あんな話こんな話

会津生まれの会津育ち…三匹の猫と柴ワンコや家族に囲まれ、家庭菜園に勤しみ都会には住めそうにないローカルな私の日常。

桜咲く季節

2022-04-17 00:57:31 | 介護
庭のクリスマスローズの花が咲いた


あちこちで桜の便りが聞かれ、ようやく会津でも桜の花が咲き始めた。
つい先だって蕾だと思っていたのが、あっという間に花開き
この数日の寒さ逆戻りの寒さに、風も強く
桜の花を堪能する前に散ってしまわないといいけど…。


主治医曰く、何度も誤嚥性肺炎を起して
これ以上は口からの食事は無理で
いつ肺炎を起こしてもおかしくない状態になっていると
もう胃瘻にする時期だと、しかも少しでも早くした方が
体力を使い切ってしまわないうちに…。
 
近所のお宅の枝垂桜
 
濃いピンクが可愛らしい


胃瘻造設処置をしていただいた。


今は開腹手術はしなくて内視鏡を使う胃瘻カテーテルなので
時間も短く済むし、開腹手術と違って体への負担は少ないようだ。
ただ、胃瘻にしたからと言って、誤嚥性肺炎が起こらないわけではなく
誤嚥は唾液でも起こり得る事だから、100%安全とは言えないけど
起こる危険性はずっと少なくはなると言われる。


誤嚥性肺炎の繰り返しで激痩せしてしまった夫を見ると
これで少しは復活してくれたらと言う思いもあり
その後順調に回復して、先日も胃瘻からの食事で
テレビで野球を見ていらっしゃいましたよって
看護師さんの言葉に安堵した。


体調も安定して、もう病院での生活も終わり
胃瘻の人でも対応できる老人保健施設、いわゆる老健ってとこで
そこで特別養護老人ホームの順番が来るのを待つ事となり
病院との生活に別れを告げた。
 
ー花曇りの風景ー 夫の施設から望む

夫にとって久しぶりに普通の生活できる…。


始終レンタルのパジャマの生活ではなく
寝る時には家から持ってきたパジャマで就寝
朝起きたら洋服に着替えて…食事と
いつも誰かが見ていてくれる、声をかけてくれる
みんな同じような人がたくさん居て
家に居る時のように一人でいなくてはならない事もなく
きっと楽しい事がいっぱいあると思う。
 
近くにある桜並木


そこは市内の外れにある大きな建物で
たくさんの方が生活しておられる。
夫のような人もいれば、まだまだお元気な方もおられて
いろんなイベントがあり職員さんの数も多く
明るくて広々としてパンフレットには
生活されている方々の笑顔。


老健だからいつまでもいられるわけではないのだけど
行き先が決らないうちは退所ですって事はありませんと
安心して医療型のホームが決まるまでいられる。


入所する時の激ヤセの顔が、最近は手を振ってくれたり
慣れて来られたのですね、と担当の相談員さん談。
先日洗濯物の交換に行った時に
職員さんに写真を撮ってもらって来た。
 
帰り道、鶴ヶ城近く湯川の桜並木
 
桜の花を楽しむ人
 
柔らかなピンクの枝垂桜
 

人懐こい近くまで来ても逃げないカラスと桜並木

気持ちふっくらしたような気がする。
十分に栄養が取れるようになったのだと
コロナで面会は出来ないけど安心して帰って来た。


人はそれでも家に帰りたいって思うのだろうけど
忘れる事が多くなっても、毎日が楽しく安全で暮らせる。
きっと、きっとだけど、それが夫にとって一番良い事なんじゃないかな。
場所こそ違うけど楽しく生活が出来たらそれでいいって
介護を放棄した私の言い訳かもしれないけど…。
 
 
 

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春を待つ思い

2022-02-25 00:20:32 | 介護



先日の雨水を境に、また真冬に逆戻りしちゃったみたいな日が続いて
もう除雪機は動かさなくってもいいかと思っていたのだけど
吹雪のホワイトアウトに、家の前も雪だまりが出来てしまい
やっぱり除雪機の発動を余儀なくされた。


いつになったら春めいてくるのか。
春よ、待ち遠しい。
 



ここんとこ夫のその後が途切れていたけど
実際家にいて世話をしているわけではないので
介護のカテゴリーにってなんか烏滸がましい気持ちで
どんなもんなのか?
書くにかけない部分があった事は否めない。


ともあれ12月の末に、いつも入院していた綜合病院から
郡部の厚生病院へと無事に転院できることになって
病院へ洗濯ものの交換に行くのは週に一回それも午後のみで
もちろん土日や祭日は、基本病院へ行く事は
特別な理由とか病院側から要請があった時だけとなっている。


お年寄りが多いような病院だから
それだけコロナ感染に神経を配っているのだろう。
まあ、どこの病院も同じようなものだけど。
もちろん病院へ行っても顔が見れるわけではなく
汚れた肌着などを受け取って帰るだけなのだが。
 


一回だけ転院後最初の洗濯ものの交換へ行った時に
エレベーター前のホールみたいなとこで車椅子に座り
何人かの同じような患者さん7人くらいと
一緒に体操をさせられていた。


看護師さんに、一番近くで向こう側を向いているのは夫ですか?と
そうですよって、車いすごとこっちを向かせてくれ
久しぶりに夫の顔を見た…ちょっと離れてはいたけど。


何か話しているのだけどモグモグってよく聞き取れずに
わかる?って自分を指さして夫に聞いたら
分かっているようだったのにホッとした。
 


汚れものを受け取って帰ろうとすると
自分も帰れるとか思ったのか
車椅子から立ち上がって、こっちに来ようとする。
今はコロナで沢山の人が感染しているから
じいはワクチン、まだ一回して受けてないでしょ!
もしも感染したら大変な事になるから
もう少し落ち着いてからにしようねって…言ったけど
分かったような分からないような…。


また来るからねって、手を振って…夫は看護師さんに手を振らされて
今度は会わない方がいいのかもしれないって
変に期待を持たせては、かえって可哀想だし…。
それでも、その後病院での計らいで
2回ほどタブレットでリモート面会をする事が出来た。


相変わらず何を言っているのか
口をパクパクもごもごさせて
看護師さんに手を振らされた夫の顔が脳裏に焼き付く。
ご家族の方もお会いしたいでしょうねって看護師さんが
私のスマホで夫の写真を撮って来てくれたりしてくれ
有り難いと思った。
 


