田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

泉ピン子さんの朗読劇を楽しむ

2023-11-20 14:49:31 | ステージ & エンターテイメント
 何にでも飛びつく田舎オヤジである。今度は北広島市まで遠征し、漫談家出身ながら今や名優の誉れも高い泉ピン子の朗読劇を観に(聴きに)行ってきた。舞台は期待どおり、プロフェッショナルな舞台を披露してくれた。
    

 11月18日(土)夕刻、北広島市芸術文化ホール泉ピン子村田雄浩が出演する朗読劇「すぐ死ぬんだから」の舞台を鑑賞した。
 私の鑑賞動機は不純だった。その動機とは、まず遠く昭和50(1975)年当時、テレビで「テレビ三面記事ウィークエンダー」というあまり上品とはいえない番組で、ハチャメチャなリポートをして一躍人気者となり、その後は「おしん」ゃ「渡る世間は鬼ばかり」などでイメージを変える名演技を披露した泉ピン子さんの生の姿を見てみたいという単純な理由だった。その上、入場料が格安(2,000円)だったことも後押ししてくれた。
          
 入場料が格安だったことは会場内で、「この舞台は宝くじ文化公演の支援を受けています」とアナウンスしていたから、格安が可能となったようで、前売券は完売の状況だったようだ。私の席は完売直前だったとみえ、ホール後方の2階席だった…。
 そんな不純な理由だから、私は公演のほうも題名のように「すぐ死ぬんだから」とばかりに、泉ピン子が村田雄浩を相手に観客の笑いをとるような話をするものだと思っていたところがあった。したがって、何の準備もせずに当日を迎えた。
 ところがパンフレットをよく見ると、内館牧子原作の同名小説を朗読するというではないか!これは大失敗!予め原作を読んでおくべきだったと…。
 大筋のストーリーは、泉ピン子の実年齢と同じ76歳になる婦人が会社経営をしていた夫に先立たれてしまう。夫とは夫唱婦随の生活を送ったと思っていたところに、実は夫は40数年にわたって妾さんをつくっていたことが死後に判明した。そこから妾さんに対する反撃の様がストーリーのメインとなって展開されるのだった…。
 泉ピン子、村田雄浩の二人だけの朗読劇だったから、二人とも何役もこなさなければならず、聴いている方はその解釈が大変だった。私の席は後方だったこともあり、時には彦妙なニュアンスが聴き取れないこともしばしばで、予め原作にあたっていないことを悔いる私だった。
 それでも、二人はさすがにプロフェッショナル、原作の面白さを十分に伝えてくれた。特に村田雄浩さんのキレの良い活舌が心地よかった。
         
 傑作は、舞台がはねた後だった。幕が一度下りた後に再び顔を見せた二人だったが、ここからはもう泉ピン子の一人舞台だった。適度の毒舌を織り交ぜながら、観客を沸かせ続けた。その時間は20分近くにもわたったのではなかったろうか?その中で、一般の演劇と違って身軽に移動できる朗読劇をこれからも全国を回ってやっていきたいと力強く語っていた。
 彼女の末永い活躍を祈りたいと思う。

しゃべりのプロの朗読を堪能する!

2023-11-19 19:57:39 | ステージ & エンターテイメント
  「話のプロ」といったら、どこか違和感がある。やはりアナウンサーは「しゃべりのプロ」だと私は思っている。その「しゃべりのプロ」であるNHKのアナウンサーが名作を朗読する「北の文芸館」で彼らの朗読に耳を傾けた。
   
 11月17日(金)夜、かでるホールにおいて、NHKの公開録音の「北の文芸館 ~朗読と音楽のライブセッション~ 」が開催されたので観覧(鑑賞?)を応募したところ幸いにも入場券が送られてきたので参加することができた。
イベントは2部構成となっていて、披露された朗読、そして読み手のアナウンサーは次のとおりだった。
 第一部 ①「憶えていてください」(麻生直子 作)   朗読:全員
     ②「随筆ゆく道~時計臺」(森田たま 作)  
                    朗読:飯尾夏帆アナウンサー
     ③「ネコの時間」(柄刀 一 作)   
                    朗読:山下佳織アナウンサー
     ④「あたたかき日光 三浦綾子・光世物語」(田中綾 作)
                    朗読:福井慎二アナウンサー        
 (休憩)  ピアノ演奏  鈴木 詩音
            

 第二部 ①「蚊がいる~ふわふわ人間」(穂村弘 作) 
                    朗読:大河内惇アナウンサー
    ②「いっぱしの女~ブラキストン線について」(氷室冴子 作)
                    朗読:野原梨沙アナウンサー
    ③「小さき者へ」(有島武郎 作)   
                      朗読:小林孝司アナウンサー

 以上の内容だったが、ステージは作品ごとに背景を変え、朗読と共にピアニストの鈴木詩音さんが作品に相応しい効果音を適時挿入するという形で進められた。
 さすがに「しゃべりのプロ」である。どのアナウンサーの朗読も素人が朗読するのとは一味も二味も違っていて、表情豊かな朗読が展開された。その中でも「特には?」と問われれば、私はやはり唯一のベテランだった福井慎二アナの朗読が最も心に浸みてきた。作品の一部しか朗読されなかったのだが、福井氏の朗読でもっともっと聴きたいと思ったのは、福井氏が私に最も年齢が近かったからだろうか??
          
