田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

またまた感動!北海道高校演劇Special Day

2024-01-11 15:18:06 | ステージ & エンターテイメント
 笑いと涙…、帯広三条高校演劇部の「つぶあんとチーズ」の舞台は、またまた私を感動させてくれた。例年この時期に発表される高校演劇の代表の舞台を私は毎年楽しみにして観劇を続けているのだが、今年も素晴らしかった!
     
 1月10日(水)夕刻、かでるホールにおいて「北海道高校演劇Special Day」が開演された。高校演劇Special Dayとは、昨年行われた全道高校演劇大会において最優秀賞と優秀賞を獲得した2校に与えられた晴れの舞台である。今年度の最優秀校は帯広三条高校演劇部「つぶあんとチーズ」、そして優秀校の余市紅志高校演劇「被服室の変」の二つの高校が選出され、晴れの舞台を踏むことになった。
 最初に演じたのは優秀校の余市紅志高校演劇部だった。ここで私は大失態を演じてしまった。登場した演者のセリフが聴き取りづらかったこともあったのだが、なんと私はコックリさんを演じてしまったのだ。私に寝不足や疲れがあったことは否めない。しかし、言い訳はできない。余市紅志高校演劇部には大変失礼なことをしてしまった。感想を述べることができないのが残念であり、恥ずかしい。
  
  
 休憩を挟んで帯広三条高校演劇部の舞台となった。休憩中に外気に触れて気合を入れ直して舞台を注目した。幕が開いてまず驚いた。舞台は高校の職員室の一角を設定したものだったが、その物量に驚いた。おそらく小型トラックに荷物を満載にして帯広から運び入れたのではと思われるほどの物量が舞台に設定されていた。(写真参照)
  
 そこで学校祭の裏方を務める二人の女子高校生のやり取りが語られるのであった。裏方とは、学校祭の売店の売上を計算させられるという地味な役目である。一人は役割を投げやりに務める神原夏美、一人は誠実に務めを果たそうとする高井桃花。水と油の二人だが、二人で作業を進めているうちに次第に親近感を抱いてきた。その間の夏美のコミカルな演技が度々観衆の笑いを誘った。彼女は零細農家の子だったが、明るい性格故にたくさんの友達に恵まれた高校生だった。一方の桃花は銀行員の娘で、父親の度々の転勤に伴い天候をくり返したことで友人を作ることに億劫となっていた。
 その二人が夏美からの働きかけで徐々に近づき(教師から差し入れされた “おやき” を介して…)夏美は一方的に友人宣言をするのだった。しかし、夏美の家は離農したため夏美自身が転校しなければならないことが判明した…。
 高校生活の一部を切り取った、まるで性格が正反対の二人が紡ぎ出す情景は、私のような高齢者にとっては懐かしさを伴い、現役の同世代の人たちにとっては「あるある」の世界を描かれたようで、共感を得る舞台となったように思えた。
 高校生の演劇を観ていていつもかんずることだが、舞台の巧拙に占める脚本の役割は 非常に大きいのでは、と思っている。今回の「つぶあんとチーズ」は演劇部顧問の井出英次氏によるものとのことだが、あるいは出演の二人を想定した「あてがき」だったのではと思われるくらい、二人の役がはまっているように見えた。冒頭に記したように “笑いと涙” に終始した素晴らしい舞台だった。
 帯広三条高校演劇部は今年7月の全国大会で「つぶあんとチーズ」を演ずるという。舞台装置満載で岐阜県羽島市に乗り込んで、北海道高校演劇の水準の高さを披露してもらいたい。
 余談であるが、私の席の前に「網走南が丘高校演劇部」と背中に書いたジャージー姿の女子高校生がいた。網走と知って私の血が騒いだ。何せ私が人生のほとんどを過ごしたオホーツクの地の人である。彼女らに問いかけた。「この演劇を観るために札幌まで来たのですか?」と…。すると彼女らは「そうです」と答えるではないか。今の高校生の行動力って凄いんですねぇ。私は「ぜひ来年この舞台に立てられるように頑張ってください!」とエールを贈った。彼女たちは素直に「ハイ。頑張ります!」と返してくれた。
過去にこの舞台にはオホーツク代表の北見緑陵高校演劇部が立ったことがある(2017年)のだからあながち夢物語ではない。来年のこの舞台に彼女たちが立つことを期待したいしながら帰途に就いた。