その病院でお正月を迎え…順調に行っていると思ったのだけど
やっぱり転院一か月ほどで誤嚥性の肺炎を起こした。


幸い病院だから、すぐに絶食と抗生剤の点滴と処置をしてもらい
大事に至らずに回復したのだけど、すぐに誤嚥を起してしまう。
それだけ喉の麻痺が進んできているのか
食事も取れずに点滴だけでは体が持たないと。
先々の事も考えなくては…。


考えてみれば、去年のゴールデンウィークから5回も6回もの入院生活で
家に居る時の方がはるかに少なかった。
最初は歩けていた夫も、次第に歩けなくなり車椅子生活になり
介護度も、最初は要支援1だったのが夏頃には要介護3まで
一挙に上がって、冬に再審査してもらったら要介護5まで上り詰めていた。
 


なんでこんなになってしまったのか。


長かった入院生活もリハビリ専門の病棟ではないので
本人がやりたくないと言ったら、車いすで病棟の廊下を歩くくらい?
普通の人が一週間寝たきりでいたら歩けなくなるって言うもんね!


もっと早く、こんなになってからじゃなく
歩くのが遅くなったなって感じた頃から
ディサービスとか、もっともっと利用してあげれば良かったって
今更だけど、初めてディサービスから帰って来たとき
楽しかった面白かった、また行きたいって喜んでいた。
それを思うと後悔って言葉が浮かんでくる。


毎回楽しみにしていたディサービス
今は病院の一室での生活に甘んじている夫
それでも病院の看護師さんや主治医の先生など
優しく明るく接していただいて
特に主治医の先生は、病状の事など
無知な私にも分かりやすいように詳しく話してくださって
とっても有り難いなって思っている。
 
雨水の日、久しぶりに磐梯山が見えた!


早く春が来るといいなあ。
暖かくなったら何もかもが良い方向へ向かいそうな気がする。
 
 
 
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懐かしい思い出の道

2021-12-17 01:06:18 | 介護
今年に入って5回目の入院生活を余儀なくされている夫
肺炎の方も良くなっているので、そろそろ退院かと
先日主治医に会って状態を聞いて来た。


ついでに病室の夫とも面会できたけど
なんだか、また痩せたような気がする。


本当に入院を繰り返すたびに、歩けなくなったり
ミキサー食になったりして…それでも一か月余り会わなかったけど
私の顔は忘れなかったみたい。


いっつも坊主頭だったのが、すっかり髪の毛も伸びて
ゴマ塩だったのが白髪になってしまい
10歳くらい老けたような気がする。


院内に床屋さんあったような気がしたので
看護師さんに床屋さんお願いできるのかどうか聞いてみたけど
どうでしょうかねえ…今コロナだから
なお聞いておきますって言っていたので
次、洗濯物を取りに行った時、床屋さんどうでした?
って聞いたのだけど、良いともダメとも言わずに
もしも良かったら私たちで整髪してもいいですか?って。


きっとダメだったんだ。


でもその気持ちが嬉しくってお願いして来た。
トラ狩りになっちゃうかもしれませんけどね~~
とか言っていたけど、本当にありがたかった。
夫は昔っから坊主頭だったから、中途半端に伸びた髪の毛は
きっとウザイなって思っていたんじゃないかって…そう思った。


夫はもうすぐ転院になる。


退院は出来るのだけど、今回の入院でやっかいな事に
痰が上がって来ていて、一日2~3回の痰の吸引が必要になる。
在宅になって痰の吸引出来るのか?と問われれば
正直んとこ私には無理なような気がする。


主治医に言わせれば、な~~にチョイチョイって簡単だからと言うのだけど
一応医療行為だし、昔は医師とか看護師とかしか出来なかったようだが
今は講習を受ければ不特定多数の人が出来るらしい。
だからもちろん家族にだって出来るって事なのだけど
日中一人でいる事が多く、その時に何かあったら対処できないのでは!
上手くいかなかったとか鼻の奥とか食道とか傷つけちゃったりとか
話を聞いて、すっかり臆病になってしまった私。


もともと私自身も高齢ではあるし、あちこちに関節炎を持っている。
夕食の支度をしたり、夕方にはちびっ子たちのお迎えだとか
先々積雪があれば除雪作業、夏場は畑にと…。
今でも手一杯に過ごしている、そこに痰取りって。


今まで施設入所を進められていたけど
なかなか思い切ってってまでには至ってなくて
その背中を押したのは痰を取らなくてはいけないって事だった。


たぶん夫にとって自宅で日中一人でいる事が多く
私にグズグズ文句を言われたり
枕元のジオを聞いても、退屈なだけだで、わ
特にイベントとかあるはずもなく…それでも帰りたいんだろうなって思うけど。


昔、亡くなったじいちゃんが亡きばあちゃん介護をしている時
老健…老人保健施設に入居していた事があったけど
食事なんかもホールみたいなとこでみんなと食べて
若い職員さんに手を引かれてトイレにいったり
そんな時にじいちゃんはとても嬉しそうだった。


ケアマネージャーさんに今がその時だと思うんですよって
何軒かの老健に申込をしたが、後ろめたい気持ちは払拭できないまま。
出来れば家で介護してあげたかったけど…それでも私は楽な道に逃げたような気がした。


先日、送ったひとつの老健から面接の連絡があった。


そこは昔亡きじいちゃんが2年ほどお世話になっていたとこだった。
もう20年くらいになるだろうか。
夫と交代で洗濯物の交換によく通ったものだった。
そしてばあちゃんがショートステイとかでいない時は
二人で行ってみたり、するとこれからオヤツだから
おめだぢもごっつおになってげ。って
入口の自販機のとこで苺ミルクの牛乳を飲んだ
忘れもしないあの懐かしい施設だった。


あの道覚えているかな。


面接を前に一回行ってみる事にしたのだけど
町中から施設に向かう入る道路が見つけられず
あっちこっと堂々巡りして、そうだよなあれから20年余り
町中の様子だって変わってしまってるのは当たり前だよね。


