田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

実践する若者たちKacotam(カコタム)とは?

2023-11-10 12:25:54 | 講演・講義・フォーラム等
 「すべての子どもが学びの機会に出会い、自己実現に向けて挑戦できる社会」を目ざし、その環境づくりに取り組んでいるのがKacotamという若者のグループである。彼らの実践を聴いた。

 私のレポートは時間が前後する。11月6日(月)夕刻(つまり同じ日にあった「禅をきく会」の開催前である)、札幌パークホテルにおいて「札幌ユネスコ協会」が設立75周年の記念講演会に NPO法人Kacotamの理事長・高橋勇造さんが講演すると知って駆け付けた。
 Kacotamの高橋勇造さんについては、私が所属する退職組織において5年ほど前にお話をお聴きし、感銘を受けていたこともあり、その後どうなっているのだろうとの関心もあった。
 この日の演題は「子どもの “やりたい” をカタチにする学びの場づくり」と題するものだった。
  
 高橋さんご自身は30代半ばとお見受けするが、北大大学院で経済学を研究されていた方ということで、教育と直接関わっていた方ではなかったようだ。ただアルバイトで家庭教師を経験する中で、子どもの貧困や虐待という問題に関心を持つようになったという。そうした子が学習の機会さえ満足に与えられていないことに心を痛め、なんとかしたいとの思いが募ったようだ。
 高橋さんは、大学院を修了後、民間会社に職を得るが、同時に個人で任意団体の「Kacotam」を起ち上げ、職も辞し一人で活動を始めたのが2012年のことだという。それから徐々に高橋さんの活動を応援する仲間が増え、2年後の2014年認定NPO法人格を取得して昨年設立10周年を経過したところだという。
 ちなみに「Kacotam」という団体名は「(Ka)んがえる、(co)うどうする (ta)のし(m)」からとった造語だそうだ。
 高橋さんは言う。「Kacotamの最大の目標は『学びの機会格差問題』の解消です」と…。そして貧困家庭の子どもたちに無償で学習塾のように学習支援の活動を続けたそうだ。しかし、実践を続けていく中で、単に子どもたちの学力を上げることだけでは限界があることに気付いたという。そして現在は下図のようにあくまで「学びの支援」を中心にしながら、その活動を補強する「コンサルティング」や「アドボカシー」にも力を入れているという。「学びの支援」も単なる学習塾を追随するようなものではなく、①学習に取り組める環境づくり、②視野が広がる環境づくり。③つながりができる環境づくり、とウィングを広げているとのことだった。
  
 「コンサルティング」は、子どもの学びの場をつくりたい団体を積極的にサポートする活動だそうだ。つまり同じ志をもった仲間を増やそうという活動のようだ。
 そして「アドボカシー」は、講演会や学習会を通して子どもの現状を発信することだという。まさに今回のような講演会もそうであるが、社会に対して子どもが置かれている現状を積極的に発信することにも力を入れているということである。
 Kacotamは現在札幌市内10拠点(正確に数字ではない)だけでなく、札幌市外にも拠点を広げ、江別、恵庭、苫小牧、そして東京にまで活動拠点を伸ばした現状にあり、これからも「すべての子どもが学びの機会に出会い、自己実現に向けて挑戦できる社会」の実現を目ざし取り組んでいきますと、結んだ。
 こうした活動をKacotamは寄附金によって賄い活動しているという。しかし、財政的にはかなりきついのが現状のようだ。高橋氏の理想を求める情熱と、それを支えるボランティアスタッフ200余名の応援によって成り立っている活動のようでもある。金銭的支援は私には無理な相談であるが、何かお手伝いできることはないだろうか、と考えてみたい。

国際シンポジウム「北海道・北東北の縄文遺跡群の価値理解と普及」

2023-11-09 17:05:12 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連
 私にとってはややレベルの高いシンポジウムに参加してみた。シンポジウム自体の私の理解度はイマイチだったが、「インタープリテーション」というキーワードが印象に残ったシンポジウムだった。
     
※ シンポジウムの開催告知パンフレットですが、背景の写真は世界遺産に登録された北海道内の縄文遺跡群です。

 少し時間が経ってしまったが11月5日(日)午後、北海道大学の農学部講堂において「北海道・北東北の縄文遺跡群の価値理解と普及」と題する国際シンポジウムが開催されたので参加してみた。
 シンポジウムは、西山徳明北大教授の基調講演に始まり、岩手県御所野縄文博物館々長、アメリカホープウェル国立歴史公園の考古学者、アメリカ国立公園事務所の考古学者、オーストリアの知的財産管理部門の主査、と言った方々の事例報告、そして登壇者全員によるパネルディスカッションと盛りだくさんの内容だった。
     
