北海道内には数多くの遺跡が発掘されたり、眠っていたりするという。遺跡発掘を専門とする「北海道埋蔵物文化財センター」の学芸員の方から北海道内の遺跡発掘の現状などについて話を聴いた。
※ 北海道埋蔵物文化財センターのエントランスです。(ウェブ上から拝借)
とうとうネタ切れである。そこで今日は「道民カレッジ」事務局が編集し、配信している「インターネット講座」を受講し、そのレポート文を投稿してお茶を濁すことにする。動画のテーマは「埋蔵文化センター遺跡掘調査成果について聞いてみた!!」というものだった。以下、私の提出レポート文である。少々長いがお付き合い願いたい。
※ 北海道埋蔵物文化財センターの展示室の様子です。(同じくウェブ上から)
札幌市内のあらゆる施設を巡り歩いたと自負する私であるが、今回のテーマの舞台となっている江別市にある「北海道埋蔵文化財センター」には足を運んだことがない。それくらい私にとって埋蔵物、あるいは遺跡発掘という世界は縁遠い世界である。
その埋蔵文化財センターが「北海道埋蔵文化財センター令和2年度発掘調査成果パネル展」をかでる2・7の9階情報広場で開催したのを機に学芸員の方から直接お話をうかがったことをユーチューブ配信したのが本講座である。
講義の最初は「北海道埋蔵文化財センター」の設立やその目的についてのお話だった。お話によると、センターは「公益財団法人」であるという。私は北海道の附属機関と認識していたのだが、どうやらそのあたりは若干違うのかな?という印象を持った。ただセンターの歴史は古く2019年には設立40周年を迎えているとのことだった。センターの目的は①遺跡の発掘調査、②文化財の保護活用の2点が主であり、調査を終えた後に「遺跡発掘調査記録報告書」を刊行することが業務になっているとのことだった。
そして「北海道埋蔵文化財センター」が対象とする遺跡発掘箇所は比較的面積の大きなところが対象となるとのことで、例えば高速道路、ダム工事、空港建設、鉄道敷設などのために遺跡保存ができないところの発掘調査を中心に実施しているとのことである。つまり道のセンターは大きな面積のところ、それ以外のところは市町村の教育委員会等が担当するというように分担しているようである。私が現職時代に所属したことがある某町の教育委員会でも住宅地の遺跡発掘調査をしていたことを記憶している。センターがこれまでに発掘したところは全道で360ヵ所にものぼるということだった。
※ 講義の様子をパソコンの場面から撮りました。
講座はこの後、司会者の質問に答える形で進んだが、「北海道は縄文人にとって住みやすい所だったか?」という問いには、古代と呼称するのがおよそ2万年前から江戸時代までとすると、その間に温かい時期、寒い時期が交互に現れ一定ではなかったものの考えられるほど住みにくくはなかったのではないかと語った。また、最近は「炭素窒素同位体」という調査方法によって古代人が食していたものも推定できるようになったが、北海道の古代人は水産物を食していた形跡が見られ、古代より北海道は水産物が豊かだったことが想像されるとした。
講座の最後には実際に展示されていた土器の説明があったが、その中で印象的だったのは土器のことより遺跡の中で住居跡以外に見られる穴「土杭(どこう)」についてだった。「土杭」ははっきりと定義はされていないが、動物を捕獲するための落とし穴、あるいはお墓、貯蔵庫などに使われていたのではないかと推測されるとした。
お話を伺っていて感じたことが一つあった。今回講師を務められた方はたいへん詳しく、熱心にお話してくださったが、私自身に問題があるのだろうがどうしてもお話に馴染めないのである。遺跡発掘とは本来地味な仕事であるから、どうしてもお話も地味になりがちである。聴いている私たちにワクワク感が伝わってこないのだ。そう思っていた時、あるシーンが私の中に蘇ってきた。記録を辿ると5年前の2016年の2月に紀伊国屋札幌本店で「北の縄文セミナー」が開催されて参加したのだが、そこで講演された北海道縄文世界遺産推進室の阿部千春氏のお話の内容に私自身とてもワクワクしたことを思い出していた。阿部氏の場合は聴いている者がワクワクするような話術の持ち主だったことを思い出す。
そこで提案である。遺跡発掘という地味な題材だけに、この世界にはスポークスマン的人材が必要なのではないかと思うのだ。「北海道・北東北縄文遺跡群」が世界遺産に登録された今、その存在を広くアピールするためにもスポークスマン的人材を養成して、より多くの人々に遺跡群の存在をアピールしては?と思うのだがどうだろうか?