札響 みんなのオーケストラ in Kitara

2024-01-10 14:40:15 | ステージ & エンターテイメント
 今年のコンサート鑑賞事始めは札幌交響楽団の子ども向けコンサートだった。指揮者の辻博之氏のユーモアあふれるトークと、耳に馴染んだお馴染みの曲が次々と奏でられ、心楽しいひと時だった。
     
 本日、午前11時から札幌コンサートホールKitaraにおいて「おんぷでさんぽ」みんなのオーケストラ in Kitaraが開催され、チケットが安価だったこともあり今年最初のコンサートにしようと参加した。
 会場はコンサートの趣旨を反映して親子連れが多く、会場はほぼ満席だった。
 コンサートは金管楽器が縦横に活躍するスーザ作曲の行進曲「星条旗を永遠なれ」から始まった。高校生などの吹奏楽がよく演奏する曲であるが、札響が演奏するとまるで別物である。爽やかに、軽快に、聴いている者を心をワクワクさせてくれる。会場内で落ち着かなかった子どもたちを瞬殺させるに十分効果的な一曲だった。
 それからの曲も、そのほとんどがお馴染み曲だった。列挙してみると…、 
 ◇グリーグ/「ペール・ギュント」第1組曲より “朝”
 ◇ヨーロッパ民謡/クラリネット・ポルカ
 ◇チャイコフスキー/バレエ音楽「白鳥の湖」より “情景”
 ◇チャイコフスキー/バレエ音楽「白鳥の湖」より “4羽の白鳥の踊り”
 ◇チャイコフスキー/バレエ音楽「くるみ割り人形より」より “花のワルツ”
 ◇モーツァルト/アイネ・クライネ・ナハトムジークより第1楽章
 ◇ヨゼフ・シュトラウス/鍛冶屋のポルカ
 ◇アンダーソン/タイプライター
そして最後は会場内を埋めた子どもたちへのプレゼントの意味を込めた久石譲作曲の下記のような「スタジオジブリ名作音楽メドレー」で〆た。
 ◇シネマ・ノスタルジア
 ◇ハトと少年 ~「天空の城ラピュタ」より~
 ◇海の見える街 ~「魔女の宅急便」より~
      
 ◇人生のメリーゴーランド ~「ハウルの動く城」より~
 ◇あの夏へ ~「千と千尋の神隠し」より~
 ◇風のとおり道 ~「となりのトトロ」より~
 ◇もののけ姫 ~「もののけ姫」より~
とサービスたっぷりのコンサートだった。
 指揮者であり、解説をされた辻博之氏のユーモアあふれる話しぶりが会場を和ませてくれたが、こうしたコンサートも悪くはない。
 札響のメンバーの方々も、おそらく楽器を手にされた初期のころには何度も弾かれた曲ではないだろうか?そうしたこともあって、どことなくリラックスした表情で演奏されていたように思われる。
        
 アンコール曲は、これまた久石譲の名曲「さんぽ」~「となりのトトロ」より~が演奏され、会場内に手拍子が鳴り響く中、コンサートは終了した。
 短い時間だったが、楽しいひと時を過ごすことができたコンサートだった。

札幌市近郊スキー場巡り №4 スノークルーズオーンズ(小樽市)

2024-01-09 20:21:29 | スポーツ & スポーツ観戦
 バラエティに富んだコースがコンパクトにまとまったオーンズは今の私に適したスキー場なのかもしれない。近年、一日に15本も滑ったことは記録的なことである。心地良い疲れを感じながら帰途に就いた私だった。
  
  ※ スノークルーズオーンズのスキー場ロッジです。整ったロッジでした。

 昨年に引き続き「札幌市近郊スキー場巡り」を続けることにした。趣旨はスキーの楽しみにスキー場の形状によって楽しみ方が違ってくるところがあることから、札幌市以外のスキー場も訪れ、その魅力を探ってみようと思ったからだ。
  
  ※ クワッドリフトの乗り場です。4人乗りなので待ち時間が短かった。

 昨年は、①石狩平原スキー場(当別町) ②ダイナスティスキーリゾート(北広島市) ③北長沼スキー場(長沼町) の三つのスキー場を巡った。今年は小樽市、岩見沢市のスキー場を巡ろうと思っているが、果てしていくつのスキー場を訪れることができるだろうか?その手始めとして本日、小樽市の「スノークルーズオーンズ」を訪れた。
  
