田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌地方裁判所で刑事裁判を傍聴する

2024-08-21 16:59:03 | 講演・講義・フォーラム等
 大麻を吸引した若者(初犯)の刑事裁判を傍聴した。私にとって刑事裁判を傍聴するのは2度目の体験だった。裁判所独特の厳粛な雰囲気の中で行われた裁判だったが、被告の若者にはどのように映ったのだろうか?

    

 本日午後、札幌市資料館が主催する「刑事裁判の傍聴と解説」という講座を受講した。この講座は実際の裁判を傍聴し、その後その裁判を指揮した裁判長が、当該裁判について解説するという講座である。
 私たち受講者は札幌市資料館に一度集まり、そこから担当者に引率されて裁判が行われる「札幌地方裁判所」に向かった。
 裁判所では持ち物、身体検査が行われ、私たちが傍聴する8階の第804号法廷に案内された。法廷に入る前に、6点の注意事項を受けた。その6点とは…、
 ①傍聴席で発言したり、音を立てたりしない。
 ②みだりに自席を離れない。(トイレに行く場合は静かに)
 ③撮影、録音しN G。メモを取るのは構わない。
 ④帽子を着用しない。
 ⑤携帯、スマホ、タブレットなどは電源を切る。
 ⑥居眠りをしたり、新聞・雑誌などを読んだりしながら傍聴しない。
第804号法廷では本日4件の裁判が予定されていることが表示されていた。私たちが傍聴した裁判については
    令和6年第468号  大麻取締法違反
    ○○〇〇(被告名)新件  刑事第2部
    裁判長 〇〇〇〇
    書記官 ○○○○
と記されていた。
 13時30分の開廷5分前に書記官、検察官、弁護人、被告がそれぞれ着席した。そして開廷時間となって裁判長が登場し、全員で(傍聴者も)で挨拶を交わし、裁判に入った。なお、この日は裁判長の後ろに5人の人が入廷した。私は当初「この裁判は裁判員裁判なのかな?」と思ったが、そうではなく司法修習生が現場研修の一環として裁判の様子を傍聴していたということだ。
 裁判は刑事裁判の法廷での手続きの流れに沿って進められた。その手続きとは…、
  ①人定質問
  ②検察官の起訴状朗読
  ③黙秘権の告知
  ④被告事件に対する陳述  ※ここまでが「冒頭手続」
  ⑤冒頭陳述
  ⑥犯罪事実に関する立証
  ⑦情状に関する立証
  ⑧被告人質問      ※ここまでが「証拠調べ手続」
  ⑨検察官の論告・求刑
  ⑩弁護人の弁論
  ⑪被告人の最終陳述
  ⑫弁論集結       ※この段階が「弁論手続」 
 一連の流れから事件(犯罪)の概要を凡そ把握することができた。その概要は被告Aは当年20歳という青年である。今年5月、密売人から購入した大麻を、付き合っていたB子と二人でB子の姉の部屋で大麻を吸っていたところを現行犯逮捕されたという事件である。Aによると大麻吸引は高校2年生の頃からやっていたが、逮捕されたのは初めてでいわゆる初犯だった。
 裁判は上記の流れどおり進められ、検察官の犯罪に対する立証について、被告も弁護人も反論することなく検察官の立証を認めた。
 今回の裁判での特色(?)は、弁護人の弁論の中で被告の母親が証人として出廷し、反省と悔悟の言葉を陳述したことだった。
 そして検察官は懲役8カ月を求刑し、被告は「執行猶予」を求めた。最後に裁判長が来る9月6日(金)午後1時20分から判決を言い渡すと述べて閉廷した。

    
    ※ 裁判が行われた札幌地方裁判所の全景です。

 閉廷後に少し時間をおいて裁判長が再度登場し、私たちに裁判の背景などについて率直に語ってくれた。裁判長としては、裁判を通して被告が再犯などをしないように説諭などをするのだが、限界もあると率直に語ってくれたところに好感をもった。また、私たちからの素朴な質問にも丁寧に一つひとつ答えてくれたことが印象的だった。
 判決もできれば聴いてみたいなぁ、と思っているのだが…。

札幌麺紀行 143 志の家

2024-08-20 19:40:16 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 マンションの一角でありながら、ちょっとした庭もあり雰囲気がとても良い中で美味しい蕎麦をいただきました。細麺の更科蕎麦は喉越しも良く、美味しくいただけた一杯でした。

 1月以来、久しぶりの麺紀行の投稿である。このカテゴリー「札幌麺紀行&グルメ紀行」については2012~2018年頃は結構投稿していたのだが、私の中では一応一区切りをつけた思いのカテゴリーだったのだが、ここにきてブログのネタ切れ状態となったために苦しまぎれに久々に復活した次第である。
 今日、妻が「たまあにランチでも」と声をかけてくれた。それに反対する選択肢など私にはない。すぐさま出かけることにした。ランチとはいってもこの年代になると、何といっても “蕎麦” である。