 ところで私は「話のプロ」と「しゃべりのプロ」を区別するようなことを前述した。その思いは、「話のプロ」というと、話の内容そのものが問われるのではないかと考えたからだ。「しゃべりのプロ」ということにこだわったのは、朗読の場合は、作品を読むわけだから、発音の仕方、その抑揚、あるいは感情の入れ方、等々が優れているという意味でそう表現したのである。
 アナウンサーにはもちろん時として「話のプロ」としての資質も要求される場面もあることは承知しているつもりであるが、今回の場合はそう表現させてもらった。
 12月17日(日)に今回の公開録音がNHK-FMで放送されるという。もう一度耳だけから6人のアナウンサーの朗読を聴いてみたいと思っている。

食品添加物、加工食品そしてフェイク食品の今

2023-11-18 12:46:59 | 講演・講義・フォーラム等
 私たちの周りには実に多くのフェイク食品や加工食品が出回っていることを改めて教えられた思いだった。その中の多くは食品添加物を使用しているという。その食品添加物の中には健康に害するリスクを含んだものもあるという…。

 11月14日(火)午後、北区民センターにおいて、生活クラブ生活協同組合が主催する講演会「フェイク食品・加工食品と外食産業」と題する講演会に参加してみた。ふだん食について、どちらかというと無頓着な私だが、時には現実を知ることも大切ではと考え参加してみることにしたのだ。講師は「食の安全を考える会」に所属し、全国的に啓蒙活動を行っている野本健司という方だった。
  
  ※ 講演をされる野本健司氏です。

 野本氏はまず「食品添加物」の話題から入った。それによると、現在日本で使用されている食品添加物は実に1,546種類もあるとのことだった。そのうち、天然香料と一般飲食添加物といういわゆる天然由来の添加物を除く、「認可添加物」という832種類がなんらかのリスクの可能性がある考えられる添加物だと野本氏は指摘した。(「認可添加物」とは、厚生労働大臣が認可した添加物である)
 そのリスクとは?遺伝毒性、変異原生、発がん性、発がん促進性、アレルギー性、染色体異常、成長抑制、急性毒性などのリスクが考えられるという。それらの名前を聞くだけで恐ろしく感じてしまう。ただ留意しなければならないのは “可能性” という言葉である。労働大臣が認可しているということは、科学的にはそのリスクが定説とはなっていないということなのではないか、と私は思うのだが…。

  
  ※ 野本氏が持ち込んだ「肉用ミオラ」という肉を柔らかくし、旨味を増すという添加物だそうです。

 いずれにしても、リスクが考えられる添加物を含んだ食品を体内に取り込まない方が良いとは思うのだが、832種もの添加物をチェックするということは事実上不可能にも思える。さてどうすれば良いものか??
 お話は「加工食品」の話に移った。私たちの周りには加工食品が溢れているといっても過言ではない。加工食品とは、水産練り製品(かまぼこ、ちくわなど)、肉加工品(ウィンナー、ハムなど)、乳加工品(ヨーグルト、チーズなど)、果実加工品(ジャム、ジュースなど)というとイメージできると思うが、生鮮食品に何らかの加工したものをいう。
 「加工食品」の主たる目的は、食品を長持ちさせるためにさまざまに加工することなのだが、最近は食品の増量を図るために添加物を入れたり、製品の整形をしたり、中には別原料を混合させたりする例も見られるという。加工食品のメリットは「調理が簡単で、安価、すぐに食べられる」などの利点があるが、反面「添加物が多くなりがち、塩分・糖分が多い、栄養分のロスがある」などのデメリットも指摘されている。
 私たちは表示が義務付けられている食品の裏側に添付されているラベルの表示を確認し①原材料が少ないもの、②加工度合いの少ないもの、③添加物の少ないもの、を選ぶべきであると野本氏は強調された。
 「加工食品」をさらに発展させたのが「フェイク食品」あるいは「コピー食品」といわれる食品である。野本氏はフェイク食品の代表格ともいえる「マーガリン」ゃ「カニかまぼこ」などはすでに独立した食品として世の中に認知された食品もあるが、高級食品を別素材を加工することによって販売されている例が増えているという。例えば漁獲量が減少したイクラ、シシャモ、数の子、キャビア、あわびといったフェイク食品が出回っているという。問題は本物に近いものとして見せるために、添加物などによって加工をほどこしたイクラ、シシャモ、数の子、キャビア、あわびといったフェイク食品が出回っていることだ。問題は本物に近いものとして見せるために、添加物などによる加工が行われることである。
 以上、簡単に現状について野本氏のお話をレポしたが、こうした状況の中で我々消費者はどう対処するれば良いのかというと、野本氏は①添加物使用の食品をできるだけ買わないこと、②添加物を使用していない食品を買うこと、③安さにだまされない、④できるだけ国内産のものを買う、ことだと強調された。
 私はそのことと共に、監督官庁である厚生労働省が国民の健康を第一に考え、より厳格な調査・研究によって適正な規制をしてほしいと願っている。

北海道人はヒグマとどう向き合うべきか?

2023-11-17 12:18:17 | 講演・講義・フォーラム等
 近年、北海道内ではヒグマが人里近くに現れ、人身被害も増えている。つい先日も道南地方で悲惨な事故があった。人とヒグマの接点が近くなってしまった今、この問題にどう対処すべきなのか?関係者が集まったフォーラムに参加した。
     
 11月11日(土)午後、札幌エルプラザにおいてヒグマの会が主催する「ヒグマフォーラム2013 in 札幌」に参加してみた。この問題に対する関心は高いようで関係者を中心として会場のエルプラザホールはほぼ満杯の状況でフォーラムは始まった。
  
