撥(バチ)を弦に叩きつけるように弾くテンポ良い奏法が耳に心地良い。耳にだけではない、お腹の奥底までに響く津軽三味線の音色が理屈抜きに私を虜にする。新春早々、津軽三味線の音色に酔った。
※ 新田さん(右前)を中心にお弟子さん3人と合同の演奏でした。
リポートの順が前後したが1月2日(火)午後、津軽三味線のミニコンサートを聴くことができた。
私の今年のコンサート事始めは1月10日まで待たねばならない。「それはちょっと寂しいなぁ」と思っていたところ、新聞広告にイオン発寒店で「新春イベント」と称して、津軽三味線の名手・新田弘志さんが出演すると出ていた。そこで特に買いものをする目的はなかったのだけれど遠路発寒まで出かけることにした。
新田弘志さんは1997年に「津軽三味線全国東京大会」において優勝し、日本一に輝いた方で、以来「新田流」を起ち上げその家元として君臨している。現在では新田氏のご子息の新田昌弘さんの方が若手演奏家として全国的に名を成している。
※ 「大雪山」の演奏の際に、新田さんの奥様が太鼓奏者として加わりました。(真ん中奥)この方がとてもユーモアがあり客席を沸かせてくれました。
当日は新田弘志さんをはじめとして新田流のお弟子さんたち3名と共にステージに登場し、津軽三味線の代表的名曲や新田氏が作曲した曲など計7曲の演奏を披露してくれた。
その7曲とは、
① 津軽じょんから節
② 北の響き
③ 絆
④ 大雪山
⑤ 奏
⑥ 津軽あいや節 ※ 新田弘志さんの独奏
⑦ 秋田甚句 ※ ささら踊りとの共演
以上の中で②~⑤は新田弘志さんが作曲した曲ということだった。
※ 「津軽あいや節」は新田弘志さんの独奏でした。
冒頭に記したように津軽三味線の魅力は何といっても撥を弦に叩きつけるように弾くテンポの良い奏法である。そして時には細く細かく弾く奏法が挿入され、その際は聴いている者の息が詰まりそうな思いをしながら聴き入る場面は圧巻である。音楽を解する者も解しない者も全てを虜にする魅力が津軽三味線にはあるように思える。
津軽三味線の起源については諸説あるようであるが、そもそもはボサマと呼ばれる男性の視覚障碍者たちが三味線を抱えて各戸を回る門付け芸が始まりだそうだ。(そういえば津軽三味線の名手と言われた高橋竹山も目が不自由だった)それが、他のボサマより目立つ奏法、繊細の奏法を競い合ううちに現在のような津軽三味線に発展したようである。
※ 最後はささら踊りを加えて「秋田甚句」でステージを閉めました。
起源はさておき、新春早々短い時間ではあったけれど素晴らしい音を聴くことができたひと時だった。機会があればこれからも折に触れ、津軽三味線の音を楽しみたいと思う。