念願だった小冊子「母に贈る鎮魂歌」がようやく完成しました。
私は学生時代に大学を一年間休学して、ヨーロッパ・アジアの国々を彷徨して歩いた経験があります。
それは遥か昔、40年前のことでした。
事情を話すと複雑ですので省略しますが、既に父のいなかった私にとって、この旅を後押ししてくれたのが母でした。
その母に心配かけまいと、私は旅先からせっせと便りを届けました。
その便りの束を、母はある日私に戻してくれたのです。
母への恩返しの意味もあり、その便りを基に、私の旅をなんとかまとめようと思い立ちました。
しかし、怠惰な私の作業は遅々として進みません。
そうこうしているうちに母までが他界してしまいました。
私は私の怠惰を悔いました。私の旅を後押ししてくれた母に報いることができなかったと・・・。
しかし、それでもやはり思いを完遂することが母への何よりの鎮魂になると考え、合間をみながら作業を進め、このほどなんとかゴールに辿り着いたのです。
旅先からの手紙38通を掲載しながら、そこに《40年前の旅を今語る》と題して当時を想起する文章を添え、A4版、150ページの小冊子「母に贈る鎮魂歌」がこのほど印刷所から届きました。
まえがきの最後に、母さん、今ようやく届けることができました…と書き添えました。
近々、関係者の皆さまに届けようと思っています。
私は学生時代に大学を一年間休学して、ヨーロッパ・アジアの国々を彷徨して歩いた経験があります。
それは遥か昔、40年前のことでした。
事情を話すと複雑ですので省略しますが、既に父のいなかった私にとって、この旅を後押ししてくれたのが母でした。
その母に心配かけまいと、私は旅先からせっせと便りを届けました。
その便りの束を、母はある日私に戻してくれたのです。
母への恩返しの意味もあり、その便りを基に、私の旅をなんとかまとめようと思い立ちました。
しかし、怠惰な私の作業は遅々として進みません。
そうこうしているうちに母までが他界してしまいました。
私は私の怠惰を悔いました。私の旅を後押ししてくれた母に報いることができなかったと・・・。
しかし、それでもやはり思いを完遂することが母への何よりの鎮魂になると考え、合間をみながら作業を進め、このほどなんとかゴールに辿り着いたのです。
旅先からの手紙38通を掲載しながら、そこに《40年前の旅を今語る》と題して当時を想起する文章を添え、A4版、150ページの小冊子「母に贈る鎮魂歌」がこのほど印刷所から届きました。
まえがきの最後に、母さん、今ようやく届けることができました…と書き添えました。
近々、関係者の皆さまに届けようと思っています。