 フォーラムは道や市町村の行政関係者、現場でヒグマ対策に従事する方、研究者等々、様々な立場の方が登壇し、それぞれの立場から増えつつあるヒグマとどう向き合っていくべきかについて論じられた。
 そこで本稿では、そうした方々のお話を聴いた私がトータルとしてまとめ、その現状と対策についての感想を述べてみたいと思う。
 近年、ヒグマが私たちの住む住居圏近くに出没する例が増えていることは誰もが見聞きする状況となってしまった。今年は朱鞠内湖での釣り人、大千軒岳での登山者が相次いでヒグマに襲われ命を落とした。また、つい先日は釧路でやはりヒグマに襲われて100針以上も縫う大怪我を負ったニュースも伝えられるなど、人身被害が目立つようになってきた。人の被害ばかりではなく、農作物の被害も深刻度を増していると聞く。  
 研究者によると、北海道とヒグマの関係は次のような歴史を辿りながら今日を迎えているという。それは明治に入り本州からの開拓民が山野を開拓して畑地とする際に、ヒグマは開拓を妨げるものとして捕獲することが当たり前に行われてきた時代を第1のフェーズとしてきたが、昭和41(1966)年からは「春グマ駆除」を開始したことでヒグマの減少を進めた時代を第2フェーズと考え、平成元(1989)年に春グマ駆除を廃止したことによって、ヒグマの生息数と分布が回復して以前にも増して生息数が増えて現在に至る時期を第3フェーズと考えられているが、こうした現状をこまねいていてはますます被害の増大が予想される中、新たにヒグマとの関りを模索する第4のフェーズを迎えたということが言えるようだ。
 今回のフォーラムでのキーワードは「ゾーニング」という言葉だった。つまり北海道において人間とヒグマが共生していくためには、それぞれが棲み分けをしていくことが重要ではないかという考え方である。札幌市では今般、そのゾーニングを4つの区域に分けて設定したという。それは
 ①「市街地ゾーン」(・多くの人の生活圏・人の安全性を最優先)
 ②「市街地周辺ゾーン」(・農業などで人が活動している又は居住している・ヒグマの侵入はあり得るができるだけ抑制、定着は防止)
 ③「都市近郊林ゾーン」(・市街地に近い森林で比較的人の利用が多い・ヒグマの侵入はある程度許容、定着は抑制)
 ④「森林ゾーン」(・市街地から遠い森林・ヒグマが定着、健全な個体数を維持していくべき場所)
の4つの地域に区分するという試みである。
 問題は札幌市のように比較的狭い地域で人員も割ける地域は可能であるが、人が少なく面積が広大な地方の市町村にとっては現実的な話ではないという問題がある。
 そこで議論されているのが「広域連携」という考え方である。北海道がその調整役を担い、近隣市町村毎にまとまり、連携を図りながら一貫性のあるヒグマ対策を講じる必要があるという提言である。
  
 発表を聴き、議論を聴く中で、対する相手が獰猛な野獣である点が問題解決を難しくしている点であることだ。さらにむやみやたらの駆除という方法はコンセンサスを得られない。ただ、「ゾーニング」という考え方は、ヒグマが獣としては非常に賢い獣だという点である。もし、全道的に「ゾーニング」が徹底されるとすれば、あるいは賢いと言われるヒグマがそのことを本能的に察知して問題解決の方向に向かうかもしれない、と私は感じたのだが甘いだろうか??
 新聞は先日、北海道がヒグマ対策のための人員を増加したと発表した。行政の方でもより本腰を入れた体制を取り組み始めたようだ。

北東北の旅 アラカルト

2023-11-16 18:09:18 | 道外の旅
 今回の北東北の縄文遺跡を巡る旅は8泊9日という比較的長い旅だった。そのほとんどは遺跡巡りに集中したのだが、途中で遺跡とは直接関係のないところにも何ヵ所か立ち寄った。それらのことも簡単に記録として残しておくことにしたい。

〈1〉八戸市「蕪島 & 鮫駅」
 八戸市の郊外に「蕪島」という小さな島がある。(島といっても陸続きの出島である)
 その蕪島がウミネコの大繁殖地として有名である。繁殖期の5月にはその数が4万羽に膨れ上がるそうだ。私が訪れたのは10月だったこともありウミネコはほとんど見られなかった。島は小高い丘になっていて、その頂には「蕪島神社」が屹立していた。
  
  ※ 蕪島の小高い頂に建つ「蕪島神社」です。
  
  ※ 蕪島の先端、向こうには八戸港の防波堤が見えます。

 八戸市から蕪島へ行く一つの方法として、JR八戸線に乗り「鮫駅」で下車すると徒歩10分くらいで「蕪島」に着くことができる。
 その「鮫島」は、実は「みちのく潮風トレイル」(青森県から福島県までを繋ぐ総延長1,025kmのロングトレイルです)の青森県側のスタート地点となっている。私は一時期無謀にも真剣にこのロングトレイル踏破をもくろみ、真剣に計画を練った時期があった。そうしたこともあり、なんていうこともない田舎の小さな駅に立ち寄ったのだった。
  
  ※ 鮫駅です。駅前には鮫のモニュメントがありました。
  
  ※ 蕪島のところにあった「みちのく潮風トレイル」の案内板です。
 (訪問日 10月13日)

〈2〉三戸町「三戸城跡」
 10月14日、一戸町の「御所野遺跡」を目ざしていた時、昼食のために三戸町の道の駅に立ち寄った。道の駅で町のパンレットを眺めていた時、江戸時代に三戸町に城が築かれていたことを知った。そして現在その城跡に天守閣が再建されたと知って俄然興味が湧き立ち寄ることにした。
 町を見下ろすように小高い丘の上に立つ城跡の一帯は、どこでもそうであるように町の公園として整備されていた。そしてその一角に博物館を兼ねた天守閣が聳えていた。ところが三戸城に天守閣が築かれたという史実がなかったことから、文化庁からは建物が老朽化した際に再建は認められないと通達がでているそうだ。
  