その日は諦めて、昔その町在住だった長女の旦那さんに
行く道を聞いて、次の日再度挑戦を試みる。
全然知らない道だったけど目的の施設には着く事が出来た。
 
 
遠くに見える老健施設


20年ぶりに診る施設には面影があったけど
その隣にはデカいマンションのような特別養護老人ホームが建っており
月日の流れを感じさせられた。


リベンジした日は前日とは打って変わって
晴れ晴れとした小春日和で、遠くから施設を眺めて
しばらく思いにふけった。
 
今は栽培している所も少なくなって
この組合も廃墟となってしまったみたい。

そして来た道を戻らず施設の脇をまっすぐに降りて行った。
見覚えのある会津薬用人参組合の建物
そうだ、この道を通って来てたんだ。
その前を通り過ぎて角にある郵便局…これは記憶にはなかった。
そこから若松市へ行く道路にぶつかる信号機は
角に近くに小学校がある標識があって
この道を通って行ってたんだった。


施設でお祭りか何かのイベントで、頭にかんざし
派手な着物を着たじいちゃんの写真が脳裏に浮かんだ。
もしも、ここに決まったらここで楽しく過ごせるだろか。
面接があってからの入居順番も決まるのだろうから
いつの事になるか分からないけど…懐かしい思い出だけたくさん思い出せた。


自宅で看るのも介護なら
こういう施設で暮らせるようにするのも介護なんだと思う。
どっちがいいのか分からないけど、少しでも楽しく過ごせられる
そんな老後であって欲しいなと痛切に思った。

施設の近くから見た磐梯山
 
 
 
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なんだかんだの1日

2021-10-25 00:13:06 | 介護

 

晩秋の磐梯山


すっかり日が短くなったこの頃
ちびっ子達が家に帰って来てからもひと遊び出来たのに
今じゃ、薄暗くなって来て外で遊ぶ事はなくなった。
お迎えに行って、遠くに陽が沈もうとしている景色を見ると
なんだか切ない気持ちになってしまう。


朝仕事も5時半…ううん、曇りの日などは
6時近くにならないと明るくならないので
実質1時間くらいしか出来なくなってしまった。
夫が元気だった頃は、ガッツリ2時間くらいは朝仕事が出来たのに
そして、朝食後は二人して朝寝と決め込んでいたが
それも出来なくなってしまった。

 




一日があっという間に過ぎてしまう。


畑もやって夫の世話をして、買い物にも行って
一人だとお昼ご飯なんてあるものとか
適当に食べられていたのに、今はしっかりミキサー食作り。


また誤嚥の危険があるので、夫が食べる傍に付いてなくてはならなくて
朝ご飯を食べ終えると8時半前後で、ディサービスのある日は
その支度と準備と9時くらいにお迎えが来るので
見送って…わーゴミ出ししていたから
洗濯もの…まだ干してない!!って事になったりする。

pochiko農園の隅に植えた小菊が満開になった。

朝ご飯食べてからでもいいのだけど
洗濯ものは朝のうちって、先に干しちゃおうなんてやってると
ヤクルトが来ただとか、ロクでもない電話があったり
気が付くと10時近く…残り物チャッチャと詰め込んで
茶碗を洗ったり掃除機をかけたり…急いで食べると
つい食べ過ぎちゃうんだよね(;´∀`)


あと片付けをしながら朝取りしたほうれん草だとか
春菊だとかを茹でて…冷蔵庫に入れておくと
夕食の時に時短が出来る。

 

相変わらず私の至近距離に居るノリスケとにゃあた




午前中に買い物には行っておきたい。
夕方時間も見切り品が出るけど
意外と穴場なのが11時前後の近くのスーパー!
鶏胸肉なんてグラム78円のが半額になっていたり
掘り出し物が手に入る事が多い時間帯なのだ(^_^)v


急いで帰って夫のお昼ご飯作り。
最近ではパンが食べたいという夫の為に
お昼はパン粥にしている。
毎日のバリエーションを考えてチーズ味とか
コーンスープ味…牛乳と蜂蜜なんて時もある。


そこに野菜ジュースとバナナを一緒に潰して
あ、これはばあちゃん生前の時にも良く作っていたお昼ご飯。
経験が役に立つのは食べるものくらいかなあ。
他の世話は男と女とでは違うし…いろいろと初体験の事が多い。

よくもまあ飽きずに骨組みのハウスに登ってる(;´∀`)

それでも好きなものが出ると美味そうだなとか
雑談をする事もあるし…まあ、時々話にならない時もあるけど
怒ってみたり文句を言ってみたり…言ったって仕方ないんだけど
ついつい口から出てしまう。


やっぱり、そういう時は疲れてるのかな。
ディサービスとかショートステイから帰った後は
なんだか優しく出来たり、ちょっとの事でもイラつかなかったり
私って単純だなあ~~って実感してしまう。


午後は午後で自分お昼ご飯を食べて、ちょっと休んだら
ちびっ子たちのお迎え時間まで夕食の支度済ましておきたいし
何にしようか? クリームシチューだったら
夫もすり潰してだけど食べられるし
なるべく夕食のおかず、ひと手間いれたら
夫にも使えるものがいいなあって考えてしまうけど
本来ちびっ子と老人の食生活は相容れないんだよね(;´∀`)


缶詰の魚だとかほうれん草等の青菜系なんかは
柔らかめにゆでて、潰して保存袋で薄く冷凍しておくと
ペキって折っていつでも使える。
大根とかキャベツ、ニンジンとかも
柔らかく煮込んで小分けにして冷凍!
嫁様ちびっ子たちの離乳食で冷凍保存していた技を盗む。

 


夕日に逆光の白いシュウメイギク

時間のある時に作っておくと
これがけっこうなお役立ちなんだよね。


夕食タイムと自分たちの夕食と…。
なんだかんだ、そんな事をしながら
ちびっ子たちのばあばおやすみ!!のハグをして
やっと一日が終わったなあ~~これからは自分タイム!!