    
    ※ 「志の家」の店の前です。とてもマンションの一角とは思えません。雰囲気ありますねぇ。

 ということで、“蕎麦” といえば、我が家から歩いて約15分、プリンスホテルの傍にある「志の家」である。これまでも何度か訪れているがマンションの一階にありながら、お店の前には庭が設えられており、都心にありながら雰囲気は抜群である。

    
    ※ 志の家の入口です。

 私たちがお店に着いたのは昼時を少し外した13時前。いつもだと満席状態のため待たされることが多いのだが、今日はテーブル席を所望したために少し待たされたが、直ぐに着席することができた。

    
    ※ 客席に入る前のエントランスです。

 注文したのは、私が「かも南」(1,650円)、妻が「冷やしたぬき」(1,200円)である。
 店内は小上がり席からは庭がすぐ傍に広がっている。私たちのテーブル席からは少し離れているが、それでも庭の緑が良い雰囲気を醸し出している。

    
    ※ 小上がり席からは庭の緑が手に取るように近くにあります。

 店内の壁に由緒ありそうな句が掲げられていた。私の判読では「故郷や 酒はあしくも 蕎麦の花」と読めた。帰宅して調べてみるとどうやら与謝蕪村の句らしい。

    
    ※ はたして私の判読は正しいのでしょうか?

 そうしているうちにオーダーした蕎麦が運ばれてきた。「志の家」の蕎麦の特徴は更科蕎麦の細麺である。その細麺の喉越しが爽やかである。鴨肉も適度な噛み応えを感ずる柔らかさで満足に一杯だった。妻の「冷やしたぬき」も満足の一杯だったようだ。

    
    ※ 私が食した「かも南」です。
    
    ※ 妻が食した「冷やしたぬき」です。
    
    ※ この細麺の喉越しが良かったぁ…。

 「志の家」は、蕎麦も有名だが、玉子焼きなどサイドメニューも充実しているようだ。妻は帰宅すると「志の家」の全メニューを制覇しましょうか」などと言いだした。それもいいかもしれない。(その際はまたレポートします)                                                                                                                                                                                                                                                                   
【志の家 概要】
札幌市中央区南2条西12丁目323-10 リナパートナーズ南2条1F
電  話   011-281-1045 
営業時間   11:15~17:00
定休日    日曜日
座席数    51席(テーブル席、小上がり席)
駐車場    有(3~4台)
入店日   ‘24/08/20

ご冥福をお祈りします 高石ともやさんの訃報に接して…

2024-08-19 15:50:17 | その他
 本日のYahooニュースで高石ともやさんが膵がんで亡くなられたことを知った。享年82歳だったという。高石ともやさんは、私にとって唯一ファンとシンガーという垣根をちょっとだけ越えて微かにではあるが交友させていただいた方である。高石さんのご冥福をお祈りしながら、高石さんとの思い出の日々を振り返ってみたい。
 
 私と高石の最初の出会いは、私が大学2年生の時に彼がギター一本で広い体育館のステージでワンマンライブを行ったのを聴いたのが初めてだった。その時私が20歳だから、彼は25歳、デビュー間もない時期だったと思われる。途中休憩も取らずに2時間歌い切ったことを鮮明に記憶している。
 そして私は道東地方(網走管内、現在はオホーツク管内と称している)の一教師として勤務していた。当時の網走管内には高石ともやファンが多数いたようだ。津別町、置戸町、生田原町…。高石ともやは彼らの要望を受け、網走管内にしばしば訪れていた。私はその度に駆け付け、彼の歌に耳を傾け、いわゆる彼が歌う元祖フォークソングの魅力を感じていた。そして「いつかは私も彼のステージを招いてみたい…」との夢を育んでいた。
 やがて夢は、私が社会教育主事という職務で東藻琴村(現在は大空町)教育委員会に派遣されたときに実現することになった。村の青年たちと交友を続けていた私は、彼たちに私の夢を語った。すると青年たちは高石ともやの存在を誰一人知らなかったが「やりましょう!」と賛成してくれたのだ。彼らの応援を受け、人口2,900人の村で600人を「高石ともやとナターシャセブンコンサート」(コンサートのテーマ「光と風とナターシャと」)に集めることができ大成功を収めた。(1982年)

     