  ※ 立派な形をした天守閣なのですが…。
    
  ※ 天守閣の最上階から三戸の街を見下ろせました。

〈3〉小坂町「康楽館」
 10月15日、鹿角市の「大湯環状列石」の遺跡を見物した後、隣町が小坂町だということが判明した。私は25年ほど前に団体旅行で小坂町の明治時代の芝居小屋「康楽館(こうらくかん)」で芝居を観たことを思い出し、懐かしさから小坂町を訪れることにした。
 小坂町は江戸末期から明治にかけて金・銀をはじめ銅・亜鉛などが採掘され大いに賑わった歴史ある町である。その関連施設である「康楽館」、「小坂鉱山事務所」、「小坂鉄道レールパーク」の共通入場券を買い求め、三つの施設を巡った。「康楽館」は私を25年前にタイムスリップさせてくれたが、他の二つは見なくても良かったかも?
  
  ※ 「康楽館」に続く通りにはご覧のようにたくさんの幟が立っていました。
  
  ※ 「康楽館」の正面の姿です。
  
  ※ 「康楽館」の館内です。公演を見入る観客たちです。
  
  ※ 「小坂鉱山事務所」の堂々たる建物です。

〈4〉北秋田市「大太鼓の館」
 10月16日、北秋田市の「伊勢堂岱遺跡」を訪れる前に北秋田市の道の駅「たかのす」に立ち寄った。それは道の駅の構内に世界一の大太鼓を展示する「大太鼓の館」があることを知ったからだ。入館料の430円は少し高いのでは?と思われたが、世界一といわれると野次馬根性が騒ぎ出す。
 館内に入ると化け物のように大きな太鼓が4台並んでいた。その中の直径3.71m、胴の長さ4.32m、重さ3トンの太鼓が1989年にギネスブックで世界一に認定されたそうだ。館内にはそれより大きな直径3.8m、長曽4.52m、重さ3.5トンの太鼓もあったが、こちらは残念ながら鼓面(ばちで打つ面)の一部が継ぎ足してあったために世界一とは認定されなかったそうだ。ということは牛の皮一枚から鼓面を作るのは限界のようである。
  
  ※ 「大太鼓の館」の外観です。
  
  ※ 左の太鼓がギネスに登録されたもので、右がそれより大きな太鼓なのですが…
  
  ※ 館内には世界各地から収集された太鼓が陳列されていました。

 このような大きな太鼓が出現したのは、地域の祭りに太鼓を山車として各町内が競い合う中で化け物のような巨大な太鼓が出現したようだ。

〈5〉八甲田山雪中行軍遭難資料館
 東北最後の日となった10月18日は午後にフェリーに乗船する以外に予定はなかった。 
 そこで青森市内を観光しようと思ったが、2年前に青森に来た際に主だった観光施設は体験済みだった。そこで未体験の二つの施設を訪ねることにした。
 最初に触手が動いたのが「八甲田山雪中行軍遭難資料館」だった。新田次郎の「八甲田山 死の彷徨」を読み、それを映画化したものを観ていたので、ぜひ訪れたいと思ったのだ。資料館は青森市の中心街からかなり離れた幸畑墓苑の一角にあった。資料館の外には犠牲となった兵士たちの墓が整然と並んでいたのが印象的だった。
 館内には関係する遺品などが陳列されていたが、記録をもとに映像化されたフィルムを鑑賞して、遭難の凄惨さを改めて感ずることができた。
  
  ※ 「八甲田山雪中行軍遭難資料館」の外観です。
  
  ※ 敷地内には遭難した兵士の墓が整然と並んでいました。上官の墓は別のところに大きな石墓がありました。
      
      ※ 館内に展示されていた遭難当時の兵士の服装です。

〈6〉青森市「棟方志功記念館」
 八甲田山雪中行軍遭難資料館を後にして再び青森市内の中心部に戻り、青森が産んだ天才的な版画家だった「棟方志功記念館」を訪れた。棟方志功については、多くの書物などで彼の作品にはたくさん接していたし、札幌市の近代美術館で開催された特別展も観賞していたので、館内に展示された作品に特別の感慨は沸かなかった。館内が意外に狭く、説明では定期的に展示作品の交代をしているとのことだった。
 それよりは約40分間もの棟方志功の生涯を追ったフィルムを鑑賞したことのほうが私の記憶には残った。
      
      ※ 在りし日の棟方志功の姿です。
  
  ※ 道立近代美術館でも拝見した(?)屛風絵が展示されていました。
  
  ※ 棟方志功が版画制作に使用した道具が展示されていました。

 以上、遺跡以外にも数々の印象的な施設を訪れることができ、実り多い北東北縄文遺跡巡りの旅だった。


北海道・北東北の縄文遺跡群巡り〈17〉三内丸山遺跡(青森市)

2023-11-15 19:02:10 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連
 「三内丸山遺跡」は北海道・北東北縄文遺跡群の中で唯一国の「特別史跡」に指定された遺跡であり、もちろん北海道・北東北縄文遺跡群の中の中心的存在である。その規模、発掘された建物跡、大型の掘立柱建物など他を圧している感がある遺跡である。
 
        
 私が「三内丸山遺跡」を訪れたのは、2020年に続いて2度目である。したがって新たなる感動というものはなかったが、北東北の遺跡群を巡ってきた後に訪れると、やはりそのスケール、遺跡としての充実ぶりは群れを抜いている感じがする。
 「三内丸山遺跡」は紀元前3,900~2,200年前とされ縄文の前期から中期にかけての遺跡とされている。
  