   今回のシンポジウムの講演者・発表者の顔写真と経歴です。

 シンポジウムの全てをレポートするのは私にはとても荷が重いので、シンポジウムを通じて私が印象的に感じたことをレポすることにする。
 その印象に残ったこととは「インタープリテーション」という言葉だった。基調講演で西山氏が再三にわたって口にした言葉である。私のように考古学について門外漢の者にとって初耳の言葉であったが、ネットで調べると次のようにまとめてくれている。
「自然・文化・歴史(遺産)を分かり易く人々に伝えること。自然についての知識そのものを伝えるだけではなく、その裏側にある“メッセージ”を伝える行為。あるいは、その技能のこと」
 本シンポジウムにおいて、「インタープリテーション」という言葉が強調されたのは、世界遺産の中でも特に “遺跡” というのは、一般人にとってそれを見ただけではその価値を十分には理解できないケースが多いために、その価値を伝える術(すべ)が大切であるということを強調されたのだと思われる。確かに私のこれまでの体験でも、屋久島や白神山地、あるいはグランドキャニオンなどの自然遺産はそこに身を置いただけでその素晴らしさ、雄大さなどを体感することができた。
 しかし、昨年、そして今回と巡り歩いた北海道や北東北の縄文遺跡群の場合は、発掘した跡が覆土されていたり、「ここで縄文人たちは祭祀を行っていた」と言われたりしても、そのことをイメージするのは難しかった。それを単に現地をガイドするだけではなく、インタープリテーションという考え方でビジターにより深く理解してもらうことが “遺跡” を案内する場合は必要であるということを強調しようということなのだろう。
 今回の北東北の縄文遺跡巡りでは、拙ブログでも度々触れているとおりガイドの方々の説明が、これまで私が受けた他のところでのガイドと比べて一段と丁寧だったなぁ、という印象が強かった。あるいは、ガイドの方々も研修によって「インタープリテーション」という概念を具現化しようと努められていたのかもしれない。
 上述したように “遺跡” というのは一般人にとっては地味な存在である。世界遺産に登録された遺跡の関係者は、登録されたときの喜びの時期が過ぎて、これからはいかに一般の方々がいかに持続的に興味関心を抱いていただけるかが課題となってくるようである。「インタープリテーション」は関係者にとって大切なキーワードのようだ。
 事例報告では、今回私も訪れた岩手県の御所野遺跡が遺跡の価値伝達のために先進的な試みを手がけている報告があった。
 またアメリカ・テキサス州の「ホープウェル儀式用土塁群」は千歳市の「キウス周堤墓群」と似かよった遺跡である点が目を惹いた。
   
   ※ 一見、千歳のキウス周堤墓群と見紛うような「ホープウェル儀式用土塁群」
   の写真です。

 さらにアメリカ国立公園局では、パークレンジャーに対して考古学的な価値を伝えるための研修に意を注いでいるとの報告があった。
 オーストリアの方からは、1~2世紀にわたって広大な領域を築いた「ローマ帝国」の国境線沿いの遺跡の保存のために国を跨いで、国同士が連携して遺跡を保存することの重要さ、難しさについての報告があった。
 パネルディスカッションでは、外交辞令的な意味合いも含まれてはいるのだろうが、日本の取組みについて賛辞する言葉が続いた。それぞれの国において、それぞれの事情で関係者は苦労されていることをうかがわせてくれる発言だった。
   
   ※ プログラムの最後のシンポジウムの様子です。

 関係者の伝える工夫、努力。それを受け止め理解し、周りに価値を広める一般人の応援・協力。この二つが北海道・北東北縄文遺跡群の価値を広く国内に定着させていくための鍵となるようである。


白井一幸氏サムライジャパンの内側を語る

2023-11-08 16:02:00 | 講演・講義・フォーラム等
 白井氏は言う。「サムライジャパンは “目標” を果たすことに集中したが、それ以上に “目的” を果たすことを重んじた」と…。白井氏が語るサムライジャパンの内側をお聴きし、今春世界一を掴んだ秘密に触れたような気がした。
     

 11月6日(月)夜、札幌パークホテルにおいて曹洞宗の北海道管区教化センターが主催する「禅をきく会」に参加した。「禅をきく会」は、曹洞宗の飯田整治老師の「生死事大 無常迅速」という法話と、2023年WBCサムライジャパンのヘッドコーチを務めた白井一幸氏による「豊かになるためのチームビルディング」と題する講演、そして「椅子座禅」を体験するという構成となっていた。
        