  ※ 正面の斜面は中級者向けのサンシャインコースと名付けられていました。

 実はスノークルーズオーンズに私は過去に一度訪れたことがありました。記録を調べてみると、それは今から14年前の2010年11月11日のことでした。その様子についてはこちらをご覧ください。☞(いや~、私の技術ではどうしても2010年の投稿文を貼り付けることができません。申し訳ありませんが、もしご興味のある方は検索してみてください。お願いします。)
 さて本日訪れた「スノークルーズオーンズ」の概略を説明すると、リフトはペアリフトとクワッドリフト(4人乗り)の2機体制だった。コース概略は下図のとおりで、とてもコンパクトなスキー場である。  
※ スキー場で入手したスキー場案内の一部です。

 札幌から小樽に向かう国道5号線沿線には、テイネハイランド、朝里川温泉スキー場、小樽天狗山スキー場と比較的大きなスキー場が多い中では小ぶりなスキー場である。その中でここまで生き残ってこれた秘密は何なのだろうか?という思いでスキー場に向かったのだが…。
 その秘密は前述したようなことのようである。そして、二つのリフト共に待ち時間がほとんどなく乗れるところも人気の秘密のように思われた。
 今日は生憎の雪模様のために、山頂から望めるはずの日本海はまったく望めなかったが、晴れた日には眼下に日本海が望めるのも魅力の一つである。
  
  ※ 晴れていれば、前方に日本海が広がっているのですが…。
 私は今日二つのリフトを駆使し、全てのコースを滑ってみた。年齢相応に体力、技術共に衰えを自覚しているので、上級者コースの「ダウンヒルコース」には不安があったのだが、コブ斜面となっていなかったこともあって2本ともスムーズに滑り終えることができホッとしたところだった。その他の斜面は推して知るべし(?)といったところか。

  
  ※ 左手の斜面が上級者用の「ダウンヒルコース」です。 

 当初は7~8本も滑ったらもうアップアップではないかと思っていたのだが、少し頑張ったところ15本も滑ることができたことに満足している。それでも購入した4時間券を1時間ほど余して終えたのだが…。
さて、今シーズンは小樽市、岩見沢市のスキー場を何ヵ所訪れることができるであろうか??
  
  ※ スキー場では各所でスキー教室で展開されていました。

【スノークルーズオーンズ 概要】
◇〒047‐0265  小樽市春香町365番地
    札幌から小樽に向かう国道5号線の銭函中心地を過ぎたあたりの左手に「SNOW CRUISE ONZE」の看板が見えるが、そこを左折し、道なりに進むと(500mくらい?)スキー場に到着する。
 ◇ペアリフト   1本    
  クワッドリフト 1本
 ◇リフト券   シニア券(4時間) 2,900円   


コミック「ゴールデンカムイ」を読む

2024-01-08 19:34:45 | 本・感想
 映画化とともに注目を浴びるコミック「ゴールデンカムイ」だが、こ漫画のどこが魅力なのか? そのことを知りたくて、今日、札幌市中央図書館に入り浸って読んでみたのだが…。
 今日の札幌は大雪になったこともあり、予定していたことを中止せざるを得なかった。そこで私の周りで以前からよく話題となっていたコミックの「ゴールデンカムイ」を読んでみようと思い立った。というのも、某ブログで中央図書館で単行本を読むことができると書かれていたことから、「私も行って読んでみよう!」と思い立ったのだ。

  
  ※ 札幌市中央図書館の閲覧コーナーはとても快適でした。

 午前10時半、中央図書館まで出向き、図書館職員にお尋ねすると、2階閲覧室の奥の方の書棚に全31巻が揃っていた。

  
  ※ 書棚には「ゴールデンカムイ」全31巻と関連本が揃っていました。

 私は10時半から午後4時まで、昼食も摂らずに読み続けた。なのに私は遅読ためか5巻まで読み終えるのが精一杯だった。
 「ゴールデンカムイ」とは、そもそもどのような漫画なのかというと、同じ棚にあった紹介本によると、次のように紹介されていた。
       
 アイヌから奪われた莫大な金塊が、北海道のどこかに隠された。
 その在り処を示すのは、脱獄囚人たちに彫られた刺青の暗号のみ――。
   ある目的のために大金を求め北海道を訪れた “不死身” の異名を持つ男 杉本佐一。
 金塊を奪った者に父を殺されたと語るアイヌの少女 アシㇼバ。
 隠された黄金と暗号の話を知った二人は互いの目的のために手を組み、刺青
囚人を追う旅へと出発する。