そう思うのだけどテレビを見ているうちに寝落ちしてしまい
気が付くともう少しで次の日になってしまう時間帯で
慌ててお風呂に入って…今夜もブログはお休みだな~~
ってか、パソコンさえ開いてないし。


だからショートステイでお泊りだと
すご~~~~~~~~く楽な気がする。

 


この朝うっすらと雪が見られた磐梯山

まあ、夫には悪いけどさ、考えてみれば
夫の子守りはラジオで一人でいる事が多いから
文句ばっかり言われてるより
ホームには若いヘルパーさんにいつも優しく声をかけてもらったり
他にも大勢のお年寄りもいるし、それはそれで刺激にもなるし
楽しいんじゃないのかなあ~~ってそんな風に思うのだけど
どうなんだろ………。



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新しい介護生活

2021-10-05 01:15:43 | 介護
思いがけず介護が必要となってしまった夫!
なあ~に、ばあちゃんを15年くらい看て来たんだもの
夫の介護なんて楽勝楽勝だと甘く見ていた。
それどころか、夫の下の世話…無理無理~~
ばあちゃんなら同性だから先入観もなく世話できたけど
異性の場合どうなんだろ。

カボチャのペースト、豆腐と鶏肉のハンバーグ
海苔の佃煮○はんですよ~
全粥と麦茶
 
無理ってより、出来ればやりたくはなかった。
自分は絶対に出来ないだろうと思っていたけど
これがいざ目の前にあると、嫌だのなんだのって言ってられずに
やるしかないのだと…いくらディサービスがあろうと
ショーとステイがあろうと、食事の世話と下の世話から逃れる事なんて
出来るはずもなく…入口と出口これ基本だもんね。
 

これ袋のまま潰してレンチン、そしてすり鉢でゴリゴリ
おから煮みたいな感じになるよ。

夫は誤嚥性肺炎の危険性があるので
食事はミキサー食にしなさいと病院側からの強いお達しで
まあ、それでも何とか作ってはいるものの
前回退院して来たときから6日しか持たずに
再度誤嚥性肺炎で入院になってしまった。


40日ほど入院していたけど、いざ退院と主治医の話によれば
入院してたって誤嚥は起こるものなのだと
今が一番良い状態になっているので
退院ね~~と、また誤嚥起こしたら救急でおいで!と
治療の必要がなくなったのだから
いつまでも入院はないでしょ!とバッサリと!
 
家でシチューだったので
取り分けてすり鉢!
美味しい美味しいってお代わり要求!
卵豆腐と全粥には味噌


なもんで退院はして来たものの大丈夫なんかな~
ご飯あげるの怖い!!
とは言っても逃げるわけにもいかずに
毎食シコシコと大人の離乳食作り。


なんと幸いな事と言うか、未だに誤嚥はないようで
約3週間何とか繋いでいる。
そしてコロナワクチン今更だけど一回目の接種も受けられそうな雰囲気で
今度の11日…無事に受けられますように!!
入退院を繰り返していたので3回キャンセルをしている夫。
 
夫退院後、開口一番にパンが食いたいと!
なんだとぉ~!!
ならばパン粥にしてやろうじゃないか!
細かく切って牛乳でレンチン
ピザ用の溶けるチーズを入れる。
甘くなくてコクがあって美味しかった!


今のとこ、なんとなく生活がつかめて来たようだけど
一番の悩みどこが尿の横漏れで
どうしても横になって寝る夫に
ちゃんと仰向けで動かないで寝ろ!!ってなことも言えないし
毎朝シーツからパジャマまで取り換えなければならない感じ!

お昼ご飯には時々お目見え!
パン粥とバナナを潰して野菜ジュースで
もちろんトロミ付き。

どうしたもんかと…ディサービスの職員の方に聞いたら
なんと目からウロコ…チン包み。
一枚の尿取りパットを三角に折って
その三角の中にチンをすっぽりと入れ
その上から股からの尿取りパットを当てて
オムツをするのと横漏れしないのだそうだ。
 
定番全粥と味噌、味噌汁の具なしにトロミ付き
茹でたほうれん草をすり鉢で擦って
白だしで薄味、もちろんトロミ付き!
幸芋を煮たのをすり鉢で…これはトロミをつけなくても
粘りがあるので大丈夫。


へえ~~ そんなやり方があったとは!


ばあちゃんの時は動かずってよりも動けなかったから
床ずれ防止にエアーマットを使っていたくらいで
ちゃんとお尻の方重点的に当ててから
オムツをしていたけど…男性用の当て方ってあるものなのだ!


ちょっとビックリΣ(・ω・ノ)ノ!


だえど、それもあっち向いたりこっち向いたりする夫
おかげでエアーマットじゃなくても
床ずれの尾てい骨は守られてるものの
外側のオムツにLサイズを使っているからか
チン包みが外れてしまったりするわけで
するとやっぱり大洪水。
 
クローゼットに今まで使っていた
折りたたみのベッドを入れたので
収納…ってより細かいものを置くスペースが取れなくて
片方の襖は開かないようにしてあるので
ダイソーの突っ張りポールに
同じくダイソーのフック付きカゴをさげる。
 
細かいものを入れられて便利!
あとはちびっ子たちが描いた絵とか
ディサービスの連絡の紙だったりとか
コルクボードを使う。


そこで考えた。
夫のようにあっちこっち横向きに体位を変えるのであれば
両方の股と腰の部分に腰巻のように尿取りパットを巻いてみたらどうか?
腰巻に巻いた中央部分に股からの尿取りパットでダブルシャットアウト!
そこにМサイズの外側のオムツでガッチリと横漏れ防止。


今まで体格も良かったのでLサイズのを使っていたけど
現在51キロになってしまった夫には
Lサイズは太ももから股の部分ギャザーはついてるものの
隙間が出来るのは横漏れの一因となっていたような気がする。


腰巻3枚パットでトリプルシャットアウト!!
これ意外と効果はあるみたいで
腰に巻いた横になって下の方になっていた方の尿とりパットは
重たいくらいで夫には効果があったかも!
 
種類が増えてしまったオムツや尿取りパット
やっぱりクローゼットで邪魔になっていたので
押し入れには入らなかったし、ダイソーの突っ張りポールを使って
でもオムツが重たくって…150円のじゃなくて
200円の太いのにすればよかった!
 
買い替えるのも癪なので、ばあちゃんが使っていた衝立
それの上に支えにしてポールを這わせた。
何とか間に合う…(苦笑)
 
障子が破れているのには目をつぶって頂きたい(^_^;)

と言う事で、なんとか日一日を過ごしているけど
夫のヤツ、なかなか口やかましく
腹の立つ事が多く、ちょっとイライラしたりもする。
腹減っただの、まだオムツ汚れてないと言うくせに
ふたを開けてみればズッシリと重たいオムツは
ドナタ様のなんでしょうね!!!
 