 法話も、座禅体験も興味深かったが、ここでは白井氏の講演についてレポートしてみたい。
 白井氏は冒頭、今春のWBCにおいて優勝したことで、みなさんから声をかけていただいたとき「おめでとう!」という言葉も嬉しかったが、「ありがとう!」の言葉の方がより嬉しかったと語った。それはサムライジャパン(栗山ジャパン)が「最高のチーム」を目ざしたことにあったからだという。もちろん栗山ジャパンは世界一を目指して「最強」のチームづくりを心掛けたが、同時に「最高」のチームづくりも心掛けたという。
 白井氏は言う。「“最強” と “最高” は =(イコール)ではない。“最強” とは相手に勝つことだが、“最高” には相手がいない。ということは大会を見ている人たちに “最高” のチームだ!と感動を与えられるチームを目ざすことだ」と言う。
 その最高のチームを目ざすために、栗山ジャパンでは選手たちに次の3点を求めたという。
 ① チームの全員が目的を共有する。(感動を与えられるようなチーム)
 ② 自分の役割を果たす
 ③ 周り(チームメイト)と関わり合う
そして白井氏は3名の選手と栗山監督、そして一つのチーム名を挙げてサムライジャパンの内側を語った。
 一人は初の外国出身選手だったヌートバー選手のことだった。日本の第一戦対中国戦でヌートバーの第3打席、彼はぼてぼての一塁ゴロを放った際に全速力で一塁を目ざしたという。その姿に慌てた中国一塁手は思わずエラーをしてしまったそうだ。ヌートバーの一生懸命なプレーは観戦していた日本人の感動を呼んだ。そしてチームメイトの心に火を付けたという。その後の彼の活躍はご存じの通りで、母子ともども日本人のアイドルとなった。白井氏はヌートバーの全力プレーを “凡事徹底” が大切と語った。

  

 二人目は大谷翔平選手である。彼が決勝戦の前に選手たちに呼びかけた「憧れるのは止めましょう」は、流行語大賞にノミネートされるくらい有名となった。その裏には、アメリカとの決勝戦の対戦前に、アメリカ代表の主将トラウト選手から日本チームにサインボールが贈られたという。それも一個ではなく選手全員分だったという。選手たちは憧れの選手のサインボールをもらい夢心地だったという。それを見ていた大谷選手がとっさに放った言葉だという。また、大谷選手は日本からアメリカへ移動する際にチェコチームの帽子を被っていたが、それにも訳があったそうだ。それについては後述します。

  
  ※ 日本からアメリカ入りした際に大谷選手が被っていたチェコチームの帽子です  

 三人目はなんと山川選手の名を挙げた。山川選手のその後の不祥事について白井氏は厳しく指弾した。しかし、WBCにおける山川選手の行動には率直に称賛をおくり、彼の再起に期待を示した。山川選手は当初サムライジャパンでは唯一の一塁手として選出されたそうだ。しかし調子が上がらず本戦では本来三塁手の巨人の岡本選手がずっと一塁手として出場し、山川選手は控えとなってしまった。しかし、山川選手は腐ることなく試合に出ない選手たちのリーダーとして、ベンチのムードメーカーとなって出場選手たちを励まし続けたという。そうした姿を見ていた選手たちは山川選手がピンチヒッターで登場した際はベンチが一番沸いたそうだ。
 そして栗山監督である。白井氏は栗山監督のことを「信じて、任せて、感謝する監督だ」と称した。そして「栗山監督はどこを切っても信じ続ける男だ」と…。あの不調にあえいだ村上選手が三振をして帰ってきても「素晴らしいスイングだ」と褒めていたという。その選手を信じる采配が対メキシコ戦準決勝の決勝打、そして決勝戦の対アメリカ戦のホームランに繋がったと白井氏は語った。

  

 最後はチェコチームである。チェコチームはプロではなく、完全なるアマチュアチームである。実力的には日本とは雲泥の差があるチームと言えるかもしれない。しかし、その一生懸命さは日本チームにも、日本人観客にも感動を与えたという。その一場面、4回表のチェコ攻撃時に佐々木朗希投手の150キロを超える剛速球が打者の膝を直撃した。普通なら立ち上がれないという。しかし、その打者は立ち上がり一塁まで歩いたという。歩いただけではない。一塁に達するとライト方向に向かってファウルグランドをダッシュした姿は多くの観衆の感動を呼んだシーンだった。こうしたチェコ選手たちの全力プレーはサムライジャパンの選手たちにも少なからず影響を及ぼしたようだ。対戦後に選手たちはチェコ選手たちの善戦を讃え拍手を送ったそうだ。白井氏はこうした相手を尊重するサムライジャパンの選手たちの仕草から、本当の意味で選手たちが “サムライ” になったと実感したという。そしてそのことをより具体的な形で示したのが、大谷選手がチェコチームの帽子を被ってアメリカ入りした姿だったのだと白井氏は指摘した。

    

 白井氏はきっとたくさんのところでお話する機会があったのだろう。ユーモアを交えながらも淀みなくサムライジャパンの内側を語ってくれた。そして私が最も感動したのは、白井氏の栗山氏に対する揺るぎない信頼の厚さである。白井氏と栗山氏は同年代だという。しかし、白井氏は監督とヘッドコーチという立場を一瞬たりとも崩そうとしなかった。そこに私は白井氏の素晴らしい人間性を見た思いがした。

