音のシャワーを浴び続けたというような優雅な表現はとても似合わない。それはもう音の洪水に溺れそうになりながらの二日間だった。そこで聴いたこと、感じたこと、思ったことを何回かに分けてリポートしたい。
昨日、今日(1月20日、21日)と札幌コンサートホールKitaraにおいて「札幌市民吹奏楽祭」が開催されたので私は他の予定をキャンセルして二日間通い詰めた。ということは朝の10時から夕方18時まで2日間Kitaraに缶詰めになって吹奏楽を聴き続けるということなのだ。その間、休みは昼休みのわずか30分間だけである。だから私はこの二日間で計15時間吹奏楽を聴き続けたことになる。(もっとも舞台の出入りがあるので、実質音楽を聴いた時間はそれほどではないのだが…)
ここであるデータを示すと、二日間で出演した吹奏楽団体は小・中・高校・一般と併せて計85団体(1団体が急遽出演を辞退した)である。私は全ての団体の演奏者の数をその都度数えていたが、さきほどその数を合計したところ2,432名と出た。多少の誤差はあるかもしれないが大きく違いはないはずである。凄い数の演奏者がKitaraのステージで演奏したということである。
二日間、Kitaraの座席に座り続けて多くの演奏を聴きながら、いろいろことが頭を駆け巡った。そのことを紐解きながら、札幌の吹奏楽について若干リポートしてみたい。
※ 判読は難しいでしょうが、二日間で出演した全86団体の団体名です。
私と吹奏楽
その前に、音楽にはまるで素人の私が何故に二日間も吹奏楽の演奏会に通ったのかについて述べておかねばなるまい。
それは多分に私のこれまで生きてきた過程が影響しているのかな?と考えている。
私はこれまでの人生のほとんどをオホーツク管内で過ごしてきた。オホーツク管内の音楽状況について紹介すると、“聴く音楽” として私たちの前にあったのは「吹奏楽」だけだった。私の現職時代というと、オホーツク管内の各学校に吹奏楽が根付き始めた時期だった。各市町村では予算を計上して中心校に管楽器を整備し、吹奏楽部の設立を要請することで各地に吹奏楽部が誕生し始めた頃だった。私たちはそうして誕生した吹奏楽部の演奏を聴くのが “聴く音楽” だった。管弦楽など夢のまた夢、今思い出すと確か北見市に読売交響楽団が来たときは町の教育委員会がバスを仕立てて北見まで送迎してくれたものである。
つまり私の身近にあったのは「吹奏楽」だけだったのだ。だから吹奏楽はそれなりに聴く機会があり、吹奏楽についてはある意味で “親和性” のようなものがあるのだ。
札幌に居を移したことで、管弦楽に触れる機会が多くなり、弦の響きには魅了されるが、弦のない「吹奏楽」にも惹かれるのだ。そんな「吹奏楽」を今回はイヤというほど聴くことができた。
本日はKitaraから帰ってきたが、心身ともに疲れている。明日から詳細に振り返ってみることにしたい。