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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌市中央図書館「屯田兵の足跡」展

2024-11-20 16:13:00 | 講演・講義・フォーラム等
 “屯田兵” が北海道の開拓のために大きく貢献したことに異論はないと思う。(もちろん北海道の先住民族としてのアイヌ民族の存在はあったが)その屯田兵の足跡を辿る展覧会が札幌市中央図書館で開催中と知って駆け付けた。屯田兵となるための「移住手引書」、「屯田兵手帳」、あるいは屯田兵が子弟のための学校に寄付したことに対する「下賜状」など貴重な品々を目の当たりにした。

       

 昨日(11月19日)、特に日中に特に予定もなかったことから、以前から気にしていた中央図書館で開催中(実際には隣接する「埋蔵文化財センターの一室で開催されていた」」の「屯田兵の足跡~明治の札幌をたどって~」を観覧に訪れた。
 私は「めだかの学校」でこの夏、「さっぽろの古を訪ねて」の第三弾として「北の守りと開拓を担った屯田兵の史跡を辿る」をテーマとして、札幌近郊に点在する五つの屯田兵村跡を訪ね歩いた経緯もあり、この展覧会は必見であった。
 展覧会は主として当時の屯田兵に関するさまざまな現物資料が展示されていた。それらを写真の収めようとしたのだが、ガラスケースに収められていたために照明が反射して上手く写せなかったのが残念だった。

    
※ 写真は明治元年の札幌地図の複製です。明治8年に高見沢権之丞によって原本から複製したとなっている。地図の中央を横断するように流れているのが大友堀(現在の創成川)です。

 その中で特筆すべきは、屯田兵として採用された人たちが北海道に移住するに際しての心構え、注意等が記されているであろう「移住手引書」なるものが目を惹いた。

    
    ※ 移住手引書は年代により表紙の装丁が違っていたようです。

 また、琴似屯田兵村を訪れた際に見せていただいたのは絵画だったが、その画の元となった屯田兵たちが開墾地に勢ぞろいしている写真は見応えがあった。

 
※ 写真は琴似屯田兵村に入植した屯田兵が勢ぞろいした写真だと思われます。

 そして「屯田兵手帳」である。ガラスケースに入っていたために直接手に取って内容を見ることはできなかったが、おそらく屯田兵心得のようなことが記されていたのではないかと思われる。

    
    ※ 屯田兵の必携(?)の「屯田兵手帳」です。

 また、札幌近郊の屯田兵が移住して数年、あるいは数十年経った後に刊行されたのであろう記念誌類もたくさん展示されていた。

    
※ 各屯田兵村で入植〇〇年を記念して刊行された記念誌です。 

 また屯田兵そのものとは一線を画す、特に上川地方の屯田兵を指導されたとされる第七師団長、北海道庁長官などを歴任した永山武四郎が明治18年に一年間の欧米出張から帰国した際に記した直筆の復命書的なものも目にすることができた。

    
    ※ 台上に展示されてあるのが、永山武四郎の自筆による復命書的な文書です。

 さらには、お雇い外国人の一人で「北海道農業の父」と称されるエドウィンダンの「ダンカルタ」なるものが展示されているのが嬉しかった。というのも、やはり「めだかの学校」で真駒内にある「エドウィンダン記念館」を訪れた際に、説明員の方が「私たちでエドウィンダンのカルタを作ったんですよ」と話されたのだが、その際には実物を見ることができなかったのだが、今回はガラス越しとはいえしっかりと実物を見ることができたが、私たちがイメージするカルタより大判の取り札が印象的だった。

      
      ※ 「ダンカルタ」ですが長辺は20cmくらいある大判のカルタでした。

 また、リード文でも触れたが当時の開拓者たちは、屯田兵はもちろんのこと、全ての人たちが子弟の教育のために積極的に支援を惜しまなかったようだ。展示されてあった「下賜状」なるものは、そうした寄付行為に対して札幌県からの感謝状的のようなものだった。 

    
    ※札幌県から屯田兵の下賜された「下賜状」です。
                      
 というように、屯田兵村跡を訪ねた時には見ることのできなかった貴重な資料を数多く見ることができた。
 できればこれらの資料がいつでも見られるような施設(ex.構想されている?札幌市博物館)に展示されることを望みたいものである。
       
       ※ 屯田兵の制服も展示されていました。


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