Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

西チベットの旅 15

2007-06-23 17:51:02 | チベット文化圏
6月28日 カンシワからクティ

道は険しい岩山が両側に迫る間を抜け、アップダウンを繰り返しながらチベットを離れていく。
 
今日は天気もどんよりと暗く、景色は灰色一色だ。

4000メートルを越える峠がいくつも続く中、日本人のチャリダーに遭遇。
 パキスタンからクンジェラブ峠を越えてきて、これからラサまで行くと言う。クンジェラブを越えてきただけでもすごいが、この先にはあのアクサイチンが待っている。くれぐれも無理をするな、と言い聞かせ、あまっているお菓子や薬を持たせて別れたが、無事ラサまでたどりついただろうか。

最後のピクニック・ランチも岩山の中。
 旅の終わりが近いチベット人スタッフはうれしそうだ。

しかしこちらはチベットを離れるのがさびしくて仕方ない。
標高3790メートルまで降りたマザルにはパスポートのチェック・ポイントがあったが、ここの役人はもうウイグル人だった。
 荷役用の動物ももうヤクではなくラクダだ。

くねくねとした道はどんどん高度を下げて行く。悪路だが途中、ところどころに舗装箇所がある。


最後の野営地をめぐってスタッフの間でひと悶着。もうこのあたりの村はすべてイスラム教徒で、チベット人たちとしては居心地が悪いらしい。
実際、はじめに泊まろうとした村では村人たちの雰囲気が非常に悪かった。異民族同士の葛藤を垣間見た思い。

結局、予定より遅くなったがプシャ近くまで行き、きれいな村のお向かいの空き地にテントを張らせてもらった。
 
 
この日の夜はテント泊最後ということで、日本食の大放出。それでも随分食糧があまったようだ。

6月29日 プシャからカシュガル

朝、食事の前にウイグル人の村をお散歩。

イスラムの人たちはきれい好きで、朝から玄関の前をきれいに掃き清めている。
 
かわいいお嬢さんとその家族にご挨拶。お母さんが何か一生懸命に言ってくれるが、さっぱりわからない。
 
水汲みのお嬢さんたちもぐっとエキゾチックな顔立ちだ。

出発の準備が整い、ここですっかり荷物の減ったキッチン・カーとはお別れ。

気のいいキッチン・スタッフ達と別れるのは名残惜しい。
毎朝分けてもらっていたツァンパ、ご馳走様でした。

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コメント
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