ホント苛立つ!!
 
 
 
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夫再度入院となる!

2021-08-23 23:43:51 | 介護


季節は夏から秋へと、暑さぶり返し的なとこもあるけど
時々雨が降ったりで、なかなか土が乾かないとこだとか
例えば猫が蝉を捕まえて家中蝉で暴れまくったりだとか
いろんな時の流れの中、静かに秋が目に前に…。
シュウメイギクのつぼみが膨らみ始めた。
 

昼間は暑くても朝の時間帯は爽やかさが感じられて
それは真夏の時とは少し違う…やっぱりお盆が過ぎれば
違うものなのだと思う。


先日の事だった。


夫が退院して通常生活に戻ったように思えた。
大変だ大変だと思いながらも、なんとなく一日のリズムみたいなものが
出来上がってきたように思えたのに。


この日退院後初めての診察日で、同じく綜合病院の診察が終わったら
今度はかかり付けの病院へ行って診察してもらう事になっていた。
予約を取っていたにもかかわらず、けっこう混んでて
車椅子の夫は窮屈そうにお尻が痛いとか言ってた。
 
 



それでも何とかかかり付け医のとこまで介護タクシーで着いて
やっぱり、かかり付け医だなあって、ちゃんと待っていてくれ
すぐに診察してもらえて…異常なしだったのに。


午前中に二か所の病院で診察は、ちょっと強行軍だったかなと
家に帰ってすぐにお昼ご飯の支度をする。
いつも寝てる事の多い午前中だったのに
この日は介護タクシーに乗ったりで
疲れてもいたけどお腹もすいてたんだよね…きっと。


お昼も夕食も完食して、いつもどおりだったのに
夜寝る前に体温を測ったのは9時で
38度6分!


つい何時間か前には病院での診察で
異常なしだったのに…なんで??って!
だけど、このままではダメだって事。
慌てて救急車を呼んで
先日まで入院していた病院の救急病棟へと駆けこんだ。
 



作ったお昼ご飯を次々と口に運ぶ夫に
もう少しゆっくりと食べないと咽るよって
何度か注意をしてスプーンの手を止めさせたけど
やっぱり誤嚥したみたい。


今のとこ、そんなに重症ってほどでもないので
家に戻って薬を服用しても大丈夫だし
入院しても、どっちでもいいと言われたけど
なんだか食事させるのが恐くて
完全い治るまで入院させてほしいと
当直の医師にお願いをした。


誤嚥かあ…私があげれば良かったのだけど
自分で食べられるものを自分で食べるのは
なんというか食べる人の特権みたいな気がして
そこまで手を出すのはどうかと思っていた。
 



私も一度だけ次女出産の時産後の具合がイマイチで
一日だけ動けない時があって、その時看護師さんに食べさせてもらったけど
思うような食事が出来ずに半分も食べられなかった時があって
自分で食べられるのであれば自分で食べるのが一番良いんじゃないかって
その行動まで取り上げてしまうのはいかがなもんかと!


そう思っての事だったのだけど…良くなかったのかな。


悪い方に転んじゃったみたいで
なんだか夫に悪い事しちゃったかなあって
後悔ばかりが先に立って…退院して来ても
食事させるのが怖いような気がしている。
 



なかなか介護って奥が深いというか
一人一人で状態も違うし
長年ばあちゃんの介護をして来たので
楽勝だなんて軽く見ていた自分のバカさ加減に後悔している。


介護される人100人いれば100通りの介護があるのだと
分かっていたはずなのに…なかなか難しい。


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新たなる介護生活

2021-08-10 00:31:19 | 介護
また暑い一日が始まる!
 
肺炎で入院した夫が先日退院する事になった。
しかし、度重なる入院生活で足の筋力は失われて
歩くのには自力は無理な状態となってしまった。

一応病棟でもリハビリのようなものはしてくれるのだけど
無理強いはせずに…何といっても病気を治すのが先決の病棟だから
リハビリはリハビリ専門の科があるわけで
本人がやりたくないと言えば、せいぜい車いすで
その辺りの散歩程度に終わってしまうようだ。
 
院内のドトールで小休止!
 
コロナ渦の為に付き添いや面会も出来ずに
看護師さんに様子を聞くくらいで、果たしてどんな様子なのか。
病状も良くなって、そろそろ退院出来ますと言われても
心から喜べるものでもなく、ただ戸惑いだけが先に立った。
 
院内のソーシャルワーカーさんと夫の様子を見に行ったのだけど
さすがにこのままで退院と言ったって無理!!
すでに自力で立つ事は難しく、若い人ならリハビリ科で
がっつりリハビリでもしたら大丈夫なんだろうけど
高齢で元々足腰の弱っていた夫には
普通の生活を望む事は無理のようだった。

在宅介護のケアマネージャーさんの計らいで
急きょ介護用のベッドと車椅子のレンタルをして
この先たぶん夫はベッド上の生活をやむなくなる様だった。
 
それでも車椅子の乗れば、楽しみにしていたディサービスにも行ける。
ただみんなと一緒に食卓を囲む事は出来ないかもしれないけど
代わる代わる孫たちが顔を出して
お休みの時はじいじのお部屋で遊んでいたり
まあ、ケンカをしたりもするのだけど、そういう日常は味わえるわけで…。
 
そんなわけで先週の金曜日に無事退院して
なんとか数日が過ぎて、まだリズムみたいなものは出来てはいないけど
昔取った杵柄とでも言おうか、なんとかなるべって思っていたのは
少々甘かったかなと思う事もある。
 
何といってもビックリしたのは食生活の事で
度重なる入院で足の筋力が衰えるばかりでなく
元々何年か前の脳梗塞の時に口に麻痺が少し出たせいもあって
しゃべる事も分からない事も多かったけど
なんとか生活には支障なかった。
 
でも今回のように肺炎ともなると誤嚥性肺炎のリスクが高く
ミキサー食にされていたようだった。
だから退院に当たってもミキサー食にしてくださいと
病院の栄養士さんからキツク言い渡される事となった。
 
夫の場合、お粥はこの量からスプーンで2つすくい取った感じだそうだ。
それで270? 280グラムなんだと!
 