 という紹介文のとおり、この「ゴールデンカムイ」は杉本佐一とアシㇼバが中心となって物語は展開していく。ところが私が5巻まで読み終えた段階でも、登場人物が多数登場して、その人物相関図が描きづらいのだ。5巻まででそうなのだから31巻となるとその複雑さはさらに混迷の度を加えるのではないだろうか?そう思うと、これ以降の私の読書欲が沸いてこないのが実際のところである。
        
        ※ シリーズ第1巻の表紙です。顔は主人公の杉本佐一です。

 ただストーリートは別に、作者の野田サトル氏はアイヌ文化について詳細に取材したようで、まだ和人との交流が進んでいない明治期のアイヌ文化や風俗、食生活などについてとても詳しく表現されていたところが多く得るところが多かった。しかし、複雑な人物相関図やリアリティーにやや欠けるストーリーにはどうしてもついていけなかった。
 映画の方は1月19日公開だと聞いている。こちらはぜひ観賞してみたいと思っている。映画を観賞することによって6巻目以降の読書欲が沸いてきたなら、また中央図書館に入り浸ってみたいと思ってはいるが…。 
        
        ※ こちらは映画版のポスターです。                      

ユネスコチャリティーカレンダー市

2024-01-07 20:40:06 | イベント
 今年もカレンダー市で「3ヵ月カレンダー」を入手してきた。これで何年目になるだろう?「3ヵ月カレンダー」は私にとってとても使い勝手が良いのだ。私の部屋では今年も「3ヵ月カレンダー」が存在感を放つことになるのだろう…。
    
 本日から札幌ユネスコ協会の主催でかでる2・7(道民活動センター)においてカレンダー市が始まった。
 ユネスコ協会では企業や家庭で余ったカレンダーなど回収して、それを市民に安価で提供し、その益金をボランティア活動に活かしているという。
 私がかでる2・7に着いたのは12時過ぎだったが、大盛況で混雑を避けるために入場制限をして入場者を調整していた。それでもそれほど待つことなく入場できたのだが、会場内は大混雑だった。併せて大量のカレンダー類も展示されていた。
  
  ※ 入場を制限されて会場に入るのを待つ人たちです。
  
  ※ 会場内でカレンダーの品定めをする人たちです。(下の写真も)
  
 訪れた人たちはお好みのカレンダーをたくさん小脇に抱えている人も目立った。私は皆さんが吟味している写真や絵付きのカレンダーには目もくれず、「3ヵ月カレンダー」が展示されているところに向かった。「3ヵ月カレンダー」はそれほど種類は多くない。何種類かを比べて、私は直ぐに二つの「3ヵ月カレンダー」を選び、会計のところに向かった。
 占めて200円。申し訳ないくらいの安さである。会計の担当の方は雪が降っていたこともあり、丁寧にポリ袋に入れて渡してくれた。
 帰宅して私はまず私の部屋にカレンダーを掲示した。私が選んだカレンダーは親切に一頁目には12カ月カレンダーが付いていた。したがって、私の部屋には、「3ヵ月カレンダー」と12カ月カレンダーの二つを掲示することにした。
      
 ※ 今回購入した「3ヵ月カレンダー」です。月の順がおかしいと思いませんか?実は3月のところには昨年12月の分があったのです。1月が終わると、その裏から4月の暦が現れます。 
 もう一つ購入した「3ヵ月カレンダー」は寝室に掲示することにした。
 我が家のリビングに掲示するカレンダーはここ数年いつも同じデザインのものを年末に購入している。茶色地の落ち着いた数字だけのカレンダーを私はとても好んでいる。
    
    ※ 我が家のリビングに掲示している横幅86cmのカレンダーです。
 考えてみると、最近の私はカレンダーに限らず同じモノを求め、同じ行動をとっていることが多いことに気付いた。
 初詣を3日に固定したり、そこで干支の楽焼を購入したり…。初日の出を拝もうと元旦に登山をしていることもその傾向の一つなのかもしれない。
典型的なのは手帳である。私は手帳にそれほどのこだわりはないのだが、使っているのは高橋書店の「3年卓上日誌」という製品である。今年は更新の年だったのだが、気がついてみるとなんと11冊目だった。ということは、私は高橋書店の「3年卓上日誌」を30年間も使い続けていたのだ。
  
  ※ 私にとって11冊目となる高橋書店の「3年卓上日誌」です。
 これはいったいどういうことなのだろうか?と思った。長い間生きてきて、自らの生活スタイルが固まってきたということなのだろうか?それとも加齢とともに変化を恐れる気持ちがどこかに生まれてきたのだろうか? う~ん、難問である?