  ※ 唯一この写真だけは「三内丸山遺跡」を概観する写真としてウェブ上から拝借しました。

 遺跡はまずガイダンス施設である「三内丸山遺跡センター・縄文時遊館」がドーンと構えていて、そこを通らないと遺跡そのものを見ることができない仕組みとなっている。入場料410円を払い「縄文時遊館」に入ると、まずは「映像シアター」で「三内丸山遺跡」の概要を把握し、続いて30分おきに出発するガイドツアーを待つ。(時間30分程度、ガイド料:無料)
  
  ※ 「三内丸山遺跡センター・縄文時遊館」のエントランスです。写真右側にも広がっていてとてもカメラに収まりませんでした。
  
  ※ 「縄文時遊館」の内部です。右側は中庭。左側に映像シアター、展示室、そして遺跡の入口などが並んでいます。

 そしてガイドに従い時遊トンネルを通って、いよいよ遺跡に足を踏み込むことになる。ガイドされた順は2020年の時と同じだった。ムラのメインストリートの両側には「土抗墓」と呼ばれる墓跡が土を盛り上げたような形で多数残っていた。続いて、縄文人に住居である竪穴式住居が再現されたものが数棟立ち並び、その中の二つの住居だけが内部の見学を許された。続いて貯蔵庫を再現した建物、捨て場跡(これは実際の跡が残されていた)、さらに長さ32mもある大型建物を復元したもの、そして「三内丸山遺跡」のシンボルともなっている太さ1mものクリの木を使用した大型掘立柱建物を再現したもの、と当時の集落の様子を彷彿とさせる遺跡にはため息が出るほどだった。
  
  ※ ガイド(黄色の人)の説明を聴くガイドツアー参加者です。前方に丸い形をした土抗墓が見えます。
  
  ※ 掘り起こした土溝を見せている施設です。
  
  ※ こちらはいろいろな形の竪穴式住居を復元している一角です。
  
  ※ 高床式の貯蔵庫を復元したものと思われます。
  
  ※ 竪穴式の住居跡の柱を建てた穴を発掘当時のまま展示しているところです。
  
  ※ 「三内丸山遺跡」のシンボルの大型掘立柱建物を復元したものです。

 最後に、「大型掘立柱建物」を建てた時の柱跡が発掘当時のまま保存されているところに案内された。その穴の大きさ、柱の太さは目を見張るほどだった。
  
  ※ 大型掘立柱建物の柱を立てた穴(発掘当時のまま)です。
  
  ※ その穴から発掘されたクリの木の残骸が発掘され、現在はその木のレプリカが
穴の中に置かれていました。(本物は縄文時遊館に)

 ガイドされたところは以上だったが、「三内丸山遺跡」は面積42haだという。私たちが巡り歩いたのはそのほんの一部だったのではないだろうか?雨風が強い悪天だったために、私は早々に「縄文時遊館」に引き返したが、できればもっとじっくりと遺跡を見たかったとも思ったのだが…。
 ガイドツアーを終え、「縄文時遊館」の展示を見て回った。「三内丸山遺跡」は2,000点以上の土偶が発掘されるなど、発掘された出土品の数においても全国有数だという。それらが非常に見やすく展示されていた。また、その展示品の前の解説が分かりやすく訪れた者に興味を抱かせてくれた。
  
  ※ 三内丸山遺跡で発掘された土偶は2,000点以上にものぼるそうだが、その中の代表とされる「大型板状土偶」です。
  
  ※ 館内には写真のように縄文人の生活の様子を再現した展示もありました。手前の四角いタッチパネルが展示品を丁寧に説明してくれる装置が素晴らしかったです。
 さらには、展示しきれなかった出土品なども別棟の方に収蔵されている様子が窓越しに見られるようになっていた。
  
  ※ 展示室に展示できない多くの出土品が見える形の収蔵庫にたくさん収められていました。手前の黒い塊は、大型掘立柱建物の柱に使われていて発掘されたクリの木の一部です。
  
  ※ 「縄文ビッグウォール」と称して、三内丸山遺跡から発掘された土器の破片を
5,120個展示したものだそうです。
  
 北東北の縄文遺跡群を巡ってきて、各遺跡のガイドの方々が「三内丸山遺跡は…」と特別視して話す場面に何度も遭遇したが、それもむべなしの感だった。「三内丸山遺跡センター・縄文時遊館」は、レストランやショップも充実していた。私は「れすとらん五千年の星」で「縄文うどん」を食し、ミュージアムショップで掘立柱建物をイメージした長さ85cmの巨大なふ菓子を購入した。「縄文うどん」は麺にクリ、ドングリ、長芋が練り込まれているとのことだったが、味はまあまあといったところか。ふ菓子の方は孫たちの土産としたのだが、孫たちには大受けだった。
  
  ※ 私が食した「縄文うどん」です。
      
 ※ 孫たちに大受けだった「縄文柱」を模した長さ85cmのふ菓子です。

 こうして私の北東北縄文遺跡群を巡る旅を終えたのだが、振り返ってみると、全てを訪れる、というところに最大の目標をおいたこともあり、一つ一つの遺跡をじっくりと見る(観察する)という点では欠けていた点も多々あった。ただ、当初の最大の目標を無事にクリアできたことに今は満足している私である。

 ガイダンス施設「三内丸山遺跡センター・縄文時遊館」 青森市三内丸山305               
 ◇入館料 410円

ヘルシーウォーキング㉔ in 日本遺産「炭鉄港」構成文化財と小樽ウォーク

2023-11-14 17:02:17 | JRヘルシーウォーキング
 今シーズン最後となるヘルシーウォークは、雪が舞い落ち肌寒い中でのウォークとなった。しかし古都・小樽市は見どころも多い。小樽港を横目に見ながら他の街では見られない光景を楽しみながらのウォークとなった。
    