あたしは…ばあちゃんの時と同じようにお粥と
せいぜい舌で潰せば食べられるくらいの煮物とか
そんなふうに思っていたのだけど、何に対してもとろみをつけて
お粥とオカズは必ずミキサーにかけてくださいと言われる。
 
赤ちゃんの初期の離乳食だと思ってもらった方が良いですって!
 
ふぅ~~ん、出来るのか。
この面倒くさがり屋の私に?
いちいち一食分をミキサーにかけるだと!!

病院だとそういう患者さんがたくさんおられるだろうから
当たり前に作るのだろうけど…一人分ってミキサーにかける?
そして洗って仕舞って…そんなことしていたら他の事何もできない!!
って、こういう状態の夫がいて
他の事をしようとする事が間違いなのだろうか?
 
いろいろ考える。
 
いちいちミキサーを使わなくても出来るミキサー食はないものかと!
あるんだよね~やっぱり私と同じように考えたりする人!!
おろし器なんかを使うのも一手あり!
でも私がこれこれ~~って思ったのはすり鉢で
ちょっとお椀よりも少し大きめな小さいすり鉢が
お誂え向きに小さいすりこぎ棒もあるし!
これを使ってカボチャの煮物をすり鉢で潰してゴリゴリしてみる。
 
一番使えそうなすり鉢
 
おろし器はどうかな?まだ使った事はない。
 
ダイソーで見つけた手もみジューサー、いずれ使ってみようかと。

そこに牛乳を入れてトロミの粉を少しパラパラと
同じように魚は缶詰を使ってミキサーにかけてくださいと言われていたので
すり鉢に入れ粗く潰してからゴリゴリとすっていく
なかなかの出来栄えだなと自画自賛!!
 
すり鉢は使ってすぐに洗えば、すぐに別なものにも使える。
日本人すごいな!! 文明の利器だわ!!
多数の櫛目を付けたすり鉢は日本の備前焼に始まったらしい。
 
他にもダイソーの手もみジューサーなんてものもあって
それも手に入れてみたので、いずれ試してみようと思っている。
何でもやってみようと思えば何とかなるものだと
まだまだ、いろいろ問題はあるのだけど
取りあえず、これで食事は何とかなる。
 
ミキサー食食べられるものにも限りがあるみたいだけど
反面考えてみたら要はすり潰せば何でも食べられるって事かもって
トマトなんかも細かく切ってすり潰してとろみをつけたらイケる。
スイカはマッシャ―で潰してジュースにしとろみをつける。
 
いわしの缶詰
 
こんなのがすり鉢で見事なミキサー食へと。
 
カボチャにしても然り
 
なんでもありだな。
 
記念すべき一食目
 
トマトもすり鉢でとろみをつけて。
 
なんて考えたミキサー食だけど
正直、また介護のカテゴリーを使うようになるとは夢にも思わなかった。
近所にすむ高齢のご夫婦を見かけるたびに
あんなふうに老後を過ごしたかったって思ってしまうけど
こればっかりはないものねだりってヤツだよね。
新たなる介護生活第2章の幕開けとなった。
 
 
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夫の退院

2021-07-30 00:46:07 | 介護
保育園の塀に脱皮中の蝉を見つけた。
殻から体を半分ほど抜け出して、それでも早く早くと足掻いて居るように
手足をわずかに動かしていた。
殻から抜け出している部分は、ほんのりと緑色で
いつ完全に脱皮するのか、次に保育園へ行くまでには
すでに脱皮は完了して、どこかへ飛び去ってるだろうなって思っていた。
 
 


しかし、その蝉は夕方ちびっ子達をお迎えに行くまで
朝のままから進行してなくて…こんなに時間が経ってしまっては
もう無理なんじゃないかって思ったが
次の朝にはもう抜け殻もなにもなくなっていて
結局どうなったのか?


蝉は7年もの間土の生活をして
ようやく時満ちて地上の世界へと
最後の輝きのようなものを求めて
残りの一週間ほどの残された蝉の人生を
一生懸命に生きて行くものだと思っていたけど
そうでない蝉だっているわけで…なんだか切ない気がした。






そうそう、我が家の夫肺炎で入院生活を余儀なくされていたけど
ようやく退院の目途が付いた。
主治医の説明があり夫にも会える事になったのだが
病室に入ってベッドの横たわる夫は
入院前と随分違ってしまっていた。


入れ歯を外した夫は頬がこけて
まるで80歳代のお爺さんのようだった。
人相ってこんなに変わるものなのかどうか。


じい、分かる?って聞いたら
かすかにうなずいた様で、元々足腰の弱っていた夫だったが
この入院で、すっかり歩けなくなってしまった。


移動手段は車椅子となって、年を取ってからの歩行困難は
若い時とは比べ物にならないくらい治癒能力が落ちてるのだと思った。
足に力が入らずに、看護師さんの肩を借りてようやく車椅子へと。
リハビリもやってはいたのだろうけど
…そういう事なんだよね。


夫はベッドの上での生活になるようだ。
取りあえず退院となると、介護用のベッドに車椅子は必要不可欠のようで
ソーシャルワーカーさんと相談してケアマネさんに手配をしてもらう事になった。


ずっと昔、ばあちゃんが脳梗塞で寝た切りになって
3カ月の治療期間を終え、あとは自宅へ戻るか
当時の看護師さんには施設で看てもらったほうが良くはないかと
そう言われたけど、若気の至りと言うか
当時私も若かったし、深く考えもせずに
やるだけやってみて、無理だったらその時は施設にって思っていたけど
思いがけなくも15年ほどの介護生活を送ってしまった。
 

菜の花系の種を食べてるのかカワラヒワ

当時愚痴や苛立ちなどブログに吐き出して
いろんな方に助けていただいて過ごして来た。
このブログがなかったら、私はとっくに壊れていたかもしれないと
なんだか、いろんな事を思い出して…。


あれから随分時が過ぎて、私も年を重ねて
決して若くはない年代になり…戸惑いを感じている。
あの時のように出来るだろうか。
夫とばあちゃんとでは、かなりの違いがあって
足は歩行困難ではあるけど、起き上がれるし手も動く。


それが良いのか悪いのかどうか。


それにしても、なんだか入院するたびにどんどん悪くなって行くような
体力の衰えは仕方ないとしても
まさか、ばあちゃん同じようなベッド上の生活になるとは思ってもみなかった。


思い描いていた老後は、何となく漠然とあったけど
時には二人で日帰り温泉へ行ったりとか
ころり観音の思入りにでも行こうか
時には二人で食事とかしちゃって。


たまに浜通りの次女の所へ行ったり
そうそう、夫の姉様とまたどこかへ行きたいなあ。
こういう生活になる前に、やり残した事がたくさんあって
それは私にとって残念なことでもあるのだけど
夫も切ないに違いない。

老後ってみんな同じようなものだと思っていたけど
一人一人姿かたちが違うように
100人いれば100通りの老後があるのだと
夫と同じ年でも、すでに亡くなってしまわれてる方も
まだまだお元気で働いておられる方もいる。
 
ならば後者であって欲しいと思っていたけど
夫には夫なりの老後があるのかもしれない。
ネガティブに考えていても仕方のない事で
まあ、何とかなるだろうってね!
 