 ※ 掲載写真は全てウェブ上から拝借しました。
  

北海道・北東北の縄文遺跡群巡り〈15〉 太平山元遺跡(外ヶ浜町)

2023-11-07 16:21:09 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連
 休日であることを覚悟して伺った遺跡だったが、やはり今回の旅の中では最も収穫が少なかった遺跡となってしまった。それでも現地まで赴き、遺跡の上に立てたことをヨシ(良し)としたい。
        

 「大森勝山遺跡」を訪れたのは10月16日(月)、私はその後「太平山元遺跡」を目ざして外ヶ浜町まで車を飛ばした。この日は休業日であったが、その後のスケジュールを考えると直接職員やボランティアガイドから詳しいお話を伺えなくとも、現地にだけは立ってみたいと考えたのだ。
 「太平山元遺跡」は縄文草創期の紀元前13,000年(つまり現代より15,000年前)という縄文の中でも最も古い時期の遺跡である。したがって出土した土器にも縄目(縄文)の模様がないものが出土しているという。
  
  ※ 「太平山元遺跡」のエントランスです。遺跡は遠方の小高いところです。遺跡の手前には当時植わっていたであろう針葉樹が植えられていました。
 遺跡は小さな集落の住宅に囲まれるような形で存在していて、これまで見てきた遺跡と比べ面積は小さかった。遺跡は小さいながらも台地を形成しているところは他の遺跡と同様だった。現地は説明板なども整備され、遺跡の周囲には当時の自然環境を再現するためにデータに基づき針葉樹なども植樹されていた。
  
  ※ ちょっと小高い台地に形成された「太平山元遺跡」の全景です。
  
  ※ 写真のように民家がすぐ近くに建っていました。
  
  ※ 説明板の前の小石模様のものは、遺物が発掘された跡のようです。

 また遺跡の入口には新しいガイダンス施設の新築工事が進められていた。
  
  ※ 遺跡の横では新しいガイダンス施設の建設の真っ最中でした。

 残念だったのは、遺跡からそれほど離れていないところに廃校校舎を利用したガイダンス施設「外ヶ浜町太平ふるさと資料館」が休館だったことだ。縄文模様がない土器をできれば見たかったが、叶わなかったのは残念だった。再訪は叶わないと思うが、新設なったガイダンス施設を訪れたみたいものである。
  
  ※ 遺跡から少し離れたところにある廃校をし利用した現在のガイダンス施設「外ヶ浜太平ふるさと資料館」です。残念ながら閉館中でした。
 ガイダンス施設「外ヶ浜町太平ふるさと資料館」
                                                       青森県外ヶ浜町蟹田太平沢辺34-3               
 ◇入館料 無料

文化の日カルチャーコンサート in 資料館

2023-11-06 11:47:48 | ステージ & エンターテイメント
 スタンダードジャズのクァルテット、フルート4本の懐かしのメロディーと、肩の凝らない曲の数々にリラックスして演奏を楽しませてもらった文化の日のコンサートだった。

     
 11月3日の文化の日の午後、札幌市資料館では「文化の日カルチャーコンサート」が催された。この催しはけっこう人気があって、今年申し込んで3年越しにようやく入場券がゲットできたコンサートだった。
 この日の出演はクラリネット、ピアノ、ベース、ドラムのクァルテット「always modest」によるスタンダードジャズの演奏と、フルート4本と途中からベースとパーカッションが加わって演歌、アメリカ民謡、Jポップと何でもござれで懐かしメロディーを聴かせてくれた「アンサンブルさっぽろフルーツパフェ」の二つのグループが共演するコンサートだった。
 「always modest」は上述したように4人組の演奏だったが、曲によってクラリネットが外れトリオによる演奏も数曲あった。しかし、グループの中心はクラリネットの方ではないかと思われた。クラリネットが入ると、完全にクラリネットがリードしていたし、曲によってはボーカルも披露していたからだ。
  
 披露してくれた曲目は次のとおりである。
 ◇ Take the A Train
 ◇ Undecided
 ◇ Memories of You
 ◇ What A Wonderful World
 ◇ On Green Dolphin Street
 ◇ I Got Rhythm
 ◇ ウィスキーがお好きでしょ
 ◇ I’ve Never Been in Love Before
 ◇ Bei Mir Bist Du Schon
 ◇(アンコール)明るい表通りで
 傑作だったのは、ルイ・アーム・ストロングのヒット曲「What A Wonderful World」を演奏した際、それまで爽やかな声でMCをしていた彼が、突然アームストロングのようなしゃがれ声で歌い始めたことだった。長年の鍛錬がそうしたしゃがれ声の発声を可能にしたということなのかもしれない??
いずれもしてもジャズのスタンダードナンバーを熟練の技で聴かせてくれたグルーブだった。
        