 11月12日(日)、イベントウォークとしては今年最後となる小樽ウォークに挑んだ。
  
  ※ 今回のウォーキングのS & G
 8時30分、スタート地点の「小樽駅」発った。まずは真っすぐに小樽港に向かうのだが、途中から右に折れて「旧手宮線跡地」を往くと、日陰のところには前夜に降った雪が融けずに残っていた。
  
  ※ 小樽駅から小樽港に向かうメインストーリートです。
  
  ※ 旧手宮線跡に今も敷かれている線路です。
  
  ※ 手宮線跡地の日陰部分には雪が融け残っていました。

 「日銀旧小樽支店前」を通り、コースは「堺町通り」に導かれる。この通りは歴史的建造物も多く、土産物店や海産物を提供する飲食店なども目立ち、観光都市・小樽のメイン通りのようだ。朝まだ早く観光客の姿は目立たなかったが、お店の人たちは開店準備に追われているようであった。途中には「メルヘン交差点」と呼ばれる五差路の交差点があったが、なるほど「オルゴール堂」をはじめ、洋風の古い建物が集まった交差点だった。
  
  ※ 旧日本銀行小樽支店の建物は保存されています。

  
  ※ まだ目覚めていない小樽の観光メインストリートの「堺町通り」です。

  
  ※ 通りには写真のように派手な看板を立てた海鮮丼なとの店が並んでいました。
  
  ※ イタリア・ヴェネツィアの中世の宮殿を再現したと言われる「北一ヴェネツィア美術館」です。
  
  ※ メルヘンチックな建物が五差路交差点を囲む「メルヘン交差点」です。正面の建物が「オルゴール堂」です。 

 コースは「堺町通り」を過ぎてもなおまっすぐに南東に向かって伸びていた。その先には私が昨年2月に訪れたことのある「小林酒造」の「亀甲蔵」の古い建物が見えてきた。
  
  ※ 木造の歴史ある(?)木造の建物の小林酒造の「亀甲蔵」です。

 さらにコースは東へ伸びていた。その先には巨大な構造物「ウィングベイ小樽」が屹立していた。「ウィングベイ小樽」は1999年に大型複合商業施設「マイカル小樽」として当時国内最大級と謳って華々しく開業したが、長くは続かず2001年には早くも破綻したそうだ。その後を受け、2003年に「ウィングベイ小樽」として再スタートを切ったそうだ。私は華やかに開業した直後と、数年前に訪れたことがあるが、施設が大きいだけに内部は閑散とした感じは否めなかったことを憶えている。
 この巨大な建造物の横を通っていた時、一時的ではあったが雪が激しく降った。
  
  ※ 巨大すぎてカメラに収まらない「ウィングベイ小樽」の横を通過する際に急に雪が激しく降り出しました。

 コースは「ウィングベイ小樽」を取り囲むようにしてUターンをして、今度は海岸沿いの道路を北西方向に一直線に進んだ。時折り小樽港を望みながら、道路沿いには運送会社や倉庫など海運業関係の会社が立ち並ぶ中を進んだ。
  
  ※ 帰りのコースでは、ところどころで小樽港が顔を見せてくれました。

 小樽名物の「小樽運河」が近づくと、小樽軟石を使った古い倉庫群が飲食店などに改装された一角の前を通った。私はマップをよく見ていなかったこともあり、お馴染みの「小樽運河」が現れるものと思い歩を進めていたが、実はコースは「小樽運河」の裏側を歩いていたことに気が付いた。
  ここではやはり「小樽運河」の写真を撮らなくては、と一時コースを外れ写真を一枚撮った。併せて運河沿いにあり建物の解体がささやかれている「旧北海製缶会社」で解体に反対する市民の方々がイベントを開催していたのでちょっとだけ覗かせてもらった。
  
  ※ 小樽観光の顔ともいえる「小樽運河」です。
  
  ※ 運河沿いにあって解体が噂される旧北海製缶工場の建物です。

 コースに戻り、小樽港の北外れ近くに来たところに「小樽市総合博物館」があった。「小樽市総合博物館」は鉄道関連の実物展示が呼び物の一つであるが、道路からもそれらの貨車や客車を望むことができた。また、博物館の近くには「手宮洞窟保存館」もあった。
  
  ※ 小樽市市街地の外れに立つ「小樽総合博物館」の前庭です。
  
  ※ 博物館の建物後方には、鉄道関連の列車や機関車が野外展示されています。
  
  ※ 古代の洞窟壁画が発見された「手宮洞窟保存館」です。

 コースはゴールの「小樽駅」を目ざして再び東に舵を切り、ゴールを目ざした。その途中に「小林酒造本店」の古い建物が存在感を誇って建っていた。こちらの方は酒販専門のようで、酒造りは先に見た「亀甲蔵」の方で製造しているようである。
  
  ※ 小林酒造本店の歴史ある建物です。

 そして11キロを歩いて2時間半後にゴールの小樽駅に着いた。
 雪模様とあって、けっこうな寒さの中、途中でウェアを重ね着するなどして歩いたが、古都小樽の見どころがいっぱいに詰まった、退屈のしない素晴らしいコース設定だと感じた小樽コースだった。
 これで今シーズンのJRヘルシーウォーキングは最後となったが、25回のウォーキングを楽しめた一年だった。身体さえ許せば、今年歩くことのできなかったコースを中心に来年もまた楽しみたいと思っている。

Rapidus 小池淳義社長の講演を聴く

2023-11-13 18:18:27 | 講演・講義・フォーラム等
 現在の経済界の話題の主人公ともいえる新会社Rapidusの小池淳義社長から直接お話を伺うというビッグチャンスに遭遇した。小池氏は科学者らしい貌も見せながら、自信満々に、そてし滔々とRapidusの未来を語った。