 コンサート後の打ち上げでステージを務めたメンバーと実行委員会の人たちとで痛飲したのも懐かしい思い出である。 

       
       ※ 打ち上げの席で高石さんに書いていただきました。

 コンサートは私の仕事として取り組んだのではなく、あくまで余暇を利用しての活動だったが、翌年には私自身の仕事(社会教育主事)の一環として高石ともやを村民大学の講師として招請し、「自然と歌と子育てと」というテーマで村民にお話してもらったが、彼の子どもは肢体不自由児なのだが、奥さんと協力して明るく育てていることを率直に語ってくれたことも嬉しかった。(1983年)
 そして私は再び教師に戻り、網走市の能取小学校という学校に勤務していた。その時高石ともやはサロマ湖100キロマラソンに参加し、その足で札幌まで走り通すという「ワイルドラン」に取り組むことを知った。

   
 能取小学校はそのコースの途上にあったので、私は子どもたちに彼の持ち歌「私の子どもたちへ」(高木透 作詞・作曲)を教えて、彼が通る時にその歌を全校合唱して彼の挑戦を声援したのだ。彼の動静を伝える民放の番組がテーマソングのように子どもたちの歌声を流してくれたのも懐かしい思い出である。
    
その時は北海道新聞社から「高石ともや 走った!笑った!歌った!」という記録集を発刊したが、その中で合唱している写真や子どもたちの作文がたくさん掲載された。(1994年)

    

 また、その翌年、彼が網走市でちょっと小規模のコンサートを開催した時に、客席にいる私を見つけて「来い、来い」と手招きして私をステージ上に上げて一緒に「私の子どもたちへ」を一緒に歌わせてもらったのも楽しい思い出である。(1995年)
 彼はまた市民ランナーとしても有名で、網走管内を訪れた時には田舎の駅伝マラソンに参加したり、全国各地のマラソン大会に参加したりしていたことは有名である。私もその影響を受け(?)、職場で駅伝チームを作って地域の駅伝大会に参加したり、僅か一度だけであるが1985年に山梨県河口湖で開催された「河口湖日刊スポーツマラソン」に参加したのも高石さんの影響を受けた結果だと思っている。

      
   ※ 39歳の時の初マラソン、4時間をわずかに切ったタイムが密かな自慢です。

 また彼の創った歌で「街」という曲がある。内容は京都の街の情景を歌った曲であるが、私はそれを勤務したオホーツク海に近い街の情景に置き換えた歌を作詞し、教室で子どもたちと歌っていた。するとそれがどこかに伝わり、NHK・TVの地域番組において歌わされたというとんでもない体験もさせていただいた。その一節を紹介すると…、

  白鳥の舞 凍てつく海 吹き渡る風の音
  キタキツネの親子 白い野原に遊ぶ
  この街が好きさ 君がいるから
  この街が好きさ 君のほほえみあるから…
 
 「この街…」以下は、高石ともやさんが創ったフレーズをそのまま使わせてもらった。
 さて、その後私が札幌に転居してからだが、JR札幌駅コンコースにおいての「5時間歌マラソン」に5時間付き合ったり、彼が札幌を訪れた時は欠かさず彼のコンサートに足を運んだりしていた。
 彼のステージの最後は昨年4月29日に市民交流プラザ・クリエイティブスタジオにおいて札幌音鑑の4月例会で聴いたのが最後となった。
 振り返ってみると半世紀にわたって高石さんを追い続け、私に大きな影響を与えくれた高石ともやさんに心から感謝し、ご冥福をお祈りしたいと思う。


再度大腸がんについて学ぶ

2024-08-18 19:16:53 | 講演・講義・フォーラム等
 大腸がんの罹患率は今や最も高く、死亡率も肺がんに続いて多いという。しかし、早期発見により死亡に至らずに済むこともあるという。早期発見、そしてその治療方法の進歩を聴いた。

     

 大腸がんに関しては、5月、6月にも関連のお話を伺っていたが、今回もまた大腸がんに関する講座を受講する機会を得た。
昨日、直木賞作家の河崎秋子さんの講演を聴いたその足で、札幌市医師会館で開催された「家庭医学講座」を受講した。この講座は今回で実に328回目だという。
 今回のテーマと講師は…、
 ◆「体に優しい大腸がん外科治療」と題して札幌厚生病院副院長の本間重紀氏
 ◆「もう大腸がんは怖くない」と題して斗南病院消化器センター長の住吉徹哉氏
が担当された。
 お二人のお話はほぼ同じような内容だと私は受け止めたので、お二人のお話をまとめた形でレポすることにする。
 大腸がんの発生には二つの経路があるという。一つは腺腫という腫瘍ががん化する経路。そしてもう一つが正常な粘膜から直接がんが発生する経路。
があるそうだ。
 そして大腸がんが発生する部位の7割はS字結腸や直腸に発生するという。つまり1.5~2.0mもある長い大腸の最後半(3/4以降)の部位で発生することが多いそうだ。