 続いて女性4人組の「アンサンブルさっぽろフルーツパフェ」が登場した。彼女たちは40~50代に見える女性たちであったが、おそらく高校、大学時代にフルートに親しんだ方で結成したグループではないかと思われた。グループ名については確か「フルートの複数形がフルーツとなることから発想を飛ばしてフルーツバスケットと命名した」というようなことを自己紹介していたが、聴き覚えなので確かなことは言えない。
 彼女らの選曲は次のとおりであるが、ご覧のようにクラシックあり、演歌あり、アメリカ民謡あり、ジャズあり、Jポップありと何でもござれである。このあたりが彼女らの人気の秘密なのかもしれない。
 ◆ 4本のフルートのための組曲「フルーツパフェ」より チョコレート・ダモーレ
 ◆ フォスターメドレー
 ◆ パート・オブ・ユア・ワールド(リトル・マーメードより)
 ◆ ワン・ノート・サンバ
 ◆ ラブ・ストーリーは突然に
 ◆ 石川さゆりメドレー(津軽海峡・冬景色~天城越え)
 ◆ バードランドの子守唄
 ◆ 情熱大陸
 ◆ (アンコール)いい日旅立ち
 演奏された曲はどれということなく全てが安定した演奏が印象的だったが、私的には2曲目の「フォスターメドレー」が特に気に入った演奏だった。
  

  
 それにしても解せないのが、彼女らのステージ衣装だ。いったいどのような意味があるのだろうか?聞いてみたいと思ったがチャンスがなかった。
 きっと何か意味があるような気がしてならない。いつかチャンスがあったら聞いてみたいと思うのだが…。

北海道・北東北の縄文遺跡群巡り〈14〉大森勝山遺跡(弘前市)

2023-11-05 12:30:30 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連
 こちらの遺跡もまたまた「環状列石」の遺跡だった。本来なら名峰・岩木山を背景とした遺跡として知られているのだが、生憎の天気で岩木山の山頂は雲に隠れたままだった。それより、休日なのに私のために説明をしていただいた弘前市の職員の方の親切に感激した私だった。
       
 この「大森勝山遺跡」を訪れたのは10月16日(月)だった。月曜日は遺跡など公共の施設などは本来休業である。この「大森勝山遺跡」も同様だった。ところが数日前に、「16日、10時30分に本当に来られますか?その際には私がご案内します」という電話をいただいていた。前日15日にも確認の電話をすると、案内いただけるという。
 私はガイダンス施設の「裾野地区体育文化交流センター」に向かった。センターは休館だった。どうやら職員の方は別のところに勤務されているらしかった。問い合わせの電話を入れると「直接、遺跡のところで待っていてほしい」ということだったので、遺跡のところへ移動して職員が到着するのを待った。
  
  ※ 「大森勝山遺跡」の駐車場時です。前に見える小さなプレハブはおそらくボランティアガイドの詰所でしょう。この日はもちろん休日ですので施錠されていました。
 約束どおり10時30分に若い職員の方が到着し、さっそく遺跡の方に導いてくれた。
  
  ※ 遺跡に向かうエントランスのところにモニュメント的な木がありました。枝先を伐採したということですが、やはり遺跡の象徴的な木として植樹されたものだそうです。 
 「大森勝山遺跡」は縄文晩期にあたる紀元前1,000年(つまり現代より3,000年前)の遺跡で、北東北の遺跡の特徴の一つである環状列石(ストーンサークル)の遺跡だった。
 遺跡は岩木山が眼前に聳える台地のところに広がっていた。この遺跡で面白いと思ったのは、発掘され並べられていた石と同じ石質・色・形の石材を利用して当時の様子を実物大表示で行っていたことだ。また、環状列石の周りには竪穴建物跡や炉の跡、あるいは捨て場跡が点在していたことを職員の方に説明いただいた。
  
  ※ 遺跡は発掘当時の様子を同じような意思を配列して再現されていました。
  
  ※ こうした石の配列は、それぞれ意味があるものと思われますが、一つの塊は一つの集落、あるいは家族の墓という意味があるようです。
  
  ※ このような石の配列にも意味があるのでは、との説明でした。
  
  ※ 祭祀の際などに使われたと思われる「屋外炉」の跡を再現したものです。
 この「大森勝山遺跡」から冬至の日に岩木山を見ると、太陽が岩木山の山頂に沈んでいくそうである。そのことから縄文人はカレンダーのように年月の経過の目安にしていたのではないかと推察されているそうである。
  
  ※ 私が訪れた際の遺跡と岩木山です。残念ながら山頂が雲に隠れていました。
  
  ※ 本来ならこのように岩木山が見えるそうです。(ウェブ上から拝借しました)
 弘前市の若い職員の方は、私に対してとても丁寧に「大森勝山遺跡」について、縄文人の生活について説明してくれた。
 そして休館だった「裾野地区体育文化交流センター」にも案内してくれ、内部の展示を見せていただいた。遺跡から発掘された主たるものは「弘前市立博物館」の方に所蔵されているらしく、交流センターには国の重要文化財にも指定されている「猪型土製品」はレプリカということだった。
  