 
 
 11月9日(木)、札幌では年に一度道内企業が一同に会する「ビジネスEXPO」が開催される。私はビジネスにはまったくの門外漢なのだが、例年並行開催される「ビジネスセミナー」を楽しみにしている。そのセミナーの第1陣の基調講演にリモートではあったが、今をときめくRapidus社長の小池淳義氏が登壇された。演題は「北海道から世界へ 半導体イノベーション時代の幕開け」と題して講演された。

        

 小池氏は経営者であるとともに、科学者の貌も併せ持った方で、工学博士号を取得し東京理科大で上席特任教授として学生に講義も行っている方である。
 そうしたこともあり小池氏は半導体の現状、可能性などについて滔々と語る姿は経営者でありつつ、科学者でもあるといった印象だった。お話はとても魅力的だったのだが、リモート登壇のために画面を鮮明にするために室内を暗くしたことからメモが取れなかった。したがって、私の記憶に残るところしかレポできないのが残念である。
 記憶に残ったのは、お話が概ね前日にレポートした北海道新聞の鈴木氏のお話と被るところがあったように思われたことであるが、小池氏のお話からは2NMの半導体を創り出すことに対して迷いのようなものをまったく見せず自信満々だった点が印象的だった。
 氏のお話では、主要工場を建設する千歳市の地理的条件の素晴らしさ、そして技術提供を受けるIBMとベルギーImecへの信頼度に絶対の自信を見せていた。
 そしてここからは北海道新聞の鈴木氏の見方とは異なり、Rapidusの生産が軌道に乗ることによって、北海道において6次産業化を図り、北海道から世界へ向けた動きが加速化するのではないかと予想した。また、千歳市だけではなく、石狩市、札幌市、苫小牧市を結んだ「北海道バレー構想」にまで話が及んだ。
 小池氏の講演を聴いていた北海道の企業関係者の方々にとってはワクワクするような話だったのではないだろうか?ただ、小池氏のお話のようにコトが進んでいくかどうかはまだまだ未知数のところが多いというのが偽らざるところではないだろうか?
小池氏のお話が正夢となるには、北海道の関係者たちがこのビッグチャンスにどうアプローし、知恵と努力を傾注していくかが大きな鍵となるのでは、と外野の私には思われたのだが…。本稿については素人の戯言と受け止めてもらいたい。


北海道経済の未来は明るい?暗い?

2023-11-12 16:07:21 | 講演・講義・フォーラム等
 “ラピダス” の千歳市進出に沸く北海道の経済界だが、はたしてその実状は??北海道新聞社の経済通の記者からその内実を聴いた!

 11月7日(火)午後、かでる2・7(道民活動センター)の「学びの広場で学ぼう」講座が開講され参加した。今回は「北海道経済の行方」と題して、北海道新聞社の特別編集委員をされている鈴木徹氏を講師に迎えて開講された。
       
 ※ 講師を務めていただいた北海道新聞特別編集委員の鈴木徹氏です。

 鈴木氏は次の3つ※の問いからテーマに迫ってみたいと述べた。その3点とは…、
 ① 半導体産業は北海道経済を救うのか?
 ② SDGsは北海道にとって追い風か?
 ③ 公共交通をどう守っていくのか?
 一見3点は関係ないように見えるが、お話を伺ううちに実は密接に繋がっていることを教えられたのだった。
 日本の主要企業8社が資本を出資して、世界の最先端をゆく半導体メーカーを目ざしてRapidus(ラピダス)を設立したのが昨年(2022年)8月だった。そして今年2月、その主要工場を千歳市に設立するとなってから北海道は大いに沸き立っている。会社設立からわずか半年で降って涌いたように主要工場を千歳市に設立すると決まったことに驚きを覚えてしまう。
  
  ※ 鈴木氏が提示してくれたスライドの一部です。

 さてその “半導体” であるが、正直言って私には良く分からない物体である。鈴木氏がごく簡単に “半導体” についてレクチャーしてくれた。一口に “半導体” といってもいろいろ種類があるらしい。「ディスクリート半導体」、「オプト半導体」、「センサー半導体」、「ロジック半導体」、「メモリー半導体」、と…。
 今問題となっているのは「ロジック半導体」のことで、鈴木氏によると、「ロジック半導体」は「半導体の王様」ということだ。その「ロジック半導体」は今、世界的には微細化の戦いの渦中にあるらしい。日本で現在生産されている半導体の大きさは40NM(ナノメーター)だそうだが、半導体生産の先進地である台湾、韓国では3NMの半導体を生産しているとのことだ。現状で日本は台湾、韓国にまったく歯が立たない現状にあるため、Rapidusで2NMの半導体を2025年までに試作し、2027年には量産を目ざすという計画だという。
 さて、そこで問いの①についてであるが、半導体の生産基地をなぜ千歳市に設立することになったかというと、一つは北米や欧州に近いこと(航空路線)。広大な土地や水が豊富なこと。再エネを産出できる可能性があること。観光や食に魅力があること。といった利点から選出されたという。
 Rapidusの目論見通りに生産が順調に始まり、輸出も順調だったとして、北海道の経済を救うのか?という問題については、残りの二つの点を考察する中で総合的に考えることにする。
  