    
 罹患率、死亡率についてはリード文でも触れたとおりだが、大腸がんは40歳以降から徐々に増加し、70歳以降では急激な上昇カーブを描くほど罹患率、死亡率が高くなる病気である。また全国的に見て北海道の罹患率、死亡率共に高い方に位置するとのことだった。

    
 さて、どのようながんでも言えることであるが、がんで死亡することを回避するためには何より「早期発見・早期治療」が肝心である。大腸がんを早期発見するためには「がん検診」を受けることだと強調された。
 「がん検診」の代表的検診方法は「便潜血検査」である。その潜血検査でも「2日法」がエラーが少ないという統計が出ているという。この検査により60%の大腸がん死亡リスクの減少が見られたとの統計も存在するようだ。
 「便潜血検査」で陽性を指摘されたら、精密検査(内視鏡検査)を受けることが必要である。内視鏡検査で異常が発見されなければ問題ないが、もし大腸内に腫瘍などが見られた場合は、「内視鏡的ポリープ切除」(EMR)という方法で腫瘍を取り除くことができるそうだ。
 しかし、EMRでは除去できないような大きな腫瘍には「内視鏡的粘膜下層剥離術」(ESD)という方法で除去する方法がとられるそうだ。
 というように「早期発見・早期治療」により大腸がんは以前よりは怖い病気ではないということだが、生活習慣を見直すことによって大腸がんに罹るリスクを低下させることができことが知られている。その生活習慣の改善とは、まず「喫煙・飲酒」の習慣を改めることが肝要であるという。さらに「肥満」も要注意で、反対に「運動」を習慣化することが大切と説かれた。
 このことは大腸がんだけではなく、これまでさまざまな講座を受講する中、老化に伴うさまざまな病気の予防の第一歩であることを改めて教わった思いだった。
 

河崎秋子 歯を食いしばって書く

2024-08-17 21:50:51 | 講演・講義・フォーラム等
 河崎さんは、主催者の北海道歯科医師会へのリップサービスとして「歯を食いしばって書く」という演題を決めたのか?と思ったのだが…。さにあらず、講演の内容も河崎さんの歯にかかわる話に終始され、河崎さん独特のあの骨っぽい文章を産み出す深淵を垣間見ることができなかったのは少し残念だったが
…。

     

 本日午前、札幌パークホテルにおいて北海道歯科医師会が主催する「道民公開講座」が開催され、「ともぐい」で昨年下半期の直木賞を受賞した河崎秋子さんが講演すると知って馳せ参じた。
 河崎さんは「歯を食いしばって文章を書く」と題して講演された。リード文で記したように、題名はあくまで主催者に対するリップサービスなのだろう、と思いながら河崎さんのお話を聴き入ったのだが…。
 お話は河崎さんの幼少の頃からの歯にまつわるお話に終始された内容だった。
 河崎さんは脱サラされたお父さんが別海のパイロットファームに入植され、酪農業に従事され両親の4番目の子として生まれたという。幼少の頃のエピソードとして、兄や姉たちはぐずる河崎さんに飴玉を与えて機嫌を取っていたことを成長してから聞かされたという。そうしたこともあり小中時代に街の歯医者にかかることもあったが、送迎が大変なここと、また深刻な状態でもなかったことから歯科治療にかかったことは数回程度だったという。
 そして大学を卒業して河崎さん自身が酪農に携わることになって再び別海で暮らすようになったそうだが、30歳ころのとき前歯が痛んで通院もしたが、歯科医院が遠いこと、酪農業が多忙なことから必要最小限の通院に止まったという話をされた。
 さらに河崎さんの父親が重篤となり介護せねばならない生活となった時、父親の口腔ケアに務めねばならなかったことを話された。

     
 というようにお話は歯にまつわることに終始された講演だった。
 現在、河崎さんは脱サラされた兄に酪農業を任せ、ご自身は高校時代を過ごした帯広で作家専業生活に入っているとのことだ。
 多忙な酪農との兼業生活に別れを告げ、作家専業生活に入ったことで「今度は十分に時間が取れる」と思っていたが、なかなかそうはならないという。時間があると思うとなかなか集中できないそうだ。面白いことを披露された。それは「作家というものは締め切りが近くなるとようやく覚醒する」そうだ。
 河崎さんは成人になってから「親知らず」が育ち始め、それを抜く困難な経験をしたことも披露した。その「親知らず」が他の違いかなり特殊なものだったために、抜く治療も大変だったらしい。その思いは近著「愚か者の石」に反映されているとのことだった。これは早速購入して読まねば。
 河崎さんは最後に、このように自らの経験も生かしつつ、経験のないことは十分に取材をして、読者に届けたいと話され話を締めた。
 順風満帆の作家の道を歩み始めた余裕からだろうか?話の端々にユーモアが溢れ、お話自体も具体性に富み、楽しく聴くことができた河崎秋子講演会だった。

