よく聞く言葉で犬は人に付き猫は家に付くって聞いたことない?
犬は家人に懐き、引っ越しにもついて行くけど
猫は人よりも家の建物・場所になじむという意味で
犬と猫の違いを表した言葉なのだそうだ。
亡きポチコは本当に猫らしい猫で
旧pochiko家解体の時、夕暮れの薄暗くなって行く半壊した家の
キッチン辺りへと歩いて行く後姿を思い出す。
しかし、しゅうは家よりも人に懐きたい猫で
人が大好きで仕方のない猫だったが
少々しつこくて、ウザがられるとこもあったが
人に懐いて可愛がられようとする…そんな生い立ちを考えると
無理からぬことなのだと今更ながら思う。
まだ若い頃のしゅう嬢の写真
我が家に来たのは大人になってからで
しゅう自身物心ついた時には
とあるアパートの一室に取り残された事からだったに違いない。
きっと小さい頃はふわふわの白い毛玉のように
愛くるしく家人に懐いて…とても可愛らしかったのだろうなって
大人になってからのしゅうしか知らない私は
小さかったコロコロとじゃれ付くようなしゅうが見たかった。
元飼い主さんがしゅうと他の二匹と一緒に連れ帰り
生活していたのだけど、いかんせん同じ白猫さんはみんな女の子で
年頃になると避妊手術しないと手に負えなくなるくらい増えてしまう。
そんな思いから、元飼い主さんは三匹一緒に手術をしてもらうべく
少しでも安いところと探してある動物病院で手術を受けた。
ところが安かろう悪かろうで、腹帯もしてくれずに
お互いに傷口を舐めあい、特にしゅうは傷口が開いてしまい
我が家のペットホームドクターに縫合しなおしてもらう事となり
今でもお腹には二度の縫合でおへそ辺りに
引き攣れが出来てしまった。
最初の手術を受けた病院は
潰れて影も形もなくなってしまったけど。
まあ、そんなこんなで何年かは元飼い主さんと一緒に生活していたが
ある事情で手放さなければならなくなり
当時我が家にも猫はいたけど、二匹も三匹も変わらんと
家に来るとしたらしゅうかなって思いがあった。
亡きポチコとの思い出の一枚
それだけ我々が行くと、かまってアピールが強くてすり寄って来ていたが
いかんせん、毛が抜けやすいたちのようで
しゅうにすり寄られるとまっ白毛ビッシリで
それが毛だけあって毛嫌いされるる一因でもあった。
そんなしゅう嬢は元飼い主さんの話によれば
ポチコとそんなに違わない年で、やはり二十歳越えの高齢猫で
それでもポチコが亡くなる前ではふっくらと妖艶なしゅうだったが
やっぱり長年一緒にいたポチコがいなくなってから
少しずつだが痩せて来はじめて
ポチコがいなくなったって事は
しゅうにとってはけっこう来るものがあったに違いないと
今更ながら感じ得る事ではあった。
徐々に寝る時間が多くなって、食欲も落ちて来て
それでもしゅうは人の可愛がられたい猫で
静かにそっと人ん傍に居たがり
誰かが声をかけてくれるのを待っている…そんな猫だった。
何日か前から粗相する事が多くなり
食欲もすっかりと落ちて、特に苦しむわけでもなく
とにかくよく眠る。
あの日あの時のポチコのように食べもせずに水分を取るでもなく
ただひたすら眠りこけて、家族に賑わうすぐそばで
何を思っているのか、小さい頃の
まだ母親や兄弟たちといっしょだった頃の事とか
楽しかった事や…前の飼い主さんの事を思い出してるのか
少しずつか細くなって行く息遣いは、やがて動きを止めて
声をかけても答える事もなく…そっと頭をなぜてあげた。
長い時をいろんな場所で生きて来たしゅうは
我が家に来て幸せだったかな…静かに答えもせずに冷たくなって行くしゅう。
ポチコの時と同じように悲しみよりも
寂しさの方が先に立ち、長い間のいろんな事が思い出される。
コメント欄は閉じさせていただいてます。