遠く夕焼けの中を恐竜が歩いているように見える。
 
前の入院の時床屋さんに行ったばっかりで良かったって思ってたけど
今回の入院騒ぎがなかったら、床屋さんで髪の毛をサッパリしてもらい
足が痛くて、あんまり出歩けなくなった夫の姉様んとこへでも
行ってみようかって思っていた矢先の今回に入院になってしまったので
夫の頭ヤマアラシみたいになってるのが可笑しくとも悲しい。

 
 
 
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二度あることは三度ある!

2021-07-15 00:52:04 | 介護

毎日バタバタと過ぎて…あっという間に一日のような気がする。
アップしたい事はいろいろあるのにパソコンに向かえる時間がなく
それは寝落ちだったりする日もあるのだけど…。


何から話せばいいのか…。
とにかく今年の始まりは夫の頭痛からだったような気がする。
いつも頭が痛いって、それは三叉神経痛の痛みだと思っていたが
三叉神経痛の痛みとは、普通の頭痛とは違って
かなり強い痛みの様だけど、長くは続かないもののようだ。
しかし夫の頭痛は…なんというか三叉神経痛のそれとは違うような気がして
脳神経科で診察をしていただいた。


医師は即座に三叉神経痛の痛みではないなと
今までの頭痛薬からカロナール、一般的な頭痛薬に変えた。
その件は以前ブログで書いたような気がするが
じゃ何の痛みかと問えば…強いて言えば脳障害の後遺症でしょうかって
確かに言った。


まあ、そのカロナールをもらって服用したら効果があったようだったけど
あんまり長く続かなくて、やっぱりそのうちにまた頭が痛いという。
なんだべなあ…とにかく、その頭痛薬は副作用がないって言うので
痛くなったら飲んでるしかないんじゃないのか?と。


相変わらず夫の頭痛は痛みが出てみたり出なくなったりの
一進一退のような…本当に効いてるんだろか?って思ってしまう。
そして終いには歯が痛いんじゃないかと言い出す始末!
確かに以前も入れ歯が合わなくなって
歯茎に傷が出来ていたことがあったからあり得ないことではない。


だから歯医者に行って診てもらったのだけど
特に傷の出来てる様子もなく
ちょっと様子を見てまた痛くなったら来てくださいと
しかし歯医者から帰って来ても頭が痛いという。
次の日は日曜日だったけど救急で診てみらった方がよくはないかと
嫁ちゃまの意見で連れて行った。


そしてCTスキャンで実は小さい脳出血があった事が判明した。
その他にやっぱり以前起していた脳出血の痕があったが
ごく小さいものだったので手術はしなくて
点滴の投薬で2週間ほどの入院で退院する事が出来たのは
ゴールデンウィークの真っただ中だった。


その退院の勧告の際に、今年の始め辺りから
頭痛が続いていたのだけど脳出血と頭痛の関連性はないのかと!
脳出血は頭痛はしないものだと…私の受け取り方に間違いがなかったら
そういう事の様だ。


退院時まだ頭痛はしますか?と聞かれて
頭痛はなくなったと夫、時が解決したのでしょうと。
なんだか分かったような分らなかったような?
取りあえず夫は無事に退院する事が出来たのが
今年一回目の入院騒ぎだった。


ところが入院騒ぎは一回でとどまらずに
退院から2週間くらいしてか、急に立てなくなる!
どうしたんだ! 取りあえず横になれと動くなと
立てなくなるなんて、きっと脳に何か異変が起きたか!!
それしかないと救急車に出動を仰いだ。


救急車はすぐに到着して、夫を車内へと運び込んで
血圧を測ったり熱を測ったり…熱!!
熱があったんだ夫。
39度もあって立てなくなったのだと
言われるまで夫に熱があったなんて知らなかった私。


なんと薄情な(苦笑)


今回は高熱で救急に来たので、まずされたのが
私は別控室に夫はコロナの検査と
その時までコロナの検査には2種類あるって事も知らなかった。


よく耳にするPCR検査と抗原検査で
その検査をするのに小一時間くらいかかり
陰性と証明されてから一般救急の待合室へと通され
夫は診察が受けられる状態となる。


色々検査をして体内にウイルスによる炎症反応が見られ
今体のどの部分に炎症反応があるのか調べている所だと
そして分かった病名が腎盂腎炎だった。


はあ…まったくもって、なんか意外な病名で
ホッとした部分と、なんだかやっかいそうな部分と
結局1カ月ほどの入院となった夫だったが
思ったより長引いてしまい
その間に自分の身の回りの事など
みんな看護士さんなどにやってもらっていたせいか
やってもらうのが当たり前感が定着してしまった。


そのうえ歩くのが遅くなってしまった夫に
移動は早く行ける車いすなどを使っていたので
まあ、病棟の廊下くらいは歩いてはいたけど
すっかり歩く足元も危なっかしくなってしまって…(~_~;)


退院後、リハビリを兼ねて近くの介護施設にディサービスに行く事にした。
男の人は行くのをやめてしまう人が多いらしいと聞いたが
夫はこの介護施設がよっぽど気に入ったのか
毎回楽しみにしていた…そしてキャンセルしていたコロナウイルスのワクチン注射も
再度申し込んで日程も日程が決まり、いい方向に向かって来たと思った。


が、二度あることは三度ある!!と、ことわざ通り
先日、何となく歩くのがおぼつかないなと思い
体に触れたらちょっとポカポカしてる感じ。
まさかね~この日は暑かったし湿度もあったんで
熱中症とか? そっちの方に考えが及んだ。


水分をあげて様子を見ていたけど
熱を測ったら38度…ちょっと高いな。
しかも一時的なものでもないようで…また病院行きかな。
夫の体調を考えると私が車で連れて行くよりも救急車だと
昼間の事だったので、きっと村人が誰だ誰だ?って
集まって来るだろうけど、まあ、それもよかろう。
 
毎度お騒がせの夫であります!