映画 新根室プロレス物語 №372

2024-01-06 18:26:06 | 映画観賞・感想
 プロレス物だからといってけっしてキワモノ的な映画ではない!映画はアマチュアプロレス団体「新根室プロレス」を率いたサムスン宮本(本名:宮本隆志さん)の後半生を描いたヒューマンドキュメンタリーである。
             
 本日(6日)からシアターキノにおいて映画「新根室プロレス物語」が公開されるとあって、いち早く観たいと思いチケット販売開始時間の9時30分にシアターキノに向かった。
 私同様に公開を期待していた方が多かったとみえて私がチケットを購入したのは53番目だった。その後も続々と観覧客は詰めかけて、小さなホールは満杯の状況だった。
 私はけっしてプロレスファンではない。なのになぜこの映画に興味を持ったかというと、小さな根室の街で産声をあげたアマチュアプロレス団体が、地元のプロレスファンのみならず全国的な人気を得ることができたのは何故だろう?と興味を抱いたからである。
 映画は根室市で小さなおもちゃ屋を経営していたプロレス好きのサムスン宮本が中古のリングを自ら買い、根室の昆布漁師や酪農家らと共に2006年にアマチュアプロレス団体「新根室プロレス」を結成して地元ファンの根強い支持を受けていた。転機は2017年に身長3メートルの「アンドレザ・ジャイアントパンダ」を導入したことがSNSを通じて全国に伝わり注目を集める存在になった。
    
 映画は「新根室プロレス」を率いるサムスン宮本を中心に描かれているのだが、宮本はメンバーたちと地道な練習を積み重ねるとともに、観客の笑いを誘うリング上のシナリオづくりにも才能を見せ徐々に人気を博する団体に育てていく。また宮本はリーダーとしてメンバーに対して人間味溢れる優しさで接し、メンバーの信頼を勝ち得ていく。彼らの合言葉は無理しない。ケガしない。明日も仕事!というフレーズも人気を博した。
  
 ところが人気絶頂だった2019年、宮本に悪性の腫瘍が見つかり、団体は2019年末に解散し、宮本は翌2020年に55歳の若さでこの世を去ってしまった。
 サムスン宮本の死から3年、今年6月に残されたメンバーは宮本の遺志を継ぎ、「新根室プロレス」は再始動したのだった。
 宮本の病気が覚悟のガンだったこともあり、彼は生前に彼の遺志をVTRに遺したこともあって、ドキュメンタリーは感動的な仕上がりとなった。
  
  ※ サムスン宮本亡きあと、3年後にアマチュアプロレスの聖地・東京新木場で復活公演をした遺されたメンバーによる記念撮影です。

 映画上映後、今日が全国公開初日とあって、サムスン宮本の弟である「オッサンタイガー(宮本賢司さん)」と映画制作を主導したUHB(北海道文化放送)の吉岡ディレクターが登場し挨拶された。その中で弟の宮本さんが兄であるサムスン宮本を人間としてとても尊敬していることが伝わってきた。その挨拶の中で、「アンドレザ・ジャイアントパンダ」誕生の秘話を披露してくれた。これは映画ではまったく触れられていない秘話で、以下は必見である! 
  
  ※ シアターキノで上映後に挨拶するオッサンタイガー(中)と吉岡ディレクター(右)のお二人です。左はインタビュアーのUHBの女子アナです。

 サムスン宮本は根室に漁業実習生として滞在していた中国人の王という方と交流があったそうだが、遠い日本で寂しい思いをしながら、けっして豊かな生活をしていない王さんに食事をご馳走したり、遊びに誘ってくれたり優しく接したそうだ。やがて王さんは中国へ帰国したのだが、10数年経って王さんは中国で成功して3社もの会社の経営者として成功したという。
 そして王さんは根室でお世話になったサムスン宮本のところを訪ね、「お世話になったお礼をしたい」と申し出たそうだ。それに対して宮本は「パンダがほしい」と答えたという。その願いを叶えてくれたのが「アンドレザ・ジャイアントパンダ」だそうである。サムスン宮本の人としての優しさを語るエピソードであるが、そのことが「新根室プロレス」が躍進に繋がったのである。
 私には分からない。あの3メートルもの巨大な「アンドレザ・ジャイアントパンダ」が機敏にとは言わないが、生身のプロレスラーたちとリング上で堂々と戦っているのが分からない。映画の中では中に人間が入り、コンピュータを操っているとも聞いたのだが、本当のところは良く分からない。その謎が良いのだが…。
       