  ※ 遺跡とは少し離れたところにあったガイダンス施設の「裾野地区体育文化交流センター」の建物です。雨模様のため暗く写っています。
  
  ※ センター内に展示されていた「猪型土製品」のレプリカです。
 いずれにしても市井の市民の一人である私に、遺跡・施設が休みにもかかわらず親切丁寧に対応してくれた弘前市の職員と出会えたことは、今回の旅をとても意義深いものにしてくれたことを感謝している。

 ガイダンス施設「裾野地区体育文化交流センター」 
                     青森県弘前市十面沢矕8-9               
  ◇入館料 無料

映画 №366 キリエのうた

2023-11-04 16:47:42 | 映画観賞・感想
 この映画が俊英とも称される岩井俊二監督の映画なのかぁ…、と感ずると共に昭和男のお爺にはこの映画の良さを理解するには無理があるなぁ…、というのが観終えた後の正直な感想だったのだが…。
  

 一昨日(11月2日)午後、ユナイテッドシネマ札幌において岩井俊二監督の新作「キリエのうた」を観た。この映画を観ることになったのは、9月22日にアサヒファミリークラブ主催の「映画と握手」で上映された岩井俊二監督作の「Love Letter」を鑑賞した際に、この「キリエのうた」の招待券が当たったという幸運によって観ることになったのだ。
 映画は約3時間に及ぶ長作だったが、東日本大震災をモチーフとして、若者たちが出会いと別れをくり返す様を描いたものである。ただ映画の要素はそれだけではない。「Bish」という元パンクロックのボーカルとして絶大な人気を誇った(らしい)アイナ・ジ・エンドという女性を主役に据え、彼女が映画の中で何曲も披露するという映画音楽の要素もある映画だった。
     
     ※ 映画の主だった出演者。右から順にアイナ・ジ・エンド、広瀬すず、松村北斗、黒木華です。
 映画は当初、登場人物間の相関図を理解することに困難を極めた。13年間という長い時間を描くために、画面が絶えず前後するためにお爺の頭の中は?マークのオンパレード状態だった。
 特に主役のキリエ役のアイナ・ジ・エンドは、歌うことでしか “声” を出せない住所不定の路上ミュージシャンという役柄なのだが、映画の中では大震災において亡くなった姉の役も兼ねていて、それが前後して登場するものだから私の頭の中はこんがらがるばかりだった。その点は映画が進行するにつれて、もつれていた糸が解きほぐされるように徐々には理解できたのだが…。
 私が映画の良さを理解するには無理があるなぁ…、感じた第一の点は主役のアイナ・ジ・エンドという歌手についての知識が皆無だったことが第一である。さらに彼女の歌声が絶賛されているが、私には彼女の歌の良さをまったく感得できなかった点がある。
     
     ※ 主役のアイナ・ジ・エンドです。
 また、登場人物の中でキリエのマネージャ役を自称するイッコと称する広瀬すずが登場するのだが、さすがに今をときめく人気女優である。画面での存在感は抜群だったが、ストーリーの中に登場させる必然性を私はあまり感じなかったのだが…。
 映画では帯広の冬の情景が非常に印象的に描かれている。しかし、キリエの出生地は宮城県石巻市である。そこで東日本大震災に遭うのだが、そこで母と姉を亡くして帯広に転居したというストーリーなのだと思うが、そのあたりの説明がなかったこともお爺には映画を理解するうえで大変なことだった。
 というように、昭和男の私には難しい映画だったなぁ、というのが正直な感想であるが、はたして若い世代にはどのように受け止められているのだろうか?    
※ 使用した写真は全てウェブ上から拝借しました。

北一条教会昼休みコンサート at November

2023-11-03 16:16:25 | ステージ & エンターテイメント
 チェロとパイプオルガンの音域が意外に近いことに驚いた。時にはどちらの楽器の音なのか迷う場面もあった。気鋭のチェロ奏者・山田慶一さんの音をじっくりと拝聴した11月の昼休みコンサートだった。
     