さっぽろラウンドウォーク 事前踏査 セクション8

2024-08-16 20:33:39 | さっぽろラウンドウォーク
 悪戦苦闘の18キロだった。汗が出るのを嫌って、このところ歩くことが極端に少なくなっていたツケが露呈してしまった…。それでもなんとか所期の目的を果たして帰宅することができた。
   

 朝起きた時、空は雲に覆われていた。開け放った窓からは涼しい風が吹き込んできていた。「これはチャンス!」と懸案だったラウンドウォークの事前踏査をすることを決めた。
(スケジュールは入っていたのだが、キャンセルすることにした)
 地下鉄とJRを乗り継ぎ、JR「上野幌駅」をスタートしたのは午前10時だった。

    
    ※ スタート地点の「上野幌」駅です。乗降場は駅舎の屋根より上にあります。
    
    ※ JR千歳線を潜って進みます。

 早速試練が待っていた。JR千歳線、自転車道のエルフインロードの跨線橋を潜ると、周りに住宅のない森に導かれた。この森の中が小さな山坂が広がり複雑だった。何度も道を誤り、その都度「さっぽろラウンドウォーク」のアプリで確認しつつ歩を進めた。アプリの威力を再確認した瞬間だった。

    
    ※ いきなりの上りでちょっと予想外でした。

 その後、少しだけ住宅街を横切り、北広島市との境界に広がる「東部緑地」に導かれた。 この緑地には私も一度プレーしたことのあるパークゴルフ場があるが、全体は鬱蒼とした樹々が繁る緑地である。

    
    ※ 私もプレイした経験のある東緑地パークゴルフ場です。
    
    ※ 東部緑地内の散策路です。

 この細長い緑地を北から南へ縦断した。緑地内には東屋が点在していた。少し早い気はするが給水タイムには適した場所かな?とチェックした。東部緑地の縦断は2キロくらいだったろうか?やがて里塚地区の住宅街に導かれた。里塚の住宅街を横断し、その先の「道央自動車道」も跨ぎ、コースは梅園と湿生植物で知られる「平岡公園」に導かれた。「平岡公園」は梅の季節も過ぎ、訪れる人はいたものの閑散としていた。私の目的は休み処をチェックすることだったのだが、確かにたくさんのベンチが配置されていたが、屋根がないのが難点だった。ここはパスするしかないかな?というのが私の現時点の判断なのだが…。

    
    ※ 道央自動車道を跨ぐ橋の上から撮りました。
    
    ※ 「平岡公園」の梅園の様子です。

 「平岡公園」を過ぎ、平岡地区の住宅街に入ると「わんぱく公園」、「平岡緑地」、「きのこ公園」と緑が連続して続いていた。その中の「きのこ公園」に屋根が付いた東屋があり、昼食ポイントとして時間的にも適しているかな?と思われた。
 その後も、平岡地区は計画的に街づくりが進められたようで、「平岡東公園」、「杜の道」、「はるにれ公園」と緑が連続していて地域の人たちの散歩道として重宝されているのではと思わされた。ここで自慢のアプリが何故か機能しなくなった。アプリが機能しなければ、私のウォークはお手上げである。スイッチを何度もOn、Offをくり返して何とか回復させることができホッとしてウォークを続けた。
 コースはやがて清田区を縦断するように流れる「厚別川」沿いに導かれた。
ここからが難行苦行だった。

    
    ※ 「厚別川」河原にはこうしたパークゴルフ場が何ヵ所も設置されています。

 コースは「厚別川」の堤防をひたすら上流に向かって遡るのだ。結局何キロ遡ったのだろう?私的にはおそらく8キロ以上遡ったのではないかと思われた。この辺りではかなり疲れも蓄積していたようで、私は周りを何も見ていなかったことに帰宅してから気付いた。さらに堤防上には何一つ休憩できるような施設はなかったが、本番ではどう対処するか一つの課題である。堤防上の道も下流では整備されていたが、上流に遡るにつれてだんだん心細くなり、しまいには道そのものが判然としないような状態のところを歩いた。

    
    ※ こうした堤防道路が延々と続いていました。

 長い「厚別川」沿いが終わると、今度は「厚別川」の支流の「山部川」沿いの堤防に導かれた。「厚別川」でも見られたが、「山部川」でもおそらく高校生かと思われる学生たちが暑さから逃れるために水浴びをしていた。