 ※ 上映後の挨拶に会場に入れなかったアンドレザ・ジャイアントパンダは会場外で ファンとの記念撮影に応じていました。その大きさがお分かりいただけるでしょうか?

 いずれにしても、笑いあり、涙ありの上質のドキュメンタリーに仕上がっている「新根室プロレス物語」は一見に価値があるように私には思える。1月19日までシアターキノで上映だという。興味のある方はご覧いただきたいと思います。

散々だった初滑り in 藻岩山スキー場

2024-01-05 17:01:33 | スポーツ & スポーツ観戦
 今シーズンの初滑りをまずは足慣らしにと藻岩山スキー場に出かけたが…。生憎のみぞれ混じりの雨が降り注ぎ、スキーは滑らず、スキーウェアはベチャベチャに濡れ、早々に退散する羽目となってしまった…。

 今シーズンは異常なほどに降雪が少ない。近隣のスキー場の情報を見ると、ほとんどがまだ緩斜面しか開放していない。(郊外の本格的なスキー場は全面オープンしているところもあるようだが)例年だとスキーシーズン真っ盛りだというのに…。
 そのことが私の心をざわつかせ、「まずは足慣らしに」と思い、私の家から最も近い「ばんけいスキー場」に向かった。ところが!一本しか稼働していないスキーリフト乗り場には長蛇の列ができていた。私が見たところ、一度リフトに乗るために30分くらいは待たねば乗れないような状況だった。「これじゃ、楽しむことなんかできない」と即断して、同じく市内から近い「藻岩山スキー場」に向かった。
  
  ※ ばんけいスキー場のリフト乗り場は写真に納まらないほど長蛇の列ができていた。
 藻岩山スキー場も第一リフトしか稼働していないことは分かっていた。その第一リフトの斜面はまったくの初心者向けの緩斜面だったのだが…。スキー場に着いてみると、リフト待ちはばんけいスキー場ほどではなかった。
  
  ※ 藻岩山スキー場のレストハウスはお世辞にも立派とは言いかねる古い施設です。
 さっそく久しぶりにあの硬いスキーブーツに足を入れ、準備を整えてゲレンデに立った。ファミリーゲレンデと称される緩斜面では冬休み中の小学生低学年向けのスキー教室がゲレンデいっぱいに展開されていた。第一リフトは、単座のリフトとペアリフトが並行して運転しているため、比較的スムーズに乗ることができた。
  
 ※ 第一リフトは、単座とペアリフトが並行して運行しているため比較的スムーズでした。
 ところが!コンデイションは最悪だった。市内を走っている時は雨模様だったのだが、少し標高が上がったスキー場では雨がみぞれに変わっていた。みぞれはスキーウェアに付くと雨と変わりはなかった。リフトに乗っている間にウェアはベチャベチャに濡れてしまった。
  
  ※ 緩斜面が続くファミリーゲレンデです。ゲレンデ内は賑わっていたのですが、写真では閑散としか見えませんね。シャッターチャンスを間違ったようです。
 ゲレンデの方も最悪だった。緩斜面の上、湿り気をたっぷり含んだみぞれが降っているとあってスキーはまったく滑らない。スキー教室の合い間を縫って3本滑るのが限界だった。ウェアはずぶ濡れ…、斜面は滑らない…。
 私は早々に退散することにした。
  
  ※ スキー場の上部に向かうリフトは全て運休です、早く運転ができる状態になってほしいものです。
 散々な初滑りだったが、それでも硬いスキーブーツに足を入れたこと。滑らないとはいえ、曲がりなりにもおよそ一年ぶりにスキーで滑る感覚を味わえたことをヨシとしたいと思っている。
 さあ、今シーズンはいったい何度スキー場に向かえるのだろうか?それにしても一日も早く本格的なスキーシーズンが到来してほしいものである。

