初滑りは「朝里川温泉スキー場」と決めていました。
札幌圏域のスキー場としては、それほど有名でもなく、大きくもないスキー場に何故?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
でも私にとっては思い出多いスキー場だったのです。
もう三十年くらい前に話は遡ります。
昭和54年春、全日本スキー連盟の指導員検定が朝里川温泉スキー場で行なわれ、合格証をいただいたスキー場だったのです。
三十年の月日は、私の記憶のほとんどを遠くの彼方に追いやっていました。
その中で、私のかすかな記憶に残っていたことは…、
スキー場が谷間に造られていたこと。
そしてスキー場が二つの丘からできていて、検定は主に上部の丘で行なわれたこと。
宿舎として、「友愛山荘」に泊ったこと、などでした。
かすかな記憶を辿りながら、朝里川温泉スキー場に向かうと、確かにスキー場は両側から山が迫る一方の山にありました。
駐車場が狭く、多くのスキー客を招じ入れるには難しいかな、と思われました。
スキー場のリフトは三本が縦に連なり、山頂へと導いてくれました。
スキー場のレイアウトが当時と同じなのか否かは、私の記憶では思い出すことができませんでした。
気になったのは、以前コースであったらしきところが、今は使われていなかったことです。
最後の記憶の「友愛山荘」は今や影も形もありませんでした。
地元の人に聞くと、すでに十数年前に取り壊されたとのことでした。
若者が低料金で宿泊できる施設として、当時は大学のスキー部などが合宿をしていたのですが、時代の波の中で消えていったのでしょうか。
スキー場は休日にもかかわらず、けっして多くのスキーヤーで賑わっていたとは言い難い状況でした。
ダブルリフトの一方は休止していました。
往時を知る私には寂しいかぎりです。
スキーが過去の栄華を取り戻すことはもはや難しいことなのでしょうか?
※曇天だったために向こうに海が見えません。残念!晴れていたらきっと日本海がきれいに見えるんでしょうが・・・。
札幌圏域のスキー場としては、それほど有名でもなく、大きくもないスキー場に何故?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
でも私にとっては思い出多いスキー場だったのです。
もう三十年くらい前に話は遡ります。
昭和54年春、全日本スキー連盟の指導員検定が朝里川温泉スキー場で行なわれ、合格証をいただいたスキー場だったのです。
三十年の月日は、私の記憶のほとんどを遠くの彼方に追いやっていました。
その中で、私のかすかな記憶に残っていたことは…、
スキー場が谷間に造られていたこと。
そしてスキー場が二つの丘からできていて、検定は主に上部の丘で行なわれたこと。
宿舎として、「友愛山荘」に泊ったこと、などでした。
かすかな記憶を辿りながら、朝里川温泉スキー場に向かうと、確かにスキー場は両側から山が迫る一方の山にありました。
駐車場が狭く、多くのスキー客を招じ入れるには難しいかな、と思われました。
スキー場のリフトは三本が縦に連なり、山頂へと導いてくれました。
スキー場のレイアウトが当時と同じなのか否かは、私の記憶では思い出すことができませんでした。
気になったのは、以前コースであったらしきところが、今は使われていなかったことです。
最後の記憶の「友愛山荘」は今や影も形もありませんでした。
地元の人に聞くと、すでに十数年前に取り壊されたとのことでした。
若者が低料金で宿泊できる施設として、当時は大学のスキー部などが合宿をしていたのですが、時代の波の中で消えていったのでしょうか。
スキー場は休日にもかかわらず、けっして多くのスキーヤーで賑わっていたとは言い難い状況でした。
ダブルリフトの一方は休止していました。
往時を知る私には寂しいかぎりです。
スキーが過去の栄華を取り戻すことはもはや難しいことなのでしょうか?
※曇天だったために向こうに海が見えません。残念!晴れていたらきっと日本海がきれいに見えるんでしょうが・・・。