Hさんは札幌に転居した際に、アイヌ文化を学ぶグループが行う野外生活(サバイバルキャンプ)に子どもたちと共に5年も続けて参加したという。一方、Sさんは有名食品メーカーに勤務した際にお客からのクレームに苦慮したという。そして今、消費者の一人として先方にクレームを付けた体験を話された。
私が所属する「めだかの学校」では現在、映像資料を視聴して話し合うDVDフォーラムと、会員自身が自らの興味関心事についてスピーチし、そのスピーチを素材に話し合う学習を続けている。このことについて拙ブログで2月1日付でもレポしたが、昨日(2月26日)第3回目を実施し、またまた多くを学ぶことができたのでレポすることにした。
最初は女性会員のHさんが「北海道移住の始まりはヤイユーカラとの出会いから」と題してお話された。
タイトルでいう「ヤイユーカラ」とは、アイヌの研究をアイヌ自身の手に取り戻すことを趣旨として、アイヌと和人が一緒になってアイヌの民俗文化を学び、楽しみ、暮らしの中にアイヌ文化を取り入れようとして様々な事業を展開するグループだという。(現在は主宰者が亡くなり、活動は停滞しているという)
転勤族として札幌に転居したHさんは、その趣旨に共鳴し、子どもたちと一緒に5年も続けて「ヤイユーカラ」が主催するキャンプ(それはサバイバルキャンプを彷彿とさせるもののようでした)Hさんは子どもが成長した後も、ご主人と二人で参加したそうだ。
子どもたちはキャンプに対して多くを語らなかったということだが、Hさんは子どもが参加しなくなってからもご主人と参加したという。そのことは「ヤイユーカラ」の主張に賛同したことがあったことは無論のこと、Hさん自身の中に不自由なキャンプを面白がる気持ちがあったのではないだろうか。それがHさんの今の積極的な生き方に表されているような気がする。
※ キャンプはイラストのように木々や枝、葉を使って組み立てたそうです。ただし人間はこんな格好ではありません。
一方、子どもさんたちも、強烈な体験として彼らの中に大きく息づき、いつかどこかで彼らの生き方に影響を与えるのではないだろうか?
子どもにどのような体験をさせるか?ということは親として大きな関心事である。私たちはすでに親世代ではないが、爺婆として自らの子どもたちに孫にどのような体験させるかについて語っていく大切さを教えられた思いだった。
一方、男性会員のSさんは退職後に札幌に移住したIターン組であるが「消費者クレームについて~自分の体験から~」と題してお話された。Sさんは大手食品メーカーに勤められたが、消費者からのクレームに苦慮した体験をお持ちで、その事例を話された。クレームに直接対処する担当者は大変であるが、メーカーとしては「消費者クレームは宝の山」と重要視しているという。そこには商品の開発や改良、販売方法の改善などにヒントが隠されているからだという。
そうした体験や考え方を持たれているSさんは一消費者としてメーカーに対してクレームすることにも躊躇しないという。そうした事例も三つほど報告されたが、対象が全て有名メーカーということもあったのだろうか?全てが好意的に対処してくれた事例が紹介された。
Sさんはメーカーの人間として、そして消費者の一人として双方のクレームを体験したことから「臆することなくクレーム提起を!!」と結んだ。クレームということでは私はあまり経験がないが、今後そうしたケースの遭遇した際は、Sさんからのアドバイスのように「臆することなく!」提起してみたいと思う。
※ Sさんは男性です。イラストのような女性ではありません。
さて、お二人のお話が大変興味深かったこともあり、その後の会員相互によるディスカッションもかなり盛り上がったものとなった。それぞれがお二人から多くのことも学び、また仲間内の発言からもたくさんの刺激を受けたようであった。
来月はいよいよ私がスピカーを務める番である。さてどうしょうか??
お話にでてきたSさんのように正当な主張、この製品はここが使いにくいのだけど改善できないか、などであれば確かに「宝の山」にもなりえるもの。
もっとも現実はそうではないのが大変なところなんですが……。
かと言って、「カスハラ」の認知が変に高まって、正当な主張や質疑すらも「カスハラ」と思われないか不安で、モノが言えない社会も困ります。
ちょうど、ちょっとした注意や苦言までが「パワハラ」だと言われる状況のように。
ぼくの仕事はBtoB(企業と企業の取引)だったので、テレビで報じられるような酷い罵倒や罵詈雑言を受けたことはありません。
相手も一応、自分の発言が会社の看板を背負ったものであることを意識していますから。たとえ、その人が平社員だとしても。
こういうときは、つくづく一般消費者相手の仕事でなくてよかったと思います。
おっしゃるとおりだと私も思います。
疑問点や問題を感じたことに対して声を上げることは大切だと思います。しかし、その度が過ぎるとどこかギスギスとした世の中になってしまいそうだし…。私などは “中庸" というあいまいな言葉を好むのですが、そうした考えは通用しそうにないし…。
教育の世界も今は(というか私たちの頃から)大変です。私の例でいうと、最後の大規模校に勤務した際には、保護者の中には遠慮など一切なく、学校に対して自ら思いを一方的に主張する保護者に悩まされました。今ではもっと酷い状況になっているのではと想像できます。
社会の進展とはこういうものなのでしょ??