田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

南こうせつライブ

2007-03-07 23:02:13 | ステージ & エンターテイメント
 「南こうせつコンサートツアー2007」の一環として、近隣の町の公民館で昨夕開かれたコンサートに行ってきました。
 「引越しを間近に控えた時になぜ?」と問われそうですが、私が今心を動かされる歌い手(アーティスト)として、南こうせつは私の中で一・二を争う存在です。そのことに加えて、開催された町が私の初任地で知り合いが多かったこと、コンサートの実行委に私の教え子が加わっていたこと、などの理由から忙しい時期にも関わらず赴いたというわけです。

 それにしても、人口わずか3,600人弱の町で南こうせつほどの歌い手(アーティスト)を招請するのはかなり無理しているのではと思うのですが、実際はどうなんでしょう?
私の感覚からすると、彼のような名の通った(ビッグな)歌い手が北海道の片田舎の公民館でライブをすることがよく分からないのです。昨年はご存知のように吉田拓郎とつま恋3万人コンサートを実現したあの南こうせつですよ!
 彼の年齢は現在58歳と確かに若くはありませんが、そのその歌声はまだまだ現役感たっぷりで、特にあの透明感のある高音域は今でも一級品で、同年代の他の歌い手のような声の衰えを感じさせるところはまったくありません。
 昨夕も休憩を入れないで2時間30分唄いっぱなしでした。(もちろん間にトークは入りましたが)それでも声のかすれなど微塵も感じさせませんでした。

 一つハプニングがありました。
 アンコールに応えて「北の旅人」を唄っていたとき、彼が感極まって唄えなくなる場面がありました。彼の人がらを垣間見た思いがしました。
 彼が歳を重ねると共に、ファンもそれなりに年かさ増していて、けっして大盛り上がりのコンサートとはなりませんでしたが、私にとっては静かに熱い至福のひと時でした。

 お~っと、引越しを急がねば!

グッドアイデア

2007-03-04 22:54:58 | その他
 ある方の一言からグッドアイデア(?)が浮かんできました。
 そのある方の一言とは…、
 「先輩が退職される時、4月1日をカウントダウンで迎えた」
と言う話を聞いたのです。

 いろいろな方から「いつ札幌へ向かわれるのですか?」と聞かれます。
 以前は学校社会にあった4月1日の「出発式」というものが私の学校では数年前になくなりました。したがって、いつ出発するかはその個人の都合によって各々が決めて、それぞれ出発していたのが現状でした。
 そうした事情もあって、私自身いつ出発してよいのやら迷っていたところがありました。妻は札幌での生活基盤を一日でも早く築きたいと早目の出発を望んでいます。しかし、私としては3月31日まで現在校の責任者であり、最後まで責任をまっとうしなければなりません。

 そこで考えた私のグッドアイデア(?)とは…、次のようなアイデアです。
 4月1日になる瞬間を学校前でカウントダウンで迎え、そのまま札幌へ向かって出発するというアイデアです。

 妻と二人だけで迎えようと思っていますが、

 ①私自身37年間の教師生活に終止符を打つ瞬間をイベント的な演出で迎えるということ。
 ②自らの職務を最後までまっとうできるということ。
 ③なおかつ次の生活を少しでも早くスタートすることができるということ。

 こうした要素を備えたアイデアを私はえらく気に入りました。
 ぜひこれでいこう!と思っています。



没原稿 「戦争を知らない子どもたち」

2007-03-02 17:46:16 | その他
 ある教育研究団体から会報への原稿を依頼されました。
 テーマを特に定めないで『特別寄稿』として扱うというのです。
 テーマを定められないということは、一見楽なように思うのですが、幅が広すぎて何を書いたらよいのやら大いに迷います。
 迷った私は「戦争を知らない子どもたち」などと題した訳の分からないことを書き出しました。
 まあ、ちょっとお付き合い下さい。

      戦争を知らない子どもたち

1.戦争を知らない子どもたち 第一世代

 戦争が終わった ボクらは生まれた♪
 戦争を知らずに ボクらは育った♪

 ご存知(?)北山修作詞、杉田二郎作曲で、ジローズが歌う「戦争を知らない子どもたち」の歌詞の冒頭の部分です。

 リタイア間近の溶解しかかった頭の持ち主に、物好きにも編集長(事務局長)はまたまた原稿提出を要請してきました。溶解しかかった頭に浮かんできたのがこの歌のメロディーだったのです。
 今年度かぎりをもって教壇を去ろうとしている昭和21~22年生まれの私たちは、この歌の主人公「戦争を知らない子どもたち」第一世代なのです。
 私たちは幸いなことに、生まれてこの方「戦争」という体験を経ることなく退職の年を迎えることができました。
 自分の国が60年間もの長きにわたって、戦争に関与しなかった国は世界的にみても稀だと聞いています。

 私はことさらな平和主義者だとは思っておりません。
 私は声高に平和を叫んだこともありません。
 しかし、幾多の先輩諸氏の努力と、それに続いた私たちも少しは寄与することによって、今こうして平和を謳歌できているのだと思っています。

2.平和と総合学習

 これから私が語るようなことは、賢明な諸氏にとっては遠い昔から自明のことだったのかも知れません。
 しかし、会報や研究紀要を拝見するかぎり、そのことに論及したものに接した記憶はないのです。
 もったいぶった書き方をしていますが、今回の原稿依頼を受けて、今一度「総合的な学習の時間」を概観してみました。その時、「総合学習とは、平和との関わりが深い学習である」と気付かされたのでした。
 学習指導要領において例示された国際理解、情報、環境、福祉の各分野はいずれもが「平和」を前提とした学習であり、さらには「平和」を語るとき欠かせない分野であると思えてきたのです。


 とここまで書いてきて、私の筆(?)はパタッと止まってしまいました。
 どうも論を深めようにも、論が深まっていかないように思えてきたのです。
 というのも、読み手が「総合的な学習の時間」に深い関心を持ち、研修の重ねてきた人たちが対象ですから、一般論的なことを述べても訴求力がないと思えてきちゃうと、とたんに筆が進まなくなってしまったのです。よってこの原稿は没にせざるを得ません。

 う~ん、溶解しかかった頭には、研究団体の会報の原稿は重すぎます!

 あ~あ、締め切りは迫っています。
 何か別のテーマで、と思うのですが…。これから頭を振り絞ってみます。
 なのに、今夜から怒涛の六連戦の中盤戦突入です・・・。