え――――っ!こんなところで再会できるの!?あの朱色とクリーム色のツートンカラーのキハ40型気動車。私の高校時代3年間、列車通学でお世話になったキハ40型気動車。私はキハ40に乗車中、高校時代にタイムスリップしていた…。
※ こちらに「キハ40」はウェブ上に掲載されていた写真です。
その懐かしき「キハ40型気動車」に再会できたのは、過日JRウォーキングで富良野に向かった「根室本線」乗車した時だった。滝川駅から富良野に向かう列車が「キハ40型気動車」だったのだ!
あの特色ある車体を彩る朱色とクリーム色のツートンカラー、そして車内はダークブルーの座席、それは私が高校時代に通学時に利用した気動車そのままだった…。
※ 富良野駅に到着した「キハ40型気動車」です。
私の高校時代は、遥か昔に遡る1961(昭和36)年4月から、1965(昭和40)年3月までである。当時私は道東の小さな町である津別町の北見相生という集落に住んでいた。
高校は、当時北海道は小学区制だったため高校は町の唯一の高校「津別高校」に入学することが必然だった。「津別高校」は私が住んでいた北見相生から列車で30分ほど離れたところにあった。
そこで通学には、当時周辺町村の中核町村であった美幌町から北見相生までに敷設されていた国鉄「相生線」を利用して「津別高校」に通学していた。その時走っていたのが「キハ40気動車」だったのだ。
だから私にとって「キハ40気動車」は私の青春と共にあった列車だったといっても過言ではない。「キハ40気動車」での30分間は友人たちとの絶好のおしゃべりタイムだった。今のようにスマホがあるわけでない。かといって教科書を繰るほど勉強熱心でもなかった。それでも定期テストの前くらいは教科書を開いていた時もあったかなぁ…。
※ キハ40の社内です。当時とまったく同じでした。
時には、寝坊をして朝食も摂れずに「キハ40気動車」に駆け込み、気動車内で弁当をかっ込んだ時もあった。
「キハ40気動車」で忘れえぬ思い出は、1962(昭和3)年6月に十勝岳が大噴火をしたときだった。噴煙は道東一体に降り注ぎ、空は朝からどんよりと曇っていた。気動車は外気を車内に取り入れる方式だったらしい。車内は噴煙で真っ白になってしまったことを記憶している。
「相生線」は当時の国鉄にとっても枝線の枝線で、当時から赤字路線だったのだろう。国鉄がJRに代わる前の1985(昭和60)年にいち早く廃線となってしまった。
私は今夏、その「相生線」の終着駅「北見相生駅」に立ち寄ってみた。当時の駅舎が今なお保存されていたのを懐かしく、思い出深く眺めたのだった…。
そんな思い出いっぱいの「キハ40気動車」に思わぬ形で再会できた奇跡(?)をブログに記さずにはいられなかった…。
※ 帰路、滝川駅に到着した「キハ40」のヘッド(運転席)です。
なお、古き「キハ40気動車」がいまだに現役で走っていることは、撮り鉄のファンにとっても貴重な存在のようだ。沿線には何人もの撮り鉄ファンがカメラを抱えて「キハ40気動車」が通過するチャンスを狙っていたのが印象的だった…。