    
    ※ 山部川で涼む高校生?そして釣りを楽しむ親子。

 「山部川」沿いを離れると、いよいよゴールも近くなる札幌市が造成した新産業団地「ハイテクヒル真栄」に入る。主として各企業のロジティクスセンターが入っているようだ。この日のゴールはその先にある「日本医療大学」の「アンデルセン福祉村」というバス停だった。私がゴールにたどり着いたのは14時20分だったが、地下鉄「福住駅」に行くバス便は15時10分のため50分間待たされたが、これは致し方のないところか。
(山部川以降の写真が一枚もありません。写真を撮る気力も残っていなかったようです)

    
    ※ 日本医療大学の本部(?)建物です。
    
    ※ バス停「アンデルセン福祉村1丁目」です。    

 ところで、「アンデルセン福祉村」とは、特別養護老人ホームを核とした「地域包括ケア」の実践拠点のようである。その福祉村を運営する人材を育てるのが「日本医療大学」という位置づけなのかな?                                                                      
 さて、私の目的であったセクション8の事前踏査であるが、前半は休憩ポイントも適度にあり、昼食ポイントも目途が付いたが、後半は腰を下ろして休憩するところが見当たらなかったのが不安な点である。
 それにしてもさすが札幌は広い。私は相当に札幌の市内をこれまで歩いてきたが、今日のコースではおよそ3/4が未踏のところだった。
 ◇事前踏査実施日 8月16日(金)
◇事前踏査距離  約18キロ(マップ上では約14キロとなっているが…)

平和について考えた

2024-08-15 21:30:46 | 講演・講義・フォーラム等
 若い人たちの瑞々しい感性に触れることのできたひと時だった。「終戦記念日」の今日、札幌市が主催する「平和のつどい」に参加して、平和ボケしている我が頭をリフレッシュすることができた。

 本日午後、札幌駅前通地下歩行空間で開催された札幌市平和都市宣言普及啓発イベント「平和のつどい」に参加した。参加した動機はオープニングイベントの弦楽四重奏団「クァルテット・ポッポ」の演奏を聴くのが目的だったのだが、せっかくだったので全日程に参加することにした。
 日程は次のようになっていた。
 □オープニング 弦楽四重奏団「クァルテット・ポッポ」ミニコンサート
 □令和6年度「平和へのメッセージ」優秀賞受賞者表彰
 □令和6年度「平和へのメッセージ」ミュンヘン賞紹介
 □派遣報告 平和訪問団による長崎県への派遣報告
 □講和 長崎県の被爆体験伝承者による講和
 □合唱 HBC少年少女合唱団ジュニアクラスによる合唱
とかなり盛りだくさんの内容だった。
 オープニングの「クァルテット・ポッポ」の演奏は◇モーツァルト/弦楽四重奏曲 第21番ニ長調の第一楽章、◇久石譲/「菊次郎の夏」から、の二曲を披露した。PMF修了者を中心に組織されたポッポはレベルの高い演奏をサラッと演奏してくれた。

  
   
 ハイライトは平和訪問団による派遣報告だった。「平和へのメッセージ」に応募した児童生徒の中から優秀賞を受賞した小・中・高校生の6名が8月初旬長崎市に派遣され、そこで見たこと、感じたことを報告した。
 派遣された6名の皆さんは、「平和へのメッセージ」を作成する過程で、それぞれが「平和」に対する学びを重ねていたこともあり、長崎の街に立ち、長崎の方々と交流する中で、さらに「平和」への思いを強くされたようだ。その思いをそれぞれの言葉で瑞々しく、そして力強く語ってくれた。それを聴いていた平和ボケをしたお爺さんは、若さが発する真っ直ぐな思いを聴きながら、「平和」の尊さを新たにした思いだった。

    

 実は私はその次の「講和」に期待していたのだが…。戦後80年を迎えようとしている今、長崎の被爆体験者が少なくなってきた現状の中で、被爆体験者に取材し、体験者に代わって原爆の悲惨さを伝える役割を担っている人を「伝承者」というのだそうだが…。やはり伝え聞いたことを、他に伝えるということは難しいのかもしれない。聴いている方も実体験者ではない、という思いで聴くためかどうしても真剣に聴くという姿勢に欠けてしまったところがあった。これからは「伝承者」という方が増えてくるのかもしれないが、その伝え方に工夫する必要があるのでは?と私は思ったのだが…。
 最後はHBC少年少女合唱団が◇鈴木慎哉/手を伸ばして、◇村松宗継/いのちの歌、という平和に関わる歌を披露したて「平和のつどい」は幕を閉じた。

  

 さて、せっかく「平和」について考える機会を得たのだから、多少は私見を述べねばならないのかな?と思ったのだが、私はこの問題にはやや悲観的な見方をしている一人である。核兵器の数は今や世界で一万個を超えると云われている。これらを所有する国々がいつ暴発するのか?そうした思いを拭いきれない私である。
 これ以上、今夜は言及したくない。私の思いが笑止ごとであってほしい…。

  

住宅に潜む火災の危険とは?