新春は津軽三味線の音色で…

2024-01-04 17:21:38 | ステージ & エンターテイメント
 撥(バチ)を弦に叩きつけるように弾くテンポ良い奏法が耳に心地良い。耳にだけではない、お腹の奥底までに響く津軽三味線の音色が理屈抜きに私を虜にする。新春早々、津軽三味線の音色に酔った。
  
  ※ 新田さん(右前)を中心にお弟子さん3人と合同の演奏でした。                  
 リポートの順が前後したが1月2日(火)午後、津軽三味線のミニコンサートを聴くことができた。
 私の今年のコンサート事始めは1月10日まで待たねばならない。「それはちょっと寂しいなぁ」と思っていたところ、新聞広告にイオン発寒店で「新春イベント」と称して、津軽三味線の名手・新田弘志さんが出演すると出ていた。そこで特に買いものをする目的はなかったのだけれど遠路発寒まで出かけることにした。
 新田弘志さんは1997年に「津軽三味線全国東京大会」において優勝し、日本一に輝いた方で、以来「新田流」を起ち上げその家元として君臨している。現在では新田氏のご子息の新田昌弘さんの方が若手演奏家として全国的に名を成している。
  
  ※ 「大雪山」の演奏の際に、新田さんの奥様が太鼓奏者として加わりました。(真ん中奥)この方がとてもユーモアがあり客席を沸かせてくれました。
 当日は新田弘志さんをはじめとして新田流のお弟子さんたち3名と共にステージに登場し、津軽三味線の代表的名曲や新田氏が作曲した曲など計7曲の演奏を披露してくれた。
 その7曲とは、    
 ① 津軽じょんから節
 ② 北の響き
 ③ 絆
 ④ 大雪山
 ⑤ 奏
 ⑥ 津軽あいや節   ※ 新田弘志さんの独奏
 ⑦ 秋田甚句     ※ ささら踊りとの共演
以上の中で②~⑤は新田弘志さんが作曲した曲ということだった。
  
  ※ 「津軽あいや節」は新田弘志さんの独奏でした。
 冒頭に記したように津軽三味線の魅力は何といっても撥を弦に叩きつけるように弾くテンポの良い奏法である。そして時には細く細かく弾く奏法が挿入され、その際は聴いている者の息が詰まりそうな思いをしながら聴き入る場面は圧巻である。音楽を解する者も解しない者も全てを虜にする魅力が津軽三味線にはあるように思える。
 津軽三味線の起源については諸説あるようであるが、そもそもはボサマと呼ばれる男性の視覚障碍者たちが三味線を抱えて各戸を回る門付け芸が始まりだそうだ。(そういえば津軽三味線の名手と言われた高橋竹山も目が不自由だった)それが、他のボサマより目立つ奏法、繊細の奏法を競い合ううちに現在のような津軽三味線に発展したようである。
  
  ※ 最後はささら踊りを加えて「秋田甚句」でステージを閉めました。
 起源はさておき、新春早々短い時間ではあったけれど素晴らしい音を聴くことができたひと時だった。機会があればこれからも折に触れ、津軽三味線の音を楽しみたいと思う。

初詣と神楽焼、そして…

2024-01-03 19:59:26 | 神社参拝・御朱印収集関連
 いつもの日に、いつものルートで、いつものように…。私たちは本日3日午後に北海道神宮にて初詣をしてきた。それはもう私たちにとって “習い性” のようなものとなってしまった。ただし今年は一つだけこれまでとは違うものになってしまったのだが…。

 本日、お正月恒例の箱根駅伝で青学大の7度目の優勝を見届けた後、いつものように妻と連れ立って徒歩で北海道神宮に初詣に向かった。
 私たちが初詣を1月3日に定めたのは、記録を辿ると2013年だった。それまでは1日や2日に初詣に出かけていたのだが、混雑を避ける意味もあって「三が日の最終日にしよう」と決め、それ以来は毎年3日に初詣をしている。
 北海道神宮の表参道を辿り、第一鳥居、第二鳥居を潜り、手水舎で手口を清め、拝殿に進み今年一年の安寧を祈願し、拝殿横でお神酒をいただき十二支守の神楽焼を購入し、その後にお御籤を引き、その後は神門から出て、円山公園口鳥居までの間に並ぶ露店(出店)をひやかし、甘味処に寄ってぜんざい等を味わい、帰宅するというのが定番となり、それを毎年ルーティンのように繰り返してきた。(ただし、上記の中からコロナ禍が完全に終止符を打てない状況から、手水舎での清めと、お神酒は今年も中止されていた)
  