 札幌北一条教会の昼休みコンサート「秋季シリーズ」の第3弾が昨日(11月2日)お昼に開催された。今回のゲストはチェロ奏者の山田慶一さんと、オルガン奏者の工藤羊子さんのデュオだった。
演奏された曲目は次のとおりである。
 ◇ F.クープラン/5つの演奏会用小品
   1.前奏曲 2.シシリエンヌ 3.ラッパ 4.嘆き 5.悪魔の歌
 ◇ A.ヴィバルディ/チェロソナタ第5番 ホ短調 RV40
 ◇ F.シューベルト/万霊節のための連禱
以上の3曲だったが、1曲目、2曲目がそれぞれ5楽章、4楽章構成となっていたために全体としては予定時間を超えるコンサートとなった。
 チェロ奏者の山田慶一さんは北海道出身の方ではないが(長野県出身)、2011年に札幌に移住し自らの演奏活動と共に、チェロ教室を開設したり、北海道教育大学の非常勤講師を務めたりして後進の指導にも当たっている方である。山田さんについては9月21日の札幌交響楽団のコンサートでチェロのソリストを務められたのを聴いた経験があったが、その力量は折り紙付き。どの曲もオルガンとのアンサンブルも素晴らしく時に重厚に、時に軽やかに確かな演奏を聴かせてくれた。
       
       ※ チェロ奏者の山田慶一さんです。
 演奏された3曲はいずれもそれほどメジャーな曲ではなく(?)、私にとっては初めて聴く曲ばかりだったが、7~80名が詰めかけた他の聴衆も同様だったようだ。1曲目が5楽章からなっていたのだが、4楽章と5楽章の切れ目が今一つ分かりづらかったことから、なんと1曲目の演奏が終わっても拍手はなく2曲目に移ってしまった。(演奏者に申し訳なかった)
 そうしたこともあり2曲目はしっかりと拍手しなければ、と聴き耳を立てた。ヴィバルディのチェロソナタはとても聴きやすい曲で、各楽章間も〈緩→急→緩→急〉とはっきりしていたこともあり、私は演奏が終了した後、率先して拍手を送ったのだが、私と一緒に拍手をされたのは数人程度でパラパラと拍手した程度だった。やはり1曲目で拍手しそびれたことで、皆さんちょっと気おくれしてしまったのかもしれない。
       
       ※ パイプオルガンの工藤羊子さんです。
 それにしてもリード文で触れたように、チェロとパイプオルガン(正確には札幌北一条教会の中型のパイプオルガン)との音域が意外に近いことに気づかされた。時にはどちらの音なのか迷う場面もあったほどだったが、昼休みのひと時を心地良く過ごすことができた11月2日の昼休みだった。

北海道・北東北の縄文遺跡群巡り〈12〉亀ヶ岡石器時代遺跡 & 〈13〉田小屋野貝塚(つがる市)

2023-11-02 19:27:18 | 北海道・北東北縄文遺跡群関連
 「亀ヶ岡石器時代遺跡」と「田小屋野貝塚」は隣接して存在する遺跡なのだが、縄文人が活躍した時代が違うことから、二つの遺跡を違った遺跡として登録されたようである。
 

 私は当初この二つの遺跡を10月16日(月)に予定していた。ところが前日になって、月曜日は土・日に開放(開館)している公共施設は、月曜日は閉鎖するということに気が付いたのだ。私は慌てて15日の朝に「伊勢堂岱遺跡」から二つの施設に問い合わせたのだが「予定どおり閉鎖する」とのことだった。そこで急遽予定を変え、北秋田市の「伊勢堂岱遺跡」の見学を終えた後、遠路つがる市の二つの遺跡まで車を飛ばして訪れたというわけである。
 「亀ヶ岡石器時代遺跡」と「田小屋野貝塚」は、ガイドを予め予約しておかなくとも、現地ではボランティアガイドがその都度対応してくれるという仕組みのために、予約の電話を入れなかったことも私が凡ミスを犯した原因の一つだった。
 私は二つの遺跡を訪れる前に「つがる市木造亀ヶ岡考古資料室」を訪れた。資料室は遺跡からはかなり離れたところに建っていたが、展示物も充実しているとは言い難かった。つがる市にはもう一つ「つがる市縄文住居展示資料館カルコ」という施設があるが、そちらの方に主たる資料が展示されているのかもしれない。私は今回、そちらを訪れることは時間的に無理だった。
  
  ※ 「つがる市木造亀ヶ岡考古資料室」の外観です。
  
  ※ 資料館の内部の展示です。古風な形式の展示でした。
 「考古資料室」の後、遺跡へ向かった。すると「亀ヶ岡石器時代遺跡」の傍に「縄文遺跡案内所」があり、そこを伺うと直ぐに空いていた女性のボランティアガイドが私の担当として案内してくれた。
 「亀ヶ岡石器時代遺跡」は、縄文晩期にあたる紀元前1,000年~400年にあたる時期に栄えた遺跡であり、大規模な共同墓地が発掘された遺跡として知られている。また縄文晩期ということから土器や土偶などに精緻で複雑なものが多数発掘されている。その中でも大型の「遮光器土偶(愛称:しゃこたん)」は「亀ヶ岡石器時代遺跡」の象徴ともいえる存在となっている。
 私はまず「縄文遺跡案内書所」のすぐ隣にある「亀ヶ岡石器時代遺跡」から案内された。
  
