田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

あゝ、懐かしきかな置戸町…

2020-01-21 16:50:08 | 「めだかの学校」関連

 画面に映し出される置戸駅が、置戸小学校が…、そして公民館、図書館が、全てが当時の置戸町だった。私が新卒後初めて赴任したのがオホーツク管内の置戸小学校だった。以来置戸には10年間もお世話になった。画面に映し出される全てが懐かしかった…。

          

           ※ 置戸町のカントリーサインは、特産の木工品オケクラフトです。

 昨日(1月20日)は、私が集う「めだかの学校」の新年初めての学習会があった。学習会の内容は「ふるさと動画視聴会」の4回目だった。今回取り上げられたのは、オホーツク管内の遠軽町と置戸町だった。遠軽町にも3年間ほどお世話になったが、何といっても置戸町である。何せ私の20代のほとんどを過ごさせてもらった町である。

 上映された映像は「置戸町開基50周年記念映画」だった。調べてみると置戸町の開基50周年は1965(昭和40)年だった。私が置戸小学校に赴任したのが1970(昭和45)年だから、映像は私が赴任する5年前のものだった。

 映像ではいきなり置戸小学校が映し出された。当時としては珍しい堅牢なブロック建築の校舎だったために記録では1953(昭和28)年に建てられてから、2009(平成21)年まで当時の校舎が永らく使われていたという。

 その他、当時の懐かしい建物が次々と映し出された。置戸駅、中央公民館、老人ホーム「常楽園」、当時新築なったばかりの町立図書館、等々…。

   

   ※ 置戸町の市街地です。ご覧のように左右から山が迫ってくる山間に広がった町です。

 街並みは私が頭に描いていた当時の街並みよりははるかに賑やかで、商店街を行き交う人たちの表情も生き生きしていた。町内には多くの木工場(確か9つの工場が稼働していたとナレーションでは云っていた)が木材を生産し、あの山間の街も活気を呈していた。

 私に社会人としての基礎を培ってくれた置戸町は進取の気性に富んだ町だった。町からは多くの人材が輩出された。特に社会教育(現在の生涯学習)の盛んな町で、私もこの町で学んだことが契機となり、その後一時社会教育行政の道を歩むことになったのもこの町に職を得たことが大きかった。

 「ふるさと動画視聴会」は昔の動画を視聴するだけではなく、併せて現代の動画も視聴している。しかし、現在のふるさとを映す動画は、どの市町村のものを見ても言葉は悪いが金太郎飴を見ているようでどれも印象に残らない。あまりにもきれいごとに創りすぎている感じがするのだ。置戸町とて例外ではなかった。街並みは国交省の助成制度を活用した(?)のか過去を一変するように様変わりしていた。それと軌を一にするように置戸小学校も、公民館も、図書館も一新してしまい、昔の面影はまったくといって良いほど見当たらなかった。

          

          ※ 置戸町の位置と、置戸町へのアクセス方法です。

 しかし、道内の各市町村同様、いや山間にあるためなお一層過疎化の波は激しいようだ。開基50周年当時は12,000人弱だった人口が、2019年9月現在で2,856人まで激減している。過疎化は我が国の地方においては全国的な傾向とはいえ、私にとって第二の故郷である置戸町が激しい過疎化の波に洗われているのが寂しい。しかし、山間にありながら進取の気性に富んだ置戸町はまちづくりにおいていつも注目される町の一つだった。これからも小さくてもぴかりと光る小さな自治体として存続してほしいと心から願った「ふるさと動画視聴会」だった。

   

   ※ 「めだかの学校」の新年会の様子です。

 その後、私たちは今年初めての顔合わせだったこともあり、場所を移し駅前の某居酒屋において新年会を催し、楽しく歓談したのだった。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。