※ Rapidus千歳工場の完成予想図です。

 ということで、②のSDGsは北海道にとって追い風か?という問題についであるが、近年企業においては「ESG投資」ということが問われる時代となっているそうだ。ESGとは、「Environment=環境」、「Social=社会」、「Governance=企業統治」の頭文字をとった言葉で、企業が長期的に成長し続けるためには、この3つの観点で事業リスクや事業機会を長期的に把握しなくてはいけないという考え方で世界的に広まってきているそうだ。つまりこれからの企業は、「環境」に配慮し、かつ「社会」と良好な関係を築き、不祥事の回避などリスク管理がしっかり構築されているかどうかが問われているそうだ。
 こう説明されると、ESGはSDGsとの共通性が見えてくる。つまりこれから企業が成長していくためにはSDGsを意識した企業活動が必須であり、そのことを意識しなければ投資が集まってこないとも言えるそうだ。
 このような環境の中で、北海道は?というと、再エネ生産基地としては国内的に見ても最適地であり、産業基地としての可能性を秘めている地域と言えそうだ。
 3番目の「公共交通をどう守っていくのか?」という問題であるが、北海道の鉄路は不採算路線が続出し、多くの鉄路が廃線の危機に直面している。鈴木氏は「貨物列車が鍵である」と言う。貨物はトラック輸送が主力であるが、現在運転手不足は深刻な状況にあるという。その点、貨物列車は一人の機関士(列車運転士)でトラック60台分を貨物を運送できる点を見直し、アピールする必要があると指摘する。鉄路を守ることはCO²を排出を抑えることで、SDGsの推進にも加担することに繋がると…。
 こう考えてくると、世界の潮流に対して北海道の秘めたる可能性はかなり高いものであることが浮かび上がってくる。
 Rapidusが北海道に主要工場を設立し、SDGsの風が追い風となり、と考えると北海道経済は順風満帆のようにも見える。「ただ…」と鈴木氏はくぎを刺した。「過剰な期待は禁物だ」と…。Rapidusが順調に稼働し始めたとしても、Rapidusの収益のなかの数分の一(あるいは数十分の一)が北海道に落ちるに過ぎないのでは?と警告した。
 北海道の人材を、北海度の資源を、どう絡ませていくのか?素人の私には分からないが、関係者の叡智によって、北海道も他の地域に遅れぬように発展の道に舵を切ってもらいたいものである。まさに「試される大地」(以前の北海道のスローガン)なのではないだろうか??

北海道・北東北の縄文遺跡群巡り〈16〉 小牧野遺跡(青森市)

2023-11-11 19:20:45 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連
 小牧野遺跡もまた環状列石(ストーンサークル)を特色とする遺跡である。北東北の遺跡を巡り、縄文人たちがいかに祭祀を重要視していたかを痛感させられた。小牧野遺跡はその大きさ、形状ともに特筆すべき環状列石だった。
        
 いよいよ私の北東北の縄文遺跡巡りも最終日となった。10月17日(火)、私は初めに「三内丸山遺跡」を訪れたのだが、「三内丸山遺跡」はいわば北海道・北東北遺跡群の中で特別な存在であるので最後にレポすることにして、まずは「小牧野遺跡」をレポートする。
 「三内丸山遺跡」が青森市の中心街からそれほど離れていないところに位置するのに対して、「小牧野遺跡」は青森市の中心からかなり離れたところ(10キロくらい?)の台地に位置していた。
  
  ※ 遺跡は遠くに青森市の街も望める台地に位置していました。
 「小牧野遺跡」は紀元前2,000年前の遺跡とされ、いわば今から4,000年前に栄えた遺跡で、縄文後期の前半の遺跡とされている。
 私はまず廃校になった校舎を利用したガイダンス施設の「縄文の学び舎・小牧野館」を訪れた。こちらには学芸員やガイドなどはおらず、私は勝手に見学させていただいた。説明する方はおられなかったものの、昔の教室をそのまま活用した形で、教室毎にテーマが設けられていて、展示の説明が私たち素人にも分かりやすい説明と展示方法が印象的なガイダンス施設だった。
  
  ※ 廃校した校舎を利用したガイダンス施設「縄文の学び舎・小牧野館」です。
  
  ※ 遺跡から発掘された土器です。
  
  ※ 遺跡から発掘された「土坑墓」を再現して展示しているものです。
 遺跡はガイダンス施設からやや離れたところに位置していた。そこには見学者用の「小牧野の森・どんぐり家」という施設があり、ガイドはそこで待機していた。ガイドの方はそれまで各遺跡が案内してくれた方々とはやや雰囲気が違っているように感じた。どこか職業的匂いを感じさせ、あるいは臨時の職員さんなのかもとれないと思われた。
  
  ※ 遺跡のところに建てられた見学者用の「小牧野の森・どんぐり家」です。
  
  ※ その「どんぐりの家」の内部です。
 その方に案内され遺跡に向かった。遺跡はやはり当時の環状列石を復元させたもので、三重に石が並べられていた。これまでも二重、三重の環状列石を見てきたが、最も石がたくさん並べられているように感じた。またその円の大きさが直径55mと国内最大級の大きさを誇るものだったところに大きな特色があった。また、その石の並べ方にも規則性があるように思えた。
  
  ※ 環状列石です。写真では二重円ですが、確かに三重円の大きな環状列石でした。
  
  ※ こちらは別の環状列石です。
  
  ※ 石の並べ方に規則性を感じました。
 今回の北東北の遺跡を巡る旅では、前述したように環状列石やお墓の遺跡がとても多かった。このことは文明が発達していなかった縄文の時代においては、自然現象や人の生死などに対して何かに “祈る” ということが最大の関心事だったのかもしれない。そのことが この時代に遺跡において祭祀の場としての環状列石が数多く発掘されたことに繋がっているのではないか、と素人なり感じたことだった。 
  
  ※ 環状列石の傍にあった「土坑墓」の跡です。
  
  ※ 祭祀に使ったものを捨てた「捨て場跡」です。
 ガイダンス施設「縄文の学び舎・小牧野館」 青森市野沢沢辺108-3               
 ◇入館料 無料