  ※ 「亀ヶ岡石器時代遺跡」の前には大きな遮光器土偶のモニュメントが立っていました。
 遺跡は台地上に100基を超えるお墓が発掘されたということだったが、それらは全て発掘前の状態に復されていて、写真の被写体となる情景は皆無だった。
  
  ※ 遺跡から発掘された楕円形や円形に掘りくぼめたお墓(土坑墓) を再現したお墓が展示されていました。
  
  ※ 縄文人にとって貴重な食料だったクリの木(実)はどの遺跡でも植えられていました。
 続いて、「亀ヶ岡石器時代遺跡」から10分弱歩いたところにある「田小屋野貝塚」に向かった。こちらも遺跡の方は、縄文前期の遺跡ということで紀元前4,000~2,000年前の遺跡だそうだ。竪穴建物跡、墓、貯蔵穴、貝塚などが確認されたというが、現場は「〇〇跡」と記された看板があるだけで、全て土で覆われていた。
  
  ※ 「田小屋野貝塚」では、このような看板が立てられ発掘跡を説明していました。
  
  ※ こちらは人骨が発掘されたときの状況を写真で説明していました。
 二つの遺跡共に写真の被写体としてはイマイチだったが、案内してくれたボランティアガイドの方が生き生きとしてガイドしてくれていたことが印象的だった。そのことに触れると、彼女は「全国から訪れる遺跡ファンの方々に説明することは、とてもやり甲斐があります」と語っていた。これまで出会ったボランティアガイドの方々も同様な思いでガイドされていることをうかがわせてくれた。
 最後に遺跡から弘前市のホテルに戻る前に、「木造駅」を訪れた。「木造駅」は、駅舎が愛称「しゃこたん」で知られる遮光器土偶の巨大モニュメントが有名であるが、私もその傍に立って巨大にモニュメントに驚いたのだった。
  
  ※ 「木造駅」の「しゃこたん」を模した巨大なモニュメントです。
 ガイダンス施設「つがる市木造亀ヶ岡資料室」 青森県つがる市木造立岡屏風山195                
  ◇入館料 200円
 ガイダンス施設「つがる市縄文住居展示資料館カルコ」青森県つがる市木造若緑50-1
  ◇入館料 200円
               

かでるロビーコンサート Vol.121 Esperanza

2023-11-01 15:16:11 | ステージ & エンターテイメント
 マリンバの軽快な響きにピアノとドラムの音が重なる。かでる2・7(道民活動センター)の高い空間の中に昼休みのひと時、三人の若者(?)の奏でる音が響き渡った。
   
 少し古い話題で恐縮ではあるが、去る10月24日(火)お昼、かでる2・7の1階ロビーにおいて「かでるロビーコンサート」が開かれたので楽しませてもらった。
かでる2・7では定期的に昼休みのひと時を使ってロビーコンサートを開催している。(最近は開催の機会が少なくなったようだが…)先日のコンサートは通算で121回目の開催だという。今回招請されたのは「Esperanza(エスペランサ)というマリンバ、ドラム、ピアノのトリオによる演奏だった。
 昼休みの上、無料とあってお年寄りを中心に椅子席は直ぐに埋まったようだ。私が演奏開始10分前に着いたときには空席はなく、2階の廊下から立ったままで聴く羽目になった。
 トリオを構成する方々のお名前は、マリンバが石川千華さんドラムが白戸達也さんピアノが田中千帆さんという方だった。白戸さんは私の故郷オホーツク管内出身(清里町)ということで親しみが持てたのだが、ピアノの田中さんも今年前半はオホーツク管内の斜里町にお勤めだったというから、どうやらオホーツク繋がりでトリオを結成したのではないか?と勘ぐってみたのだが…。
  
  ※ 演奏中のEsperanzaのトリオの面々です。
 演奏してくれた曲目は次のとおりである。
 ◇ D.カバレフスキー/道化師のギャロップ
 ◇ 黒うさP/千本桜
 ◇ 葉加瀬太郎/情熱大陸
 ◇ B.ウィーラン/リバーダンスより~キャスリー伯爵夫人~ファイヤーダンス~
以上4曲を演奏した後、アンコールでやはりオホーツク関連で「知床旅情」が演奏された。
  
  ※ ロビーコンサートの会場の様子です。
 Esperanzaの演奏はやはりマリンバがリードする演奏だったので、どうしてもマリンバに注目が集まる。そのマリンバであるが石川さんのマリンバは十分にプロとして通用する技を持たれている方だと思えた。ただ、私の場合は9月18日に札幌北一条教会において「マリンバデュオ リサイタル」を聴いて間もなかったこともあり、マリンバデュオの方が一日の長があると思えた。
 ただ、オホーツク管内出身の私としては、彼らがオホーツクに関係があると聞いてどこか親しみを感じながら、彼らの今後の活躍を願ったのだった…。