日系アメリカ人のイサム・ノグチの最後にして最大の作品が札幌にある「モエレ沼公園」であることは多くの札幌市民の知るところである。その「モエレ沼公園」を学術的に読み解くという札幌学院大のコミュニティカレッジに参加した。
本日、そのコミュニティカレッジの2回目の講座があった。
講師は北海道芸術学会員でジャーナリストの児玉哲明氏で、1930年代のニューヨークとイサム・ノグチについて長く研究を続けられてきた方という紹介があった。
講座は5月10日(金)から3回に分けて毎週金曜日に開講されることになっている。その講座名は「モエレ沼公園の歩き方 イサム・ノグチの『レジャー空間の彫刻』を読み解く」と題して、各回のテーマを次のように設定している。
◇第1回 二つの《プレイマウンテン(遊び山)》
◇第2回 《テトラマウンド》という枯山水
◇第3回 「空から見る芸術」としての《モエレ山》
私がこの講座を受講しようとした動機は、私にとって「モエレ沼公園」は広々としたロケーションと、そこに散在するイサム・ノグチが設計した造形群が魅力的であり、レジャーグランドとしても他の公園とは一線を画す魅力を感じていたのだが、その「モエレ沼公園を学術的に読み解くとはどういうこと?」という素朴な疑問からだった。また新設なった札幌学院大の新札幌キャンパスを一度見てみたいという思いもあった。
新札幌キャンパスは、地下鉄「新札幌駅」に近接した「札幌市青少年科学館」の裏手に近代的な建造物として屹立していた。内部も近代的装いが施され、学生たちにとっては学びやすい、憩いやすい空間ではないかと思えた。
※ 新設なった札幌学院大学の新札幌キャンパスの外観です。
さて今回は第1回講座の「二つの《プレイマウンテン(遊び山)》」の講義のみについてレポしたい。
「モエレ沼公園」内には、「プレイマウンテン(遊び山)」と「モエレ山」という二つの山がノグチの作品としてあるが、今回児玉氏は高い方の「モエレ山」(標高52m)ではなく、敢えて低い方の「プレイマウンテン」(標高30m)をその対象とした。というのも、「プレイマウンテン」の方は、ノグチ氏が長年抱きながら実現できなかった構想を、「モエレ沼」において実現できたというストーリーがあるからだったようだ。
※ プレイマウンテンを北側から見た図です。この緩やかな道を辿ると頂上に導かれます。
そのストーリートは、ノグチ氏は自らの芸術を模索する中で、自らの作品は抽象彫刻であるが、それを子どもの遊び場(プレイグランド)としてつくることに執念を燃やした芸術家だったという。
※ 反対の南側は、花崗岩をピラミッドのように階段状に積み上げています。
その構想は1930年代からあって、1933年にノグチ氏はニューヨーク市に対して構想を具体化したプレイマウンテン(遊び山)を提案したが受け入れられなかったという。ノグチ氏にとって1930年代は氏が30歳代と若い時期である。それからの紆余曲折の中、ノグチ氏は彫刻家として大成していくのだが、プレイマウンテン構想は実現せぬまま時が経過していた。
※ イサム・ノグチ氏が1933年にニューヨーク市に提案したプレイマウンテンです。
モエレ沼公園のプレイマウンテンによく似ています。
ノグチ氏の晩年、札幌市からゴミ集積場だったモエレ沼の公園化の話が持ち掛けられ、そこに彼の念願の構想が実現することとなった。1988年11月、ノグチ氏は「モエレ沼公園」の模型(マスタープラン)を完成させた。ところがノグチ氏は同年12月急病によって急逝してしまったが、後継者の手によって建設が進められ2005年グランドオープンした。
※ プレイマウンテンの頂上からモエレ沼公園を俯瞰した図です。真ん中の白いものは
コンサートなどを開催できるミュージックシェルです。ここプレイマウンテンで野
外コンサートなどをぜひ体験したいと思います。
そうした背景を知り、次回「モエレ沼公園」を訪れた時には、これまでとは違った目でプレイマウンテンを見ることになるだろう。
なお、Wikipediaではプレイマウンテンについて次のように説明している。
「ノグチが1933年(昭和8年)に発案したセントラル・パークに遊園地をつくるプランの『遊び山』の構想が初めて実現したもの。ピラミッドをモチーフにした99の石段を積み上げた斜面と、白い1本の道が頂上へと続く斜面がある山(高さ30m)」