「大湯環状列石」は、大きな二つのストーンサークルからできていた。秋らしいとても気持ちの良い天候の中で、ここでも熱心な女性のボランティアガイドの案内で楽しく見学させていただいた。
「大湯環状列石」は、二つの環状列石(ストーンサークル)を主体とする遺跡で、紀元前2,000年から1,500年前の縄文後期に発達した遺跡と考えられている。この頃の環状列石と集落は離れていて、環状列石があるところはいくつかの集落の共同墓地であり、共同祭祀場だったと考えられている。
この日(10月13日)は宿をとった青森県田子町から国道104号線を走って鹿角市の「大湯環状列石」を目ざした。ところが国道とはいっても道路は細く、青森県から秋田県へと県を跨ぐため県境の峠道などは細いうえに曲がりくねった道が続き、緊張の連続のドライブだった。
※ 「大家環状列石」のガイダンス施設である「大湯ストーンサークル館」のエントランスです。
「大湯環状列石」は鹿角市の街の中心に入る手前の郊外に展開していた。私がちょうどガイダンス施設の「大湯ストーンサークル館」に着いたとき、館内を案内する女性のボランティアガイドの方が夫妻を相手に説明を始めていた。そこに同行させていただき説明を伺った。「大湯ストーンサークル館」は比較的小規模のもので、遺跡から出土した遺物もそれほど多いとは思われなかった。その中で一つ特徴的な物があった。それは通称「どばんくん」とも呼ばれている土版である。僅か5~6cmの土版なのだが、その表裏に1~6までの穴が付いているのだ。ガイドの方は「あるいは子どもに数の概念を教える道具だったのでは?」と説明されたが、本当のところは謎のようだ。
※ 「どばんくん」の表にはヒトの顔を象りながら1~5までに数の穴が付けられています。
※ 裏側には6つの穴が…。
また、大きな土器も展示されていたが、それは「土器棺」として使用されていたものと説明があった。おそらく子どもを埋葬するために使われたのでは、とのことだった。
※ 幼子など小さな子供の死体を入れたと思われる「土器棺」です。
続いて遺跡の「大湯環状列石」の現地の見学に移った。そこで先の夫妻はガイドから離れたために、私はここでもマンツーマンで案内を受けることになった。「大湯環状列石」は二つの環状列石から成っており、それぞれに「野中堂環状列石」、「万座環状列石」と命名されていた。私たちはまず「野中堂環状列石」に赴いた。
※ 「野中堂環状列石」の全景です。二重円になっているのがお分かりになると思われます。
「野中堂環状列石」は60基以上の石で二重の環状を形成しているのだが、その中に明らかに日時計を意識した組石が見て取れたのが印象的だった。
※ その環状列石の内側に写真のように日時計と思われる長い石が立っていました。
※ 今回の遺跡巡りをしていて、こうしてクリの木を意識的に植えているところが目立ちました。クリの木は縄文人にとって大切な木の一種でした。
続いて、道路を隔てて「万座環状列石」の方に移った。こちらの方は100基以上の石が遺されていてより鮮明な形で環状列石の跡を確認できた。周りには建物も点在していて当時の様子を彷彿とさせてくれた。しかし、それらの建物は住居とは言い難く、ガイドの説明によると、祭祀に訪れた人が休んだり、墓守のような人が仮眠をとったりする建物だったのではないか?ということだった。
※ 「万座環状列石」の全景です。やはり二重円になっています。
※ こちらは環状列石の傍に建物を復元していました。しかし、住居ではありません。祭祀の際に使われた施設だと思われます。
※ その建物の一つに入って説明するボランティアガイドの方です。
私が「おっ!」と思ったことがあった。それは二つの環状列石(ストーンサークル)の間に道路が通っているが、鹿角市や秋田県では将来この道路を廃止し、う回路を設けることになっているという話だった。遺跡と道路という関係では、北海道・千歳市の「キウス周堤墓群」 は墓域の上を道路が通っている。道路が建設された当時は遺跡の存在が確認されていなかったから仕方がなかったといえば仕方がなかったのだが、千歳市あるいは北海道はこの残念な現状について善後策を検討されているのか否か気になるところである。
遺跡の見学が終わりストーンサークル館に帰ったガイドが「館が用意している映像資料を見ていってほしい」と言われたので、視聴させていただいた。その中に一コマで、縄文人が土器を使って食物を火にかけて食していたとの説明に続き、さまざまな食物を一度に土器に入れて食していたのではとの説明から「縄文人はごった煮が好きだったようだ」との説明がされたが、きっと調査からそうした証拠も見つかっているのではと思われた。
ガイダンス施設「大湯ストーンサークル館」
秋田県鹿角市十和田大湯万座45
◇入館料 320円
◇訪問日 10月13日(金)