリの町。
タクシーもスーパーもある大都会だ。
シガツェ以来10日ぶりのバスルームのついた部屋。もちろんお湯も出る。
しかし標高4300メートルでエレベーターのない5階の部屋はきつかった。
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