2024-08-14 17:56:31 | 「めだかの学校」関連
 誰もが自分は火災などには遭わないと思っているだろうが、そこには意外な盲点があると講師は云う。人が一生において住宅火災に遭う確率は1万人のうち約2.9人だという。その2.9人の一人とならないよう留意点を聴いた。

       

 昨日、私が所属する「めだかの学校」の「賢いシニア生活のために」の講座5として、札幌市中央消防署の防火推進係長の大森一貴氏をお招きして「ご存じですか?住宅に潜む火災危険と対策」と題しての講義を拝聴した。
  
    
    ※ 講義をされる札幌消防署の大森防火推進係長です。

 大森氏はまず、リード文でも触れたように人が住宅火災に遭遇する確率を表記のような提示した。そしてその2.9/10,000の当事者とならないためには、普段の生活から留意しなければならない点を生活の場面別に留意点を提示してくれた。それを列挙してみる。
《場面1 コンロ火災》               
 住宅火災で最も多いケースがコンロ火災だという。調理中は絶対にその場を離れないことが鉄則と強調された。また、近年多くなってきたIHヒーターも火を使わないから安全と思っているのは大違いだと指摘された。
《場面2 ストーブ火災》
 ストーブの周りに燃えやすいものを置かないということだが、これは鉄則だろう。また、ストーブの定期的な点検整備も火災予防のための必須事項であるとの指摘があった。
《場面3 電気火災》
 電気コードの上に重いものをのせたり、束ねたりすることは避けるべきとの指摘があった。またコンセント周りのほこりが発火の原因となる(トラッキング現象)場合があるので定期的にプラグを抜いて清掃することも必要だとの指摘もあった。もちろんタコ足配線などは論外である。
《場面4 たばこ火災》
 お年寄りや一人暮らしのかたなどがつい寝たばこをするケースがあるが、絶対にやめていただきたいとの指摘があった。また、吸殻をためずに、灰皿はいつもきれいにしておくことも肝要であるとの指摘もあった。
《場面5 放火火災》
 家の周りは、放火火災の危険がいっぱいあるという。狙われてしまったらお手上げである。そうならないために、「ゴミは収集日の朝に出す」、「新聞や郵便物をためない」、「家の周りを整理整頓し、燃えやすいものを置かない」などのことを徹底してほしいとのことだった。
 こう書いてくると、いずれもが私たちが少し注意するだけで住宅火災に遭うことを避けられることばかりである。こうしたことを日常生活の中で徹底していくことが住宅火災に遭わないための鉄則と言えるかもしれない。

    

 大森氏は、この日の主題に入る前に、タイムリーな話題として台風や地震の遭遇した場合の避難指示について触れてくれた。市町村から避難情報は次のように理解してほしいとのことである。
《レベル3》「高齢者避難」 この発令では高齢者や障がい者などは避難を開始すべきとのことだ。
《レベル4》「避難指示」  この発令では危険な場所から全員避難すべきとのことである。
《レベル5》「緊急安全確保」 この発令では自らの命を守るための最善の活動をとることを指示されたと受け止めるべき。
 そして札幌市の場合、「基幹避難所」としては市立の小中学校が指定されているという。「基幹避難所」には避難物資なども完備されているという。札幌市の場合、このほかに「地域避難所」という箇所もあるという。そうした場所について各々が情報を得ておくことも必要だと強調された。
 こうしたお話を繰り返し聴きながら「はたして自分は賢いシニアになっているのだろうか?」と自問自答しているのだが、「まあ、繰り返し聴くことによって知識として蓄積され、あるいは自らの生活にも反映されているのだろう」と淡い期待を自らに求めながら、これからもこうしたお話をできるだけ聴くように心がけたいと思っている。

マリンバの音に魅せられて…

2024-08-13 16:19:44 | ステージ & エンターテイメント
 私はマリンバの音がことのほか気に入っている。あのマレットから生み出されるトレモロの音を聴いているとなんとも心が和まされる。マリンバの音に癒された2時間だった…。

 昨日(8月12日)午後、札幌市民交流プラザクリエイティブスタジオで開催された日本マリンバ協会札幌支部が開催した「第39回マリンバ発表会」に足を運んだ。
 発表会は会員の演奏、友情出演の演奏、併せて21組の方々、さらに開幕演奏、閉幕演奏、そして札幌支部顧問の方の特別演奏があり、下は小学校5年生から上は明らかに70歳を迎超えている思われる方まで合計24組の方々が演奏を披露した。