  ※ 第二鳥居のところです。それ程の混雑ではありませんでした。
  
  ※ 第二鳥居から神門に続く参道ですが、ご覧のようにそれほど混んでいません。

  
  ※ 手水舎はご覧のように柵で囲われ、使用できなくなっていました。
  
  ※ 拝殿前は少し混雑が見られましたが、それほど待たされずに参拝を終えることができました。      
  
  ※ 拝殿横の売店(?)は何故か閑散としていました。ここで神楽焼を購入。
  
  ※ お御籤の配布所はいつものお正月のように賑わっていました。
 本日もまったく同じであった。その中「十二支守の神楽焼」については、今年でちょうど12年目となり今年の「辰」の神楽焼を購入することによって一回りが完成した。12年前に「ぜひとも全てを買い揃えたい」と誓ったことを成し遂げることができたのは感慨深い。
  
  ※ 今年購入した「辰」の神楽焼です。
  
  ※ 十二支揃った神楽焼です。
 お御籤の方はなんと「末吉」であった。「末吉」とは「吉」中で最も低いとされているそうだが、考えようによっては「末広がりで運気が上昇する」とも考えられるということなので、それを信じたいと思う。
 さて、一つだけこれまでと違ってしまったのは…、「甘味処」である。以前は表参道の脇の小さな甘味処に寄ることを常としていたのだが、一昨年に廃業してしまったことから「六花亭円山店」の2階喫茶室に代えて楽しんでいた。今年も楽しみに伺ったのだが、なんと長蛇の列ができているではないか!これには妻が恐れをなし「諦めましょう」と提案したので渋々受け入れざるを得なかった。代わりに1階の菓子コーナーでスイーツを購入し、今年の初詣を終えることにした。
  
  ※ 「六花亭円山店」の喫茶部に通ずる入口です。2階には長蛇の列が…。
 それにしても今年は年初めから国内を震撼とさせる出来事が相次ぎ、心配な年の初めである。なんとか穏やかな一年となるよう祈念しながら参拝したのだが、願いが叶う一年であってほしいと願うばかりである。    


年賀状

2024-01-02 13:05:22 | その他
 今年も知人、旧友などからたくさんの年賀状が届いた。懐かしさがこみ上げる。昔の旧友との一コマが走馬灯のように蘇る。年賀状不要論が姦しいが、私は日本人の良き風習としてこれからもできるだけ続けていこうと思っている。
     
 デジタル時代となって年賀状による交換が激減しているという。しかし、アナログ人間を抜けきれない私にとって、やはり年賀状は特別なものに感じている。日常において交流が途絶えた知人や旧友から届いた年賀状を目にすると知人・友人の健在を安堵するとともに、昔日の交流を思い出す機会となっている。
 さて、私の方から知人・友人に届ける年賀状であるが、物心がついた頃から私自身の近況を伝える文章を加えたものにするように心がけてきた。私の健在を伝えるとともに、近々の一年間の中からトピック的なことを伝えることを心掛けてきた。
 今年の場合は、ある意味淡々と近況を伝える内容となった。友人・知人はこの文章から何を感じてくれるだろうか、と思いながら…。
 冒頭の年賀状の写真からは文章が読みづらいかと思われるので、文章のみを再掲することにする。知人・友人に届ける年賀状をブログ上に公開するとは露悪的なことかもしれないが、内容的にはブログ上で交友を図っている方にも届ける意味で敢えて公開することにしたことをご理解いただけたらと思います。

   あけましておめでとうございます!!
 昨年も悲喜こもごものニュースが飛び交った一年でしたが、あなた様にとりまして昨年はどのような一年間だったでしょうか?
 私たちはおかげさまで年老いた体を労りながら無事に一年間を過ごすことができました。妻は歩数計を片手に、街まで徒歩で往復して買い物に出かけ健康を図っています。私も負けじと様々な講座やステージを追いかけ積極的に戸外へ出向き歩数を稼いでいます。しかし老いは確実にやってきています。妻ともどもマンション内の有志と続けてきた道立近代美術館前の清掃ボランティアも14年が経過しましたが、今年が最後かなぁと思案しているところです。
 今年もまた無事に一年間を乗り越えたいと祈願しているところですが、あなた様にとりましても今年一年が健康で、幸せに満ちた一年間でありますように願い新年のご挨拶といたします。