最近、札幌では ‟朗読”のイベントが盛んにおこなわれているように感じます。「いったいどこに魅力があるのか?」という思いもあって、北海道立文学館の月例朗読会に足を運んでみたのですが…。

昨日(3月13日)午後、北海道立文学館で開催された「月例朗読会」に初めて参加してみました。北海道文学館では毎年5月から翌年3月まで、毎月「月例朗読会」を開催しているそうです。
いただいたプログラムには、その趣旨を次のように説明していました。
「北海道ゆかりの作家の作品や北海道を舞台に書かれた作品を毎月みなさんにお届けします。中島公園の四季の移り変わりを楽しみながら、ゆっくりとした時間をお過ごしください」
とありました。

私のようなモノ好きではなくて、純粋の朗読ファンはけっこういらっしゃるようです。ご婦人を中心に会場の講堂はほぼ満杯の盛況でした。
この日は「月夜見の会」の方々3名が読み手として待機されていました。
朗読された作品は、
◇井上二美/再話「オモタイの地蔵さま」(「北海道の民話」より)
◇島崎藤村/「津軽海峡」
の二作品でした。
最初の朗読作品「オモタイの地蔵さま」は、小樽・オモタイ浜に建つ「オモタイ地蔵尊」にまつわる言い伝えを民話風にまとめた作品の朗読でした。
朗読された方は、民話風に訥々と読み上げるところに好感が持てました。
続いての島崎藤村の「津軽海峡」は、藤村の息子が若くして自死したことを嘆き悲しむ妻を慰めるために、北海道へ旅する途中、津軽海峡を渡る船の中で息子の在りし日を思い浮かべながらの船中の様子を描く短編です。
短編とはいってもそれなりの長さがあるので、二人の読み手によって読み継がれました。

私はたまたまスマホで検索していると、この「津軽海峡」の全文を著した文章がヒットしたので、その文章を目で追いながら朗読を聴きました。お二人とも、よく訓練されていて読み淀むところもなく、淡々と文章を読まれました。ただ、私には島崎藤村の文章の素晴らしさを理解できないとこもあり、ストーリーとしての起伏も乏しかったことから、読み手への共感も浮かばないまま朗読を終えました。
私にとって朗読会の参加は確か3回目だったと思いますが、どうもその魅力を感得することができません。確かに読み手の方々は、しっかりと事前練習をされ、淀みなく、時には感情も込めて朗読されているのは分かるのですが…。
それくらいなら私でも、あるいは?という気持ちがどこかにあるのかもしれません。
ところが最近は参加費を徴収して実施する朗読会も目立ってきたようです。ということは、私が気付かない魅力がきっとあるのでは?と思ってしまうのです。
その気付かない何かに気付きたいと思い、今月さらに2度ほど朗読会に参加しようと予定しています。はたして私はそこで朗読会の魅力に目覚めることが出来るのか否か、自分自身に興味深々です。