    
    ※ 出演者中最年少の小学校5年生の演奏です。
       ※ 写真撮影がNGではなかったので、何組か撮らせてもらいました。

 演奏された曲目は様々だった。「道化師のギャロップ」、「チャルダッシュ」、「くまんばちブギ」といったマリンバの早打ちに良く合った曲。
 ビバルディの「四季」、ドビッシーの「月の光」、バッハの「主よ人の望みの喜びよ」といったクラシック。
 あるいは「浜辺のうた」、喜多郎の「シルクロード」、「蘇州夜曲」といった日本人には馴染みの曲、とあらゆるジャンルの曲が演奏された。

    
    ※ 中には写真のようにデュオで演奏する場合もありました。

 演奏のスタイルも普通に2本のマレットを持って演奏する人、両手に4本のマレットを持つ人と、曲によって使い分けているようだった。
 今回の演奏会で新たな技を知った。それはマレットの柄で鍵盤の角を叩く技を初めて見た。帰宅して調べてみると「リムショット」という技だということが分かった。
 もちろん演奏者によって多少の巧拙はあるものの、どの演奏者の演奏も私は十分に楽しむことができた。

    
    ※ こちは4人で喜多郎の「シルクロード」を演奏されました。

  特に80歳は優に超えていると思われる札幌支部の顧問の方の演奏は、とても年齢に見えない若々しい演奏は、長年の修練の賜物と思える演奏で、会場からも歓声が沸き上がるほどだった。

    
    ※ 凛とした立ち姿も美しい札幌支部顧問の方の演奏の様子です。

 主催者からは来年のスケジュールも発表された。私のスケジュールさえ合えば、もちろん次回も駆け付けマリンバの音を楽しみたいと思う。

   

実力者の集団?札幌室内管弦楽団

2024-08-12 11:06:03 | ステージ & エンターテイメント
 意外!といっては失礼かもしれないが、意外な実力者の集団の演奏を聴いた思いだった。今回はサマーコンサートと銘打っていたこともあってだろうか?セミクラッシックの選曲が多かったように思われたが、札幌室内管弦楽団の質の高さを感得させてくれたコンサートだった。

      

 昨日午後、白石区民センターにおいて札幌室内管弦楽団「サマーコンサート2024」に参加した。参加した動機は、この日特に予定もなかったことから、無料という響きに引き寄せられ指揮者の松本寛之氏に連絡を入れてチケットを入手し、それほど期待もなく白石区民センターに向かったのだった。
 プログラムに記載されていたプロフィールによると、札幌室内管弦楽団は特に母体はなく、演奏者たちは日ごろ別々の活動をしながら、演奏会の時だけ集まってコンサートを実施している団体だという。この日ステージに立ったのは指揮者の松本寛之氏をはじめとして48名の団員の方々だった。顔ぶれを拝見すると、老若男女が集っていたが比較的年齢が高く長年研鑽を積まれた方が多いように感じられた。

   
   ※ 撮影NGの告知はなかったので、演奏風景を撮らせていただいた。

演奏された曲目は…、
《第1部》
 ◇メンデルスゾーン/「真夏の夜の夢」より 「序曲」、「結婚行進曲」
 ◇ビゼー/「アルルの女」第二組曲より 「メヌエット」、「パランドール」
《第2部》
 ◇アラン・メンケン/「リトルマーメイド」より
 ◇リチャード・ロジャース/「王様と私」より
 ◇ベニー・アンダーソン/「マンマミーア」より
〈アンコール〉◇ヨハン・シュトラウス1世/ラデッキー行進曲
 ラインナップを見てもお分かりのように、今回は本格的なクラシック音楽というよりはミュージカル曲も含めたセミクラッシックのコンサートといった趣きだった。
 演奏が始まると、私の中では「あれっ?」という思いが強かった。一般にアマチュアの演奏会の場合、私はプロの演奏と比較してその綻びを聴き分けてしまうことが多いのだが、札幌室内管弦楽団の場合、それがあまり気付かないのだ。演奏者一人一人の表情を伺っても、みなさんとても落ち着いた表情だったのが印象的だった。つまりアマチュアとしては非常に高いレベルでの演奏を聴かせていただいた思いだった。特に、「アルルの女」の「メヌエット」はフルートの独奏曲に近い曲であるが、フルート奏者の中川さんは特段緊張感も見せずに弾き切った(吹き切った?)ところは素晴らしかった。

        
        ※ フルート奏者の中川将吾さんです。

 指揮者の松本氏のユーモアのある進行ぶりも私たちを和ませてくれた。きっと練習風景においても緊張と緩和を織り交ぜ、楽しく練習が繰り返されていることが想像された。

        
        ※ 指揮者の松本寛之さんです。

 札幌室内管弦楽団…、また一つ札幌の素晴らしいオーケストラを発見した思いである。