やっぱりコロナウイルスの検査をして病院で調べてもらったのが
結果肺炎で…また当分入院かなあ~
でも風邪気味とか咳とかも出てなかったのに
診療計画書にはしっかりとまさかまさかの肺炎と
1、2週間の入院加療となってしまった。


まあったくホントに二度あることは三度あるって
デイサービスのお休みの連絡と、目の前だったコロナウイルスのワクチン接種
それもキャンセルの連絡を入れた。


若い時、あんなに元気だった夫。
60歳定年で、会社からもう少しいてくれないかと
嘱託でプラス5年実際は65歳からのリタイヤ生活で
長年働いて来た体への無理が一挙に出ちゃったんだろうか?


ロクすっぽ風邪も引かない頑丈な体だったのに
一挙に老け込んでしまった。
朝のウオーキングで知り合った
医療関連にお勤めされていた方に言わせれば
長く入院されていると、どうしてもそうなっちゃうのだそうだ。


私と夫の老後はずいぶんと脇道にそれてしまったようで
時々日帰り温泉へ行って、お花見をしたり
あちこちの寺院とかを巡ってみたり
そんな日を送る生活…なんだかなあ。
 
遠くなってしまった。

毎月一回の入院なんて見た事聞いた事も食った事もない!!

そんな事情でブログの更新もままならず
病院と行ったり来たり、pochiko農園と夫農園と
忙しく動き回って、時として寝落ちと…。
ひたすら自分の時間が欲しいと足掻いてる日を送っている。
 
病棟の窓から市街地
 

夫を病院に置いて帰る時は、すっかり夜になってしまっていた。



長々とごめんなさい!

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ばぁちゃんの匂い

2011-06-26 22:20:20 | 介護

こう雨ばっかりじゃ、畑に入ったり草むしりだって出来やしない。
せっかく孫太郎がお休みなのに…なんだか勿体ない様な日で
昨日は孫太郎…父ちゃんと地域のホタル祭りを楽しみにしていたけど
行けたのかな、無理だったのかな。

こんな雨模様の夜は、殊更ホタルが美しく飛び交っただろうに!

私といえば、ようやく思い切ってばぁちゃんが使っていた押入れの整理をしようと
あの日あの時のままで、押入れに仕舞い込んだばぁちゃんの荷物。

何度か整理しようと開けてはみたものの
どうも気が向かずに、また扉を締め切ったままに…。

普通の押入れの半分ほどの開き戸を開ければ
なんだか懐かしい様なばぁちゃんの匂いがする。
衣類もバスタオルもちゃんと洗ってしまってあるのだけど
長年身に着けていた匂いっていうのは、なかなか取れるものではない様だ。


一冬越したランタナの花

着古した下着やパジャマは、誰が着るわけでもなくゴミ袋へ。
前日の夜まで飲んでいた薬は、まだ何日分も残っている。
風邪を引いた時の薬だとか、熱が出た時はこの薬と
目薬やオムツかぶれ用の軟膏に、床ずれ用…と
いろんな薬がディやショートへ行く時の袋に納まったままで
ビニールの集金袋にはショートステイの時のお釣りが僅か。

使っていた加湿器は水を抜いてよく洗って
血圧計とか体温計は、家で使う薬箱へと移した。


タチアオイは会津の市花

押入れの引き出しには、いろんな書類が入っていて
デイサービスやショートステイ、または訪問入浴の契約書だとか
介護保険に関する書類や介護会議の報告書…などなど。

ついつい読んでしまうのはディやショートの連絡帳で
14年分ともなると、かなりの冊数になり
最初の頃は食事を食べてくれなかった…今日は二口だけでした。など
あんな事もあったこんな事もあったと、思い起こして遅々として整理ははかどらず
さすがに処分するには忍びなく…ほとんどは引き出しへと戻してしまった。


花ざくろの花も咲き始める

書類の中に、敬老の日の長寿のお祝い金の入っていた袋があり
中を見たら…お祝い金が入ったままに
これで何か買ってあげなくちゃと思いながら仕舞い忘れてしまったようで
思いがけないばぁちゃんからのお小遣いかなぁ~。
へへ…らしくもなく涙と鼻水と。

これで好きだったメロンを買ってお供えしよう。

あれから4ヶ月も過ぎてしまったのだとは
なんと月日の経つのは早い事か…特に東日本大震災なんてあったし!
だけど、未だにショートステイにでも行ってる様な気がする時がある。


ガランとしちゃったばぁちゃんのいた部屋…こんなに広かったっけか。
窓際の植物だけが変わらずに生き生きとしている。

スーパーへ行って買わなくなってしまったものは
ばぁちゃん用にと、おかずの一部として使っていたベビーフード。
柔らかなので潰してトロミを付けたりしていた豆腐のハンバーグ。
プリンだとかヨーグルトだとか、他には水分補給にとゼリードリンクなど
いつも切らす事なく冷蔵庫にあった。

なんだか寂しい気がする…。

買い物へ行っても、やっぱりお昼時間までには帰ってくる長年の習性かな。
まだ体内時計はあのときのままみたい。


紅紫陽花

ついついキツイ言葉を出したり
動作も荒っぽくなったりしていた時もあった。
もっと優しくしてあげれば良かったかなぁ~なんて
一生懸命に介護したら後悔なんて残らないって言われるけど
やっぱり後悔ばっかりが残ってしまっている。

元気な頃のばぁちゃんの遺影と、仏壇の中に置いた最後の誕生日に撮ってもらった
帽子を被って首にはレイがさげられて、私と二人で笑っているのは私だけで
痩せて肉が落ちギュッと目をつぶったばぁちゃんの顔と…そんな写真。

そんな写真の方が身近にばぁちゃんを感じるなんて…笑っちゃうよね。


また今年もゆすら梅の実が赤く熟した。

 

 

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